このぺージは「 誦句 」を生活の指針にし内面化しつつ向上の刺激剤にする方法について書いてみます。

 

 

「 7つの習慣 」をお読みになってるような方でしたら
価値観を明確にすることや個人の憲法に当たるような指針を書き出し
内省し自己陶冶や向上の糧にすることの重要性も腑に落ちていると思います。

 

 

ここで、自己陶冶の基本について述べるなら

 

自己陶冶の基本は、心を取り扱う権能のある意志の力を渙発することが前提。
その上で、不要残留本能をいかに宥めて攻略できるかにかかってるでしょう。

 

ここで不要残留本能の心の働きについて解説すると、
低級な欲求心や妬みや憎しみ、怒りなどの負の感情を指します。

 

これらの感情は、気の遠くなるような進化プロセスの灰汁(毒汁)みたいなものという見方もできます。

 

怒りや怖れ等から来る我儘で闘争的な攻撃性。

 

こういうのもマンモスが跋扈していたような大昔(原始時代)には生存戦略として非常に重要で必要だったでしょう。

 

 

では、今の時代(近現代)はどうかと言いますと、、、

 

そういうのは霊性が発達しつつあるので、むしろ不要でしょう。

 

他者との相互互恵的関係を損なう原因になることがあります。

 

これらの低級な本能欲求のままに行為を蓄積することは霊性(心)が発達しつつある現代では、そぐわないと言えるかと思います。

 

言い方を変えれば、これらの本能衝動のままに生きると、潜在意識を消極的な要素でいっぱいにします。
本人の霊性の進化を停滞させ不幸にするでしょう。

 

 

原始時代には身を守るために必要だったとは言え、
度が過ぎるともいえるような不安や恐れの感情。

 

これだって近・現代社会では、むしろデメリットになります。
過剰に作用することで、ストレスや免疫力の低下を引き起こすことが医学的にも知られてますよね。

 

不要残留本能心は、ひたすら肉体を本位とする本能です。

 

事実として体の力は強いので、おさえつけるやり方では、陶冶は難しいのでしょう。

 

抑えるのではなく、心を超えた意志の力を渙発し高級な欲求心や向上心に置き換え方向づけて、徐々に、じゃじゃ馬を馴らしていくやり方で攻略することが肝になるでしょう。

 

また、

 

霊性進化に反逆する不要残留本能が好むことや不正直、不親切、不愉快は避けるということも不要残留本能の力を削ぐことに貢献する可能性があります。

 

不要残留本能が煙たがる、高級な心意の霊性心(本心良心)が喜ぶことを意志の力を結集させ日々の仕事や生活で意識し心がけ身体を用いた実行を愉しむということ。

 

すなわち、恐れず、怒らず、悲しまず、正直、親切、愉快を、先ずは意識し身体を使って実行。
それを愉しむというのが、押さえつけないやり方の具体的な不要残留本能攻略の基本であり、不要残留本能心を認識し、克服することで、より高い意識レベルで生きることが可能になってくるのかもしれません。

 

それを踏まえて

 

生活の指針にしたいピンときたものを、手帳なりに書き出すのもよいのではないでしょうか?

 

 

 

手帳には、あなたが、欲しいものや、やりたいこと、大切にしたいこと

 

こういったことを、安定打坐をした後のようなシンとした無垢な気持ちで紙に書き出してると思いますが

 

 

もっと根本的な生命のあり方と言いますか、、指針も書き出しても良いということになります。

 

命のあり方の指針として参考になるのは

 

例えば

 

誦句集にもありますが誓詞というものです。

 

 

これを、言葉のフレーズ・・余韻とかを噛みしめながら先ず読む。

 

ゆっくり時間をかけ、その言葉を自身の生命に対し、今ここで語りかけられた言葉として聴く。

 

ひとつひとつのフレーズを静かに黙唱し、言葉の余韻を味わい内面化させることを意志する。

 

コツと言うほどでもないですが眉間の奥~背骨を意識し背骨に気を集めて
このフレーズを語りかけ、じっくり静かに沁み入れ気持ちを強くする

 

 

次に、自分に言い聞かせ語りかけている言葉のフレーズについて、左脳で、その意味を噛みしめ

 

さらに思い(想い)を巡らして気を凝らして
この暗示の言葉どおりに心が働き、この言葉が実現しつつある場面を右脳および五感感覚を使って出来るだけ巻き込んで想像する。

 

より具体的には

 

 

現在、自分が置かれている具体的な場面を想定する。

 

そうして置かれた立場や状況で主体性を出して私に何が出来そうか?

 

その誦句の言葉に静かに耳を傾けつつ思い巡らし右脳をフル活用し想像し沈思黙考する。

 

 

 肉体感覚や快苦に縛られた自我をして、こういう誦句を手がかりにして心を超えた純粋自己との対話をするということ。

 

そういう視点で、お道具の脳および心を働かせていくと

 

 感じる心をこえた自己( 氣としてのより広大な吾 )とのつながりが出来てきます。

 

それに応じて、どこからともなく悦びが湧き出るようになり
心身の調和を促し、やすらぎも得られやすくなるかもしれません。

 

 

そうして1日(1週間)の活動を終えた際に

 

自分が達成したいと思ってること、欲しいもの等を現実にする方法を左脳および右脳を回転させ考える時間を持つと共に

 

「思いのための種まきの時間」を設けて

 

淡々と内省的に振り返るということ。

 

 

こういうことを行うと、これだけでも簡単な自己を律する自己陶冶と心の整理になります。

 

 

ここで、正直、親切、愉快の三行を心がけ決意し身体を用いて断行すると、どんなよいことがあるかも述べておきます。
少しは実践の動機付けになるでしょう。

 

 

一番のメリットは、正直な行為、親切な行為、相手も自分も楽しませ愉快にさせる行為を戦略的に行うことで
潜在意識の倉庫を洗う清々しいプラスの波動が生じ、潜在意識の状態を改善することに大きく貢献するというのがあります。

 

尤も、これはあくまで仮説でして

 

正直な行為、親切な行為、相手も自分も楽しませ愉快にさせる行為の三行を心がけ決意し断行することで
潜在意識の印象貯蔵庫を洗う何らかの浄化要素が生じるというのは私の仮説です。
口述書にも書いてませんけども。

 

ただ、全く根拠がないものではありません。

 

 

これは、インドのヨガ聖者のパラマハンサ・ヨガナンダの「人間の永遠の探求」講話14に数行(以下)だけ書いていることから
私の方で仮説を立てたものです。

 

(以下引用)

 

自分の心を汚すような事をしてはなりません。誤った行為は、マイナスの波動、
すなわち邪悪な心の波動をつくり出し、あなたの 容姿や人柄に反映します。
あなたの望んでいる良い性質を育てるような想念をたえず保持し、そのよ
うな行動をしなさい。

 

(ここまで)
誤った行為は、マイナスの波動、すなわち邪悪な心の波動をつくり出すなら、その逆もまた真でしょう。

 

我儘、放埓な不要残留本能が煙たがる「 正直、親切、愉快 」。

 

この三行を心がけ決意し断行する。

 

その行為を愉しむことで、潜在意識を含めた心を清々しくし洗うプラスの波動が生じると仮説することが出来ます。

 

 

何れにしろ上手く行ってる方は、よい調子です。そういうことが出来る自身に感謝しながら継続されたらよいのではないでしょうか?