大事なのは成果が出ても、その後も習慣統御すること。続ける才能がないなら作ること

 

 

今回の記事を要約し動画にしたら上記になります。上の2分程度の動画を視聴し以下の記事を読んだら整理されやすいかもしれません。

 

ある方にとって、よい方法が、他の方にとっては、上手くハマらないというのは、よくあることです。

 

その点、天風哲人が体系化した生活行法は、現実的で地に足がついていて汎化性が高いです。

 

勿論、何を自身の実績、成果とするかは価値観によって異なるでしょう。
実践及び運用における結果の個人差は、この方法ですらも例外ではなく、あるとは思います。

 

ですが、天風哲人が発見し体系化した実際方法は、格差が少ないようです。いただいた報告の分析では・・

 

具体的な生活事例を挙げるなら私は、以前は、悔しくなるくらい意思(意志)の力が弱くなっていました。

 

 

ですが口述書の方法をまだ続けているのは、活かす力とのアクセスが良くなり意志の力との合力で忍耐力や克己心が蘇えって、かつ感性や直感力を高めるという傍からは目に見えない内面の課題に道筋をつけることが出来、実際に、主観的にも実績も上がったように感じたからです。

 

サイトに書いてるように潜在意識の大掃除というのを心がけ習慣統御を意識し創意工夫しながら取り組むことで
潜在意識領のグレ-化が正され意志の力が出やすくなったのか?活かす力との合力で自分でも驚くくらい根と克己心が蘇った実感および実績があります。

 

また、心の状態管理においても実際に生活で役立っているから未だに実践しているというのもあります。

 

 

これまでに寄せられた実績報告や相談からの報告などの統計を取ると、真剣に実践したら、
大体2週間程度で、内面において微かな手ごたえを感じる方が多いという結果でした。

 

これは取り組んだだけの手ごたえを感じるということでしょう。

 

 

こういうのをサイト等で配信し始めて相当長いですが、昨今は落ち着いた穏やかな報告が頂けるようになってるのも良い兆候です。

 

上手く行ってる方は、そのまま律する力を高めながら向上的に維持すればよいのではないでしょうか?
水路付けを上手くしてやればさらに飛躍するでしょう。

 

外的な実績である仕事や生活の中で手ごたえを感じ出すのが早いのは理に適っているし
継続出来て習慣統御が出来たなら
自己を律し心を取り締まる意志力も実践継続以前よりかは渙発し易くし
活かす力とのアクセスが良くなることで心を積極、前向きにせしめ内面における自信も育む合理的方法を実践体系化して提示しているからでしょう。

 

例えば、天風哲人が、求道し聖者の助けも借りて苦闘の末に自力で閃いた「 クンバハカ(神経反射の調節法) 」という行法。

 

これは、眼に見える肉体の持ち方からアプロ-チし、眼に見えない感じせしめる感応性能にダメ-ジを蓄積させない方法です。

 

ストレス刺激や軋轢などの衝動を心が感じ受けた時に、
大事な心を守るために、体の特別な持ち方で刺激をいなすことができます。

 

 

心とも繋がった大事な植物神経(自律神経)にダメ-ジを蓄積させず、クッションのように和らげ
感じせしめる感応性能の調子が崩れバランスを失わないようにストレスに上手く向き合えるメンタル管理のための身体技術と言い替えることも出来ます。

 

具体的なやり方は

 

ストレスを受けた際に、体の持ち方を、これまでと変え
まともに受けるのではなく
気持ちを下腹( 臍下3寸 )に落ち着け、ストレスに強い体の持ち方に熟れるにつれ
日々を微笑ましく感じる感応性能の調子が狂うのを防いで生命エネルギ-の管理がうまくなりストレス負けしなくなっていきます。

 

 

このクンバハカについては、あの英雄の東郷元帥も、

 

「 この方法をロシアとの日本海海戦時に知っていたら、

 

敵の旗艦が( 沈みゆく )最後のあがきで放った砲弾が、
自身が乗艦している艦のすぐそばの指令塔の脇でドカ−ンと炸裂した際にも、
もっと落ち着いておれただろう。
砲弾が爆発したほうに、刹那、ひょいと心を向けて、敵艦が沈みゆく全てを泰然と見届けられなかった 」と残念がったというエピソ-ドが残っています。

 

東郷元帥は、天風先生から、この方法を教わった後は、

 

「 クンバハカ 」という張り紙までして習慣化に努めたというエピソ-ドも残っているとか。

 

 

 

ちなみにクンバハカには「 絶対クンバハカ 」、「 相対クンバハカ 」、「 自然クンバハカ 」の3つがあります。
こういうのまで書くと長くなるので、省きますが、シチュエーションに応じて使い分けます。

 

クンバハカが難しいって方は、とりあえず強い衝撃を心が受けて動揺せしめられた時は、

 

何はなくとも、とにかく「 肛門締める 」

 

これだけでも生命エネルギ-の漏出を抑制するだけでなく
ストレスに強い体の持ち方をすることで、心の衝動、動揺を鎮めやすくし
大事な神経生命(自律神経)を守るのに違いますよ。
耐久力も違ってきます。

 

何か事があったら「 肛門締める。引き締めたとこに気持ちを置く 」で、先ずはよいかと。

 

耐久力が高まった、ささいな生活事例を述べるなら
私は、歯医者さんに、「 こんなに歯の治療が難しかった人は開院20年以来初めてだ! 」
と不本意なことを言われてしまった体験を持っています。半年近くの通院治療が、ほぼ終わりかけてた頃に言われました。(-_-;)

 

長い長い通院中に歯の神経を取ったり、キュィ-ン・キュイ−ンと歯を削られたりしましたけども、

 

まあとにかく半年近く通って、治療中等に、ひたすら肛門をきゅっと締めて、締めたとこに気を、むん!と置くのと肩下げで耐えました。

 

キュィ-ン・キュイ−ンと歯をドリルで削られたり、根管治療でピピピというような電子音と共に歯の神経をぐりぐりと取られたら、
ビクッとして神経反射で、脊髄反射的に肩が上がるのはしかたないでしょう。

 

ただし刺激を受けてビクッとした後については
ストレス刺激、衝動を臍下3寸のストレスに強いとこで受けやすくなるように肛門を締め上げて意図的に肩の位置を下げるようにする。

 

これは自らの意思で出来ます。よって、そういうケ-ス等で、とにかく力いっぱい肛門締めと肩下げで耐えました。((´∀`))

 

こういうのも実に些細なことですが、知らなかった当時の歯の治療は、嫌(いや)が10倍加。

 

肛門締めと肩下げで耐えても、やっぱり毎回1時間以上の長時間の歯の治療は、気持ちの良いものじゃないですけど、

 

ちなみに

 

キュィ-ン・キュイ−ンと歯を削られてバキュ-ムで口の中を「ゴー」という音を立てながら唾液や治療で生じる切削物や血を吸われて頭の中が轟音で鳴り響いている真っ最中。

 

この轟音鳴り響く真っ最中に、クンバハカの身体の持ち方で院内にBGMとして流れるクラシックの名曲の音の間隙(空)に気を向け、音の僅かな途切れの「 空 」を聴くという特殊な安定打坐を閃いて、それを、治療が非常に難しいと歯医者さんにぼやかれた歯の治療中にやることで気を逸らして嫌(いや)が大幅に減った体験はあります。

 

こういう治療を受ける際に、知って実践してない当時の歯の治療は嫌が10倍くらいだったと記憶します。

 

たった1回の治療ですら大騒ぎ。予約した前日からブル-が止まらない。
治療が終わったら、息も絶え絶えで青ざめグッタリ。背中はバリバリになってましたから。

 

ですが、事あるごとにクンバハカおよびクンバハカを意識した丹田の下腹に深く息を吸い込み吐き出す心地いい呼吸の練習をして愉しむ。

 

とりわけ強いストレス刺激に対し脊髄反射で肛門を締める。肩の力を抜く
これだけでも実際に体の耐久力が違ってくると言われてます。

 

尤も、歯の治療なんかで、例えば私が体験したように非常に難しい治療の場合は相当に期間もかかって忍耐しないといけないし、
麻酔したって嫌なものは嫌でしょう。 嫌でしょうけど、クンバハカで対応すれば耐久力も上がるし「 嫌(いや) 」が相当に減るかと。

 

なお、肛門締めについては止気の法でググっても良いですよ。

 

クンバハカの練習は、とりあえず強いストレス刺激を受けたら肛門締め+肩下げをし、これが条件反射で出来るようになったら

 

次は、クンバハカの体の持ち方の際に出来るだけ骨盤を立て背中は丸めないようにすることが肝要です。

 

とは言え、こういうこと書くと、骨盤を立てるというのが感覚的に腑に落ちず出来ない方もいます。

 

鉄板が入ってるかのように曲がらない腰で前屈自体がほとんどできない方です。

 

こういう方は、非常に厳しい境遇に置かれ続け、かつ案外真面目な方に多くて、
硬い体をなんとかしようとモデルさんがポ-ズを取ってるストレッチ本(DVD付き)を何冊も買い込み読んで
モデルさんがとってるような理想的なポ-ズを取ろうとストレッチに励み
無理やり前屈しようとしたりして、一時的には継続しても、何年もほとんど変わらないというケ−スが多いようです。

 

 

そういう方は´骨盤を立てる´という感覚自体が掴めないかもしれません。
ですが、それでもクンバハカの際に仙骨を押して立てる意識を持つだけでも違いますから。

 

 

鉄板状態の方は、前屈の際に・・・

 

膝をピンと伸ばして前屈しようとしたら、手と足のつま先が届く距離にはない。
遥か彼方イスカンダルだと思います。

 

(そういう方ほど)膝を、いくらか曲げても良いから、先ずは両腕を伸ばして両手と足のつま先を握るようにしたらよいですよ。

 

学校で「 膝を曲げずに、ピンと伸ばして前屈しないと駄目 」なんて言われたことは、さっさと捨てて(忘れて)しまいましょう。
それは、鉄板状態の方にとっての最適解ではないです。

 

極論すれば、ストレッチ本のモデルさんがポ-ズを取ってる理想的なポ-ズなども、いったん脇に置いて忘れましょう。

 

 

( では、どうするかと申しますと )

 

無様で、不格好でも体育座りのような恰好をしてでも先ずは両手と足のつま先を握るようにする。

 

 

そこから、息を心地よく吐きながら、ばりばりの背中やガチガチの腰回りをゆらゆら、左右に揺さぶりながらジワジワほぐす。
(深いとこの筋肉の筋膜がはがれるイメ-ジを持つと尚よいです)

 

そして息を心地よく吐きながら仙骨を押して曲げるように意識する。
そういう曲げた状態から左右に揺すって、ほぐしながら少しずつジワジワと膝を( 伸ばせるとこまで )伸ばす。

 

さらに

 

寝転がってできる足<太もも裏>の筋肉を心地よく揺すって伸ばすタオルトレ−ニング
両手と足のつま先を握る段階から、少し進化させた
膝を曲げたまま倒すというのを織り込んで体の筋肉(筋膜)のロックを順番に外す(剥がす)ようにすると鉄板状態は少しずつ解消されると思います。
腰ねじり体操をはじめとした、ねじりの操体やPNFなども入れ骨盤調整すると、もっと効果はあるでしょう。呼吸も深くなりやすいでしょうが、上記の考え方で取り組むだけでも少しは違うと思います。

 

 

なんて言いますか、鉄板状態になってる方は、深いとこの筋肉が錆びついて
ロックがかかってるような状態と見ることが出来るんですけど
1つ目の筋肉のロック( 錆びついてガチガチの筋膜 )を外してない(剥がしてない)のに、うんうん唸って頑張ったとて次の筋肉のロック(錆びついてガチガチのロック状態の筋膜)が外れるわけがないという理論です。

 

マニアックな引用では「 盛大な人生 」で説かれている天の声を聞きたいと思っても地の声を聞けなきゃロック状態で聞けないのと一緒。

 

巨大な滝つぼの脇で、耳に圧がかかるような滝の轟音が絶え間なく聞こえる最中に
その背後の鳥や獣の鳴き声を聞けるくらい、雑念妄念を整理する丹念な生活土台があるという前提で過集中で一心に打ち込み、
研ぎ澄まされた心的集中力を培い養った土台がなきゃ、天の声を聴くための準備が整わないのと一緒です。

 

 

´ よいイメ-ジ、成功イメ-ジをありあり描きましょう!信念が大事!´
既に願望や目標を手にしていることをイメ-ジすれば良いだけ!!

 

というようなことを願望実現の秘訣として、

 

例えば、所謂´ お花畑系 ´の啓発本等で知って感激したとしても、実際にやったとて、しりすぼみ。

 

いろんな関連本や高額プログラムに何年も取り組んでも、気休めにしかならない。

 

うんうん唸って自覚できる表面意識で気張って、そう思い込もうとし成功イメ-ジを描こうとしても、何百倍も力がある潜在意識がグレ-化してるからロック状態と言いますか、

 

内面の思い方に影響を与える意識に昇る以前の沈み込んだところが改善されてなかったら支離滅裂になるのがオチかもしれません。

 

実際、そこに介入し段階的に働きかけて調整していかないと、しりすぼみになるのは、実は当たり前。

 

うんうん唸っても、安穏領域に押しとどめ足を引っ張る働きだって、上手く鎮めないといけないですし、

 

心の負債になっている思念印象要素が溜まって優勢化し
神経過敏になってたら思いっきりの力が出ず、上手く行きにくい(のも当たり前)。

 

これも、あるあるパタ-ンです。

 

悪循環に陥ったとこから、実際的に、現実に沿って変えていくのは、疑念も湧きやすく、相当に難しいでしょう。

 

 

内界を変えるために、段階的かつ体系的に取り組んで馴染ませて徐々にステップアップする必要があるのですが
一貫性がなく積極的な願いが現実化しうるほどの維持(保持)もできず、ロック状態。

 

行動も萎縮し上手く行きそうだという確信力(信念)も強くなっていかない。

 

ですが、段階的に取り組んで解除して調整しつつ現実的な力を培っていけば
実力も培われ、じわじわ上手く行く可能性が高まる・・それと一緒です。
もちろん、これらの方法でも適用範囲があって限界はあるでしょうけど。

 

脱線しました。

 

 

 

クンバハカは、これをすると、外界のストレスは勿論、
心理面における怒りや怖れ、不安、自己憐憫、憎しみ等で、心が揺さぶられた時に、
心を落ち着かせ鎮めて生命エネルギ-の状態管理を含めてストレスに恬淡と向き合いやすくなります。

 

私たちは生きて生活している以上、避けられない人間関係のトラブルや仕事上の、いろいろな問題がありますよね。

 

これは避けようがないでしょう。見解の相違で、仲が良かったからとて、ぶつかることだってあるでしょう。

 

 

 

ですが、何かのきっかけで心がグラグラと動揺したり、不安や怖れ、怒り、落胆を感じた時でも、
自分軸をしっかりもって内面の自信を育んでいると「 相手から嫌われたら 」などという相手の反応をあまり気にしなくなり
かつ、普段から「 クンバハカ(神経反射の調節) 」を実践し訓練し習いにしておくと、

 

相手の反応に一喜一憂することが減るだけでなく忍耐力も実践継続以前よりかは培われて
訓練継続以前より怒りや落胆、怖れなどの感情を等閑的に観て上手にコントロールできるようになります。

 

具体的には、そういう怒りや怖れ、憎しみ、憐憫などの衝動が、ふっと湧いても、
その衝動を心が感じた時に肩の力をすっと抜いて、
おしりをきゅっと引き締めて、お臍の下に気持ちを、すっと落ち着け、ほんわかさせます。

 

その際に骨盤を立て背中は丸めない意識も出来るなら持ち、赤の他人のように観て、
あっ、こういう感情になってるなと気づいてやる。

 

これを習いにすると、普段、本能衝動的に怒ったり、恐れてしまうような状況でも、
感情の波が静まり落ち着いて、
頭に血が上ることが、( こういうことを心がける以前よりかは )ぐっと減り心を恬淡にしやすくなります。

 

結果として鍛錬継続以前よりは恬淡とした穏やかな態度で、ストレスフルな状況に向き合い

 

対応できる機会が増えていくでしょう。

 

たとえば、自分の自我の思い通りにならないと、すぐに不機嫌になり反応的に怒ってキレてしまう不機嫌体質であっても、
この方法を使い意図して実践を繰り返して反復していったら
自然な本能に、余計にくっついた不要残留本能由来の度を越した怒りや怖れが鎮まりやすくなり、実践、練習継続前より、

 

なんであんな怒ったんだろう?
なぜ?あんなに恐れたんだ?

 

と後で後悔することも減っていくでしょう。

 

実際に、リラックスしつつも適度な気の張りのある特別な体のもち方、、
この特別な体の持ち方をして気を臍下に鎮めて、活力に満ちた深い呼吸て満たされている時に、
くだらないことで怒ったり、恐れたり、悶えたり不機嫌でいるのは非常に難しいです。

 

大勢の人前で話す際にも、ポ−ッと上ずって、しどろもどろ、どろどろということにはならない( なり難い )です。

 

意図して習慣化し癖づけると気が鎮まって、適度な張りを持ち、お腹は、ほんわかで頭は涼しく上がりにくくなります。

 

こんなことは、内面の自信を育むために実際にやって継続出来てる人なら生活実感として感じることができるはずです。

 

このようにクンバハカ密法を意図して練習継続し癖づけることは自分改革において実に合理的な戦略でして手ごたえを感じやすいでしょう。

 

とは言え、クンバハカだけで自己を律し積極に統御するのは難しいかもしれません。

 

なぜかというと、オギャ-と生まれてから体験したこと、
日常生活で見たり聞いたり、話したり教えられたり・・ちょっとした会話を含めて
日々の生活で五感で感じ想ったり考えたりしたこと・・
決意し行動し体験したこと等の全て、
人生の全ての出来事が潜在意識の貯蔵庫に膨大な印象材料として収納され記録されていると言われています。331

 

 

詰まってるものは、ご先祖さま由来のものや生まれ育った所や時代で、どういう躾けや教育をされてきたか?とか諸々で
共通の体験(心象風景)として似通っているものもあれば
その後に、本人が決意し選び取った選択の結果の連続で、人それぞれ体験するものや意味付けも違って分岐していくでしょう。

 

実際に、同じような境遇でも、その後の取り組みや決意、出会いや選択で少しずつ境遇は違っていくだろうし、潜在意識の心の奥に収納され記録されるものも違ってくるでしょう。

 

その際に幼少期の体験や選び取ってきた積年の生活で心の奥に我知らず積み上げ染みついた
余計でネガティブな考えの材料が負債として心の明細書に記録され、その負の明細記録が始末に負えないくらいに溜まって積もって生活も乱れていると、
120
いくらクンバハカという尊い行法を知って実践をしても、「 心の深いとこから心を落ち着かせることができない 」「 なかなか吹っ切れて積極に思えない 」
「 言い知れない葛藤、煩悶が拭えない 」っていう負の循環に取り込まれることだってあるからです。

 

では、これまではともかく、せめて不幸にはならないためにも、これからは、どうしたらよいのでしょうか?

 

答えは簡単です。

 

天風哲人が体系化したクンバハカ以外の方法に「 観念要素の更改 」っていう合理的な技もあることは記事をよく読んでいる読者なら当然のこと、知ってますよね。
この実践を継続できるかが鍵( ゴ−ルデン・キ−)でしょう。

 

 

例えば、自我が満たされず嫌なことがあると、イライラが昂じて、すぐに瞬間湯沸かし器みたいにキレて
不機嫌を爆発させ、周りを困惑させる方がいます。

 

いわゆる人類進化の残渣である利己的かつ我儘放埓で、
力だけはやたら強い原始本能に基づく獣的な怒り、
憎しみ、恐れを統御できず、そっち方面の沸点が低く、
不要残留本能由来の放埓な働きが強く、そちら方面に神経が過敏で攻撃衝動が強く高圧的な方です。

 

あるいは、不機嫌を外に向けず内面化させる方もいます。

 

植物神経が過敏になり、ちょっとしたことにも怒り、恨み、恐れて不機嫌が常態化。

 

被害妄想的で卑下的。 別の言い方をすれば攻撃衝動が内向き。

 

心を過敏化させ鬱々させ引っ込み思案的になって
ネチネチ化が進行し萎縮。
それが定常状態で凝り固まっているような方です。

 

 

ちなみに、攻撃衝動が外向きで高圧的なケ-スの方は生活が派手で権謀術数に長け人格的には尊敬できなくても、仕事ができ、どんどん出世する方も案外といます。

 

 

 

内向きか外向きかの違いだけで本質は変わりませんが

 

 

( 自分でも嫌だと思っている性分を仮に自覚できても、それは治しようがないと諦めている方もいます。
諦めるというのも、勿論ありかもしれません。ですが哀しい選択でしょう )

 

 

理屈では内面を取り締まり建設的で前向き、おおらかに感じ、情け深い思いやりを根っこにして、

 

感謝本位、感謝方向から取り組む方が長い目で見て精神衛生上もよいこと。
( そんなのは小中学生でも本心では、わかるでしょう。最初は嘘ついてでも感謝本位でやるとよい。無理やりでも笑顔で形から等と言ってる方は多くないでしょうけど )

 

何もカリフォルニア大学バークレー校などの世界一流の大学のWhy Gratitude Is Goodとかの論文を食い入るように読まなくたって、本心では、そっちが良いとわかってるでしょう。

 

 

 

人を憎んだり羨んだり恨んだり嫉妬したり見下したり、あるいはコンプレックスに悩み劣等感に苛まれ不平不満を常態化させ
イライラし、とげとげしい不機嫌がベ−スでは、
運を開く上でも、あるいは精神衛生上、体の免疫力の面でも、よくないのは、本心では、わかり切ってる!

 

日々に感謝の念を持って謙虚な姿勢で情け深い思いやりをベ-スに日々に向かうと、免疫力の向上や睡眠の質の改善、前向きな思考の促進など、様々な効果が期待できる!
人間関係の強化にもつながり生活を豊かにする!
だから感謝念を持って謙虚であるべきだ!と理性で知っていても、

 

( いろんな影響を受けて価値観だって揺さぶられやすいわけで )

 

感応性能を立て直し心を取り締まって陶冶する具体的方法を知っていても即物的な結果にフォ-カスし過ぎてる方の場合は

 

ビギナ−ズマインドになれず感謝する気が起こらなくなる場合だってあります。

 

って言いますか「 こんな頑張ってるのに恵まれない。 何が感謝や!(# ゚Д゚) 」になってしまうケ-スもあります。

 

 

 

よくある´ あるある ´の別事例を挙げるなら

 

( 万象は流転するのが真実なので )良い時ばかりではない、逆遇に陥ったりした際に、
大慌てで塗炭の苦しみから逃れようと書籍コ−ナ−に駆け込んで、
開運のなんちゃらみたいな本を貪り読んだりして・・

 

颯爽溌溂、感謝本位の前向きで柔軟な考えを持ちベストを尽くすのが運を開くのにも断然良い!
過去と未来の扉を閉ざし、今日1日の枠の中でベストを尽くせばよいのだ!と
そういう類の名言が書かれたものを読んで理論( 理性 )で知ってわかっていても、
理知の力で自身の心を変えるのは容易ではありません。というか挑戦的な取り組みになります。

 

ちなみに精神世界にどっぷりで
目に見える肉体を鍛えず錬身とのバランスを取らない精神至上主義の唯心論的観念論も、お薦めしません。
唯物論的な還元主義もお薦めしませんけど。

 

唯心論的なアプロ-チでは、例えば昔の私みたいに、バイブルに格闘的に取り組んで
生真面目に真剣に向かって知識は膨大に増えたようだけど宙に浮いたようになるってこともあり得ます。

 

煩悶や葛藤が、一層増すだけならまだしも
支離滅裂化し頬骨がこけて骸骨みたいになりたいなら、そうしたらよいでしょうけど。

 

 

ここで幼少期の体験が人の行動性向に与える影響についても簡単に述べるなら

 

この件に関して、スティ−ブン・R・コヴィ−博士は、その著書「 7つの習慣 」で、
幼少期に(自己統御が出来ず思いやりに欠け)利己的で嫉妬深く激情的で怒りっぽい親から
肉体及び精神的な虐待をされた体験記憶を持つ子供は成長して大人になると
自らも衝動で子供に虐待を行う可能性が高くなるとし
「 虐待の連鎖 」について、その著書で言及しています。143

 

子供への虐待を抑制できず衝動的にしていた親も、その親に幼少期から、ひどい虐待を受けていた等という
´連鎖´があることを指摘しています。

 

 

そして、その破滅的パターンによる負の連鎖を止め、衝動を抑圧し、
旧い脚本と、その脚本を変えうる刺激と反応の間のスペ-スに気づいて

 

その流れを変える人になろう!と呼びかけていることは、
この書の後半をよく読んで自己対話している方なら、ご存じでしょう。

 

コヴィ−博士の本は、原則中心、道徳律や倫理を重んじ人格主義を提唱しています。

 

価値観としては、ヘレニズム的価値観というよりヘブライズム的な価値観の書ですので、人によっては、道徳的で、とっつき難さを感じる方もいるかもしれませんけど。

 

 

しかし、いざ実践となった時に、

 

そういう負の体験を抱えて負の連鎖の渦中に、まさにいる方が、そういう本を読んだとして、果たして実践力があるのか?という素朴な疑問を提示しても文句は言われないでしょう。

 

 

実際に知的に、そういう理論を知ったからとて
現実に流れを変えようとして取り組んでも、理性、理論で知ってるだけで流れを変えるのは、
これは相当に難しい挑戦になるのではないでしょうか?

 

例えば、コヴィ−博士が指摘するような虐待の連鎖を生む幼少期の強烈な負の体験がなくても、

 

先に述べたように自身に染み付いた悪習( 後回し、短気、批判、わがまま等 )に嫌気がさし、
なかには、心理学や宗教の知識を駆使して、
そういう悪い傾向を抑圧して少しでも矯正し意思を強く持ち、悪習を克服し強く尊く善い心の人になろう!
流れを変えようと懸命な努力を傾けている方もいます。殊勝な心がけだと思います。

 

こういうのは倫理・道徳の先生や哲学者、宗教家の方も提唱してきた歴史がありますね。

 

ですが、これまでの心理学のパラダイムや宗教のパラダイムで何とかしようとして、
そういうのに人一倍熱心に取り組んでも、
思わせ感じせしめる心の領域に踏み込んだ、潜在意識領のお掃除や、形(型)から入って心に波及させる肉体方面からの錬身的なアプロ-チをせずに
そういう唯心的な宗教や道徳の本に取組んでも
穴の開いた笊で水を掬う様な挑戦になり相当に時間もかかるでしょう。

 

 

※別に宗教や倫理道徳の本などを完全否定しているわけではないですので念のため。地ならしが必要という意味です。

 

天風哲人の合理的な実践体系と、当の本人、あるいは先祖代々信じている宗教を尊重し、
うまく組み合わせることも可能だろうという提案です。

 

実際に激情的で、瞬間湯沸かし器みたいな外向きの攻撃衝動を持つ方やクヨクヨとネガティブを引き摺って止めたくても止められないという性分で、そういう内向きに自分を傷つける気質に人知れず悩んで自己改善を志して、そういう流れを変え、より建設的にし、極度に失敗を恐れるのは止めたいと思っている方にとっても朗報です。

 

「 観念要素の更改 」を丁寧に実践継続できて
( 自覚されざる )心の奥座敷に染み込んでいるマイナスに思わせる思念材料を、奥座敷から、どんどん除いて
減らしていき積極的で調和に満ち心を軽くする観念要素が心の奥座敷を支配するようになったら

 

併せて衝動や刺激をいなして気を臍下に、すっと鎮め、ほんわかと生命エネルギ-を充実させるクンバハカが癖づけられ、
呼吸も深くなりやすくストレスへの対応力が培われていくと、

 

瞬間湯沸かし器みたいに本能衝動的に反応的になって感情の起伏が激しく、
( 力だけはやたらある我儘放題な不要残留本能や消極感情を統御できず )

 

すぐにカッとなって怒りや憎しみなどの衝動が増幅し憎しみで我を忘れ怒鳴り散らしたり、

 

あるいは、うじうじ、クヨクヨと自らを卑下し心を重く暗くし神経過敏にも悩み、
失敗連想に振り回され極度に恐れること自体が割に困難になっていきますから。

 

 

では、「 観念要素の更改 」は、具体的に、どういう実践が必要でしょうか?

 

 

これは、とろんとした被暗示性が最高度に高まった寝入りばな
( 寝入る2〜5分前)に思い浮かぶことを心の重荷を減らし、
心を軽く強くすることに貢献する感謝本位の寝入り方を続けることが、実践の要諦になります。

 

( 心の現状にうそをついてでも )「 幸せだなぁ 」という方面から出来るだけ気高い積極的で調和に満ちた連想にし可能な限り取り締まるということ。

 

最初のうちは、白々しく感じても
少しでも幸福方面から高級な連想を思い浮かべ
出来るだけ取り締まることをお薦めします。
形から入って無理に笑顔を作ってでも休むとよいです。

 

情報洪水で複雑な、この世相では、価値観も揺さぶられやすいし、グラグラし、実践継続も容易ではないのは仕方ないので、出来るだけとしておきますが・・

 

これが尊い習慣に出来たら潜在意識のお掃除にもなって
思わせる感じせしめる観念材料の´とっかえ´が進んで思い方を奥底レベル、知覚レベル、認識レベルで前向きに方向づける観念要素の更改が促されます。

 

継続出来たら

 

発展を促し心を強くする心地よい印象をもたらす思念材料が印象貯蔵庫に支配的になって・・

 

そういう心象材料を使って表面の心は思考しますから
心は嫌でも、少しずつ積極になっていきます。

 

とは言え、これが自己統御や、生命の充実の上でも非常に良いということを喝破し
提唱したのは何も天風哲人、お一人だけではありません。

 

「 眠りながら成功する 」という書を著したマ−フィ−牧師も
潜在意識を再プログラムするための具体的な実践法として提唱してくれています。

 

天風哲人ほどは、緻密に実践体系化できてませんし理論化もできていませんけども。

 

実際に、これだけで苦難を突破した方もいることは、この本のamazonレビュ−などを読めばわかるでしょう。
※興味があって、断片ではなく、まとまったものを読みたい方は、古本屋さんに行けば110円で売られている場合もあります。
BO●K OFF等に、書籍が無ければメルカリなどで廉価に購入できる場合もあります。
100円硬貨、3枚くらいで買えます。

 

実際に1日の終わりに晴れやかとは対極の鬱々と暗い事ばっかり考えたり、
邪な事を考え空想に耽るのではなく
現実に即して、よかったこと、感謝できることを探して1つだけでいいので心の中で思い浮かべて連想を想定するだけ。

 

これを続けることが出来たなら、それだけでも相応の手ごたえはあるでしょう。

 

ですが、寝入りばなだけ気を付けて、感じせしめる感応性能にも緩く関係している植物神経を守るクンバハカもやっていても、
これだけでは複雑な世相で厳しい競争が絶えず続く現代社会で
日々に生きがいを感じ恬淡明朗に生きていくには、まだまだ心もとないとこがありますよね。

 

 

だから鏡を用いて背水の陣で命令暗示を施し、目覚め際に信念強くなったと断言し確定させる具体的な信念渙発の実際方法も天風哲人は提唱して、形から入って心を強くする方法の実践を促しています。

 

これを行う際には下腹を練ってストレスに強くなるクンバハカを決めて、その一瞬だけでも背水の陣で不動明王みたいな気迫を出して続ける。
その1分が終わったら、後はリラックスして心地よい状態を保つことが積極的な気質を作るうえで肝要です。
目に見える肉体を整える形(型)から入って続けてたら内面も耕され自信も育まれるというアプロ−チです。

 

では、マーフィ−牧師が提唱していたのと同じく寝入りばなに思い浮かべること・・・

 

これを感謝本位で幸せの方面から思い浮かべて眠りに就く連想の取り締まりを行っているとし、

 

さらにはストレス刺激から自律神経を守るためにクンバハカも実践し練磨して錬身も漸進的にやっている。

 

また先に述べたように信念強化の鏡による暗示や断定暗示も施して自己刷新に努めている。

 

加えて三勿、三行も心がけて、情け深い積極的な行為によって、自身の潜在意識倉庫に清々しいプラスの波動印象を(潜在意識領に)増やして
霊性本位の積極的行為により生まれた新鮮な喜びをもたらすプラス波動で潜在意識倉庫を洗うことにも熱心に努めている方が仮にいたとして、139

 

それらの実践だけで、前向きに頑張れて、目標を昂進しながら感謝本位で日々が充実でき創造的な生活ができるかというと、、、

 

勿論、これらを実践継続出来ていれば、相当に頼もしいことは間違いないでしょうけど、
それでも、まだまだ心もとないのは、読者も知ってますよね。

 

では、どうしたらよいのでしょうか?

 

答えは口述書の中にヒントがあります。

 

天風哲人は、日常意識における日々の心がけとして、起きて生活している間は、
自らの思考を生命のお道具として観て
(思考より)、もいっちょ高い次元から、思いを見つめることを出来るだけ心がけるということも薦めてますね。

 

具体的には、自身の思考や感情、刺激衝動を赤の他人のようにスキャンし自らの感情や思いに気づいてあげることを心がけ、

 

検査した結果、

 

不要残留本能が好む、怒り、恐れ、恨み、憎しみ、愚痴、投げやり、意気消沈などの消極なほうに、ぐらっと傾きそうになっていたら、
思いやり深い霊性本位、感謝本位の積極の欲を満たすほうに向け集中し調整することも薦めています。

 

 

尤も「 思考観察(思考を見張ること) 」については、ウィリアム・ジェームズ博士や他のスピリチュアル系の著者らも、これを提唱しています。

 

これは別に天風哲人だけが提唱しているものではありません。
思考観察、、言い換えれば自らの思考の見張りは遡れば、仏教の開祖の仏陀にまで行き着くと思います。

 

 

しかし、これ単独では流動的で、消極から霊性本位の積極方向の気質を作っていくのに心もとないのです。

 

それを強固にするには体系的かつ重層的に楽しみながら取り組む必要があります。

 

観念要素の更改を丁寧に実行し潜在意識の貯蔵庫から心の借金<負債、負い目>因子を減らして、
合わせてストレス刺激をいなすクンバハカなどで自律神経の調子を崩さないように守って心が消極化することを防いだり、

 

あるいは、背水の陣を敷いて、その瞬間だけは真剣で新鮮な気分で鏡を用いて信念強化の暗示を施す、
あるいは、三勿、三行を意識し実践するなど、
さまざまな方法をそこに加算させ織り込み有機的に繋げて支え厚みを持った取り組みをする必要があるでしょう。

 

 

要するに、そういう、些細なひとつひとつの項目を愉しみながら気を込め凡事徹底でメリハリ付けて実践することで
心を積極に取り締まっていくことで活かす力が流入しやすくなるバックボ−ンが出来て、この背景の下で
これに自身の努力、実践の歯車が有機的に噛み合って、自助と他力( 生成化育せしめる力 )で流れが変わっていきます。

 

土台があって初めて澄んだ視点の思考観察( 思考のスキャニング )することが生きて
知覚せしめる窓のガラスレンズの曇りを掃いやすくなって、新しい流れになって生き方も転換せしめられていくという段階的方法です。

 

他の方法も楽しみながらひとつひとつの簡単なことを気を込め実践し高めていくことで内面の改善及び外的な実績を出しやすくなる確実性が増します。

 

一過性で、偶然まかせになり片手落ちになりがちですよ!という意味です。

 

なお、先に述べた、´ 自身の思考を見張る ´という件について
天風哲人は、日々の具体的実践として
積極観念養成集中という心の耕作方法として体系化し、以下を愉しんで凡事集中で実行するように薦めています。

 

これは言い換えるなら、心の中で、どういう心内放送が流れて、どういう心内CMが流れてるか点検し、出来るだけ積極に耕していくという意味です。

 

こういったことは前述したようにこういう分野の権威の方も同じく思考観察を薦めていますけど・・

 

天風哲人は、この方法を、より高い次元で詳細化して漸進させる方法として提示しています。
多少私自身の言葉も混ぜて紹介してみますね。

 

1、自身が只今考えていることを客観視し赤の他人の如く観て検査し、積極方面の思いやりに根ざした霊性満足の欲動で心が働いてるか?
それとも不要残留本能の消極で邪で我利我利の欲動に傾きやすいか?検査し発展的かつ積極に向け直す目的をもって習慣をつけ、それを愉しむということ。

 

只今思ったり考えたりしていることが消極か(否定的で破滅的で元気や勇気を挫くものか)発展をもたらす感謝本位の思いやり深い積極か、
検査・検討し後回し、短気、批判、わがまま等の不要残留本能由来の消極に傾いているなら勇気を奮い起こし、
意志の力と下腹の力を出して、活かす力との合力で情け深い思いやりのある発展的な積極的方向に正すということ。

 

2、外界を取り巻く暗示印象を分析し、それらの印象が思考(心)に与える影響を第三者的に分析、検査し元気をなくす暗示なら対応すること。

 

※だから、ゲンナリする印象を与えるものや主観的に感じる心を停滞させていると思える余計な物品など気を散らすものは処分を心がける
当の本人の心を元気にする印象を与えるものは残すという断捨離的な掃除なども心を清々しく積極にし開運に繋げるのに有効という事でしょう。

 

心を元気にする印象を付加するものを配置するなども、そういう意味で有効という説も頷けます。
人によって何が、その人を元気にするかは様々でしょうけど。

 

3、対人関係で、言行を積極化することを愉しむ。他を勇気づけることを愉しむ

 

※ミラ-ニュ-ロンの関係から霊性が高く積極的な人と交流を心がけるだけでも違うとも言われています
( ありふれた雑談をするだけでも違うと言われています )
4、取り越し苦労を心がしていることを感じたら、すぐに正し、正した自身を称賛し現在感謝する

 

5、情け深い本心良心に外れたことをしない振る舞いを心がけ愉しむ。為せたら為せた自身に感謝する

 

これらを支える補助行法として言葉の積極化も、もちろん天風哲人は薦めていますよね。

 

具体的には、「困った、弱った、情けない、ついてない、もうダメだ 」。など
弱気、憎しみ、恨みごと、自己憐憫等の言葉を吐かない。

 

※ついこれまでの古い習慣で、言葉にしたら、と昔は言ってたけど・・としちゃえばいいでしょう。

 

 

「幸せだなぁ」とか「ついてるなぁ」とか「感謝してます」と言った、なんでもいいので、
とにかくプラスの言葉を、有難い気持ちになるまで唱えて心の波動を高めて調整するのが良いというのは、多くの、こういう系統の権威の方が指摘してますよね。

 

 

要するに、摩擦や軋轢を受け流し、ストレスに上手く向き合い、
自律神経経由で無意識的な思考を消極に弱らせることを防ぐクンバハカだけでなく

 

観念要素の更改だけでもなく、形から入って続けることで信念強化をはかる方法だけでもなく、
自らの思考を澄んだ視点で客観視する´思考のスキャニング´および
溌溂とした積極的な観念を耕し集中する方法論や三勿三行( 恐れず怒らず悲しまず、正直、親切、愉快 )の実践を愉しむなども生活行法化して、うまく融合させているということ。

 

そうして庶民でも手ごたえを感じやすくなるように、寄りそって折り重ねるような設計をしています。

 

およそ100年前に、ここまで庶民に寄りそって、痒いとこに手が届くような形で実践的に体系化しただけでも、もの凄い方法で画期的でしょう。

 

※ただし心身統一法にだって適用範囲があって限界があるというのは、そのとおりなので、それは前提です。念のため

 

さらに加えて否定的連想も肯定的連想もない空に達入し、澄んだ視点を醸成し内なる平安を見つける手助けをする安定打坐までも閃いて日々を恬淡明朗に過ごし充実化させる方法論を体系づけています。

 

ちなみに、安定打坐は、出家し内的に厳しい僧院(修道)生活をし堅牢な精神生活をしてきた方だったら
凄い価値を感じるようなことなのでしょう。

 

一例を挙げれば天風哲人の講習会に足しげく通って交流していた曹洞宗の石川素童管長は、
「これ<安定打坐法>は、うちの鶴見のお寺の全部をくれてやってもお釣りがくるくらい値打ちのある方法」と言って絶賛したとか。

 

よって安定打坐も、これ単独でも相応の手ごたえはあるでしょう。

 

ですが、先に述べた方法をベースの重層的な実践を継続した背景で、楽しみながら実践すると噛み合って
手ごたえを増幅的に感じやすくなるでしょう。

 

このように天風哲人の実践体系は合理的で隙がありません。
( 何を成果として重視するかというのでも評価は分れるでしょうけど。実践を継続出来て、それぞれの生活果を得てる方は、合点していただけると思うのですけど )

 

これらの方法を継続実行して癖づけていったら、事柄に揺さぶられ難い心の統御に熟れてきて、自身を不幸福にする悪習の轍を避けやすく積極気質になるとされていますが、

 

私も、口述書に完全集中し節目をつけて真剣に実践していったら、いろんなことが噛み合って、
活かす力( vril )との合力で心を取り扱う意志の力も出やすくなって根も出てきたという実感があります。

 

加えて心の深いとこのお掃除によって生成化育せしめる活かす氣( vril )が入りやすくなったせいか?
満たされやすく、かつ( 以前に比べたら )間がよくなったと言いますか謎の運の良さを感じるようになりました。

 

心理的に挫けそうな際に、日々叩き込んでいる暗示で鼓舞する等をやっていったら仕事などの実績も上がり、
かつ習慣化しつつもビギナ−ズマインドで新しい気持ちで続けてるうちに
( 一般には口で言うほど簡単ではない。難しいとされる )流れもよくなったという実体験があります。

 

尤も、こういう外的成果で一喜すること自体天風哲人の説く本流から外れるかもしれませんけども。

 

なぜなら、本流、王道は、

 

「 心をかき乱すような不測の事態や不遇なことがあっても、事柄に心が左右されず
 心をわたしの命の道具として取り締まり立派に使いこなしていくことが出来るようになりました!

 

 断然、私の心は始終平和です。 
 私の心の中は情け深い気持ちが沸き上がり漂っています 」

 

と報告する方が増えることが一流で、より内面的な実績にフォ−カスし、生成化育せしめる活かす力と自助努力で揺るがぬ心を作製することに高い価値を置いている分、より王道なのでしょうから。

 

 

天風哲人は、「 お蔭で、人生がうまくいくようになりました!」というような即物的かつ外的な生活の実績のみにフォ−カスした報告をする方は、

 

「 いったい何を聴いて学んでいたんだろう・・全然教えがわかっていない・・」。

 

とがっかりすると漏らしていたようです。

 

私から言わせると次元が高いと言いますか。

 

私の場合は、後者の報告も、とてもうれしいので、

 

私のサイトは三流。亜流かもしれませんね。

 

 

実際、天風先生は、聖者の指導によるとりなしと自身の研鑽で奔馬性結核の病が寛解した後に

 

カリアッパ聖者に「 嬉しいか? 」と問われた際に、
「へぇ(うれしいです)」と答えたら、「 馬鹿、そんなじゃあ、またぞろ(病に)侵されるぞ・・ 」
と叱られたそうですから )
これも、外的な結果にフォ−カスし過ぎているという事なのかもしれません。

 

 

尤も、三流かもしれないですけど「 口述書 」でも言及できなかったとこの習慣性にも留意しています。

 

それに、天風哲人が指摘為さってるように、即物的なことではなく、より内面的な改善や薫習にフォ−カスし、外的実績とのバランスをとるほうが、より長続きしやすいことも分かってきつつあります。

 

日々の日常生活において内面の改善や心の強化の水路付けを優先で、そこにフォ−カスしつつ形「型」から入って内面を耕し自信を育み、外的実績も出せるというアプロ−チはとってますから。

 

 

ちなみに持続的な成果を出すのに大事なのは、
2週間程度の丁寧な実践で手ごたえを感じ、何らかの外的な実績があった後も
意志の力が萎れないように維持しつつ倦まず弛まず生活を廉潔化しながら続ける才能が大事になってくるでしょう。

 

それには、実践によって得られる即物的な恩恵にフォ−カスし過ぎないほうがよいでしょう。

 

より内面的な恩恵にフォ−カスし内外のバランスを取って実践する方のほうが継続力は培われやすいようです。

 

サイトは、そういう向上発展に向けた建設的な習慣化にもフォ-カスしてるのと、内面の改善のほうに、重心を置いていながら
形「型」から入って内面を耕しつつ目に見える外的な実績を出すというのが、他とは違うとこだろうと思っています。

 

 

 

何れにしろ、サイトに公開しているものは、どれも地に足の着いたもので実践も実際的な方法(タスク)ばかりですから。

 

 

学習曲線がありますが丁寧に実践継続さえできれば、以前よりかは改善および薫習が進み、
噛み合って、やった分のことはあると申しますか日々の生活や仕事で手ごたえを感じる方は多いですから安心してください。

 

 

PS

 

ただ実践している方の中には、他人と比較し、他人と比べたら、上手く行ってないという気持ちが出て、
´不平不満´という心を消極の状態に傾かせがちな方もいるかもしれません。

 

それは仕方ないです。内面の変化は見えにくし評価しにくい。ただ、そういう時は、過去の自分を省みて
他人比較ではなく過去の自分比較をすることです。

 

知らず実践してなかったら、どうなってただろう。と思うようにすると不平不満が少しは和らぐきっかけになるかもしれません。

 

他人と比較したってしょうがないとこがあります。過去の自分と比較をして、
以前よりかは心を取り締まれるようになって内面も積極に耕されているか?
どれだけ共感力や思いやり深い霊性心が渙発されやすく生活が積極化し廉潔化したか?水路付けをし眠れる才能を起こし、外的実績にも反映できるようになったか?点検するという事です。

 

それに、停滞も決して悪くはありません。自身が、何を実践の動機として取組んでいるのか?動機の点検を含めて、自らのあり方を見直す´よいきっかけ´になります。

 

なかには、「今さらやっても遅すぎる。手おくれ」。という感慨を持つ方もいるかもしれません。
そんなことはないですよ。「 今 」が一番新しいのですから。

 

また、なかには、天風先生がインドから帰国後、ほどなくして会社経営の傍らで、お大臣遊びをしてたとか、芸者遊びに興じてたこともあるというのを知って、
全く尊敬できない、ドン引き・・と感じる方もいるかもしれない。

 

実際私も、そういうのが全く無かったか?と言ったら嘘になります。いや、私の生活スタイルと全く合わないから実際、ドン引きしましたから。(-_-;)

 

そういう共感できないとこが実際にあっても、私の場合、結局、今でも実践研究してるのは、論より証拠の内外の生活事実があって心を管理するのに役に立ってるからです。

 

 

 

 

PSのPS

 

今回の記事をツールでマインドマップにしたら以下になりました。
ツ-ルで作ったので関連付けに間違いがありますが、間違い探しをするのも脳が活性化して良いかもしれません。
長い記事なので、整理になれば幸いです。

 

 

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