誦句を習慣化する一方法
誦句を染入れ習慣化するということでは・・例えば
以下の誦句を例にしてみます。
この誦句は、リズムもよくて私も好きな誦句の1つです。
( 以下引用 )
今日一日
怒らず 恐れず 悲しまず、
正直 親切 愉快に、
力と 勇気と 信念とをもつて
自己の人生に対する責務を果たし、
恒に平和と愛とを失わざる
立派な人間として活きることを、
自分自身の厳かな誓とする。
( ここまで )
この誦句を行動の指針・・日々の生活指針にしたいなら
例えば視覚心身統一法などの方法も援用する方法もあります。
やり方は、黒点
●
上記の黒丸を、目線の少し上に配置しじ-っと凝視し見詰めて目をつぶり
その残像( 白丸で脳裏に浮かんでいると思います )が虚空に消えて、雑念が消える・・
その頃合いを見計らって言い聞かせるようにして背骨に沁み入れる。
その際に生活シーンとして、この誦句のごとく振舞ってる未来の自身の姿を
脳裏に出来るだけ視覚映像化するということ。
少しでもよいので五感を巻き込んで実感する機会を増やすと
左右脳も活性化して精神衛生上もよい影響を与えます。
この誦句に深く思いを巡らせ、心を耕した上で、この誦句を意識した1日を過ごして
1日の活動の締めくくり(就寝前など)に計画を練る時間の中で
少し時間を割いて1日(1週間)の印象的な出来事を中心に自らの思考( 思念 )や行動、願い、想像、言葉、感情
これらについて内省的かつ観想的に振り返って、誦句に照らして、くだらないことにカーッと怒ったり、びくびく恐れたり、悲しみを引き摺ったりしなかったか?点検する。
そうして
誦句に照らして、取り組むことができた1日だったら、それがやれた自身を褒め、また、よくやれたことについては素直にしみじみ喜ぶようにする。
さらに
よくやれなかったことや不足してたことも自分自身を裁いたり責めたりせず
淡々、中立、公正に第三者的に観想する。
よりよくするシュミレーションを、少しずつしていくというのが実践方法になります。
の記事にも、基本的な事を書いていますので参考にしてください。
もう少し詳細に述べるなら誦句のなかの
「 恐れない 」「 怒らない 」「 悲しまない 」ということ
この項目について
人によって潜在意識のなかの思わせることの観念要素が違っていますし
置かれた状況や立場は様々です。
よって
「 恐れない 」
という項目を1つをとっても、人それぞれの状況や立場に応じて、これが、置かれた状況や文脈の中で、どういう意味を帯びるかは違ってきます。
日々の生活空間の範囲の中で
我が身にとって、「 恐れない 」というのは、どういう意味合いを持つのか?
そもそも、私は、どういう思考パターンが条件反射的に脚本として埋まっていて
この言葉に心が触れたときに、どういう連想が、反射的に心内に湧き生じるか?
というのは
各人各様の状況や心の傾向性によって微妙に違うでしょう。
恐怖心っていうのは人を苦痛から守るために
天が与えてくださった警報装置という見方も出来ますけど
それを過剰防衛的に発動させたり誤用したら碌なことないですよね。
それに、いったん神経過敏に陥ると立て直すのは口で言うほど簡単ではないわけですけど
そういうケースでも
クンバハカを練習し
寝入る寸前の思いを感謝の方面から積極に取り締まることを愉しむ「 観念要素の更改 」を熱心に行い
肉眼の目にも心の眼にも見えない・・
感じたり思ったり考えたりするとこよりも、もいっちょ上
働き通しの心のおしゃべりを止めて思う仕事を心に停止させ
´思わない考えない領域´にフィッと心を入れて休ませる安定打坐法などを恬淡と楽しみながら続けてたら
ハッとさせられる瞬間が増えて自我( 自分 )と純粋自己( SELF )の違いも分かるようになって恐怖心にも上手く対応できるようになっていくかもしれません。
例えば
今後の仕事や生活で予想される、具体的な場面において
どういう場面で心が反応的になって恐れ、怒りを感じるかなぁ・・
と問いかけ思いながら
現在の生活において、これまでの流れで、今後において想定される生活の展開のなかで
取り乱してしまったり、恐れや怒りを感じることが漠然と予想される場面( 状況 )をひとつ選んで俯瞰し
そのシチュエーションを眉間を涼しくしクンバハカにしリラックスして肩の力を抜き肛門を締め臍下に気を鎮めて
心のなかで想像力を応用して心の銀幕( メンタル・スクリーン )に描いて
怖れて緊張してしまうことが予想される場面でも
刺激と反応の間のスペースにおける
選択の自由を発揮して
恐れないで
心身統一して生命全体として活かし落ち着いて振舞ってる
晴れ晴れしい姿を・・実際のリアルの現実で、できる出来ないは問わず
心の仮想空間の銀幕内には、よくやれてる姿を、五感を出来るだけ巻き込んで描いてシュミレーションするということ。
( 就寝前とかに )味わって、こういうかたちで言葉をピックアップし
意志の力を用いて身近な仕事や生活をベ-スに地に足の着いた想像を働かせ一念一念をじっくり心内で確認する。
どうせ蒔くなら心内に埋まった脚本( 台本 )を修正し得る
地に足の着いた、よい思い( 連想 )を条件づける種を、とにかく数多く積極的なものを撒いていく・・
こういう小さな心的トレーニングを施して体の脳神経および末端神経ネットワークとつなげる形で施して
善い連想の種を蒔くということは空想でないし、
現時点の自身の置かれた立場や状況をベ-スにしてるから地に足が着いていて誰でも出来ますよね。(;^_^A
裁いたり責めたりしない・・シュミレーションも地に足を付けた現実的で具体的なものというのがコツ
そういう反応的( 怒りや恐れを発動し消極的に )なりやすいシチュエーション下でも
刺激と反応の間のスペースの選択の自由を思って
「 怒らない 」「 悲しまない 」も同じような感じでやって
その際に体で干渉させて、気を臍下の丹田に鎮めてトレーニングしてやるとよい。
「正直、親切、愉快 」というフレーズについても
一つ一つの言葉を気を散らさず、じっくりその言葉に向き合い
その暗示の言葉が働き、そういう尊い心的性質が発動し
その一念で現実的な形で自然体で振舞ってる姿を
今後の展開で予想されるような具体的場面を、五感を、出来るだけ使って描き
気持ちを集中させ、そういう心内操作を心の銀幕内で五感を巻き込んで施す。
例えば「 親切(深切) 」という言葉も自分自身の具体的な生活空間の中で
この尊い心的性質が強く発動し発揮出来たら仕事や生活の場面では、どうなる?と静かに自問自答したり
どういうことが自分にとって「 親切 」なのかなぁ・・とか思いながら現状の生活から
今の生活でなかなか親切になれないことが想定される生活シーンをひとつ選んで
真心からの親切が発動するとは自分にとってどういう意味なのかを
幾度も思いを巡らせ、五感を巻き込んで想像する。
そしてその生活シーンを心のなかで想像力を応用して
その一念で恬淡と振舞ってる姿を眉間を涼しくし
クンバハカで氣が出た心の銀幕( メンタルスクリーン )に、できるだけリアルに描いてやる。
「 無垢なとこを動機にして親切に振舞っている理想の姿と振舞い、行動 」を淡々と身体全体で想像し味わって前もって観想し
遊び感覚で条件付けしていく。
「 勇氣(度胸) 」や「 信念 」も明確にして、この一つの言葉に集中することで
このような心の状態が開発され高められるように・・具体的場面で、そう振舞ってる姿に集中し、よい種を撒く。
※信念という言霊についてはSTEP2の暗示を施して
心の働かせ方が´信念強い´というほうに強化してる方でしたら
この言葉にリアリティを感じ馴染み易い感覚を覚える方も出てくるはず。
さらに、実際にイメ−ジしたとおりの言動をすることを、
実際に出来る範囲で試して、成否をフィ−ドバックすることで少しずつ修正し自分改革に応用する。
もちろん、この方法をしたからと言って、直接的になにか得られるものもなく
「 隠し隔てできない思いまどう自我(低我) 」と
真っ向から向き合いつつ行わないといけないので意外に辛いし、なんて浅ましいと思い
呆れたり痛みを伴う場合もあり得ます。
( 私が、心身統一法を知らない時に内観の行だけをして、そうだったから、あなたもそうとは限らないけど・・厳しい内観の行とかした方ならわかるかもしれない。
もしかしたら、あなたは違うかもしれませんが、´内観の行´だけだったら自身の身勝手さや浅ましさ、くず加減・・利己主義の根深さに、やり切れなくなる・・
対極に位置する性質に気を込めて心身統一行法を大らかさを養いつつ実践しゴミを掃うステップがないと・・ )
好ましい心の状態( 正直、親切、愉快、力、勇気、信念、 平和、愛 )のほうに氣を注いで、このように振舞ってる姿を想像し、よい連想の種を蒔き、
実際に、少しでもイメ−ジしたとおりの言動をすることを試して、成否をフィ−ドバックする。
そうすることで少しずつ本人を苦しめる好ましくない心の性質を削いで
それと対極の性質のほうの連想を強めて出来る範囲で行動強化する。
取り組みそのものを褒めて少しでも出来たら自身を認めて褒めてやる。
悪い結果を生活にもたらす潜在意識に埋まった、これまでの悪い脚本を
良い結果をもたらす尊い心の性質に気を込め、善い思いの種を植えることで
悪い脚本、条件付けを反古にし解毒し枯れさせ振り切っていく。
そういう心内操作および実際のささやかな行動を心がけ
1日(1週間)を振り返りながら心内の仮想空間で地道に、よい種を撒き続けて日課にし習慣化に努めてると
潜在意識も積極に耕され台本( シナリオ )が、よき縁、好運をもたらす方向にシフトし変わっていきます。
こういう基本的な事を遊び心を伴わせてやっていったら我欲が弱められ削られ
善い面に転嫁しつつ本来備わった尊い善いものが
人格に練り込まれ手ごたえは出やすいかもしれません。
この理論っていうのは、例えば
たこ星人を気にしないでください!
注目したり想像しないで!!って言われたら
思うまいと思ったって以下の画像のような「 たこ星人 」が
あなたの心の銀幕にふわっと思い浮かんで引き摺られてしまいますよね。(;^_^A
それと同じで
・ビクビク恐れないようにしよう・・
・イライラぷんぷん怒らないようにしよう・・
・( 失敗を )恐れないようにしよう
・メソメソ悲しまないようにしよう
・憎まないようにしよう
・妬まないようにしょう
・悪口を言わないようにしよう
(言われても言い返さないようにしよう)
・虐められないようにしよう
・これからのことを悪く想像し悲観し不安に囚われないようにしよう
・取り越し苦労しないようにしよう
というの´だけ´ですと、そちらが気になって
そういう連想が心の銀幕に浮かび、そちらに気が向き、そちらを心に描きやすい
勢いづいていかない・・よい脚本も耕されないし
別の新しいイメージも勇気も出てこないですよね。
ですから、あなたが、こうありたくないというのと対極の
尊く望ましい性質のほうに´気´を向けエネルギーを注ぐ法に、より注力するという事。
宇宙のエレベーションに沿わせて
強めたいと心底強く望み開発したい・・好ましい積極的な情動の性質のほうに
強く注目、気( 意志力 )を向け集中して
言霊で、明るく生き生きした連想の素材を心内に撒いて耕し、そう働くように方向付けて
実際に、少しでも、そのように振る舞うこと。
少しでも出来たら褒めてやる。
こういう方法は、いたってシンプルでして地味で、こういうのも続けられる方は多くないですが
それで備わってる人格の積極的内面化も自己陶冶も少しずつ達成できる可能性があるということになります。
こういう日常の地に足の着いた素朴な訓練も、サラっと書いてるけど再現性があるものとして提示するのに
私としては自身が悩んできたので相当に苦労したんだけど・・
曲がりなりにもやってけば、相当に役立つはずです。
相当な朗報だと感じる方もいるのではないでしょうか?
J・Hシュルツ博士の自律訓練法と中村天風のクンバハカと寝入りばなの連想暗示 リンドラーの鏡を用いた自己暗示法( リンドラー・システム )のこと
の記事にも、深い意識で行える、ちょっとしたコツを書いてますので参考にするとよいかもしれません。