7つの習慣と心身統一法 (その2)

「刺激と反応の間にスペースがある」というのを世の中の不確実性の中の人間関係上の摩擦や軋轢に限定して考察してみます。

 

 

「刺激と反応の間にスペースがある」という意味は、

 

人間関係から生じる行動は不確実性に満ちているという前提を受け容れた上で

 

相手がどういう振舞いや言動をするかは選べないにしろ

 

 

相手が不機嫌なら、こちらも不機嫌

 

相手が憎み恨んでいるから、こちらも憎み恨む、、で
憎しみの連鎖にし、心を大事にせず生活を荒廃させていくのではなく

 

別の対応措置もあるかもしれないという事。

 

 

負のスパイラルから抜けるには、心の強さを作って
生命用具の心に余裕(寛容さ)を持たせ・・

 

心の主人公として主体性を発揮し、距離をおくとか、
お道具の心に湧き上がるマイナス衝動をいなして冷静に対応するなどの
可能性を探るということになりますよね。

 

その際に、天風哲人の口述書などを研究し実践を積み重ね

 

心の強さ(やしなやかさ)にも関係する感応性能が立て直されていたら
自らの気分をコントロールすることが以前よりかは´ 出来るようになる ´と言うことが出来ます。

 

生きていたら思うようにならない場面は、起きるものですが、

 

そういう日々の出来事の連続の中で

 

出来事由来の刺激と反応の間のスペース選択の連続がその人を作る。

 

起こってしまったもんはしょうがないにしろ

 

その時間的性質を帯びたスペースをどう活かすかが、私たちの内外の成長と幸せの鍵を握っている。

 

というのが「 7つの習慣 」の中核的内容と私は解釈しています。

 

ストレスにあまり強くなく、いろんなことを先延ばしがちという方は、ストレスのいなし方を知らず実践してないから
じわじわと自律神経(植物神経)が弱って調子を崩して気力が萎えてしまっている状態、というのと

 

潜在意識の中(心の奥座敷)が過去の負の記憶で充満し占められていて
過去を悪い意味で引き摺って心の柔軟性を失い
只今にあることや(心機を転換させ)未来の可能性に思いを馳せ取り組むことが出来難くなっている状態と言うことも出来ます。

 

先延ばしがちな方は負の記憶の処理が苦手なだけで別にあなたが悪いわけではありません。

 

とりあえず心身統一法を理論面でもよく研究し積算実践することで、ストレスをいなして力に変えるのが上手くなっていくと

 

負の記憶(心に負い目を与えているもの)が和らいでいきます。

 

そうすると先延ばしさせる雑念記憶が減るから、
緊急ではないけれども重要な事を含めてタスク管理が以前よりかは出来るようになります。

 

基本的に、7つの習慣に心身統一法を組み込んでやると

 

進化向上が加速され、大いなるスぺ-スを向上的に活かす可能率が高まるというのが
私の7つの習慣と心身統一法を融合実践させた際に感じた体験的理解です。

 

 

さらに言うなら私たち人間にはユニ-クな性質があるということ。

 

 

この見えざる性質をよりよく発揮することでインサイド・アウトから力が得られやすくなるということも知っておくべき大事なことかもしれません。

 

 

ユニ-クな人間の性質というのは

 

肉眼の眼には見えざる領域にあるものです。

 

 

英語のほうが分かりがよい方もいるかもしれないので併記しておきますが

 

以下の4つの性質があるとされています。

 

すなわち

 

Self Awareness 「自覚」

 

・Imagination 「想像力」 (visualising beyond experience & present reality)

 

Conscience 「良心」 (a deep inner awareness of right and wrong&following personal intergrity)

 

Independent Will 「自由意志」(Acting independent of external influence )

 

この4つです。なんだか拍子抜けで、当たり前な気がしますけど。

 

 

これについては、「 7つの習慣 」においては以下の主体モデルが提示されてますので
以下に改めて図示しておきます。

 

 

 

 

上記について

 

その4つの人間のユニ-クな特質をいかに、向上に振り向けて強められるかという点で

 

天風哲学の積算実践がバイパスすることで、
私も仕事や生活の中で発見したことがあるから、さらにコメントするなら

 

 

意識できない心の奥座敷に

 

人種・性別を問わず誰にでも公平、無条件に流れ込んでくる生かす氣( 天風哲学的には、Vril )があるが

 

それを無意識に遮り

 

心身を一つにして取り扱うのを阻害し目詰まり( 障礙 )を起こせしめ
向上発展を阻害し運を落とす雑念妄念の温床とも言うべき
消極的因子(心の負い目になる温床の消極的観念要素)というものがある。

 

※これは想像を絶するような長い長い人間の進化プロセスで、約200万年くらい前の旧石器の原始時代には必要なものだったかもしれないが、
文明が発達し、霊性がじわじわ進化する中で、むしろ不要になった本能的なもの由来(今の時代では、最早、毒汁のようなもの)と捉えることも出来ます。

 

ちなみに人間の霊性(の開花進化)というのは、人が不幸を避け上手く折り合いつけながら幸せに感じて生きるのに大切なことだと思うのですが
科学技術などの発展、進化に比べたら相当に、もうビックリするほど進化が緩慢なのだろうと思います。

 

研究すればするほど私たち現代人の霊性( 形而上の感性も含む )は、
古代ギリシャ、ロ-マ時代の2000年前( あるいは下手すると3500年くらい前のモ-セの時代 )の古代人とさほど変わらないのでは?と時々情けなく思うことがあります。

 

とは言え人類進化の200万年という広大な時間スパンを考えると、
紀元前1500年やら紀元0年、紀元後2024年という区切りは、非常に短い期間と考えることも出来るのかもしれませんけど。

 

 

それはさておき・・

 

本心良心を根にした情け深い霊性の開花や形而上の感性というのは、
開発が遅々としてゆるやかで、
その力も、肉体本能に結び付いた不要残留本能に比べて強くないですが

 

これらの本能心の中に埋まった不要残渣の整理については

 

潜在意識領のクリーニングを熱心に施して潜在意識の汚れ( パイプ内の目詰まり )が
新しい積極的な発展をもたらす印象要素の新鮮な真水で入れ替えられて
積極的な心象材料が優勢になり心を支配するようになると

 

じわじわとエネルギ-状態がよくなって心の強さや感じられ方とも関係する
感応性能が調子を戻していくということ。

 

そうなると、ちょっとしたことにも感動しやすくなるし心が澄んできて、勘も良くなり
価値観に沿った重要なこと(面倒なことも多い)に心を振り向け完遂する力が増します。

 

幸せに生きるのに大切な良心や物事を為すのに大事な粘り強い意志の力も出やすくなると言われています。

 

実践前よりかは満たされやすいから言動を含めた振る舞いも実践継続前より正されやすく好循環が生まれやすい。

 

 

そして、紆余曲折を経ても実践をしていくと

 

世の中は「苦の娑婆」「見るもの聞くもの癇癪の種」としか、感じられないし見えなかったのから
知覚レベルで変わって心の強さやしなやかさも取り戻していくとされています。

 

 

具体的には

 

どこがどうということもなく心がスッキリ澄んでいき
同じ風景、同じ光景であったとしても

 

晴れやかで、ほのぼのした・・しみじみとした情趣を感じやすくなると天風哲人は述べていますね。

 

 

また

 

怒りや怖れなどの一時的な衝動的感情に対して、いなすのが上手くなり
消極的な情動、衝動に対し一拍「 間 」を置く心の実力が高まります。
心身統一法を積算実践すると、、、

 

 

これは実践を継続している方なら、なんとなく体感できるのではないでしょうか?

 

 

 

この件について潜在意識の視点から詳しく理論的に解説するなら

 

自我の底の心の奥座敷から心を弱め気を散らしやすくし暗く卑しく愚痴を垂れて横暴にし引っ込み思案的にせしめ
心の本来の力を削ぎ´退転させる邪念的な雑念妄念の消極的思考材料そのもの´が少しずつ掃い浄められ除かれ

 

替わりに発展を促す溌溂とした印象を伴う積極的思念材料を誘発する要素が沈み込んで刻まれ
「 入れ替え(底ざらい) 」が促され耕されていくと、

 

さて、どうなると思いますか?少し考えてみましょう。

 

感じ想うというのは、表面意識と潜在意識の協働で行われます。基本的に。

 

自覚できる表面意識は、もう一階層下の潜在意識領内から思念材料をもらって思考(想念)というのが成立します。
散々STEP1でも言及したように。

 

ここで、感じさせ想わせる思考の印象原料がぎっしり詰まった奥座敷から、
暗くて不健全でドロドロの消極的思考原料が掃われて、パイプの目詰まりが解消され

 

替わりに飛躍、発展をもたらす素材である積極的心象材料が、より支配的になり
生命エネルギ-の流れが、そこはかとなく、よくなったことを想像してみてください。

 

以下の概念図が参考になるでしょう。

 

潜在意識のお掃除の意義

 

もし、心の奥座敷のパイプに詰まった感じさせ想わせる思念原料が
上の左の概念図のように負け犬化し暗くて淀み、ドロドロの消極的思考原料で、
淀みまくっていたのから

 

右のイラストのように、少しずつお掃除されてスッキリになっていったらどうなるでしょう。かなり理想形ですけど。

 

そうしたら(紆余曲折はあっても)表面の意識は、軽やかで清新さの溢れる積極的心象材料を使用して思考(想念)し、行動に移す頻度が増えていくでしょう。

 

そうなると明るい連想が去来するようになって日々を充実させ生産性を上げたりするのに重要なタスクについて
雑念に邪魔されずに取組み、
さっさとやり抜く力も培われるので、去来せしめる記憶(連想素材)が起因しグズグズ先延ばし等は徐々にしなくなっていきます。

 

そうなれば、嫌でも達成感や充実感を生命用具の、あなたの心は感じるようになるし意欲も増すでしょう。

 

そうしたら、ほっといても、さらに積極的なイメージが去来するようになりますよね。揺り戻しや曲折はあっても

 

このような仕組みで日々の生活において、後天的な取組みで

 

日々が充実する方向に行動も少しずつ変わってくるということです。

 

仕事の実績が上がるのは勿論、思わぬツキに恵まれやすくなって実を結びやすくなるかもしれません。

 

これを理解するのは、相当に潜在意識の仕組みなどを知ってないと難しいですが聡明なあなたなら少しは合点して貰えるでしょう。

 

 

さらに追加するなら( パイプの目詰まりが少しずつ解消されるという因により )

 

なにがしかの高次元の力を奥底の心が受けやすくもなるでしょう。

 

澄んだ自覚作用( 俯瞰 )も生まれて、自覚が高まるでしょう。

 

その結果、自分自身を乗り越えて心を取り扱い向上発展させていく粘り強い意志の力も、前よりは出やすくなって情け深い本心良心も相乗的に出やすくなります。(停滞や紆余曲折はあっても)
脳科学的にはオキシトシンが出やすくなる。また長くなるので、詳しくは書きませんけど。

 

加えて

 

一時的な感情、衝動による行動に対し、腰骨を立てて、すっと肩の力を抜いて
下腹を充実させ、ほんのり温めるということ。

 

それを、自然にできるようにすることで

 

過敏反応が減っていき刺激をいなせて冷静に一拍「 間 」を置く実力も養われるんです。

 

繊細な方は、ほんとクンバハカを習いにし、図太くなったほうがいいですよ。
「あの人は図太いな、厚顔無恥だ!」くらいに他人に悪く言われるくらいを目指したほうがよいと思います。

 

 

結果的に積算実践により( 紆余曲折はあっても )心のバランスが保たれて、生活にも好影響を与え

 

とりわけ負の過去記憶にあまり足を引っ張られなくなり
等閑的に観れるようになって只今にあることや未来の可能性に思いを馳せることが、
こういうのを知らず実践してなかった前よりかは巧くなるでしょう。
お道具の心の扱いが、前よりは巧くなると申したらよいのか。

 

そうして、実践を積算していくうちに

 

(一般に非常に困難とされる)流れを変えることが実際に可能になり、
可能性のある軌道に乗りやすくなって、流れが、どんどんよくなっていくのではないでしょうか?

 

( ここでも「7つの習慣」を引用し言及したように、流れを変えるのは、実際は相当に難しいとされているのですが可能性が出てくると私は見ています )

 

 

 

これは私が実践し理解し体感した範囲における
7つの習慣と心身統一法を組合わせた考え方でして、体験的に述べることが出来ます。

 

 

 

これらのことを、比較しながら、もっと詳しく書いてみます。

 

 

以下は「7つの習慣」をさらに階層構造にして天風哲人の心身統一の原則を「7つの習慣」を包含する形で図示したものです。

 

 

上記は、ずいぶん以前に「7つの習慣」との比較研究をした際に気づいたことです。
( 自らの心身を第三者的にメタ認知的に把持する思考法を通して気づきが促されていく
心の上位純粋存在としての魂(霊)『 感じられる心的領域を超えた純一無雑な氣』-意志)−良心
さらに下位属性の感受性を司る感じられる心( 想像、自覚etc)神経系統眼に見える肉体

 

 

こういった階層構造と神経系統でバイパスする氣(プラ-ナ)と肉体を巡る氣血との精妙な関係・・
ある意味では、これは目に見え感覚する体も「 外部環境 」と見るような見方になります。

 

※ただし、これは、ある意味、理想形でしょう。

 

 

 

こういったことも、何年も前から執筆しようとは思ってたんです。
書くのをためらっていたのは、

 

別にほっとけば、誰かが「 7つの習慣 」と天風哲人の生命哲学の共通点や違い・・
さらには段差の埋め方をサイトやブログに書いてくださるだろうと思ってたからです。

 

 

ところが、なぜか結局のとこ日本人の誰も書いてる方がいない。驚いたことに。

 

「7つの習慣」も、日本でベストセラ-になってるけど、てきと-にお茶を濁すのではなく
真摯に取組もうとしたら、誠実な方ほど、いろいろ課題が出て悩む( 途方に暮れる )方も出てくると思うんですが・・・

 

全然話題にすらならない。

 

と言うことは、

 

案外、丁寧に取り組んでいる方って、ほんと、未だにマイナ-で決して多数ではないってことでしょう。

 

「7つの習慣」というのが発刊されて、もう20年以上経つのに、全然変わってないんだなと思ってしまいましたが・・・

 

尤も、心身統一法だって習慣化は結構、困難だから、真摯に取組んだら、誠実な方ほど、いろいろ課題が出て悩む方も出てくると思うんですが・・・

 

これも大して全然話題にすらならないし盛り上がってもいないってことは、
丁寧に取り組んでいる方って、ほんと、未だにマイナ-ってことになります。

 

 

いずれにしろ天風哲人の実践哲学のおひざ元の日本人が書かなきゃ欧米の方が思いつけるわけがないです。

 

これも案外と素朴で大事なことで「7つの習慣」のキモのとこに該当してて
これが整理されれば言葉が少し変ですが・・より原則に調和した充実した生活を加速的に送るための
7つの習慣の習慣化をきっと促すと思いましたので、結構大変でしたけど、ざっくりしたものを書くことにしました。

 

こういうのは・・別に日本人に限らず
内面の充足や生産性も上げるとされている「7つの習慣」のそれぞれの項目を
習いにし仕事や生活に活かしたい方に役に立つはず。

 

「7つの習慣」の実践の段差を少しは埋めることが出来るはずです。

 

それに・・天風哲人の口述書のノウハウ実践したことがある方だったら

 

これに何となく気づいてる方は多いと思いますから

 

 

また、コヴィ−博士は個人的な追伸として、本書の最終ペ-ジで以下のようにも述べています。

 

これについても引用しつつコメントしてみます。

 

 

(以下、7つの習慣の最終ペ-ジから引用)

 

本稿を終えるにあたり、正しい原則の根源に関する私の個人的な信念を分かち合いたい。

 

正しい原則とは自然の法則であり、神あるいは偉大な創造主がその源であり、また私たちの良心の根源であると、私は信じている。
また、人々がこの神聖な良心に沿って生きる限りにおいては、その本来の可能性を満たすことができ、
それに沿って行動しなければ動物のレベルを超えることはないと確信している。

 

教育や法律だけでは影響できない側面が人間にはあり、それは神の力によってのみ変えることができると私は信じている。
人間は自らを完成させることはできない。正しい原則に自分の生活をどれだけ合わせるかにより、
私たちの中に神の力が宿り、それに応じて、自分の本来与えられた可能性を発揮することができるのである。

 

ティルハード・D・チャーディンの言葉を借りるならば、「我々は霊的な経験をしている人間ではない。人間的な経験をしている霊なのである」ということだ。

 

私は、この本の中で取り上げた多くのことに関して、今もなお奮闘努力を続けている。しかし、それに取り組むことは有意義であり、そこから得られる報いも非常に大きい。
それは、私の人生に意味を与え、愛し、奉仕をし、努力を続ける力の源である。

 

T・S・エリオットが、私の個人的な発見と信念を美しく表現している。
「 我々は探究をやめてはならない。そして、我々のすべての探究の最後は、初めにいた場所に戻ることであり、その場所を初めて知ることである」

 

 

(ここまで)

 

 

上記について日本人の私からコメントするなら、私もコヴィー博士の見解に概ね同感です。ただ、コヴィー博士はキリスト教圏の方なので、一神教的な神観が基底にある偉大な創造主や神という言葉が本書でも結構出てきます。

 

「7つの習慣」は、第7の習慣「刃を研ぐ」などで自己のバランスを保つために、定期的なリフレッシュや瞑想を取り入れることが推奨されており、これは仏教の修行や瞑想の重要性に通じるものがあります。
ですので、日本人にも、なんとか受け入れることが出来たのかな?という気がしています。

 

とはいえ、山、川、木々、岩など、あらゆる自然物に精霊や神々が宿るという八百万の神という概念を持つ大多数の日本人には、´偉大な創造主´や´一神教的な神´は、恐らく馴染みにくいでしょう。

 

アメリカという国は自由と個人を重んじ、合理主義と科学的思考を大事にしている国ですが、もう一つ別の顔があります。
日本のメディアではあまり報じられませんが、アメリカは宗教大国です。アメリカ建国史からして宗教性が強い国というのは明らかです。

 

例えば、アメリカの大統領が就任宣誓を行う際にバイブルを使用することは、法的には必須ではありませんが、伝統として広く行われています。
この慣習は、初代大統領のジョージ・ワシントンが1789年に初めて就任宣誓を行ったときにバイブルを使用したことに遡ります。

 

紙幣からして、宗教大国を象徴しています。
「In God We Trust」というのを紙幣に刻んでる時点で、それは自明でしょう。

 

 

なぜ私がこうしたことを知っているかというと、なぜこんな歴史の浅い国が、200年足らずで、あっという間に世界一流の国になれたのかが不思議でたまらず、十代から研究してきたからです。
その流れでバイブルも真剣に研究し、聖句通りに実行できない自分に煩悶し嫌悪し、かえって心が支離滅裂になり弱るという切ない体験もあります。黒歴史ですけど。

 

アメリカには国教こそありませんが、宗教に対して非常に寛容です。アメリカの国民の半数以上が「自分は守護天使に守られている」と信じており、その傾向はエリート層ほど強いという研究もあります。

 

実際、私もある優秀なアメリカの講師と話す機会がありました。(ただし、私は大して英語が得意ではないので、ボディランゲージを混ぜて話しました)。
その方と会話して10分も経たないうちに、「私は神を信じています」という話が自己紹介を兼ねて飛び出た時には、目が点になりました。

 

牧師さんや神父さんなら、まだわかりますが、ビジネスマンで初対面で堂々とこんなことを話すの?!と心の中で驚きました。

 

たまたま、私が会って話す機会のあったアメリカ出身の方々が、そういう方ばかりだったということも考えられますが、少なくとも日本人は、初対面で、そんなことは口にはしないでしょう。
国民性もあるのだと思いますが、こういう傾向は強いように思います。

 

とにかく、アメリカの方って、あっけらかんとして自信満々。
良いとこは何でも貪欲に吸収しようという気概に溢れた方が多い気がします。こういうとこは見習いたいですね。

 

『7つの習慣』は宗教色が非常に薄いビジネス系自己啓発書ですが、それでも、そういう国民性のあるアメリカ発祥の本です。
よって( 重ねて書きますが )偉大な創造主や一神教的な神の概念がベースにあるため、日本人には馴染みにくい方も多いかもしれません。

 

私から言わせると、神観についてもそれぞれの国の風土により形成された登りやすい山登りの仕方があり、その方向が違うだけで風景が違って見えるに過ぎないという見解です。排斥したり喧嘩するものではないと考えています。

 

 

 

それに、もし天風哲学が、この「7つの習慣」にバイパスしなければ、恐らく上記のコメントの以下のフレ-ズ

 

「 我々は霊的な経験をしている人間ではない。人間的な経験をしている霊なのである 」

 

この文言も誤解を招くでしょう。

 

なぜなら、天風哲人の口述書の実践がバイパスしなければ
私の十代後半から二十代の頃のように
上記の「 霊 」という言葉を´ 感じ考える心のようなもの ´と知的かつ観念的に解釈し誤読してしまうことが十分に予想できるからです。

 

さらに以下の博士のコメント

 

正しい原則に自分の生活をどれだけ合わせるかにより、
私たちの中に神の力が宿り、それに応じて、自分の本来与えられた可能性を発揮することができる

 

これが仮に正しいとしても、正しい原則に自分の生活を合わせるためには、正しい原則を知ることと
意志と良心の力の渙発しやすさが必須でしょう。

 

※マイナスの潜在意識に支配され心に振り回され意志の力も本心良心も下敷き化し弱いし封じられているというのが私たちの現状でしょう。
シビアな見方で、お花畑じゃない考え方になりますけど。

 

この理由を述べるなら
肉体に結び付いた我儘放題の本能心に比べて本心良心の力が、もう途方もなく強い。
私たちの心がそういうふうになっていて、それが真実なら世の中の新聞記事やら、
日本を含む世界の、あれこれの社会面は、不祥事で埋められてないでしょう。

 

 

それに、ただでさえ、複雑なマスコミ時代。

 

心をあっちこっちに振り回され本来の心の力を弱められがちなのが私たちです。

 

本心良心(の力)だって、そんな強くはないでしょう。
進化の最終形態で出てきたものとされていますし。

 

心のお手入れをせず肉体本位で生きてたら
そりゃあ肉体を守ること最優先で無意識で自分ファ-ストになりがちだから
情け深い本心良心を出すのは、相当に難しくなるでしょう。

 

心のお手入れをする実際方法を知って、後天的な取り組みをしなかったら、基本、出すのは難しい。
取り組んでいたって、揺り戻しがあるのですから。

 

 

さらに言うなら

 

それらの力の出どこや具体的かつ実際的渙発法についても
「7つの習慣」では、いくら精査しても、そもそも出難くなる原因含めて、ほぼ言及できてないんです。

 

しかし口述書では、仮説とは言え本心良心の出どこや多角的な取り組みで、これを出しやすくする方法も説かれています。

 

こういうことも天風哲人の方法をバイパスさせる実践的動機付けになるのではないかと。

 

 

なお・・「7つの習慣」を習慣化するのにも、もちろん色んなルートがあって
その一つに過ぎないと思いますが天風哲人のメソッドが間にバイパスし上手く組み合わせることで、
いくつか引用しながらコメントしたように、

 

7つの習慣を実践する際の段差が下がって
心身統一法を知らず実践してない時よりかは、これらの書も馴染みやすくなるかもしれません。

 

また

 

消極的な刺激に対して、以前だったら一時的な感情、衝動に任せて反応(行動)していたのから
クンバハカ密法の錬磨で耐性がついて鈍感になりストレスを上手く活かせるようになるのかもしれません。

 

大らかな澄んだ視点で、外界及び内界のストレス刺激を鎮めることで、「 一拍置くこと 」が、実際に絵に描いた餅ではなく
本当にレシピどおりに出来て、心を取り扱うことが巧くなる方も出てくる可能性があります。

 

衝動的な怒りや恨み等に勢いがなくなると申したらよいのか、、

 

 

また心で行う想像も、嫌でも少しずつ高級になる方も出てくるかもしれません。
丁寧に心身統一法を積算実践したら・・・

 

これにより自己統御力が増し私的成功を促して以前よりも原則に沿ったものになり
生活も締まってくる・・それが促される可能性が高くなると私は観ています。

 

もちろん、これのみにこだわる必要もない・・色んなルートがあるだろうことは、そのとおりです。

 

それに、くれぐれも書いておきますが上の図( 天風哲学的解釈 )は公益財団法人天風会の公式見解ではありません。
独自で研究して、インスピレーションを背景に、体験上も実感したから書いてるのであって執筆責任は私にありますので念のため。

 

STEP1でも念押しで書いたように私は、ここの会員ではないです。ここの修練会にすら参加したことがありません。
合宿とか懲りてるんで。自己啓発セミナ-系の合宿で。結局、その時だけ皆でワ-ワ-やって気分が高揚しても、
自らのだらしなさを含む悪習は、自ら取り締まっていかないと、どうにもならないという考えがありますから。

 

 

それに、「成功の実現」などを味読して、幸運なことに、
「 言語での思いや想像を超え感じる心を超えた
(感覚せざる)氣としての本当のわれ<SELF> 」をハッと悟得でき
(本当の自分)探しの長い長い旅路に終止符を打てたからとて決してアガリではないでしょう。(-_-;)

 

「 人格錬磨を含めて本当のわれ 」を現実化させ「 より高い生き方 」に向け、
霊性進化と物質的満足とのバランスを取りながら、さらに変容させる必要がありまだまだ先があるかもしれません。

 

このことはインドのヨ-ガ聖者の某書を読んで研究すれば自明でしょう。