大事なのは成果が出ても、その後も習慣統御すること。続ける才能がないなら作ること

 

 

今回の記事を要約し動画にしたら上記になります。上の2分程度の動画を視聴し以下の記事を読んだら整理されやすいかもしれません。

 

この方が体系化した生活行法は、現実的で地に足がついていて汎化性が高いです。

 

ある方にとって、よい方法が、他の方にとっては、上手くハマらないというのは、よくあることですが、
天風哲人の方法は少ないようです。
いただいた報告の傾向では。

 

私は、以前は、情けない、悔しくなるくらい根や克己心が無くなっていたという自覚があります。
ですが天風哲人の方法をまだ続けているのは、
習慣統御し取り組むことで潜在意識領のグレ-化が正され自分でも驚くくらい根と克己心が蘇ったのと

 

実際に生活で役立っているから未だに実践しているというのがあります。

 

 

これまでに寄せられた実績報告や相談からの報告などの統計を取ると、真剣に実践したら、
大体2週間程度で、微かな手ごたえを感じる方が多いという結果でした。

 

これは取り組んだだけの手ごたえを感じるということでしょう。

 

 

こういうのをサイト等で配信し始めて相当長いですが、昨今は落ち着いた穏やかな報告が頂けるようになってるのも良い兆候です。
上手く行ってる方は、そのまま向上的に維持すればよいのではないでしょうか?

 

仕事や生活の中で手ごたえを感じ出すのが早いのは理に適っているし
自己を律する合理的方法を実践体系化して提示しているからでしょう。

 

例えば、天風哲人が、求道し聖者の助けも借りて苦闘の末に自力で閃いた「 クンバハカ(神経反射の調節法) 」という行法。

 

これは、ストレス刺激や軋轢などの衝動を心が感じ受けた時に、
心を守るために、体の特別な持ち方で刺激をいなして
心とも繋がった大事な植物神経(自律神経)にダメ-ジを蓄積させない方法です。
ストレスに上手く向き合える技と言い替えることも出来ます。

 

 

ストレスを受けた際に、体の持ち方を、これまでと変え
まともに受けるのではなく
気持ちを下腹( 臍下3寸 )に落ち着け、ストレスに強い体の持ち方に熟れるにつれ
生命エネルギ-の管理がうまくなりストレス負けしなくなっていきます。

 

 

このクンバハカについては、あの英雄の東郷元帥も、

 

「 この方法をロシアとの日本海海戦時に知っていたら、

 

敵の旗艦が( 沈みゆく )最後のあがきで放った砲弾が、
自身が乗艦している艦のすぐそばの指令塔の脇でドカ−ンと炸裂した際にも、
もっと落ち着いておれただろう。
砲弾が爆発したほうに、刹那、ひょいと心を向けて、敵艦が沈みゆく全てを泰然と見届けられなかった 」と残念がったというエピソ-ドが残っています。

 

東郷元帥は、天風先生から、この方法を教わった後は、

 

「 クンバハカ 」という張り紙までして習慣化に努めたというエピソ-ドも残っているとか。

 

 

 

ちなみにクンバハカには「 絶対クンバハカ 」、「 相対クンバハカ 」、「 自然クンバハカ 」の3つがあります。
こういうのまで書くと長くなるので、省きますが、シチュエーションに応じて使い分けます。

 

クンバハカが難しいって方は、とりあえず強い衝撃を心が受けた時は、
何はなくとも、とにかく「 肛門締める 」
これだけでも生命エネルギ-の漏出を弱めるだけでなく
ストレスに強い体の持ち方をすることで
大事な神経生命(自律神経)を守るのに違いますよ。
耐久力も違ってきます。

 

何かあったら「 肛門締める。引き締めたとこに気持ちを置く 」で、先ずはよいかと。

 

 

私は、歯医者さんに、「 こんなに歯の治療が難しかった人は開院20年初めてだ! 」
と不本意なことを言われてしまった体験を持っています。

 

長い通院中に神経を取ったり、キュィ-ン・キュイ−ンと歯を削られたりしましたけども、

 

まあとにかく半年近く通った際に、ひたすら肛門締めて、締めたとこに気をむん!と置くのと肩下げで耐えました。
キュィ-ン・キュイ−ンと歯をドリルで削られたり、根管治療でピピピというような電子音と共に歯の神経をぐりぐりと取られたら、
ビクッとして神経反射で、脊髄反射的に肩が上がるのはしかたない。
ただし刺激を受けてビクッとした後については
ストレス刺激、衝動を臍下3寸のストレスに強いとこで受けやすくなるように意図的に肩の位置を下げるようにする。

 

これは自らの意思で出来ます。よって、そういうケ-スで、とにかく力いっぱい肛門締めと肩下げで耐えました。((´∀`))

 

こういうのも実に些細なことですが、知らなかった当時の歯の治療は、嫌(いや)が10倍加。

 

肛門締めで耐えても、やっぱり長時間の歯の治療は、気持ちの良いものじゃないですけど、

 

ちなみに

 

キュィ-ン・キュイ−ンと歯を削られてバキュ-ムで口の中を「ゴー」という音を立てながら唾液や治療で生じる切削物や血を吸われて頭の中が轟音で鳴り響いている真っ最中。

 

この轟音鳴り響く真っ最中に、クンバハカの身体の持ち方で院内にBGMとして流れるクラシックの名曲の音の間隙(空)に気を向け、音の僅かな途切れの「 空 」を聴くという少し変わった安定打坐を、歯の治療中にやることで気を逸らして少し嫌(いや)が減った体験はあります。

 

こういう治療を受ける際に、知って実践してない当時の歯の治療は嫌が10倍くらいだったと思います。

 

たった1回の治療ですら大騒ぎ。予約した前日からブル-が止まらない。
治療が終わったら、息も絶え絶えで青ざめグッタリし、背中はバリバリになってましたから。

 

ですが、事あるごとにクンバハカの練習を愉しむ。

 

とりわけ肛門を締める。肩の力を抜く
これだけでも実際に体の耐久力が違ってくると言われてます。

 

尤も、例えば歯の治療なんかは、私が体験したように非常にむずかしい治療なら期間も相当にかかるし
麻酔したって嫌なものは嫌でしょう。 嫌でしょうけど、「嫌(いや)」が少し減るかと。

 

肛門締めについては止気の法でググっても良いですよ。

 

クンバハカの練習は、とりあえず咄嗟の肛門締めが出来るようになったら

 

次は骨盤を立て背中は丸めないようにすることが肝要です。

 

とは言え、こういうこと書くと鉄板が入ってるかのように曲がらない腰の方がいて出来ない方もいます。

 

前屈自体がほとんどできない方です。

 

こういう方は、案外真面目な方に多くて、

 

モデルさんがポ-ズを取ってるストレッチ本(DVD付き)を何冊も買い込み読んで
モデルさんがとってるような理想的なポ-ズを取ろうとストレッチに励み
無理やり前屈しようとしたりして、一時的には継続しても、何年もほとんど変わらないというケ−スが多いようです。
( そういう相談も受けます )

 

そういう方は´骨盤を立てる´という感覚自体が掴めないかもしれません。
ですが、それでもクンバハカの際に仙骨を押して立てる意識を持つだけでも違いますから。

 

 

鉄板状態の方は、前屈の際に・・・

 

膝をピンと伸ばして前屈しようとしたら、手と足のつま先が届く距離にはない。
遥か彼方イスカンダルだと思います。

 

(そういう方ほど)膝を、いくらか曲げても良いから、先ずは両腕を伸ばして両手と足のつま先を握るようにしたらよいですよ。

 

学校で「 膝を曲げずに、ピンと伸ばして前屈しないと駄目 」なんて言われたことは、さっさと捨てて(忘れて)しまいましょう。
それは、鉄板状態の方にとっての最適解ではないです。

 

極論すれば、ストレッチ本のモデルさんがポ-ズを取ってる理想的なポ-ズなども、いったん脇に置いて忘れましょう。

 

 

( では、どうするかと申しますと )

 

無様で、不格好でも体育座りのような恰好をしてでも先ずは両手と足のつま先を握るようにする。

 

 

そこから、息を心地よく吐きながら、ばりばりの背中やガチガチの腰回りをゆらゆら、左右に揺さぶりながらジワジワほぐす。
(深いとこの筋肉の筋膜がはがれるイメ-ジを持つと尚よいです)

 

そして息を心地よく吐きながら仙骨を押して曲げるように意識する。
そういう曲げた状態から左右に揺すって、ほぐしながら少しずつジワジワと膝を( 伸ばせるとこまで )伸ばす。

 

さらに

 

寝転がってできる足<太もも裏>の筋肉を心地よく揺すって伸ばすタオルトレ−ニング
両手と足のつま先を握る段階から、少し進化させた
膝を曲げたまま倒すというのを織り込んで体の筋肉(筋膜)のロックを順番に外す(剥がす)ようにすると鉄板状態は少しずつ解消されると思います。
腰ねじり体操をはじめとした、ねじりの操体やPNFなども入れ骨盤調整すると、もっと効果はあるでしょう。呼吸も深くなりやすいでしょうが、上記の考え方で取り組むだけでも少しは違うと思います。

 

 

なんて言いますか、鉄板状態になってる方は、深いとこの筋肉が錆びついて
ロックがかかってるような状態と見ることが出来るんですけど
1つ目の筋肉のロック( 錆びついてガチガチの筋膜 )を外してない(剥がしてない)のに、うんうん唸って頑張ったとて次の筋肉のロック(錆びついてガチガチのロック状態の筋膜)が外れるわけがないという理論です。

 

マニアックな引用では「 盛大な人生 」で説かれている天の声を聞きたいと思っても地の声を聞けなきゃロック状態で聞けないのと一緒。
巨大な滝つぼの脇で、耳に圧がかかるような滝の轟音が絶え間なく聞こえる最中に
その背後の鳥や獣の鳴き声を聞けるくらい、過集中で打ち込み、
研ぎ澄まされた心的集中力を養った土台がなきゃ、天の声を聴くための準備が整わないのと一緒です。

 

 

´ よいイメ-ジ、成功イメ-ジをありあり描きましょう!信念が大事!´
既に願望や目標を手にしていることをイメ-ジすればいいだけ!!

 

というのを啓発本等で知ったとしても実際は、しりすぼみ。

 

いろんな関連本や高額プログラムに何年も取り組んでも、気休めにしかならない。

 

うんうん唸って頑張って、成功イメ-ジを描こうとしても、ロック状態と言いますか、

 

内面の思い方に影響を与える潜在意識領がグレ−化してたら、
そこに介入し具体的で実際的な信念渙発法で段階的に働きかけて調整していかないと堂々巡りになるのは、実は当たり前。

 

うんうん唸っても、足を引っ張る心の負債になっている思念印象要素が溜まって優勢化し
神経過敏になってたら思いっきりの力が出ず、上手く行きにくい(のも当たり前)。

 

これも、あるあるパタ-ンですが、

 

これを、変えていくには、方法を知って段階的に取り組んで調整していかなかったら、相当に難しいです。

 

この思い方自体にメスを入れてサイトに書いているように
内界を変えるために、段階的かつ体系的に取り組んで馴染ませて徐々にステップアップする必要があるのですが
一貫性がなく積極的な願いが現実化しうるほどの維持(保持)もできず、ロック状態。

 

行動も萎縮し上手く行きそうだという確信力(信念)も強くなっていかない。

 

ですが、段階的に取り組んで解除して調整しつつ現実的な力を培っていけば
実力も培われ、じわじわ上手く行く・・それと一緒です。

 

脱線しました。

 

 

 

クンバハカは、これをすると、外界のストレスは勿論、
心理面における怒りや怖れ、不安、自己憐憫、憎しみ等で、心が揺さぶられた時に、
心を落ち着かせ鎮めて生命エネルギ-の状態管理を含めてストレスに恬淡と向き合いやすくなります。

 

私たちは生きて生活している以上、避けられない人間関係のトラブルや仕事上の、いろいろな問題がありますよね。

 

これは避けようがないでしょう。見解の相違で、仲が良かったからとて、ぶつかることだってあるでしょう。

 

 

 

ですが、何かのきっかけで心が動揺したり、不安や怖れ、怒り、落胆を感じた時でも、
自分軸をしっかりもっていると「相手から嫌われたら」などという相手の反応をあまり気にしなくなり
かつ、普段から「 クンバハカ(神経反射の調節) 」を実践し訓練し習いにしておくと、
相手の反応に一喜一憂することが減るだけでなく忍耐力も培われて訓練以前より怒りや落胆などの感情を等閑的に観て上手にコントロールできるようになります。

 

具体的には、そういう怒りや怖れ、憎しみ、憐憫などの衝動の波を心が感じた時に肩の力をすっと抜いて、
おしりをきゅっと引き締めて、お臍の下に気持ちを、すっと落ち着け、ほんわかさせます。

 

その際に、くどいですが骨盤を立て背中は丸めない意識も出来るなら持つようにする。

 

これを習いにすると、普段すぐに怒ったり、恐れてしまうような状況でも、
感情の波が静まり落ち着いて、
頭に血が上ることがぐっと減り心を恬淡とせしめ上機嫌にしやすくなります。

 

結果として鍛錬以前より恬淡とした態度で、ストレスに向き合い
事柄に振り回され右往左往、反応させられるのではなく、
恬淡とした態度で対応できる機会が増えていくでしょう。

 

たとえば、自分の自我の思い通りにならないと、すぐに不機嫌になり反応的に怒ってキレてしまう不機嫌体質であっても、
この方法を使い意図して実践を繰り返していたら
不要残留本能由来の利己的な怒りや怖れが鎮まりやすくなり、実践、練習継続前より、

 

なんであんな怒ったんだろう?
なぜ?あんなに恐れたんだ?

 

と後で後悔することも減るでしょう。

 

実際に、リラックスしつつも適度な気の張りのある特別な体のもち方、、
この特別な体の持ち方をして気を臍下に鎮めている時に、
くだらないことで怒ったり、恐れたり、悶えたり不機嫌でいるのは非常に難しいです。

 

大勢の人前で話す際にも、ポ−ッと上ずって、しどろもどろということにはならない( なり難い )です。

 

意図して習慣化し癖づけると気が鎮まって、適度な張りを持ち、お腹は、ほんわかで頭は涼しく上がりにくくなります。

 

こんなことは、実際にやって継続出来てる人なら生活実感として感じることができるはずです。

 

このようにクンバハカ密法を意図して練習し癖づけることは自分改革において実に合理的な戦略でして手ごたえを感じやすいでしょう。

 

とは言え、クンバハカだけで自己を律し統御するのは難しいかもしれません。

 

なぜかというと、オギャ-と生まれてから体験したこと、
日常生活で見たり聞いたり、話したり教えられたり・・ちょっとした会話を含めて
日々の生活で五感で感じ想ったり考えたりしたこと・・
決意し行動し体験したこと等の全て、
人生の全ての出来事が潜在意識の貯蔵庫に膨大な印象材料として収納され記録されていると言われています。331

 

 

詰まってるものは、生まれ育った所や時代で、どういう躾けや教育をされてきたか?とか諸々で
共通の体験(心象風景)として似通っているものもあれば
その後に、本人が決意し選び取った選択の結果の連続で、人それぞれ体験するものや意味付けも違ってきて
少しずつ境遇は違っていくだろうし、潜在意識の心の奥に収納され記録されるものも違ってくるでしょう。

 

幼少期の体験や選び取ってきた積年の生活で心の奥に我知らず積み上げ染みついた
余計でネガティブな考えの材料が負債として心の明細書に記録され、その負の明細記録が始末に負えないくらいに溜まって積もって生活も乱れていると、
120
いくらクンバハカをしても、「 心の深いとこから心を落ち着かせることができない 」「 なかなか吹っ切れて積極に思えない 」
「 言い知れない葛藤、煩悶が拭えない 」ってことだってあるからです。

 

では、これまではともかく、これからは、どうしたらよいのでしょうか?

 

答えは簡単です。

 

天風哲人が体系化したクンバハカ以外の方法に「 観念要素の更改 」っていう合理的な技もあることは記事をよく読んでいる読者なら当然のこと、知ってますよね。
この実践を継続できるかが鍵( ゴ−ルデン・キ−)です。

 

 

例えば、嫌なことがあると、イライラが昂じて、すぐに瞬間湯沸かし器みたいにキレて
不機嫌を爆発させる方がいます。

 

いわゆる人類進化の残渣である利己的な不要残留本能由来の原始本能に基づく獣的な怒り、
憎しみ、恐れを統御できずそっち方面の沸点が低く、
本能的な働きが強く、そちら方面に神経が過敏で攻撃衝動が強い方です。

 

あるいは、不機嫌を外に向けず内面化させる方もいます。

 

神経が過敏になり、ちょっとしたことにも怒り、悩み、恐れて不機嫌が常態化していき
攻撃衝動が内向きで心を過敏化させ鬱々させ引っ込み思案的になって
ネチネチ化が刻まれ萎縮していき、それが定常状態で固まっているような方です。

 

 

内向きか外向きかの違いだけで本質は変わりませんが

 

これらは、物心ついて以来の積年の生活で心の奥座敷に染み込んで記録されている
怒りや憎しみ、邪な事など消極を誘発する潜在的記憶材料が
表面意識の奥の潜在意識の倉庫で支配的になって強化され体にに染み付いて常態化し
自律神経も過敏化しており、それが感情と結びついて反射的に飛び出し、衝動的に、そうなってしまうという観方も出来ます。

 

( 自分でも嫌だと思っている性分を自覚できても、それは治しようがないと諦めている方もいます。
諦めるというのも、勿論ありかもしれません。ですが哀しい選択でしょう )

 

 

理屈では建設的で前向き、おおらかに考え情け深い思いやりを根にして、

 

感謝本位、感謝方向から取り組む方が長い目で見ても幸運にも恵まれやすくてよい。
( そんなのは小中学生でもわかるでしょう )

 

何もカリフォルニア大学バークレー校などの世界一流の大学のWhy Gratitude Is Goodとかの論文を食い入るように読まなくたって、本心では、そっちが良いとわかってるでしょう。

 

 

 

人を憎んだり羨んだり嫉妬したり見下したり、あるいはコンプレックスに悩み不平不満を常態化させ
イライラし、とげとげしい不機嫌がベ−スでは、
運を開く上でも、あるいは精神衛生上、体の免疫力の面でも、よくないのは、本心では、わかり切ってる!

 

感謝の念を持って謙虚な姿勢で情け深い思いやりをベ-スに日々に向かうと、免疫力の向上や睡眠の質の改善、前向きな思考の促進など、様々な効果が期待できる!
人間関係の強化にもつながり生活を豊かにする!
だから感謝念を持って謙虚であるべきだ!と理性で知っていても、

 

( 表面意識の奥の印象貯蔵庫をケアし立て直し心を取り締まって陶冶する具体的方法を知らず実践してなかったら )

 

感謝する気が起こらなくなります。

 

って言いますか「 こんな頑張ってるのに恵まれない。 何が感謝や!(# ゚Д゚) 」になってしまうケ-スもあります。

 

 

 

よくある´ あるある ´の別事例を挙げるなら

 

( 万象は流転するのが真実なので )良い時ばかりではない、逆遇に陥ったりした際に、
大慌てで塗炭の苦しみから逃れようと書籍コ−ナ−に駆け込んで、
開運のなんちゃらみたいな本を貪り読んだりして・・

 

颯爽溌溂、感謝本位の前向きで柔軟な考えを持ちベストを尽くすのが運を開くのにも断然良いと
そういう類の本を読んで理論( 理性 )でわかっていても、
それを理知の力で自身の心を変えるのは容易ではありません。というか難しいです。

 

ちなみに精神世界にどっぷりで
錬身とのバランスを取らない精神至上主義の唯心論的観念論も、お薦めしません。

 

昔の私みたいに、バイブルに格闘的に取り組んで
生真面目に真剣に向かっても宙に浮いたようになって煩悶や葛藤が増すだけならまだしも
支離滅裂化し頬骨がこけて骸骨みたいになりたいなら、そうしたらよいでしょうけど。

 

 

ここで幼少期の体験が人の行動性向に与える影響についても簡単に述べるなら

 

この件に関して、スティ−ブン・R・コヴィ−博士は、その著書「 7つの習慣 」で、
幼少期に(自己統御が出来ず思いやりに欠け)利己的で嫉妬深く怒りっぽい親から
肉体及び精神的な虐待をされた体験記憶を持つ子供は成長して大人になると
自らも衝動で子供に虐待を行う可能性が高くなるとし
「 虐待の連鎖 」について、その著書で言及しています。143

 

子の虐待を衝動的にしていた親も、その親に幼少期から、ひどい虐待を受けていた等という
´連鎖´があることを指摘しています。

 

 

そして、その悪い破滅的パターンを止め、衝動を抑圧し、刺激と反応の間のスペ-スに気づいて
その流れを変える人になろう!と呼びかけていることは、
この書をよく読んでいる方なら、ご存じでしょう。

 

しかし、そういう負の体験を抱えている方が、そういう本を読んで、
知的に、そういう理屈を知ったからとて
現実に流れを変えようとして取り組んでも、理性で知ってるだけで流れを変えるのは、
相当に難しい挑戦になるでしょう。

 

幼少期に負の体験がなくても、先に述べたように自身に染み付いた悪習に嫌気がさし、
なかには、心理学や宗教の知識を駆使して、
そういう悪い傾向を抑圧して少しでも矯正し心を強く尊く善くなろう!
流れを変えようと懸命な努力を傾けている方もいます。殊勝な心がけだと思います。

 

こういうのは倫理・道徳の先生や哲学者、宗教家の方も提唱してますね。

 

ですが、これまでの心理学のパラダイムや宗教のパラダイムで何とかしようとして、
そういうのに人一倍熱心に取り組んでも、
潜在意識領のお掃除など心身統一の実践体系を知らずにやっていたら
穴の開いた笊で水を掬う様な挑戦になり相当に時間もかかるでしょう。

 

 

※別に宗教を否定しているわけではないですので念のため。

 

天風哲人の合理的な実践体系と、当の本人、あるいは先祖代々信じている宗教を尊重し、
うまく組み合わせることも可能だろうという提案です。

 

実際に激情的で、瞬間湯沸かし器みたいな外向きの攻撃衝動を持つ方やクヨクヨとネガティブを引き摺って止めたくても止められないという性分で、そういう内向きに自分を傷つける気質に人知れず悩んで自己改善を志して、そういう流れを変え、より建設的にし、極度に失敗を恐れるのは止めたいと思っている方にとっても朗報です。

 

「 観念要素の更改 」を丁寧に実践継続できて
( 自覚されざる )心の奥座敷に染み込んでいるマイナスの材料を、奥座敷から、どんどん除いて
減らしていき積極的で調和に満ちたものが心の奥座敷を支配するようになったら

 

併せて衝動や刺激をいなして気を臍下に、すっと鎮め、ほんわか充実させるクンバハカが癖づけられ、
呼吸も深くなりやすくストレスへの対応力が培われていくと、

 

瞬間湯沸かし器みたいに反応的になって感情の起伏が激しく怒りや憎しみなどの消極感情が増幅し
我を忘れたり、あるいは、うじうじ、クヨクヨと自らを卑下し神経過敏に悩み、
失敗連想に振り回され極度に恐れることを強めること自体が難易度マックスで非常に困難になっていきますから。

 

 

では、「 観念要素の更改 」は、具体的に、どういう実践が必要でしょうか?

 

 

これは、とろんとした被暗示性が最高度に高まった寝入りばな
( 寝入る2〜5分前)に思い浮かぶことを積極にし
「 幸せだなぁ 」という方面から出来るだけ気高く高級な・・
積極的で調和に満ちた連想にし可能な限り取り締まるということ。

 

最初のうちは、現状に嘘をついてでも
少しでも幸福方面から高級な連想を思い浮かべ
出来るだけ取り締まることをお薦めします。

 

取り締まれない方が実際に多いのは仕方ないので、出来るだけとしておきますが・・

 

これが尊い習慣に出来たら潜在意識のお掃除にもなって
観念材料の´とっかえ´が進んで思い方を、奥底レベルで前向きにする観念要素の更改が促されます。

 

継続出来たら

 

発展を促し心を強くする心地よい印象材料が支配的になって・・

 

そういう心象材料を使って表面の心は思考しますから
心は嫌でも積極になっていきます。

 

とは言え、これが成功や進化向上、生命の充実の上でも非常に良いということを喝破し
提唱したのは何も天風哲人、お一人だけではありません。

 

「 眠りながら成功する 」という書を著したマ−フィ−牧師も
潜在意識を再プログラムするための具体的な実践法として提唱してくれています。

 

天風哲人ほどは、緻密に実践体系化できてませんし理論化もできていませんけど。

 

実際に、これだけで苦難を突破した方もいることは、この本のamazonレビュ−などを読めばわかるでしょう。
※興味があって、断片ではなく、まとまったものを読みたい方は、古本屋さんに行けば110円で売られている場合もあります。
BO●K OFF等に、書籍が無ければメルカリなどで廉価に購入できる場合もあります。
100円硬貨、3枚くらいで買えます。

 

実際に1日の終わりに晴れやかとは対極の鬱々と暗い事ばっかり考えたり、
空想に耽ったり邪な事を考えるのではなく
現実に即して感謝することを1つだけ心の中で思い浮かべて連想を想定するだけ。

 

これを続けることが出来たなら、それだけでも相応の手ごたえはあるでしょう。

 

ですが、寝入りばなだけ気を付けて植物神経を守るクンバハカもやっていても、
これだけでは複雑な世相で厳しい競争が絶えず続く現代社会で
恬淡明朗に生きていくには、まだまだ心もとないとこがありますよね。

 

 

だから鏡を用いて背水の陣で命令暗示を施し、目覚め際に信念強くなったと断言し確定させる具体的な信念渙発の実際方法も天風哲人は提唱して、過去の自身を日々乗り越え刷新することを諭し、実践を促しています。

 

これを行う際には下腹を練ってストレスに強くなるクンバハカを決めて、その一瞬だけでも背水の陣で不動明王みたいな気迫を出して続ける。
その1分が終わったら、後はリラックスして心地よい状態を保つことが積極的な気質を作るうえで肝要です。

 

では、マーフィ−牧師が提唱していたのと同じく抗暗示障壁が溶けて考えの鋳型がダイレクトに入りやすくなった寝入りばなに思い浮かべること・・・

 

これを感謝本位で幸せの方面から思い浮かべて眠りに就く連想の取り締まりを行っているとし、

 

さらには摩擦や軋轢を鎮める技法のクンバハカも実践し練磨してストレスに上手く向き合い生かす力も培っている。

 

加えて信念強化の鏡による暗示や断定暗示も施して自己刷新に努めて、
三勿、三行も心がけて、積極的な行為によって、自身の潜在意識倉庫に清々しいプラスの波動印象を(潜在意識領に)増やして
積極的行為により生まれた新鮮な喜びをもたらすプラス波動で潜在意識倉庫を洗うことにも熱心に努めている方がいたとして、139

 

それらの実践だけで、日々、どんなことがあっても前向きに頑張れて、目標を昂進しながら感謝本位で日々が充実でき創造的な生活ができるかというと、、、

 

勿論、これらを実践継続出来ていれば、相当に頼もしいことは間違いないですけど、
それでも、まだまだ心もとないのは、読者も知ってますよね。

 

では、どうしたらよいのでしょうか?

 

答えは簡単です。

 

天風哲人は、日常意識における日々の心がけとして、起きて生活している間は、
自らの思考を高い次元で赤の他人のようにスキャンし自分の思考に気づくことを心がけ、
自身の心をお道具のように観て、検査した結果、
不要残留本能が好む、怒り、恐れ、恨み、憎しみ、愚痴、意気消沈などの消極なほうに傾きそうになっていたら、
思いやり深い霊性本位、感謝本位の積極の欲を満たすほうに向け集中し調整することも薦めています。

 

 

尤も「 思考観察(思考を見張ること) 」については、ウィリアム・ジェームズ博士や他のスピリチュアル系の著者らも、これを提唱しています。

 

これは別に天風哲人だけが提唱しているものではありません。
思考観察、、言い換えれば自らの思考の見張りは遡れば、仏教の開祖の仏陀にまで行き着くと思います。

 

 

しかし、これ単独では流動的で、消極から積極方向の気質を作っていくのに心もとないのです。

 

それを強固にするには体系的かつ重層的に取り組む必要があります。

 

観念要素の更改を丁寧に実行し潜在意識の貯蔵庫から心の借金<負債、負い目>因子を減らして、
合わせてストレス刺激をいなすクンバハカなどで自律神経の調子を崩さないように守って心が消極化することを防いだり、

 

あるいは、背水の陣を敷いて、その瞬間だけは真剣で新鮮な気分で鏡を用いて信念強化の暗示を施す、
あるいは、三勿、三行を行動実践するなど、
さまざまな方法をそこに加算させ織り込み有機的に繋げて支え厚みを持った取り組みをする必要があるでしょう。

 

 

要するに、そういう、些細なひとつひとつの項目を愉しみながら凡事徹底でメリハリ付けて実践することで
バックボ−ンの実践の歯車が有機的に噛み合って
初めて澄んだ視点の思考観察( 思考のスキャニング )することが生きて
知覚せしめる窓のガラスレンズの曇りを掃いやすくなっていくという寸法です。

 

他の方法も楽しみながら実践し高めていなければ、
一過性で、偶然まかせになり片手落ちになりがちですよ!という意味です。

 

なお、先に述べた、´ 自身の思考を見張る ´という件について
天風哲人は、日々の具体的実践として
積極観念養成集中という方法として体系化し、以下を愉しんで凡事集中で実行するように薦めています。

 

これは言い換えるなら、心の中で、どういう心内放送が流れて、どういう心内CMが流れてるか点検するという意味です。

 

こういったことは前述したようにこういう分野の権威の方も同じく思考観察を薦めていますけど・・

 

天風哲人は、この方法を、より高い次元で詳細化しています。
多少私自身の言葉も混ぜて紹介してみますね。

 

1、自身が只今考えていることを客観視し赤の他人の如く観て検査し、積極方面の思いやりに根ざした霊性満足の欲動で心が働いてるか?
それとも不要残留本能の消極で邪な欲動に傾いてるか検査し発展的かつ積極に向け直す習慣をつけ、それを愉しむということ。

 

只今思ったり考えたりしていることが自分本位で消極か(否定的で破滅的で元気を挫くものか)発展をもたらす感謝本位の積極か、
検査・検討し消極に傾いているなら勇気を奮い起こし、
思ったり考えたりする次元よりも高い澄んだ領域から意志の力と下腹の力を出して情け深い思いやりのある発展的な積極的方向に正すということ。

 

2、外界を取り巻く暗示印象を分析し、それらの印象が思考(心)に与える影響を第三者的に分析、検査し元気をなくす暗示なら対応すること。

 

※だから、ゲンナリする印象を与えるものや主観的に感じる心を停滞させていると思える余計な物品など気を散らすものは処分し
当の本人の心を元気にする印象を与えるものは残すという断捨離的な掃除なども心を清々しく積極にし開運に繋げるのに有効という事でしょう。

 

心を元気にする印象を付加するものを配置するなども、そういう意味で有効という説も頷けます。
人によって何が、その人を元気にするかは様々でしょうけど。

 

3、対人関係で、言行を積極化することを愉しむ

 

※ミラ-ニュ-ロンの関係から霊性が高く積極的な人と交流を心がけるだけでも違うとも言われています
( ありふれた雑談をするだけでも違うと言われています )
4、取り越し苦労を心がしていることを感じたら、すぐに正し、正した自身を称賛する

 

5、情け深い本心良心に外れたことをしない振る舞いを心がけ愉しむ

 

これらを支える補助行法として言葉の積極化も、もちろん天風哲人は薦めていますよね。

 

具体的には、「困った、弱った、情けない、ついてない、もうダメだ 」。など
弱気、憎しみ、恨みごと、自己憐憫等の言葉を吐かない。

 

※ついこれまでの古い習慣で、言葉にしたら、と昔は言ってたけど・・としちゃえばいいでしょう。

 

 

「幸せだなぁ」とか「ついてるなぁ」とか「感謝してます」と言った、なんでもいいので、
とにかくプラスの言葉を、有難い気持ちになるまで唱えて心の波動を高めて調整するのが良いというのは、多くの、こういう系統の権威の方が指摘してますよね。

 

 

要するに、摩擦や軋轢を受け流し、ストレスに上手く向き合い、
自律神経経由で無意識的な思考を消極に弱らせることを防ぐクンバハカだけでなく

 

観念要素の更改だけでもなく、リミッタ-が外れやすくなり心を強く刷新する信念強化だけでもなく、
自らの思考を澄んだ視点で客観視する´思考のスキャニング´および
溌溂とした積極的な観念を耕し集中する方法論や三勿三行( 恐れず怒らず悲しまず、正直、親切、愉快 )の実践を愉しむなども生活行法化して、うまく融合させているということ。

 

そうして折り重ねるようにして庶民でも手ごたえを感じやすくなるように緻密に設計されています。

 

およそ100年前に、ここまで庶民に寄りそって実践的に体系化しただけでも、もの凄い方法で画期的でしょう。

 

 

さらに加えて否定的連想も肯定的連想もない空に達入し、澄んだ視点を醸成し内なる平安を見つける手助けをする安定打坐までも閃いて日々を恬淡明朗に過ごし充実化させる方法論を体系づけています。

 

ちなみに、安定打坐は、出家し内的に厳しい僧院(修道)生活をし堅牢な精神生活をしてきた方だったら
凄い価値を感じるようなことなのでしょう。
曹洞宗の石川素童管長は、
「これ<安定打坐法>は、うちの鶴見のお寺の全部をくれてやってもお釣りがくるくらい値打ちのある方法」と言って絶賛したとか。

 

よって安定打坐も、これ単独でも相応の手ごたえはあるでしょう。

 

ですが、先に述べた方法をベースの実践をした背景で、楽しみながら実践すると噛み合って
手ごたえを増幅的に感じやすくなるでしょう。

 

このように天風哲人の実践体系は合理的で隙がありません。
( 実践を継続出来て、それぞれの生活果を得てる方は、十分わかってると思いますけど )

 

これらの方法を継続実行して癖づけていったら、心の統御に熟れてきて、運に恵まれやすい積極気質になるとされていますが、

 

私も、口述書に完全集中し節目をつけて真剣に実践していったら、いろんなことが噛み合い根も出てきて

 

生成化育せしめる活かす氣が入りやすくなったせいか?
満たされやすく、かつ謎の運の良さに見舞われるようになり、
結果的に仕事などの実績も上がり、かつ恬淡と続けてるうちに
( 一般には口で言うほど簡単ではない。難しいとされる )流れもよくなったという実体験があります。

 

尤も、こういう成果で一喜すること自体天風哲人の説く本流から外れるかもしれません。

 

なぜなら、本流、王道は、

 

「 心をかき乱すような不測の事態や不遇なことがあっても、事柄に心が左右されず
 心をわたしの命の道具として取り締まり立派に使いこなしていくことが出来るようになりました!

 

 断然、私の心は始終平和です。 
 私の心の中は情け深い気持ちが沸き上がり漂っています 」

 

と報告する方が増えることが一流で王道なのでしょうから。

 

 

天風哲人は、「 お蔭で、人生がうまくいくようになりました!」と報告する方は、

 

「 いったい何を聴いて学んでいたんだろう・・全然教えがわかっていない・・」。

 

とがっかりすると漏らしていたようです。

 

私から言わせると次元が高すぎと言いますか。

 

私の場合は、後者の報告も、とてもうれしいので、

 

私のサイトは三流。亜流かもしれませんね。

 

 

 

 

実際、天風先生は、聖者の指導と自身の研鑽で奔馬性結核の病が寛解した後に

 

カリアッパ聖者に「 嬉しいか? 」と問われた際に、
「へぇ(うれしいです)」と答えたら、「 馬鹿、そんなじゃあ、またぞろ(病に)侵されるぞ・・ 」
と叱られたそうですから )

 

 

まあ、三流でしょうけど「 口述書 」でも言及できなかったとこの
切り口は、おさえているつもりです。

 

持続的な成果を出すのに大事なのは、
2週間程度の丁寧な実践で手ごたえを感じた後も
倦まず弛まず続ける才能が大事になってくるでしょう。

 

そういう習慣化にもフォ-カスしてるのが、他とは違うとこだろうと思っています。

 

 

というのも、例えば

 

(潜在意識領)が、どんなに消極的因子で真っ黒に汚れて濁っていても、
新鮮な水道の水滴という積極連想の因子を一滴ずつであっても
ポタポタ注げば、やがてはきれいになる。

 

これは、真実でしょう。実際に、実験してもそうですよね。

 

心の奥座敷も、似たようなもので、このような姿勢で臨んで実行出来れば、やがて洗われていくでしょう。

 

 

ですが、知ってても続けなきゃ( 継続力を培わないと )
生活果を味わえませんよね。

 

知ってても、寝床で、「今日のあいつの言動は、今思い出しても´はらわた´が煮えくり返るほどムカつく!」とか
キナキナクヨクヨと、ぺちゃんこの後ろ暗い事とか思い浮かべて寝床で鬱々,悶々と過ごしてたら、

 

想ったことが、そのまま潜在意識に同化感化されやすい時なので
潜在意識を弱める消極的な因子が刻印されてしまい
(知ってても、ちゃんと実践して心がけ継続出来なきゃ)
潜在意識は改善されないでしょう。

 

 

だから積極方向への行動的な習慣化は大事なんです。

 

 

悪習に呑み込まれ、成功の実現などの原書を知っても、すぐに止めていた( 気が付いたらドロップアウトしていた )ような方でも、少しでも続けることができるよう・・

 

続ける才能がない方でも作ることが出来るように

 

認知行動療法などを研究した際に気づいたことなどもサイトに入れ、既存の思考及び行動パタ-ンを習慣慣性を援用し
現実的で自己向上を促すものに無理なく刷新していくヒントや考え方( 習慣慣性力<傾向的力>を味方につける実際ノウハウも苦心して織り込む形でサイトに書いています。

 

よって個人差はあると思いますけど、こういうことを知らない以前よりかは、
他人比較ではなく、自分比較では心を統御し強くして実績が上がる可能率は、
高まると私は見ています。

 

 

上手く行ってる方は、良い調子です。

 

状態管理をしつつ、そのまま向上的に維持すればよいのではないでしょうか?

 

上手く行ってない方は、上記項目をチェックして、何か疎かになってる項目はないか?点検したらよいかもしれません。

 

 

尤も、私の場合は、心身統一法を軸に据え仕事や生活面で実績は上がっても内的渇きを強く感じたので、

 

学生時代から、バイブル研究を私自身熱心にしていたこともあって
( 浅く取り入れるにしろ、取り入れるには内的な厳しさが要求されるものですが )
「 あるヨギの自叙伝 」の生活化の研究や、

 

新しく特殊な日拝行法などを夢で閃いたので公開したり、
心経や祝詞による積算実施が心身に与える影響を試行したりしています。

 

あるいは突き抜け、新しい軌道に至るための積極感情過飽和学習法等も夢で閃いたので、体系的に組み込み、
その他の方法も敷衍的に実践しているというスタンスです。

 

ロケットを打ち上げる時に地球の引力圏を突破するには、初速の加速度を大きくしないといけません。

 

そういうのから閃いて、世間一般のやり方ではないアプロ-チで、
いかに初期状態に加速をさせて取り組むか?というのから組み立てた方法です。

 

自学できる自己学習教材を自分で作ったということになります。

 

 

では、なぜ、私が世間一般の方法でやらないかというと
そういうやり方だと可能性が低いのが、わかってるからです。

 

事例を挙げればナポレオン・ヒル博士の「思考は現実化する」という本は、
50以上の言語に翻訳され世界中で1億部以上を売り上げ読まれているベストセラーなんでしょう。

 

ですけど世界の1億人の方がヒル博士が著書で述べたようなことを生活で現実化してないでしょう。
もし、レシピにあるように心の積極化を為して思考を現実化してたら、そりゃあもう凄いことになる。
世の中は心身を取り締まり思考を積極化し生活体現した1億人の成功者で溢れかえってるはずです。

 

こういう素朴な疑問(問い)が当時からあり、そういう実態があるのを知ってたので、
自分で作る(カスタマイズする)ほうがマシと思ったし

 

アメリカで1,2を争うような世界的富豪で、
ヒル博士の成功哲学のモデルになるような方でも一皮むけば、

 

悩みや苦悩で心が押しつぶされ不幸を感じることが、あまりに多いという実態があるのを知ったら
( 注 「成功の実現 4章 に詳述されています )

 

そういうのを理想のモデルにしてる欧米系成功書籍やらは、
ほどほど参考にはしても真剣に向かおうとは思えなくなるし、

 

一般的な取り組みではない取り組みをしようと思うのは自明でしょう。
結局のところ、自学出来る教材を自ら作ったというのが種明かしです。

 

 

自らカスタマイズする方針として幅広く取り入れていますけど・・
軸を口述書の心身統一法にしてバランスを取りながら、これらを鋳型に実践しているという従前のスタンスは変わりません。

 

例えば取り入れてるもののなかに「あるヨギの自叙伝」「人間の永遠の探求」等があります。

 

これはパラマハンサ・ヨガナンダというインドのヨガ聖者の著作でして
この方は、ガンジ-やル−サ−・バ-バンクが尊敬していた方です。

 

バ-バンクは、棘なしサボテンの育種に成功した方で有名です。
開発に10年かけたそう。

 

品種改良手法も神秘的でして(;^_^A
もちろん選択育種と交配を主な技術として使用してはいたものの

 

棘があるサボテンに向かって
(お前たちは恐れるものなど何もないんだよ)(身を守る棘なんて不要だ。私が守ってあげる)
と植物(サボテン)に向かって気を込めて10年語り続けたそう。

 

 

 

これ以外にも例えば「ラセットバーバンク」という種類のジャガイモの品種改良でも大きな功績があります。

 

この方が品種改良に成功してなかったらマクドナルドのフライドポテトは、あんなに美味しくなかったかもしれません。

 

 

バ-バンクは園芸家で、優れた科学者としての顔があまりに有名ですが、
実は聖者みたいな純朴な生活してたことで有名です。神秘体験も相当に経験していると聞きます。

 

ガンジ-は、聖者のごとき生活をし非暴力とサティヤグラハの哲学を掲げて
インド独立の父として、歴史教科書に載るくらいの方ですから、
この方を尊敬する方はインド国内に限らず多いかもしれません。

 

ガンジ-やバ−バンクのような聖者が尊敬する人ということから、ヨガナンダという方が、どういう方かは、大方わかるでしょう。

 

これらの書は、ガンジ-みたいな聖者が敬愛するような聖者という存在が、幼少年期から何を最優先し、どういう選択をしてきたか?
世の中をどう見て、捉え、感じているか?これを本を通じて垣間見ることのできる書です。

 

これを関連書も含めて丁寧に掘り下げて研究しますと、

 

表現が難しいですけど
「 一般に成功者とされる方も聖者目線では実は成功者ではない 」ということになり
「 成功って何だろう? 」と、はたと考え込んでしまいますし
人心を悩ませてきた多くの根深い問題について理解と整理ができます。

 

これは特に、人生の意味( 三大疑問 )を内的に深刻に探求し悶えてきた人々にとっても
有益なものです。普遍的な内容を含んでいます。

 

この聖者は、キリスト教圏ではないインド出身の方ですが、
バイブルで未解明の比喩の解明や長年の謎も生活実績( 生活体現 )で具体的に解いてくれています。

 

歴史的に多くのキリスト教( カソリック、プロテスタント、正教会など )の聖哲を苦悩させてきたキリスト教の矛盾も解いてしまっているんです。
本当に驚きました。

 

さらに、宗教宗派問わず、多くの賢人たちが歴史的に呻吟し続けた世の中における不条理な疑問についても、一定の洞察を提供しています。

 

とは言え、「 高次元だったらOK! 」というわけでもないかもしれません。

 

この書は求道熱が極点に達して、出家者基準・・堅牢な精神生活をしている方が、さらに探求して生活の参考にするような本ですから。

 

 

読んでもスパ-クしないという方は、「 それは当たり前 」。珍しい事ではないと考えます。
このご時世に、読む気になるだけでも、もの凄いことでしょう。
ヨガナンダ聖者が著書で書いてるような、そういう体験が、実際にあるはずはないと疑い嘘っぱちだと中傷しないだけでも凄いでしょう。
実際に、amazonの書評を読むと、そういうコメントを書いてる方もチラホラいますので。

 

 

 

かくいう私も、ぺ-パ-テストなどでは測れない素朴な叡智的知性が、あまり拓かれてないからでしょう。

 

もし成功の実現などの口述書経由で心身統一法に取り組んで、
ある程度自己統御の力を培った生活体験というバックボ-ン(土台)と
培われた内的感性が無かったら・・

 

強い探究意欲も再び湧かなかっただろうし、こういうヨガ聖者の体験に感心はしても、高次元過ぎて
「 奇跡の連続に、ビックリするだけで、これはこれ、私の生活とは無関係・・ 」
「 何の接点も見つけられない・・ 」ということで終わってたと思います。

 

・・実際に上記本は、物見遊山で読むような本ではなく求道が極に達し堅牢な精神生活を送っている方が、さらに磨きをかけるために読むような本でして・・
一般教養的なテストで測れる知識とかより、素朴で純な叡智的な智性( 内的視野 )が開かれた方用の書です。

 

口述書も、外面的な知識とかより、素朴な叡智的な智性が開かれた方向けですが
「あるヨギ・・」のほうが、一層、その傾向が強いです。

 

「成功の実現」とかも、博士になろうかって方から、
人生立て直したいからということで、随分以前に相談受けた際に

 

「これ(口述書)は、なかなか良いですよ!」と、その方に紹介したら、

 

後日に

 

「 書いてることがよくわからなかった。後半はさっぱり 」。

 

という感想でしたから。

 

学識が十分過ぎる程にある方なのに、なぜ?こんなシンプルなことが、わからないのか?

 

 

わからないというのが、私には理解できない・・と困惑したことがあります。

 

 

「あるヨギ・・」に至っては、口述書より、さらに純朴な叡智的な智性が要求されるので

 

私などは口述書がバイパスしなければ当然のこと生活化への継続的研究対象にすらなってなかったと思いますが・・

 

そういう意味でも、口述書の実践は、橋渡しになってくれました。

 

尤も、こうして、つらつら書いてると、ふっと思うのは・・
とりあえず本当に今の時代でよかったと思います。

 

自由に形而上の探求が出来るのは有難い時代です。

 

もし1700年代に私が日本に生まれていて、内的乾きがあって、こういう形而上の探求にも強い熱意があって

 

バイブルが、結構ベ-スにある「あるヨギ・・」の研究なんかをバイブル研究と兼ねてしていたら、
当時のお江戸のお役人に見つかっただけで御用と言いますか牢屋にぶち込まれてるとこです。

 

余談(私事)はさておき・・

 

心身統一法を基本ベ-スにしている決定的な理由は、
この方法は汎化性が高いというのが大きいでしょう。

 

ある方にとって、よい方法が、他の方にとっては、上手くハマらないというのは、よくあることですが、
天風哲人の方法は、それが少ないようです。

 

学習曲線がありますが丁寧に実践継続さえできれば、以前よりかは改善が進み、
噛み合って日々の生活や仕事で手ごたえを感じる方は多いですから。
上手く行ってる方は、良い調子です。そのまま丹念に実践し向上的に維持すればよいのではないでしょうか?

 

 

PS

 

ただ実践している方の中には、他人と比較し、他人と比べたら、上手く行ってないという気持ちが出て不満が湧く方もいるかもしれません。
それは仕方ないです。ただ、そういう時は、過去の自分を省みて
他人比較ではなく過去の自分比較をすることです。

 

知らず実践してなかったら、どうなってただろう。と思うようにすると不満が少しは消えるきっかけになるかもしれません。

 

他人と比較したってしょうがないとこがあります。過去の自分と比較をして、
以前よりかは心を取り締まって積極化しやすくなったか?
どれだけ眠れる才能を起こしたか?点検するという事です。

 

それに、停滞も決して悪くはありません。自身の実践の動機を含めて、自らのあり方を見直す´よいきっかけ´になります。

 

なかには、「今さらやっても遅すぎる。手おくれ」。という感慨を持つ方もいるかもしれません。
そんなことはないですよ。「 今 」が一番新しいのですから。

 

 

PSのPS

 

今回の記事をツールでマインドマップにしたら以下になりました。
ツ-ルで作ったので関連付けに間違いがありますが、間違い探しをするのも脳が活性化して良いかもしれません。
長い記事なので、整理になれば幸いです。

 

 

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