大事なのは成果が出ても、その後も習慣統御すること。続ける才能がないなら作ること
今回の記事を要約し動画にしたら上記になります。上の2分程度の動画を視聴し以下の記事を読んだら整理されやすいかもしれません。
また、以下の7分くらいの講座音源も予習復習で学ぶのによいですよ。
実験的に、この記事をベースにGemini2.5で作成してみました。
中村天風の教え:心と体を繋ぎ、ストレスを乗り越える実践的幸福術~クンバハカとレジリエンスmp3音源
再生速度については適宜調整してください。1.5倍程度が聞きやすいかもしれません。
ある方にとって、よい方法が、他の方にとっては、上手くはまらないというのは、よくあることです。
その点、天風哲人が体系化した実践体系は、やや趣が異なります。
生命用具の心の積極化や生きがいを感じる命の活かし方というのをタ-ゲットにした場合に
現実的で地に足がついているせいか、実践継続による格差が少ないというのが特長です。
いただいた報告の分析では、やっただけのことはあるというのがよいですね。
「やり方」( How to Do)と「あり方」にも踏み込んでいるところが決定的に違います。
昔の私みたいに唯心論的観念論者にありがちな肉体(神経生理)方面を疎かにしていません。
目に見える肉体方面の力も侮れませんから。
そちら方面も併せて心(身)を取り締まってバランスよくアプロ-チし、お道具の心を浄化しつつ積極にし改善、成長、飛躍していく実践方法です。
命の在り方にまでメスを入れています。よって汎化性が高いです。
天風哲人は、30歳になった時に難病( 奔馬性肺結核:当時の不治の病 )に侵されました。
これが、きっかけで、軍事探偵時代に、死をも恐れないほど強く頼もしかった心が、これほど弱くなるのか?というくらい、ひ弱になったと聞きます。
そのことを心底情けなく悔しく思ったのだとか。
それで元の半分でもよいから、強く尊い心を取り戻したいなと発心。
当時の日本の著名な医者、識者、宗教家に教えを請い聞いて実践。
しかし箸にも棒にもかからずダメだった。
それで日本はだめでも世界だったらどうかと思い立ち、挙句世界の2/3を求道行脚することになりました。
結果的に、ヨーロッパを中心に世界中の識者、宗教家、思想家に訊ねまわり、とうとうインドまで行くことになりました。
そうして、ヨガの導師に師事しつつ、ご自身でも途方もない探究をするプロセスで
「 人は何故、自らの命のものである心を取り締まれなくなって不運や病などを、きっかけに自棄になる等して不幸の悪循環に落ち込んでいくのか? 」という歴史的に人々を苦しめ悩ませてきたことに対し自分なりの仮説を持つにいたりました。
感じせしめる感応性能が調子を崩して事柄( なかでも不運や病 )に心が首っ引きになり感情や感覚のままに追い使われるようになった。
心を取り扱い、監督する意志の力が弱ったこと。
これが、心が情けなくなるほど、ひ弱になり、神経過敏状態。
感情や感覚に追い使われ心が悲観的かつ消極化し出来事( 逆境など )に負けて不幸に落ち込み立ち上がれなくなる主原因であるという直感を抱き、仮説を立てました。
そうして弱く卑屈になった感じせしめる感応性能の調子を戻して、その延長で心を管理する意志の実力を培う、心の奥座敷の浄化を含めた具体的な心身の積極化のための実践体系を構築するに至りました。
お道具の心を取り締まり強く尊く積極に振り向けるための具体的な対策の一つ目として、
意識の底に沈んだ消極的思念材料のゴミを取り除いて洗浄していくアプロ-チ
二つめが積極観念を耕すというアプロ-チ
さらに三つ目が神経生命の勢いがなくなったものの調子を体の持ち方を気が充実しやすい体の持ち方に整えて調子を取り戻すという主に三本立てで、意志の実力を培い強く頼もしい心を作製し逞しく生命を活かしていく具体的方法論として組み立てています。
こういうのをサイト等で配信し始めて相当長いですが、昨今は落ち着いた、、内面の霊性の高まりや内面の満足感や改善、成長のプロセスにもフォ-カスした穏やかな報告が頂けるようになってるのも良い兆候です。
上手く行ってる方は、そのまま律する力を高めながら向上的に維持すればよいのではないでしょうか?
長く続けるコツは、期間を決めたら、その期間をやり抜き、やり切るということ。(記録をつけると尚よい)
3日実行するとしたら、その期間、やり切り、やり抜いて、成せたら自身の心を励まし労い勇気づける。
(この時点で、すでに積極的体験要素が印象付けられ蓄積されることになります )
さらに意志してプラスのよいことを探す(フィ-ドバック)
よくないのが、昔の私みたいに気が付いたらドロップアウトしているというやつ。
これは好ましくないです。
7日やると決めたら、その期間、気を込めて、やり抜き、やり切る。そして成せたことを人知れず労い、生命用具の大事な心を勇気づけてやる。
そしたら誰がなんと言おうと、やり抜いたという清々しいプラスの心象材料が意識の底に埋め込まれます。
そうして間をおいて、また7日でもよいです。
とにかく気が付いたらドロップアウト・・これは避ける事です。
何て根がないんだというふうに感じ出して自己信頼を無くしていきますから。
水路付けを上手くしてやればさらに飛躍するでしょう。
外的な実績である仕事や生活の中でウェルビ-ングの状態を発見し、日々に恬淡としたものを感じ出すのが早いのも理に適っている方法だからでしょう。
( 一般に阻害されている )肉眼の目には見えない活かす力とのアクセスを実践により、導通を良くして内面における自信を育むことのできる合理的方法を実践体系化して提示してくれていますから。
例えば、天風哲人が、求道しインドの聖者の助けも借りて苦闘の末に自力で閃いた「 クンバハカ(神経反射の調節法) 」という行法。
これは、冒頭に述べた神経生命の勢いがなくなったものの調子を取り戻す方法です。
眼に見える肉体の持ち方からアプロ-チし生きている以上避けられない外界のストレス刺激による感覚の波、悲喜こもごもの感情の波を鎮め、身体の持ち方で感じせしめる感応性能を守ることに緩く貢献します。
ここにも書いてますがストレス=悪ではないです。
ですが、ストレス刺激を適切に制御せず、放置し、じわじわダメ-ジを蓄積させ閾値を越えると、副腎皮質などの分泌も乱れて自律神経の調子がおかしくなり心にも影響します。
ストレス刺激や軋轢などの衝動を心が感じ受けた時に、それを制御せずに心でまともに受け続けて、そのダメージを蓄積させる。
じわじわとダメージが蓄積し、ある閾値を越えてしまうと自律神経のバランスが一挙に崩れて、お道具の心にも好ましくない影響を与えてしまいます。
そうなると後の祭り。
感じせしめられる心の調子が、おかしくなって日々に恬淡とした微笑ましさを感じれなくなり、かつ心を取り締まれなくなっていきます。
クンバハカ( 神経反射の調節 )を日々の仕事や生活で疎かにして、感情や感覚(快不快)の衝動のままに制御しないで生活をしていると生命用具の心を発展軌道に乗せて心の積極化を図っていくという一大生活事業が絵に描いた餅になりますから。
心とも繋がった大事な植物神経(自律神経)は、ストレス社会ですから、身体の持ち方でいなして、守ってあげる必要があるんです。
神経反射の調節( クンバハカ )を知らず、かつ怠っていると気が付いた時には、昔の私みたいに神経過敏が服を着たようなビクビクおどおど人間になってしまいますから。
具体的なやり方は
感情、感覚のストレスの刺激衝動を受けた際に、体の咄嗟の持ち方を、これまでと変えるということ。
心でまともに受けるのではなく
ストレスの刺激・衝動を受けた時、肩下げと肛門締め上げで、気持ちを下腹( 臍下3寸 )に落ち着け、刺激、衝動を、
先の特殊な身体の持ち方で、すっと鎮めるという事。
こういう、ちょっとした身体操作を強化学習し反復強化で特別な体の持ち方に熟れるにつれ
日々を微笑ましく感じる感応性能の調子がおかしくなるのを防いでストレス負けしなくなっていきます。
このクンバハカについては、あの英雄の東郷元帥も、
「 この方法をロシアとの日本海海戦時に知っていたら、
敵の旗艦が( 沈みゆく )最後のあがきで放った砲弾が、
自身が乗艦している艦のすぐそばの指令塔の脇でドカ-ンと炸裂した際にも、
もっと落ち着いておれただろう。
それに驚き、刹那、ひょいと心を向けてしまい敵艦が沈みゆく全てを泰然と見届けられなかった 」と残念がったというエピソ-ドが残っています。
東郷元帥は、天風先生から、この方法を教わった後は、
「 クンバハカ 」という張り紙までして習慣化に努めたというエピソ-ドも残っているとか。
ちなみにクンバハカには「 絶対クンバハカ 」、「 相対クンバハカ 」、「 自然クンバハカ 」の3つがあります。
こういうのまで書くと長くなるので、省きますが、シチュエーションに応じて使い分けます。
クンバハカが難しいって方は、とりあえずストレス刺激を心が受けて動揺せしめられた時は、
何はなくとも、とにかく「 肛門締め上げる 」
これだけでも生命エネルギ-の漏出を抑制できます。
大事な神経生命(自律神経)を守る( ひいては心を守る )のに違いますよ。
耐久力も違ってくるようです。
何か事があったら「 肛門締め上げ。引き締めたとこに気持ちを置く 」で、先ずはよいかと。
耐久力が高まった、私自身のささいな生活事例を述べるなら
私は、某歯医者さんに、「 こんなに歯の治療が難しかった人は開院20年以来初めてだ! 」
と不本意なことを言われてしまった体験を持っています。半年近くの通院治療が、ほぼ終わりかけてた頃に言われました。(-_-;)
長い長い通院中に、治療台の上に仰向けになって歯の神経を取られたり、キュィ-ン・キュイ-ンと歯を削られたりしましたけども、
まあとにかく半年近く通って、治療中等に、ひたすら肛門をきゅっと締め上げて、締めたとこに気を、むん!と置くのと肩下げで耐えました。
キュィ-ン・キュイ-ンと歯をドリルで削られたり、根管治療でピピピというような電子音と共に歯の神経をぐりぐりと取られたら、
ビクッとして神経反射で、脊髄反射的に肩が上がるのはしかたないでしょう。
ただし刺激を受けてビクッとした後については
ストレス刺激、衝動を臍下3寸のストレスに強いとこで受けやすくなるように肛門を締め上げて意図的に肩の位置を下げるようにする。
これは自らの意思で出来ます。よって、そういうケ-ス等で、とにかく力いっぱい肛門締め上げと肩下げで耐えました。
こういうのも実に些細なことです。
ですけど、クンバハカ( 神経反射の調整法 )を知らなかった当時の歯の治療は、嫌(いや)が10倍増し。
たった1回の治療ですら大騒ぎ。予約した前日からブル-が止まらない。
治療が終わったら、息も絶え絶えで青ざめグッタリ。背中は鉄板が入ったかのようにバリバリになってましたから。
肛門締めと肩下げで耐えても、やっぱり毎回毎回1時間以上の長時間の治療台の上での歯の治療は、気持ちの良いものじゃないですけど、
ちなみに
キュィ-ン・キュイ-ンと歯を削られてバキュ-ムで口の中を「ゴー」という音を立てながら唾液や治療で生じる切削物や血を吸われて頭の中が轟音で鳴り響いている真っ最中。
この轟音が脳内に鳴り響く真っ最中に、仰向けの状態でクンバハカの身体の持ち方で院内にBGMとして流れるクラシックの名曲の音の間隙(空)に気を向ける。
そうしてクラシックの曲が流れている時の音の僅かな途切れの「 空 」を聴くという特殊な安定打坐を閃きました。
この方法を、治療が非常に難しいと歯医者さんにぼやかれた歯の治療中にやることで気を逸らしていました。
こういう特殊な安定打坐の咄嗟の実践も恬淡とやり過ごすことに大きく貢献した実際体験もあります。
事あるごとにクンバハカおよびクンバハカを意識した丹田の下腹に深く息を吸い込み吐き出す心地いい深い呼吸の練習をして愉しむ。
尤も、歯の治療なんかで、例えば私が体験したように非常に難しい治療の場合は相当に期間もかかって忍耐しないといけないです。
麻酔したって気持ちの良いものではないでしょう。 決して快いものではないでしょうけど、クンバハカで対応すれば耐久力も上がります。
「 恬淡とやり過ごすこと 」に幾分か貢献するかと。
なお、肛門締めについては止気の法でググっても良いかもしれません。
クンバハカの練習は、強いストレス刺激、衝動を、生命用具の心が受け感じたら、その刹那に、
肛門締め上げ+肩下げをし、これをパブロフの犬みたいに条件反射で出来るようになることが第一目標です。
これが、咄嗟に出来るようになったら次は、クンバハカの体の持ち方の際に出来るだけ骨盤を立て背中は丸めないようにすることが肝要です。
とは言え、こういうこと書くと、骨盤を立てるというのが感覚的に腑に落ちず出来ない方もいます。
鉄板が入ってるかのように曲がらない腰で前屈自体が、ほとんどできない方です。
こういう方は、非常に厳しい境遇に置かれ続け、かつ案外真面目な方にも多いようです。
硬い体をなんとかしようとモデルさんがポ-ズを取ってるストレッチ本(DVD付き)を何冊も買い込み読んで
モデルさんがとってるような理想的なポ-ズを取ろうとストレッチに励み
無理やり前屈しようとしたりして、一時的には継続しても、何年もほとんど変わらないというケ-スもあると聞きます。
そういう方は´骨盤を立てる´という感覚自体が掴めないかもしれません。
ですが、それでもクンバハカの際に仙骨を押して立てる意識を持つだけでも違いますから。
鉄板状態の方は、前屈の際に・・・
膝をピンと伸ばして前屈しようとしたら、手と足のつま先が届く距離にはない。
遥か彼方イスカンダルだと思います。
(そういう方ほど)膝を、いくらか曲げても良いから、先ずは両腕を伸ばして両手と足のつま先を握るようにしたらよいですよ。
学校で「 膝を曲げずに、ピンと伸ばして前屈しないと駄目 」なんて言われたことは、さっさと捨てて(忘れて)しまいましょう。
それは、鉄板状態の方にとっての最適解ではないです。
極論すれば、ストレッチ本のモデルさんがポ-ズを取ってる理想的なポ-ズなども、いったん脇に置いて忘れましょう。
( では、どうするかと申しますと )
無様で、不格好でも体育座りのような恰好をしてでも先ずは両手と足のつま先を握るようにする。
そこから、息を心地よく深く深く吐きながら、ばりばりの背中やガチガチの腰回りをゆらゆら、前後左右に、無理のない範囲で揺さぶりながら( 時に、ゆっくりとほぐしつつ回しながら )ジワジワゆるめる。
(深いとこの筋肉の筋膜がはがれるイメ-ジを持つと尚よいです。それが難しいなら、むしろ呼吸を意識し息をつめない、深呼吸を心がけながら、特に深く吐く呼吸を意志してやるとよいかもしれません )
息を心地よく深く吐きながら息をつめずに仙骨を押して曲げるように意識する。
そういう曲げた状態から前後左右に揺すって、時に回して、ほぐしながら少しずつジワジワと膝を( 伸ばせるとこまで )伸ばす。
さらに
寝転がってできる足<太もも裏>の筋肉を心地よく揺すって伸ばすタオルトレ-ニングや
両手と足のつま先を握る段階から、少し進化させた
膝を曲げたまま倒すというのを織り込んで体の筋肉(筋膜)のロックを順番に、段階的にバランスよく外す(剥がす)ようにすると鉄板状態は少しずつ解消されると思います。
腰ねじり体操をはじめとした、ねじりの操体やPNFなども入れ骨盤調整すると、もっと効果はあるでしょう。呼吸も深くなりやすいでしょうが、
固定観念を捨てる考え方で取り組むだけでも少しは違うと思います。
なんて言いますか、腰回りや背中が鉄板状態になってる方は、深いとこの筋肉が錆びついて
ロックがかかってるような状態と見ることが出来るんですけど
1つ目の筋肉のロック( 錆びついてガチガチの筋膜 )にアプローチし外してない(剥がしてない)のに、次の筋肉のロック(錆びついてガチガチのロック状態の筋膜)を外そうとするのは、理にかなっていません。
とても非効率。
だからバランスよく段階的にアプローチすべきという理論です。
マニアックな引用では自己改善のために「 盛大な人生 」で説かれている天の声を聞きたいと思っても地の声を聞けなきゃロック状態で聞けないのと一緒。
中村三郎(天風哲人)は、巨大な滝つぼの脇で、耳に圧がかかるような滝の轟音が絶え間なく聞こえる最中に
その背後の鳥や獣の鳴き声を聞き分けれるくらい、雑念妄念を整理する丹念な生活をインドの修行生活で構築していた。
そういう心的な土台がある中で、インドの導師に天の声を聴くようにというお題を与えられて( 雑念整理できている生活土台がある中で )一心に打ち込んだから、ふっと心を受け身にした際に天の声を聴けたわけです。
下準備を整えて段階的にバランスよく取り組む必要があるという理屈と一緒ではないかと。
脱線しました。話を戻します。
クンバハカは、これをすると、外界のストレスは勿論、
心理面における怒りや怖れ、不安、自己憐憫、憎しみ等で、心が波立って揺さぶられた時に、
心を落ち着かせ鎮めて生命エネルギ-の状態管理を含めて恬淡と向き合いやすくなります。
私たちは生きて生活している以上、避けられない人間関係のトラブルや仕事上の、いろいろな問題がありますよね。
これは避けようがないでしょう。見解の相違で、仲が良かったからとて、ぶつかることだってあるでしょう。
ですが、何かのきっかけで心がグラグラと動揺したり、不安や怖れ、怒り、落胆を感じた時でも、動揺を鎮めやすいです。
普段から「 クンバハカ(神経反射の調節) 」を実践し訓練し習いにし
自分軸をしっかりもって内面の自信を育んでいますと
「 相手から嫌われたら 」などという相手の反応をあまり気にしなくなりますから。
相手の反応に一喜一憂することが減るだけでなく忍耐力も培われます。
訓練継続以前より怒りや落胆、怖れなどの感情を等閑的に観て上手にコントロールできるようになりますから。
具体的には、そういう怒りや怖れ、憎しみ、憐憫などの衝動が、ふっと湧いても、
その衝動を心が感じた時に肩の力をすっと抜いて、
おしりをきゅっと引き締め上げて、お臍の下に気持ちを、すっと落ち着け、ほんわかさせます。
その際に骨盤を立て背中は丸めない意識も出来るなら持ち、赤の他人のように観て、
あっ、こういう感情になってるなと気づいて衝動(動揺)を和らげ鎮めてやる。
これを習いにすると、普段、本能衝動的に怒りに任せて怒りが怒りを呼んで怒ったり、
怖れが増幅して衝動的に恐れてしまうような状況でも、
( 眉間を意識した暗示を施し強化学習していると)前頭前野の働きも活性化するため感情の波が静まり落ち着きやすくなります。
瞬間湯沸かし器みたいに頭に血が上って、収拾が付かない、、なんてことが、
( こういうことを心がける以前よりかは )ぐっと減り心を恬淡にしやすくなるはずです。
結果として鍛錬継続以前よりは恬淡とした穏やかな態度で、ストレスフルな状況に向き合い
対応できる機会が増えていくでしょう。
たとえば、自分の自我の思い通りにならないと、すぐに不機嫌が爆発し衝動のままに怒ってキレてしまう不機嫌体質であっても、
この方法を使い意図して実践を繰り返して反復強化学習をしていったら
自然な本能に、余計にくっついた我利我利の不要残留本能由来の度を越した怒りや怖れが鎮まりやすくなり、節目を付けた実践、継続前より、
なんであんな怒り狂うほどに怒ったんだろう?
なぜ?あんなにビクビクおどおど、ああもこうもと取り越し苦労し恐れたんだ?
と後で後悔することも減っていくでしょう。
実際に、リラックスしつつも適度な気の張りのある特別な体のもち方、、
この特別な体の持ち方をして気を臍下に鎮めて、眉間をちらと意識し活力に満ちた深い呼吸て満たされている時に、
くだらないことで怒ったり、恐れたり、不機嫌でいるのは相当に難しいです。
大勢の人前で話す際にも、ポ-ッと上ずって、しどろもどろ、どろどろということにはならない( なり難い )です。
意図して習慣化し癖づけると気が鎮まって、適度な張りを持ち、お腹は、ほんわかで頭は涼しく上がりにくくなります。
こんなことは、内面の自信を育み改善するために実際にやって継続出来てる人なら生活事実を伴う実感として感じることができるはずです。
このようにクンバハカ密法を意図して練習継続し癖づけることは自分改革において実に合理的な戦略でして手ごたえを感じやすいでしょう。
ですのでクンバハカだけでも自己を律し積極に統御するのに強力な行法になります。
さらに、観念要素の更改も実践したら、相乗効果が出てくるでしょう。
人は、オギャ-と生まれてから体験したこと、
日常生活で見たり聞いたり、話したり教えられたり・・ちょっとした会話を含めて
日々の生活で五感で感じ想ったり考えたりしたこと・・
決意し行動し体験したこと等の全て、
生まれてから体験した選択の連続の中で体験した全ての出来事にまつわる感情や感覚と結びついた印象記憶として、意識の底に沈みこんでいる心の奥座敷の貯蔵庫に膨大な印象材料として収納され、明細記録として蓄積されていると言われています。331
詰まってるものは、それぞれの生まれた国の歴史や文化背景をベ-スに学校教育で学んだことや、
家庭で実際に学んで体験したことも違うでしょう。
同じ国の同じ時代で、同じ近所の人同士で生まれ育ったとしても、それぞれの家庭のバックになっているご先祖さま由来のものや、どういう躾けや教育をされてきたか?とか諸々で
共通の体験(心象風景)として似通っているものもあれば
その後に、本人が決意し選び取った選択の結果の連続で、人それぞれ体験するものや意味付けも変化し、印象深い体験として残っているものも違って分岐していくでしょう。
実際に、同じような境遇でも、その後の取り組みや決意、出会いや選択で少しずつ境遇は違っていくだろうし、潜在意識の心の奥に収納され記録されるものも違ってくるでしょう。
その際に幼少期の体験や、これまでの日常で選び取ってきた生活の連続で心の奥に我知らず積み上げ染みついた
邪欲邪念の種に当たる材料や心を、意気地なしにさせ気落ちさせるネガティブな思念材料が心の重荷、負債として心の明細書に記録され、その負の明細記録が始末に負えないくらいに溜まって積もっていると、思ったり考えたりする材料自体が消極的だから、表面意識でいくら積極に思おうとしても、なかなか難しいでしょう。
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例えば、自我が満たされず嫌なことがあると、イライラが昂じて、心に使われ、すぐに瞬間湯沸かし器みたいにキレて
不機嫌を爆発させ、周りを困惑させる方がいます。
いわゆる人類進化の残渣である利己的かつ我儘放埓で、
力だけはやたら強い肉体にくっついた原始本能に基づく獣的な怒り、
憎しみ、恐れ等を統御できず、そっち方面の沸点が低く、
不要残留本能由来の放埓な働きが強く、そちら方面に神経が過敏で気が弱いのに( 弱いから )攻撃衝動が強くなって高圧的な方です。
あるいは、不機嫌を外に向けず内面化させる方もいます。
植物神経が過敏になり、お道具の心に振り回され、ちょっとしたことにも怒り、恨み、恐れて不機嫌が常態化。
気が弱く被害妄想的で卑下的。 別の言い方をすれば攻撃衝動が内向きの消極。
生命用具の心を過敏化させ鬱々させ引っ込み思案的になって
ネチネチ化が進行し萎縮。
それが定常状態で気が弱く凝り固まっているような方もいます。
ちなみに、攻撃衝動が外向きで高圧的なケ-スの方は生活が派手で権謀術数に長け人格的には尊敬できなくても、仕事ができ、どんどん出世する方も案外といます。
内向きか外向きかの違いだけで本質は変わりませんが
( 自分でも嫌だと思っている性分を仮に自覚できても、それは治しようがないと諦めている方もいます。
諦めるというのも、勿論ありかもしれません。ですが哀しい選択でしょう )
理屈では内面を取り締まり建設的で前向き、おおらかに感じ、情け深い思いやりを根っこにして、
気持ちを強く持った上で感謝本位、感謝方向から取り組む方が長い目で見て精神衛生上もよいこと。
( そんなのは小中学生でも本心では、わかるでしょう。最初は嘘ついてでも感謝本位でやるとよい。無理やりでも笑顔で形から等と言ってる方は多くないでしょうけど )
何もカリフォルニア大学バークレー校などの世界一流の大学のWhy Gratitude Is Goodとかの論文を食い入るように読まなくたって、本心では、そっちが良いとわかってるでしょう。
気が弱く人を憎んだり羨んだり恨んだり嫉妬したり見下したり、あるいはコンプレックスに悩み劣等感に苛まれ不平不満を常態化させる。
イライラし、とげとげしい不機嫌がベ-スでは、
運を開く上でも、あるいは精神衛生上、体の免疫力の面でも、よくないのは、本心では、わかり切ってる!
気を強く持ち日々に感謝の念を響かせて謙虚な姿勢の心の構えを持つ。
加えて情け深い思いやりを耕して日々に向かうと、免疫力の向上や睡眠の質の改善、前向きな思考の促進など、様々な効果が期待できる!
人間関係の強化にもつながり生活を豊かにする!
だから感謝念を持って謙虚であるべきだ!と理性で知っていても、
( いろんな影響を受けて価値観だって揺さぶられやすいわけで )
統御が難しい場合があります。
ここで幼少期の体験が人の行動性向に与える影響についても簡単に述べるなら
この件に関して、スティ-ブン・R・コヴィ-博士は、その著書「 7つの習慣 」で、
幼少期に(自己統御が出来ず思いやりに欠け)利己的で嫉妬深く激情的で怒りっぽい親から
肉体及び精神的な虐待をされた体験記憶を持つ子供は成長して大人になると
自らも衝動で子供に虐待を行う可能性が高くなると指摘しています。
「 虐待の連鎖 」について、その著書で言及していることは、読者もご存じでしょう。143
同書では、子供への虐待を抑制できず衝動的にしていた親も、その親に幼少期から、ひどい虐待を受けていた等という
´連鎖´があることも指摘しています。
そして、その破滅的パターンによる負の連鎖を止め、衝動を抑圧し、
旧い脚本と、その脚本を変えうる刺激と反応の間のスペ-スに気づいて
その流れを変える人になろう!と呼びかけていることは、
この書の後半をよく読んで自己対話している方なら、ご存じでしょう。
コヴィ-博士の本は、原則中心、道徳律や倫理を重んじ人格主義を提唱しています。
価値観としては、ヘレニズム的価値観というよりかはヘブライズム的な価値観の書です。
ですので、人によっては、道徳的で、押し付けがましく感じる方もいるかもしれませんけど。
しかし、そういう、とっつき難さを乗り越えて仮に、いざ実践となった時に、
そういう負の体験を抱えて負の連鎖の渦中に、まさにいる方が、そういう本を読んだとして、果たして実践力があるのか?という素朴な疑問を提示しても文句は言われないでしょう。
実際に知的に、そういう理論を頭で知ったからとて
現実に流れを変えようとして取り組んでも、理性、理論で知ってるだけで、自らの反応を制御して流れを変えるのは、
( 感受性も弱って気も弱くなって意志の力も失われ負の連鎖に囚われていたら )
これは相当に難しい挑戦になるのではないでしょうか?
例えば、コヴィ-博士が指摘するような虐待の連鎖を生む幼少期の強烈な負の体験がなくても、
先に述べたように自身に染み付いた悪習( 後回し、短気、批判、わがまま等 )の性根に嫌気がさし、
なかには、心理学や宗教の知識を駆使して気持ちを強く持ち、気性を変えつつ流れを変えようと懸命な努力を傾けている方もいます。
殊勝な心がけだと思います。
こういうのは倫理・道徳の先生や哲学者、宗教家の方も提唱してきた歴史がありますね。
ですが、そういう唯心的な宗教や道徳の本に人一倍熱心かつ誠実に取り組んでも、
思わせ感じせしめる心の領域に踏み込んだ、潜在意識領のお掃除や、錬身的なアプロ-チをせずに実行しようとしたら
( 恐らくですけども )穴の開いた笊で水を掬う様な挑戦になるかもしれません。
※別に宗教や倫理道徳の本などを中傷し否定しているわけではないですので念のため。地ならしが必要という意味です。
天風哲人の合理的な実践体系と、当の本人、あるいは先祖代々信じている宗教を尊重しつつも、
うまく組み合わせることも可能ではないか?という提案です。
実際に激情的で、瞬間湯沸かし器みたいな外向きの攻撃衝動を持つ方、
あるいはクヨクヨとネガティブを引き摺って止めたくても止められないという性分で、そういう内向きに自分を傷つける気質の方など、
では、そういう性向に人知れず悩んで自己改善を志して、気質を変えつつ、日々をより建設的にし生きたいと思っているが、散々いろいろやってもどうにもならない、、と半ば諦めているような方の場合は、どうしたらよいのでしょうか。
答えは口述書にヒントがあるでしょう。
天風哲人が体系化した「 観念要素の更改 」っていう合理的な技もあることは記事をよく読んでいる読者なら当然のこと、知ってますよね。
この実践を継続して、消極的観念要素を、潜在意識の貯蔵庫から、取り除いて積極的なものと入れ替えていくことが、できるかが鍵( ゴ-ルデン・キ-)でしょう。
「 観念要素の更改 」を丁寧に実践継続できて
( 自覚されざる )心の奥座敷に染み込んでいる邪念やマイナスに思わせる思念材料を、奥座敷から、どんどん除いて
減らしていき積極的で調和に満ち心を軽く強くする観念要素が心の奥座敷を支配するようになったら
併せて衝動や刺激をいなして気を臍下に、すっと鎮め、ストレス刺激を身体の強い箇所で受け流すようにし、
ほんわかと生命エネルギ-を充実させるクンバハカが癖づけられ、
呼吸も深くなりやすくストレスへの対応力が培われていきます。
そうなると怒りや怖れに勢いがなくなるという現象が心に生じてくるんです。
(なぜなら消極的観念要素という燃料が減っていきますから)
あるいは、うじうじ、クヨクヨと自らを卑下し心を重く暗い観念で一杯にし神経過敏にも悩み、
失敗連想に振り回され極度に恐れること自体も減っていきます。
奥底のお掃除を日課にしてゴミを取り除いていくと、そう思わせる原料が取り除かれて中和されます。
代わりに積極的に感じ思う材料が増えていくから、きなきなくよくよとした思い方をすること自体が割に困難になっていくという理論です。
では、意識の底に沈んだ消極的思念材料のゴミを少しずつ取り除いて上書きする「 観念要素の更改 」は、具体的に、どういう実践が必要でしょうか?
これは、とろんとした被暗示性が最高度に高まった寝入りばな
( 寝入る2~5分前)に心に思い浮かぶことを心の重荷を減らし、
生命用具の心を軽く強く清く前向きにすることに貢献する感謝本位の明るいことを思い浮かべる方向にして寝入る´ 寝入り方 ´を尊い日課にして続けることが、実践の要諦になります。
( 心の現状にうそをついてでも )「 幸せだなぁ 」という方面から、よくできた事などに出来るだけフォ-カス。
たとえネガティブな事ばかりの1日だったとしても、よかったことを1つでも探してプラスにして寝入るということ。
出来るだけ明るく清らなことを思い浮かべて寝入るようにしていくということ。
これが大事になってきます。
最初のうちは、白々しく感じて、何が感謝だ!くそったれが!!あいつは憎たらしくてたまらない等と思っても、
少しでも幸福方面から晴れ晴れしたことを思い浮かべ、よかったことにフォ-カスして、そういうことを思い浮かべることで心を満たす。
出来るだけ感謝本位で寝る寸前を過ごすことをお薦めします。
形から入って無理に笑顔を作って、深い腹式丹田呼吸を意志してでも休むというテクニックも使えるかもしれません。
情報洪水で、複雑な、この世相では、メディアが憧れさせようとするものも即物的で比較競争も激しい世相。
そういう価値観に心は揺さぶられやすいし、グラグラし、実践継続も容易ではないのは仕方ない※ので、出来るだけとしておきますが・・
これが尊い習慣に出来たら潜在意識の、継続的なお掃除にもなります。
思わせる感じせしめる観念材料の´とっかえ´が進んで思い方を奥底レベル、知覚レベル、認識レベルで前向きに方向づける観念要素の更改が促されます。
継続出来たら
生命用具の心は、少しずつ積極になって、発展方向に惹かれやすい心になっていきます。
とは言え、これが自己統御や、生命の充実の上でも非常に良いということを喝破し
提唱したのは何も天風哲人、お一人だけではありません。
「 眠りながら成功する 」という書を著したマ-フィ-牧師も
潜在意識を再プログラムするための具体的な実践法として提唱してくれています。
ただし天風哲人ほどは、緻密に実践体系化できてませんし理論化もできていません。
それにプロセスを省いて結果にフォ-カスし過ぎてるので、状況に合わせた実践は難しいかもしれません。
とはいえ、実際に、これだけで苦難を突破した方もいることは、この本のamazonレビュ-などを読めばわかるでしょう。
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実際に1日の終わりに晴れやかとは対極の鬱々と暗い事や不要残留本能の肥やしになることばっかり考えたり、
邪な事を考えたり、泥を塗りたくったような気持ちで寝入るのではなく
現実に即して、よかったこと、感謝できることを探して1つだけでもいいので心の中で思い浮かべて連想を想定するだけ。
これを続けることが出来たなら、それだけでも相応の手ごたえはあるでしょう。
ちなみに、この観念要素の更改や神経販社の調節法に拍車をかける方法も天風哲人は編み出しています。
鏡を用いて背水の陣で命令暗示を施し、目覚め際に「信念強くなった!」と断言し確定させる具体的な信念渙発の実際方法。
これを行う際には下腹を練ってストレスに強くなるクンバハカを決めて、その一瞬だけでも背水の陣で不動明王みたいな気迫を出して続ける。
その1分が終わったら、後はリラックスして心地よい状態を保つことが積極的な気質を作るうえで肝要です。
目に見える肉体を整える形(型)から入って、やり切り、やり抜く体験を積み重ねていたら内面も耕され自信も育まれるというアプロ-チです。
では、マーフィ-牧師が提唱していたのと同じく寝入りばなに思い浮かべること・・・
これを、うじうじキナキナクヨクヨ悩まず、呼吸も浅く、ドロドロの浅ましい妄念で一杯にせず
感謝本位で幸せな、、高級な方面から明るく清い観念で満たし、そういう連想を思い浮かべて眠りに就くことを日課として行っているとし、
さらにはストレス刺激から自律神経を守るためにクンバハカも実践し練磨して錬身も漸進的にやっている。
また先に述べたように信念強化の鏡による暗示や断定暗示も施して心の強化や自己刷新に努めている。
加えて三勿、三行も心がけて、情け深い積極的な行為によって、自身の潜在意識倉庫に清々しいプラスの波動印象を(潜在意識領に)増やして
霊性本位の身体を使った積極的行為により生まれた新鮮な喜びをもたらすプラス波動で潜在意識倉庫を洗うことにも熱心に努めている方が仮にいたとして、139
それらの実践に、さらに相乗効果を生む方法があります。
答えは口述書の中にヒントがあります。
天風哲人は、日常意識における日々の心がけとして、起きて生活している間は、
自らの思考を生命のお道具として観て
(思考より)、もいっちょ高い次元から、思いを見つめることを出来るだけ心がけるということも薦めてますね。
具体的には、心を積極に耕していくために、
自身の思考や感情、刺激衝動を赤の他人のように検査的に観て澄んだ視点で自らの感情や思いに気づいてあげることを心がけ、
検査した結果、
不要残留本能が好む、怒り、恐れ、恨み、憎しみ、愚痴、投げやり、意気消沈などの発展的な気の後援を貰えない消極なほうに、ぐらっと傾きそうになっていたら、
思いやり深い霊性本位、感謝本位の積極の欲を満たして耕すほうに向け集中し調整し直すことも薦めています。
尤も「 恬淡とした視点で思考観察(思考を見張ること) 」については、ウィリアム・ジェームズ博士や他のスピリチュアル系の著者らも、これを提唱しています。
これは別に天風哲人だけが提唱しているものではありません。
思考観察、、言い換えれば自らの思考の見張りは遡れば、仏教の開祖の仏陀にまで行き着くと思います。
しかし、これ単独では流動的で、消極から霊性本位の積極方向の気質を作っていくのには、支えが足りないかもしれません。
そもそも、澄んだ視点が、生まれ難いです。
それを強固にするには体系的かつ重層的に楽しみながら取り組む必要があります。
観念要素の更改を丁寧に実行し潜在意識の貯蔵庫から心の借金<負債、負い目>因子を減らして、
合わせてストレス刺激をいなすクンバハカなどで自律神経の調子を崩さないように守ってあげだり、
あるいは、背水の陣を敷いて、その瞬間だけは真剣で新鮮な気分で鏡を用いて信念強化の暗示を施す、
あるいは、三勿、三行を意識し実践するなど、
さまざまな方法をそこに加算させ織り込むということ。
そうして有機的に繋げて支え厚みを持った取り組みをすることで、恬淡とした積極的な心構えを維持しやすくなるのでしょう。
要するに、そういう、些細なひとつひとつの項目を気を込め愉しみながら凡事徹底でメリハリ付けて、やり切り、やり抜く実践をし、積み重ね、勇気づけるということ。
そうすることで、生命用具の心に使われて心の奴隷になるのではなく、
お道具の心を積極に取り締まって維持しやすくなります。
そうなると活かす力が流入しやすくなるバックボ-ンが出来るのではないかと。
この背景の下で、これに自身の努力、実践の歯車が有機的に噛み合って、
思考観察の済んだ視点も出来てきます。
自助と他力( 生成化育せしめる大自然の見えざる神秘の力が流入しやすくなる )で流れが変わっていきます。
このような重層的な取り組みをすることで澄んだ視点の自我の思考観察( 思考のスキャニング )をすることが生きてきます。
そうなると知覚せしめる窓のガラスレンズの曇りを掃いやすく、かつ新しい流れになって生き方も転換せしめられていくという段階的方法です。
他の方法も楽しみながら、ひとつひとつの簡単なことを気を込め実践し、やり切り、やり抜く体験を積み上げて内面の改善及び外的な実績を出しやすくなる確実性が増します。
そういうことをしたほうが一過性で、偶然まかせになり片手落ちにならないのではないか?という見解を持っています。
なお、先に述べた、´ 澄み切った視点で自身の自我の思考( 心のおしゃべり )を見張る ´という件について
天風哲人は、日々の具体的実践として
積極観念養成集中という心の耕作方法を体系化し、凡事集中で愉しんで実行することも薦めています。
これは言い換えるなら、心の中で、どういう心内放送( 心のおしゃべり )が流れ、どういう心内CMが優勢になって流れてるか点検し、
出来るだけ自我の思いを積極に耕していくという行法です。
こういったことは自己啓発分野の権威の方も同じく思考観察を薦めていますけど・・
天風哲人は、この方法を、より高い次元で詳細化して段階的に取り組んで漸進させる方法として提示しています。
つまり、摩擦や軋轢を受け流し、ストレスに上手く向き合い、
自律神経経由で無意識的な思考を消極に弱らせることを防ぐクンバハカだけでなく
観念要素の更改だけでもなく、形から入って続けることで信念強化をはかる鏡を用いた暗示法だけでもなく、
自らの思考を澄んだ視点で客観視する´思考のスキャニング´および
溌溂とした積極的な観念を耕し集中する方法論や三勿三行( 恐れず怒らず悲しまず、正直、親切、愉快 )の実践を愉しむなども生活行法化して、うまく融合させているということ。
そうして庶民でも手ごたえを感じやすくなるように、折り重ねるような設計をしています。
およそ100年前に、ここまで庶民に寄りそって、痒いとこに手が届くような形で実践的に体系化してくれただけでも、もの凄い方法で画期的でしょう。
※ただし私の研究範囲では心身統一法にだって適用範囲があって限界があるというのは、そのとおりです。
それは前提です。念のため。上には上があります。( 上には上があるけれども、天風哲人の方法はベ-スになると思っています )
さらに加えて否定的連想も肯定的連想もない空に達入し、澄んだ視点を醸成し内なる平安を見つける手助けをする安定打坐までも閃いて日々を恬淡明朗に過ごし充実化させる方法論を体系づけています。
ちなみに、安定打坐は、出家し内的に厳しい僧院(修道)生活をし堅牢な精神生活をしてきた方だったら
凄い価値を感じる行法なのでしょう。
一例を挙げれば天風哲人の講習会に足しげく通って交流していた曹洞宗の石川素童管長は、
「これ<安定打坐法>は、うちの鶴見のお寺の全部をくれてやってもお釣りがくるくらい値打ちのある方法」と言って絶賛したのだとか。
よって安定打坐も、これ単独でも相応の手ごたえはあるでしょう。
ですが、先に述べた方法をベースに、節目をつけた、やり切り、やり抜く重層的な実践を継続した背景で、楽しみながら実践すると噛み合って
手ごたえを増幅的に感じやすくなるでしょう。
このように天風哲人の実践体系は合理的で隙がありません。
( 何を成果として重視するかというのでも評価は分れるでしょうけど。
実践を継続出来て、論より証拠のそれぞれの生活果を得てる方は、合点していただけると思うのですけど )
これらの方法を継続実行して癖づけていったら、事柄に揺さぶられ難い心の統御に熟れてきて、自身を不幸福にする悪習の轍を避けやすく積極気質になるとされていますが、
私も、口述書に完全集中し節目をつけて、やり切り、やり抜く体験を積み上げていったら、いろんなことが噛み合って、
活かす力( vril )との合力で心を取り扱う意志の力も出やすくなって根も出てきたという実感があります。
加えて心の深いとこのお掃除によって生成化育せしめる活かす氣( vril )が入りやすくなったせいか?
満たされやすく、かつ( 以前に比べたら )間がよくなったと言いますか、得体のしれない謎の運の良さを感じるようになりました。
心理的に挫けそうな際に、日々叩き込んでいる暗示で鼓舞する等をやっていったら仕事などの実績も上がり、
かつ習慣化しつつもビギナ-ズマインドで新しい気持ちで続けてるうちに
( 一般には口で言うほど簡単ではない。難しいとされる )根本的な領域からの運命更改が促され、
流れもよくなったのではないか?という実体験があります。
尤も、こういう外的成果にフォ-カスすること自体天風哲人の説く本流から外れるかもしれませんけども。
なぜなら、本流、王道は、
「 自身の自我が心を、かき乱すような不測の事態や不遇なことがあって落ち込むようなことがあっても、事柄に心が、あまり左右されず
心をわたしの命の道具として、しっかり取り締まり立派に使いこなしていくことが出来るようになりました!
断然、私の心は始終平和です。
私の心の中は情け深い気持ちが沸き上がり漂っています 」
と報告する方が増えることが超一流で、より内面的な実績やプロセスにフォ-カスし、生成化育せしめる活かす力と自助努力で揺るがぬ心を作製することに高い価値を置いている分、より王道なのでしょうから。
天風哲人は、「 お蔭で、人生がうまくいくようになりました!」というような外的な生活の実績のみにフォ-カスした報告をする方は、
「 いったい何を聴いて学んでいたんだろう・・全然教えがわかっていない・・」。
とがっかりすると漏らしていたようです。
実際、天風先生は、聖者の指導によるとりなしと自身の研鑽で奔馬性結核の病が寛解した後に
カリアッパ聖者に「 嬉しいか? 」と問われた際に、
「へぇ(うれしいです)」と答えたら、「 馬鹿、そんなじゃあ、またぞろ(病に)侵されるぞ・・ 」
と叱られたそうですから )
これも、外的結果にフォ-カスし過ぎている事を聖者に暗に指摘されたという観方もできるかもしれません。
それに、頼もしい心身を作るプロセスや、内面の霊性の高まりや内面の思い方の改善にフォ-カスして、そこにより重心を置いてフォ-カスしバランスよく実践している方のほうが、私の方の統計分析では長続きしやすい傾向があるという統計も出ています。
これらのことからも天風哲人は、こういうコメントをした可能性があります。
尤も、私のサイトや方法は三流かもしれないですけど「 口述書 」でも言及できていなかったとこの習慣性にも留意しています。
それに、天風哲人が指摘為さってるように、即物的なことではなく、プロセスや、より内面的な心理的な悪習傾向の改善や薫習にフォ-カスし、外的実績とのバランスをとるほうが、より長続きし持続的な成果を上げやすいことも分かってきつつあります。
日々の日常生活において内面の改善や心の強化の水路付けを優先で、そこにフォ-カスしつつ形「型」から入って内面を耕し自信を育み、外的実績も出せるというアプロ-チはとってますから。
ちなみに持続的な成果を出すのに大事なのは、
2週間程度の丁寧な実践で手ごたえを感じ、何らかの外的な実績があった後も
心を取り締まる意志の力が萎れないように維持しつつ倦まず弛まず生活を廉潔化しながら続ける才能が大事になってくるのではないかと。
それには、実践によって得られる即物的な恩恵に、あまりにフォ-カスし過ぎないほうがよいかもしれないです。
( 測定しにくいのですが )
気質改善を含めたより内面的な恩恵にもフォ-カスし内外のバランスを取って実践する方のほうが継続力は培われやすいようです。
サイトは、そういう向上発展に向けた建設的な習慣化にもフォ-カスしてるのと、内面の改善のほうに、重心を置いていながら
形「型」から入って内面を耕しつつ目に見える外的な実績を出すというのが、他とは違うとこだろうと思っています。
何れにしろ、サイトに公開しているものは、どれも地に足の着いたもので実践も実際的な方法(タスク)ばかりです。
学習曲線がありますが丁寧に実践継続さえできれば、以前よりかは改善および薫習が進み、
噛み合って、やった分のことはあると申しますか日々の生活や仕事で手ごたえを感じる方は多いですから安心してください。
PS
ただ実践している方の中には、自我が他人と比較し、他人と比べたら、上手く行ってないという気持ちが出て、
´不平不満´という心を消極の状態に傾かせがちな方もいるかもしれません。
これだけ実践している私だって、自我が逆動じょうたいになることがあります。
それは仕方ないです。内面の変化は見えにくいですし評価しにくい。ただ、そういう時は、過去の自分を省みて
他人比較ではなく過去の自分比較をすることです。
知らず実践せず、サイトに書いてるようなことを心がけず、やり切り、やり抜く体験を重ねてなかったら、どうなってただろう。と思うようにすると不平不満が少しは和らぐかもしれません。
他人と比較したってしょうがないとこがあります。過去の自分と比較をして、
以前よりかは心を取り締まれるようになって内面も積極に耕されているか?
どれだけ共感力や思いやり深い霊性心が渙発されやすく生活が積極化し廉潔化したか?水路付けをし外的実績にも反映できるようになったか?点検するという事です。
それに、停滞も決して悪くはありません。
自身が、何を実践の動機として取組んでいるのか?動機の点検を含めて、自らのあり方を見直す´よいきっかけ´になります。
なかには、「今さらやっても遅すぎる。手おくれ」。という感慨を持つ方もいるかもしれません。
そんなことはないですよ。「 今 」が一番新しいのですから。
また、なかには、天風先生がインドから帰国後、ほどなくして会社経営の傍らで、お大臣遊びをしてたとか、芸者遊びに興じてたこともあるというのを知って、
全く尊敬できない、ドン引き・・と感じる方もいるかもしれないです。
実際私も、そういうのが全く無かったか?と言ったら、正直な本音、嘘になります。
いや、私が、これまでに取り組んできた背景や内面の価値観、目指してること。
さらに生活スタイルと全く合わない( 水と油みたいな感じ )から実際、ドン引きしましたから。
そういう共感できないとこが実際にあっても、私の場合、結局、今でも、実践研究して、この方法をベ-スにしています。
結局のところ、論より証拠の内外の生活事実があって心を管理するのに役に立ってる実感と実績もあるからです。
PSのPS
今回の記事をツールでマインドマップにしたら以下になりました。
ツ-ルで作ったので関連付けに間違いがありますが、間違い探しをするのも脳が活性化して良いかもしれません。
長い記事なので、整理になれば幸いです。