ズバリ、金運をよくするには、どうしたらよいとお考えですか?

読者(Kさん)から、長文の、サイトに関する感謝のご感想と質問があり以下のようにお答えしました。

 

感謝のご感想は、執筆冥利に尽きると申しますか有難かったのですが、今回の記事作成に当たり、こちらで、ばっさり省略しました。
その一方で、ご質問は端的でしたので、それだけ引用します。

 

>ズバリ、金運をよくするには、どうしたらよいとお考えですか?

 

これについて以下のように答えました。
メルマガおよび、このサイト記事ではKさんに送ったものより大幅加筆修正しています。
もちろん、Kさんに個別に教えたものもありますが個人的になるので一部のみ公開し、あとは省略します。

 

今回時間が無くて了解を取る暇がなかったですが、
こういう紹介の仕方なら、一般化しているし、感想を省いており特定も出来ないだろうから
了解を取らなくても大丈夫だと判断しました。

 

 

(ここから)

 

金運については、以前にも、ちょこちょこ言及してきました。

 

不要残留本能由来の度外れな欲はともかく現に私たちは肉体を持って質量のある物に囲まれて生きているわけで
人並みに物質的(金銭的)にも豊かになりたいというのも、人として素朴な心情でしょう。

 

極貧になりたくってたまらない、極貧が好きで好きで仕方がなく
なにがなんでも、、、寝ても覚めても、、、石にかじりついてでも極貧になりたいという人は少ないでしょう。

 

ところが、口では金持ちになりたいと言いながら
その行動や、お金の使い方が、おかしいと申したらよいのか、、
遊興(ギャンブル)などに多くのお金と時間を費やすという方がいます。

 

傍から見て、どう考えても、そういう考え方して、、そういうお金の使い方をしてたら
お金持ちになりたいと口では言っても
金銭的に恵まれないよね、、という自滅的な行動や振る舞い( 散財 )をして
二進も三進も行かなくなる方もいますよね。
もちろん、そういう方ばかりではないですけど。

 

 

表面の思いではない自覚されない領域にある、お金に対するネガティブな信念に基づく嫌な思い込みや深いところの印象記憶を変えることで豊かになれるという仮説の下で
様々なワ-クをしている方もいるようです。
( 今回は、そういう仮説の検証や方法について述べる気は全くありません。こういうのも、きっかけになる方はいるのかもしれませんけど )

 

ただ言えるのは、そういう様々なお金に対するワ-ク以前の根本的なところの問題として

 

お金さんが欲しくて欲しくて好きでしょうがないのに、
(お金さん)にあまり好かれない方もいれば

 

 

 

「 お金も地位も名誉も要らんわい!
もっと大事なことがあるんじゃ!」

 

と、きれいさっぱり処分しスッテンテレツク(無一物)になって

 

悟りを共有してあげたくてたまらず(やむにやまれず)上野公園で辻説法を始めたら

 

お金さんたちがびっくら仰天して

 

「えっ、い、いや、ご無体な。 こ、困りますよ。
後生ですから、あっしら(お金)を捨てんでください。

すみ(び)ません。すみません。すみません。ほんと--にすみません。
どうか、どうか後生ですから、あっしら(お金)を使ってやってくだせぇ。
お願いします。お願いします。本当にくれぐれも、くれぐれもお願いします」

 

と言わんがばかりに、

 

言うなれば、コントですか!ってくらい財(お金さん)が、
( スライディング土下座 )しながら、すり寄ってきて物心共に豊かになっていく方もいますよね。

 

以下のようなイメ-ジになろうかと思います。試しに作ってみました。
こんな生き方が出来たら、さぞ痛快でしょう。((´∀`))

 

お金さんのスライディング土下座

 

 

こういう事例があるのを知るとテクニックを超える、、もっと本質的な命の活かし方に関わる
形而上のエネルギ−的なものも含まれた´ お金の法則 ´みたいのがあると言ったらよいのか、

 

以前、以下の記事などで天風先生や空海を例にして解説したように。
なぜ、お金さんに好かれるのか?

 

 

 

上記の記事などでも簡単に述べたように、

 

そういうテクニックを用いたワ-クに、魂視点の進化向上
というのを付加したら、お札の向きを揃えてとか、金運風水財布とか、、
インテリアとか、、金運にゆかりのある神社とかに真剣にお参りとか、そういうのを熱心にやっても上手く行かない方が
バランスを取りながら物心共に豊かになっていく道筋が出来るのかもしれないですね。残念ながら未整備ル-トですけど。

 

 

 

 

いずれにしろ
情け深い思いやりに根差し、心を超えたとこを喜ばせる霊性満足の生き方を探求し
心の奥底のマイナスの妄雑念材料の浄化により霊性心(本心良心)を出しやすくする引き算的で素朴な生活を標榜する。

 

 

目に見えるお金も大事にしつつ、それよりはるかにエネルギ-的に価値高いことにも取組み
無頓着なのに、必要な時に、必要な分、お金が、なぜかすり寄ってくる。

 

そういう体験を積み重ねていけたら本当に理想でしょう。

 

 

価値高いことは、人の生活を、より良く変えます。

 

お金に価値があるのは、生活を変える力があるからでしょう。

 

とは言え、お金の場合は、分不相応に器を越えて持ち過ぎたら、高額宝くじに当たった方のように生活が乱れて不幸になる方だっていますけど、
とにかく生活を変える力があるという意味で、皆が欲しがるし、お金に対し様々な想いを抱いてるでしょう。

 

ただし、お金と水平次元で取り組むと辛くなりがちというのはあるかもしれません。
( 私も偉そうなこと書いてるけど、諸々の事情で
頭の中が金・金・金・・になったことがありますので、幾ばくかわかるのですが、、 )

 

借金抱えてたら、現実が重くのしかかって、頭の中が、金金金になる傾向が、なおさら強いでしょう。

 

とは言え

 

お金みたいな眼に見えるものを追いかけてると、いたちごっこを繰り返し、やがて生命が詰むのは明らかですよね。

 

それを証拠に、、、

 

どんな大富豪でも、万象は変化するのが真理なわけで、何が起こるかわからない。

 

それに、どんなに目に見える富を、しこたま蓄積したって肉体生命が、最後の一息を吐いて、所謂お陀仏になったら、
そういうのは役に立ちませんよね。

 

言い古された言説ですけど。

 

よって、物心さらには心を超えた一つの氣とのバランスを取り心身を鍛えながら
その次元を少しずつ上げて軌道に乗せる純正生活に仕向けるということ。

 

そうして越えた次元でお金に向き合うように意識する。

 

これが少しずつでも出来たら気楽に向き合えて、その気楽さ、強さが心の余裕を生み、流れがよくなっていくのかもしれません。

 

何れにしろ、そういう人が世の中に、どんどん増えていったら

 

 

社会の難しい問題も解決の糸口が見えてくるのではないでしょうか?
そういう意味でもワクワクする生き方の探究だと私は思ってます。

 

 

とは言え次元を上げバランスを取るにしろその際に考えないといけないのは

 

財の多寡と倫理道徳性の高さとか人格の廉潔さとか、
この世の中では、関係ないのかもしれないというのは、心に留め置いたほうがよいかもしれません。
切り離して考えるべきかもしれません。

 

こういうことが腑に落ちると、お金の多寡や地位などで人を色眼鏡で見なくなり
澄んだ目でフラットに対応できるから人間関係上も有効でしょう。

 

 

( むしろ、高度な哲学で要求している形而上の善を優先し探求すればするほど、
なぜか、この世の中では、ある意味、物質満足から離れた方向に行きがち、、、くらいに考えておくほうが良いかもしれない )

 

人は、物心ともに豊かであるべきで、これが自然なはずなのですが

 

慎重な対策を施しバランスを取り、折り合いをつけないと

 

奇妙なことに倫理道徳性の高さと物質的豊かさとが、釣り合っていかない、、

 

それどころか離れる傾向、構造が、世の中自体にあるということもちらと意識したほうが良いかもしれません。

 

そして、この構造は、何千年も前から、なぜか変わってないのかもしれない。

 

( お金は汚いものとか、悪とか考えるのは、これは潜在意識的に問題で、お金に対する怒りや悲しみの念など、そういうのを綺麗さっぱりクリ-ニングすべきでしょうけど、
世の中の背後に、いびつな構造があることに薄々気づいてる方は多いかもしれません )

 

例えば、孔子のお弟子さんの顔回がよい例です。
顔回は紀元前時代を生きた方です。

 

儒教の開祖の孔子の門下生3000人(当時)の中でも、特に優れた、選り抜きの弟子を孔門十哲としていますが、

 

その十哲のなかに入っていた顔回は、選び抜かれた10人のうちでも一番の秀才で徳にも優れた立派な人物として孔子は、彼を溺愛していたとされます。

 

現在2億人の信者がいる儒教の開祖がほれ込むような立派な人物です。顔回は。

 

だから実際に彼の志は非常に高かったことや孔子の教えを最優先にし、教えの内面化に努めて、倫理性と仁(思いやり)にも優れていたとされます。
そういう徳目に加えて、非常に優れた能力を持ちつつも謙虚で優しく、常に努力を惜しまない方だったということは、ちょっと調べれば、ずらずらとエピソ-ドが出てきます。

 

 

ですが、彼は30代後半〜40歳くらい( 一説には30代前半と言う説もある )で早逝するまで終始一貫、貧窮生活でした。

 

昔は極貧だったけど・・ではないんです。

 

当の本人の主観的内面において味わっていた心理状態は、ご本人しかわからないことでして、
私が資料を分析するに顔回は、誠実ゆえに、いよいよ学んでいよいよ苦しむというような精神至上主義に陥り
恐らく神経反射の調節など知る由もなかったろうから、神経過敏は拍車をかけ思いやりはあっても心の力が弱くなっただけに止まらず

 

繊細で、図太くなく近親者にたかられ、利用されつくされたのではないか?と推定してますが

 

生涯を通じて、最初っから最後まで一貫した極貧で客観的に見て不遇でした。

 

顔回は、孔門十哲はもちろん、孔子四聖と称されるほど立派で優しい方だったそうですが

 

竹のわりご一杯のめしと、ひさごのお椀一杯というのが1日の食事のベ-スでした。
相当に質素ですが、そんな少しの食事や飲み物にも困るほどの貧苦の連続で終始し、ついには夭折してしまったと聞きます。

 

 

あるいは形而上の見えざる徳(善)を最優先し探求する生き方をした山崎弁栄聖者のような方もいます。
時代圏で言えば近世の方と言えます。
弁栄上人は安政六年二月二十日下総国国鷲の谷に生まれ、21歳で浄土門に入って4年足らずで悟りを開いたとされる人物です。
日本の激動期である明治時代後期から大正時代を生き抜いた方です。

 

上人には以下のエピソ-ドがあります。

 

 

上人は一切経を読破し、光明主義という一宗を起した。
新しい寺を建立するとき、遠く行脚し、一人一厘を乞うたが、貧窮者に遇えば、喜捨で得た金や米をすべて与え、また一厘から始められた。
道を歩くにも、蟻はもちろん、若草まで踏まないようにした。
明治27、8年インドに旅して、釈尊の遺跡を巡歴し、日本に帰ってから、阿弥陀経図絵を日本中を巡り歩いて施すこと25万部という。
お寺に泊まるときも、わざわざ下男の部屋に泊り、夜寒の町に貧者を訪れては、当日供養を受けた下着を脱いで与えたという。

 

このように、上人は、物質的な安定、基本的な生活のニーズ(食事、住居)すら客観的に見て、最初っから満たされていません。
弁栄上人の逸話は、マズローの欲求5段階説とは異なる価値観と生き方と言えるかもしれません。
マズローの理論は一般的に、人間の欲求が生理的ニーズから始まり、安全、社会的所属、承認、自己実現の順に進むと主張しています。

 

ですが、弁栄上人の行動や生き方は、この枠組みを超えたものです。

 

上人は形而上の善や徳の具体化を心底探究し努力を重ねました。
高次の強い意志を渙発し、その意志を、そういう方面に向け体現に邁進した方と観ることもできます。
私有財産という概念が上人にはない、と言えるかもしれない。
その精神性の高さが極まっていることは、衆人の誰もが認めるところでしょう。

 

後述する鉄鋼王で慈善家のアンドリュ−・カ-ネギ-氏等と比べても精神性の高さの面で格上でしょう。
( この件については、最近話題のChat GPT4に資料を与え質問し意見を求めたところ、
私と同意見でした。多少誘導したとこはありますけど )

 

下手すると天風哲人よりも倫理性、廉潔性や精神性の高さで格上かもしれません。
こういう生き方が誰にでもできるのか?という素朴な疑問はありますけど。

 

ですけど上人は非常に高い境涯にありながら客観的に見て、物質的には富んでいませんよね。

 

尤も上人の場合は、一般庶民とは異なる次元で振り切った生き方を為さっていたというのを彷彿させるエピソ-ドが沢山あります。

 

一例をあげれば

 

「如来はいつもましますけれども衆生は知らない。それを知らせにきたのが弁栄である」

 

と、はっきり述べておられたと聞きます。

 

至高体験も味得なさっていたから、そういうのは頓着すらなくなって
超越していたという事も考えられます、、、

 

いずれにしろ、上人のように幼少から形而上の善や徳を心底、徹底的に探究、努力し
その体現を本気で標榜する生活を模索すると、
純粋であればあるほど( どこかで折り合いつけないと)物質的豊かさと離れていく。

 

 

倫理性の高さとかは綺麗ごとになってしまいがち。

 

残念ながら構造上、そういう、いびつな傾向が、世の中にはあります。

 

 

廉潔な人格とお金儲けが関係ないことについては、
以前いただいた以下の質問

 

「心を清くしたからとて、あるいは利他的とかで成功してる方は多くないと思います。
「憎まれっ子、世にはばかる」という言葉は、そのとおりではないでしょうか?

 

というご質問に答えた回答も、今回のトピックの参考になると思うので引用してみますが

 

稲盛和夫氏も、この件について以下のようにコメントしています。

 

※ヤフーの記事からの引用ですがリンク切れしてるのでリンクは省略します。

 

(以下引用)

 

「集まった方々は、なんとかしてその宗教が説く人間性をもつ人間でありたいと思って、教えを信じ、努力を重ねておられると思うのですが、
私は『心を美しくきれいにして、行いを正しくしていても、事業というのはなかなかうまくいきません』と言いました。

 

私のようなものは滅多にないケースであり、普通の人はきれいな心で一生懸命真面目に仕事をしても、なかなか成功しません。
(中略)

 

(美しい)心の在り方というものは、実は成功には直接関係がないのです」

 

 稲盛氏が信者を前にして、このような話をした意図は、「一点を思うこと」が強烈なパワーを生むことを伝えたかったからだという。

 

 世の中にはあまり良い心がけを持っていないような人でもたくさん成功している。
そして、人格としては下劣であっても、とにかく金もうけがしたいという人の方が手っ取り早くお金持ちになっているのが、世の常だ。

 

なぜなら、「カネが欲しい」という思いが、彼らは誰よりも強いからなのだという。

 

 金もうけについて「何もそこまでしなくても」という考えだと、パワーがガクッと落ちてしまう。岩をも通す強い「思い」が、成功に影響を与えるというのだ。

 

 稲盛氏は言う。

 

 「私は仕事をするとき、気が狂ったようになって、ある物事の一点に絞って考え込むわけです。
(中略)

 

寝ても覚めても、会社に行ってもそのことばかり考えているわけです。(中略)心の中にある、『どうしてもこのようにしたい』という願望のような思いが、最もパワーがあるのだと思います」

 

(ここまで)

 

これらの指摘に、敢えて私の方から追記でコメントするなら

 

深い思いやりに根差した純な本心良心( 霊性心 )というのは、不要残留本能に比して強くないということ。
ゆえに稲盛氏が指摘するように、心の清さと事業の成功等とは直接の関係はないかもしれないです。

 

 

しかし当の本人の心が深いとこで感じる幸福感と密接に繋がってるでしょう。

 

残念なことに創造進化の最終過程で出てきたものゆえに、
邪なものと結びつきやすい野獣的な不要残留本能心に比して強くないというのがあって
日の目を見ないから、という理由付けも出来ます。

 

それゆえ、世の中に歪みが生じるように感じるのは当たり前であり、
私たち一人一人が次元を高めてレベルアップしていかないと、
そういう不条理に感じる事が世の中に起きる温床構造は弱まっていかないのかもしれません。

 

一例をあげれば、、、

 

もし、私たち人間の誰しもが皆、奥深くに内潜している至純な本心良心が、とてつもなく強かったら、

 

マフィアのボスなんかは、法の網をかいくぐった違法事業で巨利を得て大成功してないでしょう。

 

 

事実として、高い人徳とか仁とか倫理に反することへの甘い誘惑を避けるなど
内面化への険しく厳しい努力とか関係なく、

 

むしろ、それと対極に当たるような、、所謂、悪に強いというような方が、うなるような資産を築いている場合もあります。

 

例を挙げれば、、、引用例が、極端で、よくないかもしれませんけど

 

ヤクザの幹部等は、廉潔な人格や倫理、道徳性、精神性に大きな問題がないとは決して言えないでしょう。

 

 

ですが、彼らは大層な資産を築いていますよね。
尤も、子孫まで考えた繁栄となると天網恢恢疎にして漏らさずという厳正で大きな天の公理<大きな因果法則>,補償作用が働くようですけど

 

因果法則の件は、また長くなるので控えますが、アル・カポネとかは、その最たるものです。

 

彼はシカゴで最も影響力のあるギャングとなり、密造酒の製造と配給のネットワークを築きました。
彼の組織は、当時のアメリカで数百万ドルという巨額の利益を上げるほどの大規模なビジネスを展開。
犯罪活動の収益を使って多くの政治家や警察官を賄賂などで買収。
彼は有力者を買収するのと並行しシカゴの犯罪組織を統括。
暴力や脅迫を用いて支配を拡大していました。

 

カポネは密造酒の製造と配給以外にも賭博業を含む数多くの違法事業に関与していました。
彼の犯罪組織は売春業も運営し
暗殺、脅迫、暴力行為なども彼の組織によって行われていたとされます。

 

 

カポネは、逮捕、収監されるまでシカゴの政治や経済にも大きな影響を与え、
高級ホテルのスイートルームにチャールズ・ローズという偽名で住んでいました。

 

カポネの要塞ホテル

 

カポネの犯罪組織は複雑に組織されており、彼自身が直接的な犯罪行為に関与しているという証拠を集めることが非常に困難でした。
しかも多くの政治家や警察官がお金で買収され弱みを握られてるから、一層、捜査が難しくなったとか。

 

これらの理由から法執行機関はカポネを直接的な犯罪行為で逮捕する代わりに、
税金関連の罪で彼を起訴する戦略をとったと聞いています。いろいろ調べると。

 

 

諸説ありますが収監されてすらカポネは所長と職員を買収し、レキシントン・ホテルに住んでいた頃と、あまり変わらない豪華な生活をして所長がカポネの機嫌をとっていたとも囁かれてるとか。

 

尤も収監生活が続く中で梅毒が悪化したカポネには往年の聡明さは見る影もなくなっていったとされます。

 

カポネは、形而上の善や徳を熱愛し
自己統御の厳しい内面の闘い、努力研鑽を経た方というより、
むしろ、それとは対極にあたるようなことに熱をかけ、強く求め、ある意味、そういう方面で努力した人物です。

 

非常に強い力だけはある不要残留本能を燃やして、のし上がった方と言えるかもしれない。

 

そのようにして築いた資産は巨大なもので、カポネの自宅はアメリカの様々な場所にあるとされます。

 

最近でも、その一つが約18億円で売りに出されたというので話題になるほどです。1

 

 

 

そういう現実に対し世の中は不条理で理不尽だ!!と憤る方がいます。

 

義憤を抱いたり慨嘆する心情は人として尊いかもしれません。

 

あらゆる、全てのものは常に変化し、他のものや状況との相互依存関係の中で成り立っており
互いに有機的に影響を与え合い、繋がり合いの関係にあるという視点で、この世間の現実の世の中を俯瞰的に観ても
歪んだ背景、構造を、そこに仮定しないと、これらのことを解釈するのが難しくなります。

 

 

 

近世でも、ある聖者が、「 世の中(世間)自体がおかしい。狂いが生じてる 」。と指摘しています。

 

私ですら素の本心良心に照らすと、ほんと世の中は歪な構造で、おかしいよねと感じることがありますから、
聖者なら、なおさら、それを強く感じるのでしょう。

 

ただ、これが世の中(世間)の実態。
私は世の中は苦の娑婆だとしか思えないと感じてたのから

 

心身統一法などの実践で等閑的に観る感覚が出ては来ましたけど、

 

自然界の秩序と絶妙な調和と比べると、人の世の世間における見えざる背後の構造上の歪み、
不要残留本能が強い力を持ち蔓延りやすい、いびつな構造は、冒頭に指摘したように昔も今も大して変わってないようです。

 

 

ですけど、何度も書いて、くどいけど、それを今さら指摘して喚いてもしょうがないとこがありますよね。

 

だって何千年も、そういう温床構造があるのは変わってないわけだから。

 

しゃ−ないと受け容れた上で、この現実に感じられる世界(世間)を逞しく生きる為に
折り合いつけながら自分が、どうするかが問題なわけで。

 

それを踏まえて

 

ここで、大悪党で富裕と言われているような方を俯瞰してみると、、、

 

彼らは人としての倫理道徳性、廉潔な人格には大きな瑕疵(問題)はあっても、
肝っ玉が、とても大きく、行動力抜群で勇敢。それに熱量が恐ろしいほどにあります。
( 東洋的な表現を使うなら胆力が強いと言い替えることが出来るかもしれません )

 

尤も、お金に心みたいのがあるとしたなら
アル・カポネみたいな、お金の集まり方、すなわち暗殺、脅迫、売春、暴力行為などでお金さんが大量に集められ使われ貯まっていき
人を不幸の連鎖に巻き込んでいるわけで、( お金に心みたいのがあったら )哀しいでしょうけど。

 

 

それに、、、
完全にIFの世界ですけど、、もし、あのアル・カポネの禁酒法時代(1920年代)に
弁栄上人みたいな清廉な方が、シカゴの街中に溢れかえっており、そういう背景(雰囲気)の世相だったら、どうでしょう。

 

恐らく、禁酒法などで特段の規制を敢えてしなくても、
お酒など、うまくあしらって控える(あるいは、ケ-スバイケ-スで適度にコントロ-ル出来)、
官能的誘惑から、すっといなして逸らせる清廉な人々でシカゴの街中が溢れているということになるから、

 

密造事業や売春事業などのカポネの事業は、あそこまで発展して
巨利を得てカポネが絶大な権力を握ることはなかったのではないでしょうか?

 

と言いますか蔓延る要素がなく閑古鳥だったでしょう。
完全にIFの世界ですけど。

 

そういうこと考えると、世の中のせいだと愚痴るより、結局私たち一人一人が、その次元を上げ
レベルアップしないといけないってことになってしまいます。

 

 

 

とは言え、カポネみたいな人は天風哲人の言葉を借りると
生命生存力から派生した「 胆力 」がずば抜けてあって、熱意を向ける方向性は間違ってるが、
腹のすわりや直感的判断力や断行力が凄まじい。半端ないでしょう。

 

とにかく強いというのがあります。

 

 

 

これをメンタルセットの面から言い換えるなら「 覚悟の人 」と言うことが出来ます。

 

 

 

言い換えればリスクを引き受ける冷静さや腹(肝)が据わって、怖いほどの静かな迫力と言うか、恐ろしいほどの強さがあるでしょう。

 

 

 

要するに基本ベ-スとして肚の強さがあって
善悪問わず熱量のある人のとこに、集まりやすい傾向があるんじゃないかと意見したいわけです。

 

 

腹が据わってるってことは困難な状況での沈着冷静な判断や困難を乗り越える際の
重要な要素でしょう。

 

 

 

例えば鉄鋼王と称されたアンドリュ−・カ−ネギ−氏やウォーレン・バフェット氏、
ビル・ゲイツ氏等も世の中の当時の常識を疑い、
他人から馬鹿にされようがインタ-ネット時代が来るという確信と先見の明があって、それに打ち込んだこと。

 

自身の得意分野をとことんまで探究し事業化したのは勿論、、
意志も強く勇敢で腹(肝)が据わった「 覚悟の人 」であり、
加えてアメリカという激烈な実力社会、競争社会(格差社会)で努力を重ねて勝ち抜いた人でしょう。

 

 

そういう面での強さと言いますか、
アル・カポネとは違った意味の強さで恐ろしい人物だと私は思っています。

 

これらの方も、それぞれの分野で非常に成功した人物で、
ビル・ゲイツ氏などは、潜在意識を活用して大成功したとされていますが、
その成功の背後には、時流を読んで、世相の流れを受けるなど様々な条件が重なり合ってるとはいえ

 

当の本人の冷静な判断力や断行力が抜群で
「 腹(胆)が据わっている 」という強さやリスクを引き受ける覚悟、熱意がなかったとは口が裂けても言えないでしょう。

 

 

 

ゆえに
潜在意識のリバウンドを防ぐ為にも幸福感や本心良心の出やすさと繋がってる心の奥底の浄化を図りながら
「 胆力の土台である腹も作って心身の生命エネルギ-を高めること 」が、
潜在意識のリバウンドを受けにくいバランスの取れた形でお金(財)の流れ込みもよくする上でも要諦ではないかとしたいわけです。
( あくまで仮説ですけど )

 

お金云々は別にしても、、胆力を練ると良いことは結構あります。

 

忍耐力が培われ、ちょっとした困難にも青菜に塩みたいになって
悪口・文句などを吐き散らし、運命を呪ったり恨んだりして周りにあたり散らし攻撃的になることは
少なくとも以前よりは減るでしょう。

 

 

すぐにキレる。衝動に振り回され愚痴塗れ、被害妄想、逆恨みするような性分だったとしても

 

下腹を作ることで後天的に鎮める実力が少しずつ培われていきます。

 

尤も、こういう傾向が頗る強い方は、そもそも、こういうサイトを読んだりはしないでしょうけど。

 

 

( ことビジネスという面で見ても )
下腹を練り胆力を培い作ることでビジネスなどでリスクを冷静に淡々と捉える実力が付き以前より強くなって、
必要な事で、嫌に感じる事、面倒に感じる事から、以前よりは逃げなくなるのではないかと。

 

その結果現象として当の本人のエネルギ-が高くなり間接的にお金の流れ込みも、
以前よりは、よくなるのではないでしょうか?

 

 

別の見方をすれば

 

人間なら例外なく備わっている動物的な本能衝動を少しずつでも鎮めて
事柄を冷静に見極める腹の力(胆力)が付けば、
冷静な判断で将来にとって、未来を変える、よい決断ができるようになるかもしれません。

 

 

 

とりあえず、( 金運だとか関係なく )後天的に腹を作ると良いことは多いかもです。

 

 

 

繊細で、気疲れしやすく、
いろんなことに敏感な方も、後天的に腹を練って、自らの神経系統を図太くし強くすることは、
かりそめとは言え現実の世の中を、少しでもマシにし強かに生きやすくするのに大事な技術かもしれません。

 

 

ここで、嫌な事、面倒な事から逃げよう、逃げようとする動物<野獣>的な本能衝動を治めるということに関連して

 

私は、なぜ自宅以外のトイレ掃除を率先してする方がツキに恵まれやすくお金の流れがよいのか?
その理由を考えたことがあります。

 

 

著名人で、自宅のトイレ以外のトイレ掃除を、人知れず感謝しながら行い、それを習いにしている方は、案外多いですよね。
日本人の著名人で、以下のような方が自宅のトイレ以外のトイレ掃除を習いにしている事が知られています。

 

トイレ掃除を実践し成功した著名人

 

 

このことを先の腹(胆)が据わっていることと結びつけるなら
自宅のトイレ以外のトイレ掃除を習いに出来るような方は、基本的に、腹が練られて強い方じゃないと難しいでしょう。

 

基本的に、見えざる心の働く基盤である見える脳( のうちの獣的本能心領域 )が嫌がり、
反射的に逃げ( 逃避 )に入りますよ。

 

ですが、そういう神経反射的な衝動を、じっくり鎮めて
「 まあまあお互い様 」という大らかな気持ちで、
率先してゴシゴシ磨いて綺麗に出来るのを習慣にしてるような方は、

 

そういう行為自体、寛大さと腹(胆)が据わって堪忍力が強くないと出来ないです。

 

堪忍する力がなく嫌な事や面倒な事から逃げてばかりいたらお金は貯まりにくいでしょう。
ツキも掴みにくいでしょう。

 

 

ツキってリスクや面倒ごとを乗りこえたワクワクの明るさの中にあったりするから。

 

そういうワクワクが幸福や好運を自分で呼び寄せることに繋がるのでしょう。

 

よって「 腹(胆)を練り作ること 」で堪忍力、嫌なことに対応する実力を培って
怒りなどのエネルギ-なども時に意志の力で善用し心身のエネルギ-を高めたら
一見辛そうな事、面倒な事から逃げずに、どんと腹を決めて立ち向かって
幸福や好運を自分で呼び寄せる実力をつけることに繋がるでしょう。

 

地味な活動ですけど。

 

 

 

かくいう私もクンバハカやクンバハカをベ-スにしたプラナヤマ呼吸や眉間呼吸で
下腹を練ることを習いにしていったら結構な忍耐力や対応する実力が付いたように思うし
自宅以外のトイレ掃除は、どこがどうという事もなく
散歩がてら、あるいは出張先などで、なんとなく習いになっています。
メルマガで以前も書いたように。

 

尤も20代の頃は、自身が、あまりに情けなく感じられて、やってた節があるので、今と当時では全然、動機や心境が違いますけど。

 

 

 

 

じゃあ、腹を後天的に練っている私が、すごい大金持ちかと言うと・・・
それは申し訳ない。そんな実績・実態はありません。

 

ネットでは、いくらでも虚偽は書けるだろうけど、自身が体験したことを丁寧に分析し書かないと実践する際の後学の為にならないでしょう。
例えば、このペ-ジでも、丁寧に報告したように、
ありがとうを100万回以上というのを実行したって、そんな不思議なことは続出してません。

 

すみませんね。ぶっちゃけたことを語ってしまって。(;^_^A

 

 

尤も私自身、プラナヤマ呼吸法、あるいは眉間呼吸と組合わせて腹を練ったり自宅以外のトイレ掃除を媒介して下腹を練るというのを習いにして、
何か、わけのわからない運の良さがあるのは、なんとなく感じますが、
客観的に見て、そんなお金持ちではないだろうと思ってるので、説得力はありません。

 

( それに、私の場合は、以前が以前でして心身統一法を知らず実践してない頃に
多少お金に苦労した初期状態が低いから、
ちょいとよくなっただけでも、もう途方もなく、よくなったように感じる面があるので、一般には、あまり参考にはならないかもしれませんけど )

 

 

( 少なくとも )腹(胆)を練り作ることで、刺激に対して反応的に動揺せしめられ
衝動的に消極的な受動反応をする状態から、

 

すっと一拍「 間 」をおいて、対応する実力は養成されて

 

お金に限らず、いろんな面の流れは、しずしずと改善され、どこがどうという事もなく危機に対する「 間 」もよく
状況を拓くきっかけになっているという実感はあります。

 

 

ということで、ご質問に対する結論をこれから述べますが、
その結論の前置きとして、以下に述べることが万人に対して再現性があるとは、言えないでしょう。

 

これは、先述したありがとうで治らない人と治る人がいるという記事でも書いたように、様々な背景や要素が複雑に絡まっており確率論的なとこもあるでしょう。

 

 

と言いますか、こんなこと書くと怒る人もいるかもしれませんが、

 

これまで述べてきたように、突き詰めていくと「 強さを培ってない弱い優しさ 」だと、性格が優れてよくても、
そもそも、感じる心を超えた魂由来の本心良心の力は進化の最終段階で出てきたというのもあって、
時間をかけて少しずつ強くするための入念な対策を立てないと強くなっていかないし

 

この世間(世の中)に歪んだ構造が見えざる背景にあるようなので、そういう温床ゆえに、
( バランスを取らないと )
物心ともに豊かであるべきなのに物質的満足から離れてしまう傾向が強いかもしれません。

 

 

では、そういう人はどうしたらよいかと言うと、、これは意志の力と腹の力が強くなってくると出来ることですが

 

後天的取り組みで下腹(胆)を練り鍛え胆を作ってエネルギ-を上げていくと、

 

大胆で強くなり、熱意を育てて、神経的図太さと申しますか、、

 

引き算的な純正生活しながら、そういう胆力を養うと流れがよくなる可能性があるということ。

 

 

では、具体的に何が効率がよくて無難かと言いますと、、、

 

冷静に対処するために腹を作る際は

 

( 社会生活の中で自然に腹を作るのに、私がやってきた中でよかったことは )

 

 

自宅以外の、例えば出張先などの駅トイレや公衆トイレなどを人知れず、こっそり磨くことや
活かす力を受け容れやすくし心的エネルギ-を高めて潜在意識の浄化を為すことも兼ねて日拝を習いにしていると、
大らかで清新な気持ちが出やすくなるし
なぜか、お金を含む、色んな流れがよくなり、危機に対して、するりと切り抜ける「 間 」がよくなったという体感はしています。
以下のペ-ジにも体験談を述べていますけど。

 

旭日による観念要素の更改(特殊な日拝行)の100日体験談

 

また、肉体的(本能感覚的満足)や理性満足の喜ばせ方とは別次元の、
情け深い思いやりに根差した、より高次の他者の喜ばせ方も意識すると申したらよいのか、

 

言語表現が難しいですが

 

他の方を喜ばすのにも、いろいろあるなかで、

 

知性(理性)満足や感情満足の喜ばせ方でもなく

 

進化向上を促す意志の力を心を超えた上位概念の霊性の探究や啓発、成長を促す方面にも用い
(意志の力を)霊性の啓発の方面で、得意な事や自分にしかできない強みを活かして
自身も生長、満足するという深い生きがいを感じる魂満足の生活を、ちらとでも意識する。

 

そういう生活法も、少し意識し霊性心、本能心と理性心、感情、感覚のバランスをとり
優先順位は明確にしながら探求、体現し愉しむ。

 

そうしていくと、なぜか謎にお金が必要な時に必要な分、後からくっついてきてに困らなくなるという体験が増える。

 

そういう生き方は、世の中に知られてない、未整備の生き方ですけど、、

 

この生き方はワクワクすると言いますか理想と私は考えています。未開ル-トですけど。

 

と言うのも、、、私たちの自我(エゴ)を、自己観察すると、あれが欲しい、これが食べたいなど
本能に根付いた感覚及び物質的満足は尽きることがないですよね。

 

名誉、名声欲も似たようなものでしょう。もっと、もっとを求めて止みません。

 

知的なものも同じでしょう。知識欲も常に、もっともっとを求める衝動が内蔵しています。

 

実際に人は自分がすでに持っているものより、「 足りない 」と感じているものに焦点を当てがちです。
しかし自我由来の足りないものにだけ注目していると、
得られるものがいくらあっても満たされることなく、渇望感(渇欲)に苦しむことになります。

 

厄介なことに、現代社会では、情報過多ともいえる状況なので、
絶えず刺激され高まる感覚や感情の欲望(渇望)や´満足の得難さ´という問題も増幅させて生じさせてしまうでしょう。

 

よって、そういう状態に陥るのを防ぐ為にも
霊性満足の公を含んだ大きな欲にも、そっと配慮し、引き算的な生活にも目を向けるということ。

 

この記事にも書きましたけど。

 

そうすることが霊性および心身を大事にしてあげることになり、これが延(ひ)いては内面的な満足や
長期的な幸福感、バランスの取れた豊かさ、念願叶った後のケアにつながるのではないかと。

 

 

ほんでもって、更に追加で、渇欲対策として、ここで霊性満足というのに、フォ-カスして、さらに追加で述べてみたいのですが

 

自我は、それしちゃ得にならない!損だ!とか言う形で、もっともっと(more & more )を追求するわけですけど

 

それに対して、奥底の記憶材料のマイナス因子の浄化をしてると霊性満足の欲が出やすくなってきます。

 

そうして、これを探求し、満たすことに真剣になると、
生きがいを深い所から感じさせられ情け深い思いやりが以前より出やすくなっていきます。

 

理性心や本能心とは出どこが違う本心良心(霊性心)は

 

大きな進化向上に順応した公的なものも内包してはいますが、
残念なことに、あまり強くない欲という性質もあることが観察できます。

 

しかし長期的視野で見た時に、澄んだ思いやりが出やすくなるだけでも、めっけものでして

 

こういう欲が出やすくなると良いことがいっぱいあります。

 

霊性満足の欲というのは

 

(自身の言葉も重ねて書くなら)
それを自身がわがまま放題の自我(エゴ)の欲を、まあまあとなだめ鎮めて実行するのは大変だが、
それを、もし他人からしてもらったら、とても長く幸福感を感じるようなこと。

 

そういう清々しい欲と捉えることも出来るかもしれません。

 

ただ霊性満足の欲は、澄んだ欲ですけど、
これだってもっともっとを促します

 

これを聞くと、「何だ、、ガッカリ、他の欲と同じじゃないか。期待して損した 」。と失望するかもしれません。(;^_^A

 

ですけど、この欲の場合は理性心や本能心と毛色が違っていて
満たして、しずしずとした喜びを感じても渇欲は感じないというのが大きな特徴なんですよ。
面白いでしょう。

 

それに、これは、精神衛生、精神の健康にとっても、すごい良いことでしょう。

 

 

ところで、天風哲人は、自我に働く本能心や理性心について

 

心に働く本能心を、力だけはやたら強い始末に負えないわがままな子供みたいなもの。

 

同じく理性心は何の力もなく、ただ小理屈をこねてベラベラ、さみだれ小言のようなことばかり言い続ける
所謂、放埓な子供に手を焼いてる「 力のない家庭教師のようなもの 」と説明しています。

 

理性心に本能心を統御する力はないということも長年の研究と自身の体験、
他の方々の振る舞いの観察研究等にも照らして喝破していますね。

 

実際そうでしょう。

 

もし理性心に本能心を統御する力があったら、ある専門分野で理知を培養し
知的能力や専門知識が卓越した大学教授が、誘惑に負け
心を取り締まれずセクハラやわいせつ行為で懲戒処分になったりしないでしょう。

 

尤も教授が学生や研究員に対して狭いコミュニティの中で相対的に強い権力を持っており、
このような権力構造が背後にあって自己本位の不適切な行動が発生しやすいから、
謙りと一層の自己統御が必要な( 魂視点で観たら難しい環境 )というのはあるでしょうけど。

 

先の例は、やや極端でしたが、私たちの心の王国の中で、私たちは本心良心を満たそうとする欲動、衝動や理性満足を求める欲動、衝動
感情満足を求める欲動、衝動、本能満足を求める欲動、衝動などが、揺らいで、せめぎ合ってるようなものと見ることも出来ます。

 

 

肉体を守るため、あるいは快楽を得ようと、あれやこれや我儘に物事を考える性質(癖)が
肉体にくっついた本能心には備わっているのですが

 

その心の王国で、肉体の防衛本能や快楽衝動に深く根付いた暴れ馬みたいなエゴは

 

肉体にくっついた本能心とは別の働き。

 

すなわち心を超えた魂にくっついた本心良心の囁き。

 

最適化され公的なことにもつながる進化向上志向に本能心は反対しがちです。

 

なぜなら全体調和など、そっちのけで本能心は最優先で肉体を只管に守ろうとするから。

 

肉体本位に本心良心の声を無視して、
肉体イコ−ル自分だと思い込ませて生きさせることを主人(氣としての吾)に要求しがちなんです。

 

本当は、格下なのに。力だけは、やたら強いから始末に負えない。

 

でもって、目に見える肉体さえ満足できればよいという本能心の欲を満たす事ばかりに生き方が偏向すると
「 肉体が全てで自分だ 」という思い込みがどんどん強くなってしまう。
これで調子がよい時は、よいのですが、やがて行き詰まることになります。

 

 

大事な事なのでもう一度書きますね。

 

感覚や衝動に打ち任せて制御せず自己本位の満たせば満たすほど渇きを感じる目標に躍起になると
古皮質由の本能心の欲求衝動が肥大化し
肉体が自分だという思い込みがどんどんどんどこ強くなるんです。ほんと困ったことに。

 

 

加えて、もっともっとと我儘に感覚的快楽や感情満足を得ようと駄々っ子のような我儘な衝動を生じさせます。

 

では学問をやったらよいと考える方もいるかもしれませんが、そうは問屋が卸さない。

 

勿論学ぶことは、とても大事で、霊性満足の公を含んだ欲に繋げられたらよいのですが、
霊性を忘れて自己本位に只管理知を増やしても、
世の中わからないことの方が多いから、いよいよ袋小路になったりします。
  ↑ ↑
( これは私の体験からも実感がこもってしまうわけですけど )

 

(霊性を忘れて肉体を蔑視し)理知を増やし、それを満たす事ばかりに躍起になると
今度は「 精神(心)が自分だ 」という思い込みがどんどん強くなります。

 

そして肉体本能は、とても強い力があるから理想と現実が乖離した心細--い精神主義になって支離滅裂化することになります。
( 言い知れない煩悶に苦しみ、私みたいに頬骨がこけて骸骨みたいになりたかったら只管精神主義一辺倒で探究してもいいかもしれない。お薦めしませんけど )

 

なかでも肉体感覚にくっついた本能心は実に厄介で、自己統御をするのは相当に難しい。
欲を満たそうと、それをけしかけ煽りがちです。
( 本能心の欲は、満たしても長続きしない渇きを感じる欲と定義することも出来ます )

 

ですが、そういう衝動を宥めて、雑念妄念を増やさない生活、引き算で減らしていく生活を意識するということ。

 

 

そして不要残留本能を鎮めやすくし理性心とのバランスをとりつつ、それらを超えた魂由来の純な本心良心に心の耳を澄ますように心がけ、
雑念妄念を増やさなない引き算の生活をすることで、霊性心を出来るだけ出やすくする。

 

具体的には雑念妄念が増える生活を避けて些細な事でも霊性心が喜ぶ情け深い親切な行為を心がけ実行。
そして、どんな些細なこと、ちょっとしたことでも出来たことを喜び感謝するようにすると
嬉しく、有難く、よいことに少し局面が変わってきます。

 

ただし肉体本能の、こういう性質は、原始本能の旧皮質に根差していて、まともに闘っても克てるはずがないので

 

ファ−ストステップは
雑念妄念を減らす引き算の生活をしながら
本能心や理性心の働きと本心良心( 霊性心 )の幽玄微妙な働きと( それぞれの出所の違い )を識別するということ。
さらに、その微妙な働きをよく見極め、見守るということ。

 

これが出来るかが最初の鍵になるかもしれません。

 

霊性心が発動しやすいのは
(大きなヒントとしては)
澄んだ時に出やすいです。
これは、ご自身で掴むしかないでしょう。

 

 

そうして、そういう見守りに少しずつ慣れていったら、
次は意志の力を善用し
こん畜生!の怒りのエネルギ-(闘志力)を自らの向上のエネルギ-に転嫁させたり
( 暴れ馬の調教統御テクニックは、いろいろあるので、そういうことをしたり )

 

あるいは、不要残留本能の煩悩(消極性)の温床である暴れ馬の栄養源を枯らしながら
心の王国で健康や長期的成功を俯瞰し最適化された霊性満足の欲求を
出来るだけ聞き入れ、実行し燃やして採択(投票)を心がけ、出来たら感謝をする。

 

肉体本能は、刹那的で肉体を守ることだけに躍起になり甘やかそうとします。
例えば、甘いものがあったらすぐに衝動的に食べたくなる方もいるでしょう。
夜中のドカ食いとか。

 

そういうのを眉間の少し上の奥の仮想空間から出る意志の力を

 

さらに、その箇所で結集させ
同時に下腹の力も連動させて

 

まあまあと優しくなだめて、やわらかく方向付けすることも、時々やってあげる。

 

 

( ちなみに眉間の少し上を涼しくして体も巻き込んで鏡に映った自らの眉間に積極的な暗示印象を染み入れる
命令暗示をやっていると、以前よりは意志力も自然に渙発してきます )

 

また

 

出所の違う本心良心が喜びそうな調和的な生活に貢献することに心の耳を、そっと澄まして、
怒り(闘志)のエネルギ-を善用し些細な事でよいので実行(投票)することを心がける。

 

 

 

どんな些細な事でもよいので、そういう高級な欲を満たすことを実行し、
出来たことに感謝するという投票行動( 投票 )は、心がけさえすれば心の王国内で、獲得票が増えますよね。
そうなると当然のこと、投票された側の力が勢力を増していきます。

 

 

そうして

 

そういう地味で些細なことを続けてると、驚くことに肉体が自分だとは到底思えないし、
心(精神)が自分だとも、とても思えないという「 観 」が強くなってしまうという
エゴにとっては、力が失われて、しかも怒りのエネルギ-まで善用されて
はた迷惑で、困ったことになります。

 

そして(本心良心<霊性心>にとっては嬉しい)誤算が生じちゃうわけです。

 

ここで大事なのは、本能心、理性心、霊性心という心の働きがあって
私の中で働いているというのに気付く、先ずは、それを静かに見守ってやることが大事という事です。

 

ちなみに本心良心は心の曇りが澄んだ時に出やすいですよ。何度も書きますけど、、、
安定打坐なんかをやってると出やすくなる気もします。

 

で、それを踏まえて、さらに、続けて、公を内包した燃えにくい霊性心の志向する高等な欲を
少しでも燃やし満たすよう努めるという事。

 

 

 

そうして実行することに加速をつける。

 

小さなことでよいので浸る機会、頻度を増やすことを心がけるということ。

 

 

そういう投票行動を強めていくと、不要残留本能由来の、
自己本位的なもっと、もっと、という肉体感覚由来の欠乏感や我儘な渇欲が適度にコントロ−ルされて静まりやすくなっていきます。

 

そうなると嬉しいことに不幸な人に特徴的な足りないものに注目し渇望や不足感を感じやすい傾向の思考パターンから
無難に少しずつ抜け出せて、一般に負のエネルギ-で忌み嫌われる
怒りのエネルギ-ですら向上発展へのエネルギ-に転嫁、善用でき、
思いやりも耕されるというメリットがあります。

 

 

凄い事だと思いませんか。

 

 

要するにファ−ストステップは

 

無意識的、衝動的にそうなっていたのから雑念妄念を増やさない引き算的純正生活を心がけ
´ 気づいてあげ観察するだけ ´

 

それでも、干渉作用が働いて、欠乏感や我儘な渇欲の傾向は、少しずつ削がれていくという寸法です。

 

 

「 あっ、今私は本能心が結構働いてるな、、」。と第三者的に俯瞰し
肩の力を抜いて胸を張って臍下を充実させ眉間を涼しくして
気づいてあげるだけでも相当に違ってきます。

 

自らの心の働きを赤の他人のように観る´ 客観視 ´に慣れてくると、
「 霊性心と本能心、理性心とでは出どこが違うよね!驚いた」
と言うような具合にビックリする方も出てくるかもしれません。

 

霊性心が、どこから、どういう時に出やすいか、

 

これが出来ることが、先ずは前提で重要でしょう。

 

こういうのも指摘されなきゃ暗中模索で呻吟し
下手すると何十年もぼ-っと生きていくことになるので、
やはり学びは大事だと思います。

 

そういう地味な体を調整した俯瞰的な内省検討をして

 

統御にうまくなっていくと
内面的な充実とバランスの取れた生活に向けた道が開かれる可能性があるのではないかと。

 

 

 

そして、それを為すのに、やはり心身統一法の実践は大きな力になるのではないかと。

 

なぜなら心身統一行法を丁寧に実践し奥底の汚れが少なくなっていったら、
創造発展を促す大自然の活かす力を受けやすくなるし
後天的な取り組みとの合力で蛇蝎のごとき心の扱い方が少しずつ上手くなって、総合的な人間力が増します。
邪な方向に向かいやすい我儘放題の不要残留本能も鎮めやすくなります。

 

そうなると、潜在意識のリバウンドは免れる可能性が増すし

 

別の意味で、以前の自分とは見違えるように、強く変わってくるのではないかと。

 

実践しなきゃ絵に描いた餅ですけど、節目をつけて熱を込めてやったら奏効がないわけがないでしょう。

 

倦まず弛まず実践していったら結果的に稲盛氏が指摘する´ある物事の一点に絞って考え込む心の力´そのものも底上げされる。
よって仕事や事業なども実践以前より成功しやすくなるのでしょう。
多くの実践者が報告してるように。

 

 

 

 

 

あと思うに、これもよく質問が来るのですが

 

( 金運がどうとか関係なく )気疲れしやすく、いろんなことに敏感な方、
こういう方は過剰防衛( 防衛本能が強すぎる )という傾向があると見ることも出来ます。

 

そういう過剰防衛の傾向も

 

下腹を練って、過剰に働く防衛本能を鎮めて

 

自らを後天的に強くし図太くしエネルギ-を高めることは、この現実の世の中を等閑的に見て強かに生きやすくするのに大事な技術かもしれません。

 

 

尤も、この件の実践については、例えば、、、

 

「 腹が立ったり、悩みごとが消えなかったりするときは、肩の力を抜いて、骨盤を立て、すぐ肛門を閉めて感じる心を下腹に落として気を鎮め調整なさいよ 」
   ↑ ↑ ↑
こういう事を天風哲人は、宣ってるわけです。少し自分の言葉を足していますけど。

 

こういうことを述べているので、薄っぺらく感じ、中には、下品だと思う方もいるようです。実際。

 

高尚なものを読み慣れた方は、
天風哲人の方法に価値を見出せず、「 なんか低レベルで薄っぺらいな 」。とファ-ストインプレッションでは思うようなのです。(;^_^A

 

だけど精神科学や神経生理と思考の視点から低レベルでもないし、薄っぺらでもないんですが、、

 

なぜなら、そもそも簡潔な項目に結晶化させないと現実の生活の実践レベル、、
さらには潜在意識の条件反射レベルで役立たないんですよ。

 

 

 

 

その大事なスキルのクンバハカ密法( 神経反射の調節 )について、とっておきのコツも書いてみますね。

 

これは、ただ肛門を心地よく締めて、肩(肩甲骨)の力を抜いて、気持ちを、しっとりとさせて臍下に置くのではないということ。

 

言語表現には限界があるわけです。

 

もちろん心の揺れ( とりわけ怖れ、怒り、悲しみ )を伴う事に対し、肛門締めで対応しないより締めたほうが断然よいでしょう。

 

これだけでも心を守ってストレス耐性が違ってくるはずです。

 

ただし、以下のことも混ぜれば、もっとレベルが上がって脱皮し、日々に違う感覚が生まれ、違う展開があるかもしれません。

 

 

 

いろんなことに気疲れしやすい方は、どういうことを心がけ、混ぜるかと言いますと

 

その実銭の際に、

 

ただ上っ面で肩の力抜きと肛門締めをするのではなく

 

時々は丹田を温めるという事。

 

臍下丹田に向けて垂直にグンと締め吸い締め上げ、肩甲骨の力を抜いて胸を張り
仮想内部空間を温めて充実させるパワフルな意念を持つということ。

 

咄嗟のクンバハカ( 神経反射の調節 )の威力も少しずつ少しずつ薄皮をはぐように違っていき、クンバハカ自体もレベルアップして
レベルアップしたことで、あなたの生活に違うスト−リ−を紡ぎだしていくかもしれません。

 

なお、なぜか?ということについては、言及は避けます。長くなりますので。

 

肩の力を、すっと抜くことを連動させ気持ちを、臍下三寸の仮想内部空間に置くのは変わりません。

 

 

そこに肛門を締めるというのを連動させるわけですが、

 

 

 

たまには、仙骨を意念でぐっと押して骨盤を立てて

 

肩の力を抜きつつ、胸をそっと張り鳩尾の下の仙骨付近の仮想内部空間にムンと強い圧をかけ
ぎゅうっと丹田方向に向けて、垂直に引き締めて温かい気を吸い上げる強い意図を持つということ。

 

加えて、それを呼吸と連続させ意識しトレ-ニングを意識的に行うということ。

 

そういう神経生活機能を図太くし気を消耗しにくくする訓練を丁寧にしていると習慣的傾向力がついて、自然体( 自然クンバハカ )の際に無駄な力が抜けやすくなっていきます。

 

そうすると生命感に溢れたエネルギ-の高い心身統一状態に誘導されやすくなります。

 

後天的に腹(胆)を練ることも出来て、姿勢もよくなり腹をポカポカ温め、無駄な力も抜けやすく
心身統一状態も作りやすくなる。
一石四鳥かもしれません。

 

クンバハカ密法と呼吸制御で気を練ってイメ-ジ操作で
体の周りにイメ-ジ操作でシェルタ-( 光の防護殻 )みたいのを作ってやると
プラシ−ボも合わさって疲れにくくなるかもしれません。

 

光のイメ-ジが苦手な場合は、外界の印象を利用することです。
出来ないと、うんうん唸ったりしないで(;^_^A

 

 

早暁の朝日の背後を拝する日拝のとき等に

 

肉体の周りに外界の否定的な暗示印象をコ-トし和らげ、あなたを守る
光のシェルタ-を「 外界の早暁の光 」の背後に感謝し
内界に心地よく優しく、かつ力強いイメ-ジとして作るという事。

 

 

その際にアファ-メ-ションと意思と想念と自らの氣を用いて作って強化してもよいかもしれません。

 

私は日拝等の方法を公開しているようにテクニックなどを要求するものより、
素朴でシンプルなものを好みますので
ここまでのイメ−ジを作るように固定させることは、本来は好みません。
(もちろん、色んなテクニックを全く知ってないわけではないですけど)

 

 

※敢えて解説するなら丹田の温かい気を中心に内観しながら、和らげる防護膜を体の内から外に拡げていき、
それを「 外界の早暁の光 」の背後に感謝し、その現実の光を借りて
さらに頭を下げた眉間から染み入れ丹田( 仙骨周り )の温かい気を体の外に拡げて優しくコ−ティングし強めるイメ−ジ。

 

プラシ−ボでもなんでも、心地よく安心できれば、なんでも利用すればよいってことです。

 

 

以下は簡単なイメ-ジ。これより小さくても構いません。
光のシェルタ-

 

 

※なお、これは、ベ-スは大事にした私の独自の工夫も加えたものです。

 

 ( お金の流れがどうとか関係なく )敏感で、いろんなことに気疲れし、
冷えやすくって、すぐに体が、だるくなりやすい方も、
人知れず行う図太くなるクンバハカの訓練を含む後天的訓練で、
生まれつき体が弱く、びくびく過敏質でも後天的に、よい面を伸ばして
図太さや強かさを得ることが出来るかもしれません。

 

そうして淡々と地味な鍛錬をしていると、ある日を境にレベルアップ( 脱皮し )
日々を新しいスト−リ−で生きることになっていくかもしれません。

 

 

(ここまで)