特殊な日拝技法( 旭日光による観念要素の更改法 )

 ※あなたを元氣にする朝日の浴び方いろいろ 旭日の光による観念更改法( 潜在意識領の浄化法 )について

 

このサイト・ページでは、皆様から寄せられたご質問のうちで、多かったものを中心に掲載していきます。

あくまでも、探究を背景にパッと閃いた直感を実体験で検証した主観的な経験に基づいたお答えですから、
 全ての方によいとかいうのでもないでしょう。 

  


 ですが・・相当に入念に安全性を含めて慎重に検証していることは確かです。


FAQ 


 心を積極化するために、他でもない、あなたが心の奥底のお掃除として実践していることを教えてください。


ANS



 このご質問にお答えする前に・・


 まず大事なことを述べておきます。 

 人それぞれ経てきた経験・・受けてきた教育、境遇やら千差万別ですし
    各人各様の独特の背景、、バックボーンを背負っています。


 立場もそれぞれ違います。




これまで生きてきたなかで教え込まれた学習や受け入れた知識、
 体験したなかで培われてきた経験に対する解釈( 反応 )

 


難しく言うなら STEP1でも詳しく説明しましたように
人それぞれ、ご先祖様も違うし、さまざまな背景があります。
表面の心の本人も気づいて自覚できる層より奥の
本人も自覚されず気づけない思考素材が・・
人それぞれ
違っています。

 

様々な事柄を、本人が主観の世界で、どのように意味づけし解釈しているか?
はたまた、それぞれのご家庭で、どのような躾をされ、どういう言葉を日々用い生活してきたか?
というのも、それぞれ違います。


異なる二人の人間が全く同じ場所に旅行し時間を共にし


同一の共通行動を取って体験を共有したとしても共感できる部分もあれば

意味づけの違い、着眼点や得られる主観的知覚体験が異なる、、というのは

当たり前のことですよね。

 

 

人それぞれ、様々な出会いと学びの中で、
人は意味づけをした主観の世界と外界の客観世界を往来しながら生きているとも言えます。

 

( 人によって感じ方が異なるのは、なぜなのか??この理由を明確に出来て意味づけを積極にする実際ノウハウまで提示出来る方は・・
恐らく世界レベルの心理学の専門家でも、とても難しいとは思いますが )

 

 

 

 


一例を挙げれば何の恐れや心配もなく感謝と希望に満ち溢れ、心が生き生きし理想に燃え生活がとても充実しているAさんと

懊悩煩悶、不平不満、悔恨と苦悩と失意、嫌悪と憎悪、挫折が心内で渦巻いて、しょ気ているBさんとが
全く同じ行程の旅行をして

 

 

仮に全く同じ方向を向いて同じ風景、例えば同じ方向の同一の雪景色を見たとしても


Aさんにとっては、とても楽しく掛け値なしに美しい・・ハッとさせられる白銀の世界として
 ヴィヴィッドに知覚されるのに対し

 

Bさんには、(同じ白銀の世界が)退屈で詰まらない、、それどころか、癇癪の種、憂鬱なもの・・
灰色の索漠とした風景として知覚され、そのように感じることを余儀なくされることがあるのも・・


 

 

心身のコンディション( エネルギ-状態 )により感じさせられ方( 感応性能の調子、強弱 )に
違いがあるから という説明もできます。

 

ちなみに先に挙げた、状態のよいAさんだってBさんのような状態に落ち込むことだってあるでしょう。

 

Bさんだって、今後の取り組みで心を取り締まって高めていったら感じ方だって変わる可能性があります。

 

Bさんのような低い状態になっていたとしても、後天的な取り組みで、
意識に上る以前の領域をクリ-ニングすることで
感じ方を司るアンテナに当たるとこが、その本来の瑞々しい調子を戻してエネルギ-状態がよくなったら

 

見え方や感じられ方も、より生き生きと生命感にあふれた素晴らしいものに変わっていき、
平凡の中の非凡と申したらよいのか・・
日々のありふれた生活の中で内面においては日々に感謝や感動が増えるということだってあるでしょう。

 

 

 



いずれにしろ ライフスタイルやら
 何を最も大事にして優先するか?
  何に強く鋭い喜びを感じているかも・・十人十色です。



当然、観方や考え方・・内面の感じ方もいろいろです。


 これから説明することも



 読む人によっては阿保じゃないのか?とか思う方もいらっしゃるでしょうし


これを書いている私ですらも書きながら



この方法は、あまりに簡単なので子供だましみたいなものと思われても仕方ないな・・
 と感じることもありますので・・



 ( 当然 )そう思われても仕方のない記述があることもキッパリ認めます。



ですので・・これから解説する方法も決して鵜呑みにせず


 拒絶するものは拒絶し・・



結構いいんじゃないの・・と共鳴、共感できるものが微かにでもあったとしたら

そろりと実践されて本当にエネルギ-状態を良くするものか、自らの体験で確認されたらよいかもしれません。  

 


この方法もシンプルでして、


人によっては真正にうまくいけば
心の深いとこの健康や運命を暗転させる消極的要素を押し出し、浄化されて

 

エネルギ-状態をすこぶる良くし心の態度を積極に高めることが

 

以前よりは、容易になる´ きっかけ ´になるはずです。

 

節目をつけて、じっくり継続していかれたら´何となく気分も晴れ晴れし
日々の生活が廉潔化し、流れがよくなり上手くいくようになる´

 

佳き流れに変える確実な方法の一つという直感のあるものですから。

 

 

 

 

それに嬉しいことに高度な設備や技術は要しません。


基本コンセプトも、ごくごく一部の天才しか出来ないとかいう方法ではないし
 途方もない難行苦行を要するものでないことも断言できます。

 

 

ごく一般の方でもできるHow to Doのシンプルな方法です。

 

How to Doに拘るのは私自身How to Sayに、 ことごとく凹み
挫折してきた体験もあり、私も天風先生のHow to Doの実践体系に
胸のすくような嬉しさを感じた人間の一人なので
私自身もHow to Doに、恐ろしいほどの強い執着心がありますので。

 

 

 

また個人差はあるかもしれませんが再現性があり、たとえ不定期であっても
実践の積算によって( 理論上も、短期作用ですらも )エネルギ-状態をよりよく改善し
内蔵された天賦の積極性が出易くなります。

 

なんとはなしに明るいものが兆すようになることは言えると思っています。


ただし、その一方で、真正にうまくいかせるのは・・・
いろんな条件がピッタリ重ならないと、相当に難しいです。

 

 

このメソッドを閃き、このような形で公開した私自身ですらも、

 

「今回は本当に上手くいったな・・」という実感を得れるのは、
節目をつけて丁寧にやり続けても年に3,4回くらいしかありませんでしたから



という前置きをしたところで、今回の方法の背景を含めた解説をいたします。



 私たち人間は、ある意味( 観方、着眼の仕方によっては )

五官で感じ暗示せしめられる事物、現象に接し

充満した世界に生きていると観ることもできます。

 

これは、STEP1でも述べたとおりです。

 


私たちの五官感覚が外界の現象界に対して開かれていることは、
あえて申すまでもないことですが

 

 

 日々の生活空間( 時空間 )のなかで 私たちは、慌ただしく、
 あれこれと生命活動をしているなかで

 

人工的な映像、音声等でないもののうち

 

森羅万象の生命体にとって化育せしめる新生力が最も強いのは

 

 お日さまの光(のうち 早暁の朝日のあの初々しい光)と私が言っても

 

  これに疑念を抱く方は少ないでしょう。 特にお日さまの恩恵を大きく受けている日本人なら、なおさらでしょう。

 

外界を取り巻く印象のうちこれ以上・・というのは見回してみても

 

 これほど新鮮で神々しい印象を与え感じる心を爽やかにさせる、、、法則性を伴った自然現象は稀有ではないでしょうか?

 

 



   

更に付け加えるなら私を含めて人は・・ときに裏切ったりしますが、

 

お日様を動かす見えざる法則・・そしてお日さまの背後の無形の叡智は裏切ったりしませんよね。

 

 

地球が太陽の周りを周回しているのですが・・

 

 見えざる先天の一氣が滲み出た目に見える象徴ともいうべき、お日様は、自然の普遍法則で
必ず東から昇って天空を輝かせながら西に沈みます。

 

 

 人間みたいに、ときどき癇癪を起こして・・機嫌を損ね、
 もう嫌だ!と言って出なかったりすることは絶対にありません。(-_-;)

 

 

もちろん雨や嵐の日・・台風等はあり・・
日食などもあります。

 

見えなくなるときはありますが・・

 

46億年前から普遍の周期的リズムを刻んでいます。

 

 

物理的な視点から観ても、お日さまというのは、太陽系に属していて、

 

太陽系を構成する中心存在であり

 

 たった1秒間に地球に注がれている太陽の熱エネルギーは
日本全国で使われる電気の消費電力の
大よそ60年分に相当すると言われています。

 

そのような莫大なエネルギーを、はるか悠久の昔、
人類が誕生する以前から無償で供給し続けているわけでして、

 

もし、あのお日様からエネルギー使用の料金を請求されたら、
人類は一瞬で破産してしまうことでしょう。

 

って言いますかお日さまからの活かすエネルギ-と、その循環が無かったら
地球生態系は、絶妙のバランスを維持できてないでしょう。

 

法則性や物理面だけでなく

 

より内的なスピリチュアル的な観点から観ても
お日さまは、円満な球形で、どこか懐かしい情感・・親しみ、温かみを湧かせます。

 

精神的にも「最も身近な何か」ですよね。

 

 

 

日本人にとって、あの日の丸・・国旗に象徴されるように
実に馴染み深い存在と言えるでしょう。

 

( この件について、例えば砂漠のような雨が降らない木陰もないエリアでは、
日中のお日さまは命にとって危険なものになります。

 

それに対して日本という国( エリア )は、地学的にも、
お日さまに深く愛され、その恩恵を十二分過ぎる程に受けている稀有な国と言えるのではないかと。

 

よって、その恩恵に感謝を表したものとして、あの素晴らしい国旗としても表れているという見方も出来ます )

 


 更に述べるなら

 

 

太陽を元にした健康法やら気功法も世界的に見たら

何十、何百もいろんな方法が案出されています。

宗教儀式として行う団体もあると聞いています。

 

 

 高野山の修行僧とかも日の出を拝み拍手を打って
 大自然との融和感を造ってから一日の修行に入るのだとか。

 

 

 

もっと言うなら‥俗っぽいですけど、日拝は開運効果もあるとされていて

 

金運( 財運 )も高めると言われています。

 

 

しかし、ここまで読んだあなたでしたら

 

 

「 ふーーん・・なあんだ・・大げさな名前をつけてるけど
結局のとこ日拝しなさい・・ってことなんでしょ。
だけど、そんなことが健康や運命に役立つとは思えません!」


 

と疑念を抱き、内心で呟く方も、一部にいらっしゃることでしょう。

 

 

 

ですが一般的なやり方の日拝を続けるだけでも開運作用があることは信じられなくて

 

 

( 日拝までいかないって方でも )

 

 

ただ朝日の清々しい光を浴び体に染み込ませるだけでも、
これが大層な健康法の一つになるとも言われてることは
知っておいても損ではないでしょう。

 

生活リズムを整えるのに朝日を浴びることは健康にもよいことが
現代の医学においても立証されていますから。

 

 

特に朝日( 特に夜明け〜日の出直後 )の明るさ( 光 )を浴びると
1万ルクス程度のやわらかい光は

 

とりわけ脳神経系を刺激し間脳及び松果体を刺激し振動させ



 生体リズムの調節や快適な眠りを促す作用がある
  メラトニンというホルモンを誘発分泌し

 乳酸その他のいわゆる疲労物質の代謝、分解力を高めることも知られています。



( 朝日を浴びること )は、心の下位作業機関である脳内に
  薬用葡萄酒の如き上質な興奮素の

セロトニンの分泌も促します。


  セロトニンは、脳の奥深くに位置し、より原始的、本能的な直感の中枢とされ
   ドーパミン受容体が集中している線条体の活動を調節する・・という仮説もあり、
  喜びをもたらす神経伝達物質のドーパミンやノルアドレナリン等の分泌量を
  適切に調節する働きもあるとされます。



こういった内分泌ホルモンは心に波及し
 物事に集中せしめる力を高め、イライラや気鬱を払拭し


心のエネルギ-を高めて氣分をスッキリ安定させる働きや


目覚めや睡眠に関係するメラトニンの分泌にも影響するという研究もあります。

 

 

 

 

 

なお、医学に思いっきり不信感があるような方に敢えてダメ押しするなら

 

 

日光浴( 朝日や夕日などのやわらかい光を浴びること )が

 

健康にもよいというのは、ヨーガの世界的権威で

 

欧米社会にヨーガを伝えた源流の方のおひとり

 

聖者中の聖者・・キング オブ 聖者とも言われている
ヨガナンダ聖者の文献の一つ
「人間の永遠の探求 」(パラマハンサ・ヨガナンダ講和集)」からも
朝日を浴びる事の効用を拾うことも出来ます。



 ( ここから )

 

<病気に対する自然の抵抗力を強める>


 薬は、使用しても効かなかったり、逆に強すぎて、病気を治すかわりにからだの組織を傷めてしまうことがあります。

同様に、治療中の放射線の中にも、からだの組織を焼いてしまうものがあります。

 このように、物質的治療には多くの限界があります。


  薬よりも優れているのが太陽光線です。

 太陽光線にはすばらしい治療力があります。

 私は、毎日十分間の日光浴を勧めます。(4)

 たまに長時間の日光浴をするよりも、たとえ十分でも、他の健康法とともに毎日行なう習慣をつけると、
  からだはいつも充分な生命エネルギーに満たされて、どんなばい菌も破壊してしまいます。


健康な人は、病気に対する自然の抵抗力をもっています。


特に、感染症に対してはそうです。

病気は、悪い食べ物や食べ過ぎによって血液の抵抗力が衰えたり、
過度のセックスによって活力が枯渇したとき、かかりやすくなります。


からだは、活力を蓄えておくことによってすべての細胞に
 生命エネルギーを補給することができ、
 それによって、病気に対する充分な抵抗力も維持できるのです。



※出版部注


(4)日光浴は、日の出または日没に近い時間帯を選ぶことが賢明である。

  敏感な皮膚を太陽光線にさらし過ぎないよう、いつも注意しなければならない。

  日光浴に疑問や不安があるときは、主治医または皮膚科の専門医に相談して指示を受けるべきである。



( 「 人間の永遠の探求 」( パラマハンサ・ヨガナンダ講和集p84から引用)


 

 

 

 

 このようにインドの聖者も薬よりも、やわらかい朝の日の光を浴びることを
 薬を飲む以上に薦めているのは事実です。

 

 

 

お日さまに対する親和性の高い日本人にとっても

 

この方法は、日本人に合っていると私は思っています。

 

 

 

しかし、ここまで駄目押しで書いてすらも

 

 

 

 

 

 

「 だけど、そんなことで心の奥深いところのお掃除ができるとは思えません!」


 

と呟く方もいるでしょう。

 

 

 

 

 

 

その呟きには私も同意します。

 

そのとおりです。

 

 

 相当に研究研鑽した視点から、念を押しておきますが

 

 

一般的な日拝法では自分でも気づけない
意識に上る以前の領域をクリ-ニングするほどの力はありません。

 

 

私が提案するのは従来の日拝ではなく

 

意識に上る以前の深い所に溜まった汚れをクリ-ニングし得るほどの浸透同化を与える
もっと奏功の出る日拝です。

 

 

 

では、長い前置きはここまでにして、その方法をサクッと述べるなら

 

実践の方法は

 

 

起きがけのまだ・・意識が混濁・・朦朧( もうろう )とした
´まどろみの半覚醒、半意識状態・・

 

大脳の制止作用が、まだゆるやかに働いて

 

脳髄由来の思考活動が減退しているとき

 

うっとりした意識を崩さないようにして、そろりそろりとベランダに出ていき

 

 

起床直後に朝日( 日の出 )の光以外の

 

光刺激を極力眼に入れない・・ということ

 

 

目覚めて、意識が戻った直後のファースト・インプレッション

 

( First Impression )を、深くお辞儀をして<朝日の光にする>というのが、その方法になります。

 

か、かんたんですよね。
( だけど閃くのに、もう相当に苦労に苦労したし時間が、恐ろしくかかった方法です )

 

もう少し詳しく描写するなら

 

朝目覚めて意識が戻ったら、真っ先に外の日の光に向かい目を瞑ったまま、ふっくら手を合わせて

 

頭を下げた、頭頂葉および延髄付近で光を受けて間接的に拝光し、お日さまの氣を染み入れ

 

はっきりした日常( 通常 )意識に戻すようにする。

 

これが、早暁の旭日(お日様)の背後のお力で生かす気を染み入れ心の奥座敷のお掃除していただく実践のやり方になります。

 

 

 特に大事なのが「 意識が戻って半意識で、まどろんだまま、、すぐ 」に行うという事が要諦です。

 

 これが一般的な日拝と決定的に違うとこでしょう。

 

なぜ、こだわるかと言うと奥座敷の汚れとも言うべき雑念妄念の材料である消極的な観念要素を追い出し得るほどの感化同化を与えるには、
 外してはならない秘訣的な発見が、そこにあるからです。


 これを外すと効力が半減
  「 早暁の旭日による観念要素の更改 」と命名できなくなります。


ちり紙・・半紙一枚にも当たるような・・ほんの些細な、あまりにもわずかな差ですが、その一厘を押さえないと大きな効力差になるんです。

ここに氣づく・・解くのに私は・・誰も褒めてくれないので・・自分で褒めますが・・

 

我ながら偉いと申しますか、本当に、よくやったというか・・死ぬ思いをして探求しました。 閃いたのは一瞬ですけど。


 


 それを、より詳しく理論方面から解説するなら



( 朝起きて直後《 半覚醒、半意識 》のアヤフヤで・・表現するのが難しいですが



 我〔 わたし 〕が我〔 わたし 〕・・男か女かも・・はっきりしない自意識も曖昧なとき


  

一番最初に
( ←この一連の指摘が、敢えて・・独自性を強調するならオリジナル・・と言えます )



目を瞑ったまま頭を下げ朝日の光の背後の何かに・・澄まないなと感謝し

手を合わせて頭を下げ( 合掌瞑目し )
瞼の裏で光を感じて初々しい日の光を味わい

その初々しい光輝燦爛とした美しい情景を心魂に刻み腹の底で味わう・・そうしてハッキリした通常意識・・日常意識に戻し


そのまま〔 下を向いて地面を見つつ 〕お部屋に戻る。

 

言い換えるなら、朝起きたら真っ先にお日さまに向かい視神経を経て脳神経系統を

刺激する光を受け容れ朝の( 陽氣 )の光を感じ


背後の見えざる生かし化育せしめる力・・自然活力( ヴリル Vril=プラナ Pranaのご先祖さまと観てもいいかもしれません )
      Vril=プラナ Pranaを生じさせる何かに生命を預け
浸らせるようにする 


ということです。


 

このちょっとした差、紙一厘( 半紙一枚 )の差ですが

 

これが出来て諸条件が満たされれば従来のものとは大きな違いをもたらします。



 

これを暗示の観点から述べるなら


 目覚めた直後に真っ先に、頭を下げ、やや下向き加減・・で手を合わせ合掌瞑目し

夜明け前から日の出直後の朝日の光に向かう


意識が戻ったらパッとベランダに出て

頭を下げ延髄付近に光が当たるように受けて感じるように突進し
 朝日の背後の何かに

心の深いとこの垢の洗濯を委ねて心を全開にし、打ち任すことで、

 

 


消極的に感じせしめ不機嫌、暗澹、不愉快を誘発せしめる

不調和な念の種子が奥底の心から殺菌され傷が深い領域から

修復されることになります。


 ( 理屈・理論上も )
目覚め際は、抗暗示障壁が、薄いから


日常意識では、自覚されない深い領域の

 

思考を消極化せしめる マイナス因子という原因が思考原料の連絡通路から自然消滅して除かれ安くなります。


その結果、本然の思いではない・・消極的・・邪念・妄念の消極観念の思いという機縁の提供と
 無自覚の領域でヒッソリ行われている歯車の反射連結がされず、

誘発されにくくなり・・
消極的・・元気を失わせる思念原材料が更改されるという理論になります。

 

 要するに思考を生き生きしたものから離れさせる邪欲邪念由来の運を落とす消極的思念の材料が、弱められるので、消極的方面に感じ思うための歯車がカラカラ空回りすることになります。


 ( よって妙に抑圧することなく 自然に消極的に思うことが減っていきエネルギ-状態も良くなる )

 

 

 

替わりにお日さまの気を充填し積極的な観念要素が奥座敷に染み入り優勢になっていったら

 

 

 当然のこと、心内の深いとこが、少しずつお掃除されて向上発展をもたらす意志の力も出やすくなって、
かつ内奥の生きる力、温かな平安力も( 以前よりは )高まります。


奥底の雑菌が少しずつ殺菌されることで、平和で大らか・・円満、温和・・明朗・・純情な思いが


(以前よりは)豊富に出やすくなり、繋がり感も出てきて心を積極化し 肉体感覚にくっついた本能心由来の
劣悪な情念、邪念をも弱めて再整理されることになり

 

  少しずつではあるけれども本来の統御力を増大させるということです。

 


 天風哲人のメソッドと絡めて述べるのでしたら


朝、無意識から意識が戻って・・まだ・・まどろんでいるとき


 

目覚めて直後の( 半覚醒・半意識 )の心の持ち方というのも

睡眠直前の心の持ち方と同様に


生命に対して重大な影響があります。 これはSTEP1でも述べてますよね。



朝の起きがけの、まどろみが残ってるときと云いますのは

 


私たちの心が、その習性上



 実在意識( 表面意識 )で思うこと、及び外界の印象を非常に感受しやすく

善きにつけ悪しきにつけ

心が、その刹那に「想うこと」に同化されやすくなっている絶好の( とき: 時 )



いわゆるラッポー期のひとつです。



ですので


実在意識がラッポー状態になって感化同化力が旺盛になっているときに

 

より大きなものへの畏怖への気持ち(おそれ)と敬虔さを沈み込ませつつ



いの一番、一番最初に心に感じせしめる印象を´癒しと蘇りの

朝日( 特に夜明け〜日の出直後の曙の光 )にし、初々しい印象を刻印させることで

 




 

起きがけのまだ・・意識が混濁・・朦朧( もうろう )とした

  半覚醒、半意識状態・・大脳の制止作用がまだ、ゆるやかに働いて脳髄由来の思考活動が減退しているときに


 その少し、心が、まどろんだような意識を崩さないように


  

 起床直後に


朝日( 日の出 )の光
以外の光刺激を極力眼に入れない・・
というのを意識したら刻み込まれる力は、高まるでしょう。

( この方法は、安全性を考慮し太陽瞑想とかの太陽視法と違って頭を下げ合掌瞑目した
間接的な光の入れ方ですが )


 ファースト・インプレッション( First Impression )を

 朝日の光  


( 曇天であっても雨でも )


外の日の光を目を瞑ったまま、ふっくら手を合わせて


頭を下げた、延髄付近で光を受けて

間接的に拝光し背後の見えざる生かさずにはおれない力・・その力を生ぜしめる無形の何かに心の奥底の垢のクリーニングをしてもらって・・澄まないなと想いつつも・・心身を浸し・・ありがたいなと思いつつ、全身で光を味わいエネルギ-を高めて日常( 通常 )のはっきりした意識に戻すようにする

というのが違いをもたらす秘訣になります。



当方で発行しているメルマガ読者の方から詳しい説明を求められたので、もう少し詳しく注意点も含めて書きますと

 




ライフスタイルや起きたときの太陽の位置は、起床時間等マチマチな場合があり

 

 自ら選択できない場合がありますので



ここに詳述した方法で実践してみたいと思った方は




留意すべき点として、決して・・へらへらした、いい加減な気持ちで臨んで・・

 

  それを続けないようお願いします。


 

 

 

 

 実際に私も・・検証し、この方法を公開した

 

2009年6月よりもずっと前・・何年も前から

 

一般的な日拝もやりながら散々研究してきましたが

 

特殊な日拝法を閃き実践、検証する過程で、様々な方法を試して

 

お辞儀をしないやり方を含めて

 

ここに掲載してないやり方を続けて無理( 無茶 )しすぎて目が傷くなったこともあります。


 

 

リスクヘッジのためにも


手を合わせ目を瞑ったまま朝の陽の光の背後の見えざる力を生ぜしめる何か

謙ってお辞儀する格好で


合掌瞑目したまま光を瞼の裏で感じて、頭を下げた延髄付近で光を受けてパクパクとその光を味わい太陽神経叢などに染み入れて
 エネルギ-を高めて通常意識に戻すだけで地面を見ながらお部屋に戻るようにすべきです。



この朝のちょっとまどろんだ半意識のときは


( 吾 )を起点として見たなら


通常( 日常 )意識ではない・・意識朦朧状態のため



固定観念・・そして小さな自我意識の軌道も定まっていなし・・抗暗示障壁の壁も弱く・・固まっておらず・・まどろんでいて不安定



外界やらからの印象をダイレクトに心に受容するのを自然習性で抗する暗示障壁が、まだきちんと形成されていないときです。


  


言い方( 表現 )を替えるなら

 

 


 ( 吾 )を起点として見たなら

自覚できる思考の表面意識層より下に潜( かく )れた識閾下の領域の心象材料が抑圧なく
 表面に浮き上がりやすいときです。



 すなわち



尊く力強く愉快で快い記憶・・晴れやか、純真

 大らかな・・氣が咎めない本心良心を輝かさせ


少しずつ生じやすくせしめる


磨きたての真珠を薄絹に包んだようなきれいな氣持ちになるような感じを
 無自覚・無意識に誘発せしめ向上せしめる 成長( 積極 )思考の組み立て材料

( 積極想念のエネルギー源 )となる


( 積極的観念要素 )だって浮き上がりやすいし




その反対の本来的な根から出た本然の思いでは無い思い

 


 具体的には


表面の心でははっきり自覚されない潜在意識領に( 無自覚に )糞溜まった宿阿素というか




 氣を消耗する消極的で勇気を挫き憂鬱に思わせ後ろ向きに思わせる思考原料・・


具体的には



くだらないことに私憤を燃やして怒ったり

心を悲しみに紛れ込ませたり

恐れ迷って戦々兢々としたり

やきもちを妬いて憎んだり

恨んだり


( 用心や建設的準備をするのではなく )取り越し苦労し懊悩、煩悶したりする


考えないでいいことを考える

 
こういった思考を誘発する消極観念の原料が・・( 目覚めて直後は )

 ( 寝入る直前同様 )



 
理性の検閲が外れてるため、何らかの刺激により触発された思考活動に伴って



無自覚・無意識・・反応・反射的に誘発せしめ 浮かび上がりむき出しになるときです。




と言うことは


( 裏返せば )


( 朝・・無意識から意識が戻って直後は )


外界・・あるいは内界の思考活動に伴う印象

( 暗示 )に非常に鋭敏に感じやすくなっていて



( 心のスクリーンの奥のフィルムの材料を提供しているパイプに付着した悲観的、卑屈に思わせる消極念やら
 劣悪で低級な動物的感情情念、、邪欲、邪念を拭い去り、消去、漂白しやすい、

 

 あるいは、新たに化育せしめる蘇生力を、ちょっとずつ刻印しプラスの印象材料を再刻印しやすいとき  )ということも出来ます。




 このときに・・その半覚醒のまどろみの気持ちを残して
意識を・・ソロリンソロリンと保って・・・・心の垢のクリーニングをしてもらって・・澄まないなとお詫びしつつ

日の出すぐの朝の太陽( 陽氣 )

  眼を包むようにして両方の掌をふっくら合わせつつ、
 お日様の背後の見えざる力を生ぜしめる主体を・・感謝をしつつ結局拝する格好で・・瞑目し・・その状態で超薄目で
光を間接的に感じてパパッと閉じるか・・手を合わせて朝日の背後の見えざる力の主体にお辞儀し目を瞑ったまま


頭を下げた延髄付近で光を受けて光を感じて味わい、エネルギ-を下腹に落とし込んで、はっきりした通常意識に戻して、
そのまま地面を見てお部屋に戻る
ようにすることで


外界から内界に・・抗暗示障壁が弱い状態で



奥座敷の心に強烈かつ、やわらかく・・朝日光の生々化育せしめる力( プラナの原材料 )が心の奥底に刻印され


本来的な思いでは無い思い


 すなわち



心の( 奥底 )のヘドロのごとき垢


氣を消耗する消極的・・すなわち怖れや惑い、気鬱を思わせる想いの種やら

勇気を失わせる消極的思いの種・・


表面の心に思考原料を供給、相互連絡しているパイプにこびり付いた


エネルギ-の低い自己卑下とか恨み・・後悔・・憎悪・・取り越し苦労、泥を塗りたくったような汚い思い( 念 )と連結され、
その思いを産むような不調和、不快な思考原料
( 思わせ感じせしめる材料要素、思いの念の種子、思考材料 )が



 

 快く初々しい・・プラスの印象材料を豊富に心の深い所に刻印、累積させ、消極的なものを追い出すことになります。

 

もちろん個人差は相当にあるかもしれませんが

 

 表面意識が活かす力でMAX状態になりますから、浮かび上がった消極的なものが瞬間殺菌され払拭され

 思いの傷を根っこに近い処( ところ )から消極的なものが追い出され癒されることになります。暗示の視点から理論上


どんなに否定的で反抗的・・疑い深くても信じなくてもよいので



 朝起きたらすぐに( パッ )と


頭を下げて合掌瞑目し朝日の光の背後の何かに・・ただ・・澄まないな・・ありがたいな・・嬉しいな・・としみじみ感謝し光を浴び、心に刻み込み、下腹に落とし汲む行為を淡々と・・へりくだった気持ちで、こういう日拝を混ぜ込み、ただ反復するだけで

心の持ち方が少しずつ、、、自然に変わって次第にパワフルになっていき


考えないでよいことは考えず場とのつながり感が出来てきて


心も満足しやすくなって建設的に楽しく考えて構想を練るために合理的に考えるべきことをきちんと考えるようになります。




心を均( なら )し平らかにしていくのにも


非常に役立つことに( 理論上も )なります。

 

ライフスタイルや起きたときの太陽の位置は、起床時間等マチマチな場合があり、自ら選択できない場合がありますので

 

 

ここに詳述した方法で実践してみたいと思った方は

 

 

まく内外の条件が合致して嵌( はま )れば刺激が、かなり( 意外に )強いですから


何度も書きますが決して・・へらへらしたような・・いい加減な気持ちで臨まないようにお願いします。



それに


起床直後、すぐベランダに出て

他人から見られてもいい服装にしたほうがいいかもしれません。




 ★まだ・・まどろみの気分が残って気持ちいい意識朦朧( もうろう )

  としたとき



 ★眠気眼( ねむけまなこ )

 

 ★朝起きて・・すぐに電気をつけたりしない


 ★朝の太陽のやわらかな光を感じるまでは

   極力目( 眼 )に他の光を入れない・・


 

 

 ★目を大きく見開いたりして眼筋を刺激して大脳神経系の

 活動に伴う思考活動を誘発させない



 ソロリソロリ・・這うようにして窓を開けて・・ベランダに出て・・とにかく


  ( 朝起きて直後《 半覚醒 》のとき


まず・・ああ生きてたありがとうございます・・と感謝し

  


新たな1日を始めるに当たって


 一番最初に感じ心に刻み込ませる印象を旭日の蘇りの光にする


 手の平を目の前で、ふっくら合わせて

心の垢のクリーニングをしてもらって・・澄まないなと想いつつも

頭を下げた延髄付近で光を受けて


無邪気に感謝する最初を

朝陽の背後の見えざる力を産む何かにする




頭を下げ目を瞑ったまま明るさを頼りにお日様を探し・・

ミレーの晩鐘の夫婦のごとき純朴な美しい相で

 

朝陽の背後の見えざる力を産む無形の懐かしみのある主体に頭を下げ手を合わせて
眼をつぶった瞼の裏で光を間接的に感じて・・頭を下げた延髄付近で光を受けて光を味わい
摂取し、腹の底に落とし込み、神経叢を洗い、はっきりした通常意識に戻して生命活力を補填し・・下を向いてお部屋に
戻る )

 

 

視神経を経て脳神経系統を

刺激する最初に手を合わせて感謝し間接的に入れる最初の光を蘇り・・癒し力が豊富とされる朝陽の光にし背後の見えざる力を生ぜしめる本体に・・ただパッシブ( 受身 )になって感謝する・・この行為を淡々と繰り返して( 腹の底から心地よさを心が感じるようなら )継続し日課にしていく。 


これだけで・・東天の碧空の光が私たちを

生かしてくれる力の奥底の心の洗濯&刻印力が

全然
断然違っていきます。


 まさに紙一厘の差ですが・・



★まどろみの気分を保って薄目を開けて・・下を向いてソロリソロリ・・

気持ちいい意識のままベランダに出て・・

た半意識のぼんやりした・・ほぼ思考停止朦朧とした意識状態を


やや残存させながら

下を向いてソロリ・・ソロリと慎重に窓を開けて



  頭を下げ目をつぶったまま明るさを手がかりに朝の太陽の輝く

 方向を探して


 

両方の手のひらを眼を包むように合わせて深く頭を下げる



目を瞑ったまま明るさを手がかりに朝の太陽の輝く

 方向を探して ・・朝陽を産む力の背後に頭を下げ・・手を合わせ


 


感謝し・・頭を下げ、延髄付近に光が当たるように受けて

光を感じつつ眼を開けないで合掌瞑目し通常意識に戻るまで

じーんと印象材料を沁み入れて、腹の底に染み入れ、はっきりした意識に戻るまで待つこと1、2分・・ってことです。



  

( 朝起きて

一番最初に( 眼をぎゅっと強く閉じたまま )拝し感じる力を朝陽の背後の力を生ぜしめる見えざる何かにする )

 朝日の背後の力・・その力を産む何かを貴重に思い・・他の刺激からの誘惑を避け


 浮気せず・・親密・・仲良しになる。

 

 

 ある意味


 赤ちゃんが無垢になって乳を恋慕うように



 朝・・夜明け〜日の出直後の太陽の背後の大きな力を産む見えざる何かに澄まないなと自らを投げ出す

( 放下す )ことで



 燦燦と輝く朝陽の背後の力を産みて産み出す何かから強烈な暗示をさしていただいている


というようなミレーの晩鐘の夫婦のごとき純朴従順・・敬虔な心の持ち方・・格好です。

( 絶対他力暗示 )



   日の出の太陽の背後の見えざる宇宙霊の絶対聖氣

 巨大な真っ白な消しゴム力・・大洗濯力のある絶対調和に・・澄まないな・・申し訳ない・・と自らを明け渡して

 さらすような格好で



ばっと曝《 さら 》して抛《 ほう 》り出して圧倒的な力で押し流してもらう )



 

朝・・意識が戻ったら・・寝床の中で、まず・・ああ生きてたありがとうございます

と感謝し強い気持ちで信念強い!とクンバハカのして強烈に言い聞かせ


 まどろみを感じつつ、朝日の光の背後の力を生ぜしめる無形の大調和統体に半意識のまま

頭を下げ目を瞑ったまま顔の前で手を合わせて明るさを手がかりに朝の太陽の輝く 方向を探して
・・光を感じつつ眼をきゅっと強くつぶったまま・・眉根を広げて・・

 

 

 ( 可能なら少し微笑みを作って )眉間の上方に意識( 注意 )を持っていき


結局・・心の垢のクリーニングをしてもらって・・澄まないなと手を合わせて感謝する


頭を下げて延髄付近に光が当たるようにして初々しい光を受けて

 

じわーーーっと生氣というべきか印象材料を五臓六腑で味わいつつ、

 

 はっきりした日常意識( 覚醒意識 )に戻す


 

 

  この方法は、私が天風哲人の

 心身統一法を守り熱心に実践しつつ・・その他の方法を俯瞰的( ふかんてき )に模索し


  やっと ( 離 )ができた方法です。


 ( 離 )ができた・・と言っても・・心身統一行法は、面白く、やるのが楽しいので、ず〜っと実践し研鑽し続けてますし、

心身統一法に組み込もうと思えば出来なくはない・・と思っています。


( 強いて挙げれば、この方法は、前述したように、天風哲人の心身統一行法の体系のうち、観念要素の更改法の補助行法および積極観念養成法の2番目 暗示の分析に関連付けてもよい方法です )

 


 何れにしろ


私の場合は、中村天風口述書を( これだけやっても駄目なんだから・・もう自己改善なんぞ無理・・人生もままならん・・もう流されるようにしかならない・・と諦めていたとき )に図書館で偶然見つけて・・

( もう相当に前のことですが、図書館の本があった棚の位置まで覚えています )




そこそこ値段の高い本だったから


 「 無料で読めてラッキー・・いやーーーー得した」という・・ 実に軽い気持ちで借りたのですが

  

 さらさら読んだところ


  いやーー得した・・どころの騒ぎではなかったわけです。


( 他の方が心身統一法について解説した解説本じゃないから・・散らされたり薄められたりしてないし・・

本当にわかった方が語った内容だから迫力も違って、呆気ないくらいにすぐに腑に落ちたのだと思います。

今から考えると )





要するに



心身統一法を実践していなければ・・ここまで忍耐強く探求することも出来なかったと思っています。



 それに


基本的には、心身統一法( 道 )と矛盾しません。


 

 隠れた支配力であなたを支配している奥底の漠然とした領域・・

この領域のクリーニング・・奥座敷の心の雑菌の洗濯とかも含めて

愚直に何年も真剣に探求した結果が・・

あんまりじゃないか・・・というか・・


シンプルすぎるというか・・



自然と調和し純朴・無垢な生活をしてきた古代の日本人が伝統的にやっていたことに

チラと毛が生えたような方法というか


( 目覚めたら真っ先にパッと朝日に向かい・・見えざる力の主体に心のクリーニングをしてもらって・・澄まないなと頭を下げ手を合わせて瞑目し感じて謝る )というのは


果たして、喜んでよいのだろうか・・いかがなものか・・と複雑な心境になりました。




 寝入る直前の自覚できる実在意識の持ち方を


 激烈に尊く清く強く明るくすることで・・通常意識では

 氣づくことのできない識閾下に沈んだ消極的思念材料を自らの責任で追い出すことで


心の垢をおとす方法の逆バージョン( 起きて直後 )です。


  こちらの方法は、他力的でして大生命の力に奥座敷の洗濯を委ね

どうかお頼み申します・・と・・ただお願いすると言いますか頼むような感じですが・・。



 私が発見したことは、お日さまという光の本体、、特に朝日の光が人間の心身に与えるプラスの佳き影響、

あまりに簡単で当たり前すぎて多くの方が忘れ、見落としてきたこと( 特に現代人が忘れている )、、


その潜在的な重要性を深く再認識させ


 かつ


心身が弛んで脳波が、α1波〜θ波状態くらいの脳波になったとき、、
という心が外界の印象をスポンジのごとく吸収しやすくなっているときに行うと効き目が顕著になる、、
という知識( 暗示の原則 )を使うことで、効験が確実に出やすいようにきちんと系統的に整理しただけかもしれません。

 


 曇り( 曇天 )の日でも

 太陽の位置を探すようにし


目覚めてすぐ・・目を見開いたりせず


  極力・・朝日・・夜明け〜日の出直後の光以外を( 最初の光 )として入れないようにし

 これが重要です 


 ここに氣づく・・この紙一厘を解( ほど )くのに、、、ほんと何度も書きますけど私は・・滅茶苦茶苦労しました。



薄目を開けて下を向いて


まどろんだままで


・・朝陽の背後の陽氣の力を最初の蘇りの光として貴重に思って


 頭を下げ手を顔の前で合わせて合掌瞑目して朝日の背後の自然活力を生ぜしめる力の主体を拝し・・


 その瞑目状態のまま超薄目やや下向き加減で両目をふっくらと包んだ手のひらのなかで間接的にチラとまばたきするような感じで光を感じ・・パッ( 0.5秒以内 )と眼を閉じる・・


 あるいは



頭を下げ明るさを手がかりに朝の太陽の輝く方向を明るさを頼りに探して ・・


 手を目の前で合わせて眼を閉じたまま朝陽の背後の何かに奥底のパイプに詰まった心の垢のクリーニングをしてもらって・・澄まない・・とただ感謝し・・頭を下げた延髄付近で光を受けて


光のおいしさを腹で味わい、はっきりした通常意識に戻す・・この行為を混ぜることを淡々と続ける


 


結局、頭を下げ目の前で両手を合わせて瞑目し深く朝の・・日の出直後の陽の背後の何かに、ただ感謝する格好にしないと・・それ以外の慢心、傲慢・不遜・・尊大・・えーー加減な態度・・姿勢( 相 )では眼に非常なリスクがあります。

  なめてはいけません。




感謝し朝日のやわらかな光の温熱を感じるようにすることです。




そうして、手を合わせて感謝し目を瞑ったまま奥座敷に

日の出の朝日の光の感じ( 陽氣 )を

 ただ有難く沁み入れる



  自然界全体を・・生々化育せしめる力のうち


  巨大で新鮮な力のひとつである日の出直後の朝日の光を

 ありがたーーーい気分で朝日の光を刻み、神経叢を洗う行為を反復刻印すると


その落とし込み力が増大し純化精製され



 脳神経系統および腹腔神経等を活性化させ生命の生きる力の内容量を

更に

増進せしめるのではないかと思います。



※光を味わうというのがピンと来ない・・・・トンデモだ!馬鹿じゃないの・・と思った方は( 汗

 量子物理学をもう一度勉強してみてもよいかもしれません。


 光も粒子( 粒々 )の性質と波の性質の二面性があり共在していますので。

 




 





で・・下向きで頭を下げた延髄付近で光を受けて光を感じるようにして・・やれやれ終わった・・と


すぐに意識をそらして次の行為を行うのではなく



次の行為を行いつつしばらく



 その充実した意識を保って余韻をほんのしばらくの間だけ楽しむようにすると・・


1日中・・シミジミとした・・本来の機能性たる

      積極精神を自然に保ちやすくなります。


今回パッと閃めかされた方法・・結局新しくもなんともない


 

( 目覚めてすぐ・・パッと・・というのが紙一重の秘訣かもしれません )


 ・・単純・素朴・・純朴ですが


 眼に病( やまい )のある方の場合


 あるいは


 ちょっと・・この方法は刺激が強すぎのような・・

恐れという感じがある方の場合は


 

 朝・・起きた( 意識が戻った )直後


  ソロリ・・ソロリと眼を刺激しないようにしてハイハイするような格好でもよいですのでベランダ等に出て

心の垢のクリーニングをしてもらって・・澄まないなと想いつつ

手のひらを合わせて目を包むように顔の前に置き明るさを頼りに光を探し


   ・・手を合わせて朝陽の背後の見えざる先天の一氣に感謝する・・



 そうして・・


 その格好( 合掌瞑目 )で包んだ手のひらのなかで超薄目で間接的に光を感じるチラ見( 0.5秒以内 )閉じはせず




  頭を下げ眼をつぶったままで


  明るさを頼りに

   朝の太陽の方向を探しつつ

手のひらを合わせて両眼をふっくら包んで・・目の前で手を合わせ明るさを頼りに

   ( 目をつぶったまま・・合掌瞑目 )お辞儀をし


心の洗濯を任せて

   有難くジワリジワリ・・ジーーーンと



頭を下げた延髄付近で光を受けて


 朝の太陽の背後の見えざる生かさんとする力の主体からの新鮮な蘇りの氣を・・

受身のパッシブモード( Passive mode )で、全開きにし、ただ打ち任せて受け腹で味わうだけ・・



そうして・・下を向いてお部屋に戻るだけでもよいかもしれません。


 



ちなみに


 

この方法も私自身、直接指導できませんし


 人それぞれライフスタイルや起床時間等マチマチです。



起きたとき( 目覚めたとき )に

お日さまが、そのような絶好の位置( 曙の光が天空に少し射してきたくらいの巨大な洗濯力のある光 ) にぶち当たるとは限りません。

申し訳ないですが・・まさに神頼み・・みたいなところがあります。

 この大洗濯力のある光にブチ当たる秘訣は、ひたすら朝・・意識が戻ったら

 心の垢のクリーニングをしてもらって・・澄まないなという想いを同居させつつ半意識のまま・・ファースト・インプレッションで朝日の光を目を閉じて頭を下げ間接的に感じ、腹に染み入れる行為を繰り返すしかありません。


 


「 朝日の光を両方の手のひらでわっかを作ってチラ見する方法 」もあるようですが

個人的にはテクニックに走ったりしない・・極力、分限をわきまえたほうがよいと思っています。

  ↑ ↑ ↑

( 実際に、これを為さっている方がいらっしゃるかもしれませんので念のため申し添えますが・・個人的な見解として、、、ですが・・眼が痛くなったことがあるので・・2週間くらい・・で幸いに、よくなりましたけど )

 



テクニックよりも




 起きたら真っ先に( 朝日の光の背後の )力の主体に向かう謙( へりくだ )った姿勢と申しますか・・。



 


 明るさを頼りに



頭を下げ合掌し目を瞑ったまま、頭を下げたまま曙の朝日の光を探し、手を合わせて見えざる力の主体に対し深くお辞儀をし光を瞼の裏やらで感じつつ


初々しく美しい日の出直前〜直後の朝日の光の背後の何かを五臓六腑で味わい感謝する




 心を洗濯してあげたい・・生かさんと熱望するベクトルのある見えざる力・・及び大生命に逆らわず
心の垢のクリーニングをしてもらって・・澄まないなと

自らを素直に明け渡しお任せする・・・


 犬の糞も美人も・・無条件・・無償で照らしてくれる見えざる無形の主体に対し

 


 無条件に感謝しつつ通常意識に戻す・・包み合わせた手のひらのなかでチラ見せず・・そのまま帰るだけでも・・

眼にも優しく無難
ですし、ちょっとずつ生命力も高まります。
      また、こういう行為を繰り返すことで見えざる無形の主体との関係構築も成されやすいようです。


 

 


なお、そういう形而上のことには嫌悪感がある方は、以下のことも留意したらよいです。
     と言うのも 「 光 」は、鬱などの心の病にもよいとされていて高照度光療法という 光を利用した治療法が立派にあります。


 

  この高照度光療法の光は2500〜10000ルクスの光で、これは面白いことに、朝日( 夜明け〜日の出直後 )の、あのやさしい光と同じ強さの光のようです。
 


 スピリチュアル的に言うなら日の出の勢いという言葉があるように朝日が最も心に活力を与えるとされています。

 


感受性が強く

性格的におとなし過ぎて氣の優しい人・・



とても魅力的で妬まれやすいような人なども、ここで書いている

( 起きがけに手を合わせて先天の一氣の象徴・・先天の一氣が滲み出た朝日の光の背後の何かを拝し・・拝し合掌瞑目した姿勢のまま旭日の光を感じて見えざる生かそうとする力の主体に、ただ感謝し神経叢を光で洗って通常意識に戻すこと )をして、関係を強化してもいいかもしれません。




※一応、念のため申し添えますが

  よろしくお願いします!という礼拝形式にしろ・・昼間・・特に快晴の日とかの昼間の太陽光は
     畏怖すべき光でありチラ見も避けるべきです。


日没まさに直前くらいなら、頭を下げて間接的に入れるのはよいのかもしれませんが


 畏れるというか・・かつ欲張らないというか


 特に昼間は・・自然法則上も・・光が強過ぎて目を傷める恐れがあります。


目覚めぎわの心の持ち方は1日を左右しやすいですので


 日の出直前〜直後の・・曙の光を感じ積極にしたい場合は



( 夏場は、朝日と雖〔 いえど 〕も日の光が強いですから )

よろしくお願いします!という気持ちでお辞儀をし
     下向き加減で間接的に

頭を下げた延髄付近で光を受けて


光を感じパパッと0.5秒以内に眼を閉じるべきです。

 個人的には、太陽瞑想法とかあれこれ何十、何百もある太陽がらみの方法( テクニック )より


 目覚めたら・・パッと・・すぐに頭を下げ合掌瞑目して朝日に突貫しミレーの晩鐘の夫婦のごとき純朴な美しい相
      あるいは、かしこまって、よろしくお願いします!とお辞儀をする
そうして、ただ・・手を合わせて目をつぶって深くおひさまの背後の見えざる無形の主体の蘇りの力に


  ・・澄まないな・・だけども・・感謝・・ただ有難い・・と手を合わせて黙念する単純さ・純朴さのほうが好きです。


 

 

なお、 ありがとう、有難い という言葉の力やお日様( の背後の力を生じせしめる無形の何か、、無形の主体 )を拝するということ につきましては


先日、コンビニエンス・ストアに入ったら PHPという


松下幸之助氏によって創設された出版社が発行している雑誌が、ふと目につきまして


パラパラめくったら


以下の記事がありましたので抜粋引用します。


 記事を執筆した方は超ロングセラー漫画「 ガラスの仮面 」 で有名な漫画家 美内すずえ女史です。




PHP No734 2009 7月号  特集 心が晴れる言葉、元気になれる言葉


p25〜p26から引用

 

( ここから )

( 忘れていた「 ありがとう」の姿 )
「 ありがとう 」は、感謝の心を伝える言葉だが、日本人はこの
「 ありがとう 」を様々な形で表現してきた民族ではないか、とわたしは思う。
 ある冬の寒い朝、締め切り間際になってもまだ漫画のストーリーがまとまらず、
ふいに通りのシャッターが開いた。
出てきた初老のおじさんが、朝日に向かってパンパンと拍手を打ち、その手を合わせたまま目を閉じ、頭を下げたのである。
 それからすぐにシャッターを押し上げて全開にし、店の準備を始めた。
 ハッとなった。
 もうすっかり忘れていた光景だった。
 わたしは子供の頃、大阪の鉄工所の多い下町に住んでいた。
 床屋をやっていた父は、毎朝起きるとすぐ店の入り口の戸を開けて、道端に出、
 朝の太陽に向かって拍手を打った。
 それは太陽への挨拶のように見えた。
 そしてほんの少し黙って頭を下げるのだが、たまに言葉をつぶやくことがあって。
それはいつも「 ありがとうございます 」だった。
 太陽を拝みながら、父は別に商売繁盛を祈っていたわけではない。
 欲も得もなく、ただお天道さまに「 ありがとう 」だったのである。
 今日も明るく照らしてくれて、ありがとう。
 今日も生かしてくれてありがとう。
 自分たちが生きていられるのは、すべて太陽さんのおかげ。
 だから、太陽さんありがとう、なのだ。
 そして町内のあちこちから、ガラガラと戸を開ける音とともに、太陽を拝する拍手の音が聞こえてきた。
 珍しくもないあたりまえの朝の光景。
 もういったい、いつからこんな光景を目にしなくなったのだろうか。

 

( すべてに感謝する心を持つ )
 数年前、九州を旅したとき、ある山の中で小さな神社に出会った。
 たしか「 牛馬神社 」だったと記憶している。
 由緒札には、村人たちが長年使役してきた牛や馬の苦労に感謝して、
その魂を祀ったとあった。
 むろん神社とあるからには、生きている牛馬の守り神にもなっている。
その神社は、村人たちのために働いて死んでいった牛馬への
「 ありがとう 」の表れである。
 ( 中略 )
少し前まで確かにあった日本の「 ありがとう 」は、太陽や大自然や
動物や道具にまで及んでいて、これは本当にものすごいことだ。
総てのものに感謝して生きる日本の「 ありがとう 」を今一度見つめたいと思う。


 ( ここまで )

太陽さん・・照らしてくれてありがとう・・と朝日を深く拝する・・というのは

※私の場合は・・太陽そのものというより・・その背後の無形の主体を深く拝するような感じです。

 


もっと簡単に強力な即効性を保有する



表面の心では自覚されない思考原料の印象貯蔵庫の連絡通路に詰まって淀んだ水垢をクリーニング( 解毒 )し


不要残留性本能心を整理しつつ 消極の刷り込みを払拭し


天賦の積極精神( 霊性由来の性質 )を強める
庶民的・・かつシンプルな新しい方法はないかなぁ・・ と




執念というか・・ 真剣に求めて・・やっと閃いた方法( 仮称 旭日の光による観念要素の更改法 )と一緒・・というか・・結局・・全く新しくない・・というか・・

何年も探求した割りに・・あまりにシンプルといいますか・・


 私が発見したことは、お日さまという生きとし生きる万の生命を化育せしめる光の本体、、特に朝日の優しく懐かしい光が人間の心身、生命に与えるプラスの佳き影響、、

あまりに簡単で「 当たり前すぎて 」多くの方が見落としてきたこと、、その潜在的な重要性を深く再認識させ


 かつ


 心身の緊張が解けて弛んで嫌でも脳波が、ぼーーっとしたα1波〜θ波状態になったとき、、という「 暗示障壁が弱まって心が外界の印象を吸収しやすくなっているとき 」 「 心が暗示に感化同化されやすいとき 」に行うことで、( いろんな知識を総動員することで )系統的に整理し組み合わせて効果が出やすくなるように最適化しただけかもしれないです。



ですが・・どこかに深い安堵感がありますし・・結局そうだよね・・というような不思議な感じ( 安堵感 )がありました。


 それにこの方法は、くどいですが

見えざる先天の一氣が滲み出た象徴体のひとつとも云うべきお日さま・・生命を養う先祖みたいな存在・・( その背後の生かさんとする見えざる力の主体 )に対する畏れというか・・畏敬の念やら感謝・・礼拝の念のない方がやるべきでは無い方法・・かもしれない・・と思いました。


( これを公開してよかったのかどうか・・も、ちょっとした迷いがあります・・・現在ですら )


 

( 迷ったのは、他にもいろんな理由がありますが・・最大の理由のひとつは


 私もいろんな太陽瞑想とかのテクニックは何十も知っていますが



以前の私のようにテクニックに走りすぎたり



( 結果的に )

眼を閉じ深くお辞儀する格好やら手を合わせる格好で真摯・・謙遜・・畏敬の念を持って臨まないと、
 無知・・慢心・・傲慢・・尊大・・欲張りな姿勢で臨んで
それを続けると当然眼を傷めてしまうことがあるからです )



 あれこれ試行錯誤し意見も聞いたりしたのですが


朝日を浴びる・・おひさまの背後の生かさずにはおれない力の受け入れというのを最大効果を狙って( 目覚めてすぐにファーストインプレッションで )

かつ

安全性を神経生理学的に追求すると


朝日( 日の出 )の光の背後の見えざる何かに親しみを込め・・へりくだって深く頭を下げて


眼を閉じ( 顔 )・・眼の前で手の平を合わす・・あるいは手のひらで両目を包んで合わせて


頭を下げた延髄付近で光を受けて

感謝する格好にしなければ・・やはり眼にはよくありませんので


そうなりますと頭を下げる格好にならざるを得なくなります。


 




 こういったことに抵抗のある方で


 朝日を浴びる・・朝日の初々しい光を心魂に刻むのはよいと思いましたら




いろいろ気を使わず


立地条件等にもよりますが


ベッドが東側になければ

 東側に移して、厚いカーテンは開けて淡いレースのカーテンにし


東枕にして



朝日の差し込む到達距離や角度を確認して


ガラス窓と薄い白いレースのカーテン越しに

やわらかな日の出の光が間接的にベッドに差し込んで

やわらかく反射して上半身に当たるようにして

寝たらいいだけかもしれません。


夏場でしたら朝6時くらいが日の出になります。


やわらかな日の出の光が窓ガラスと淡いレースのカーテン越しに間接的にベッドに差し込んで

やわらかく反射する付近に上半身・・を置いて寝ればいいだけですので。

これだと朝日に雲がかかったような淡い光になり

3000ルクス〜5000ルクスくらいですので、さらに柔らかい優しい光を身体に浴びることとなるはずです。


で・・目が覚めたら・・ありがとうございます・・と感謝しつつ・・やわらかい光を味わいつつ生々化育せしめる力に対して・・

 

  有難うございます・・と黙念してもよいのかもしれません。



何れにしろ


 自己制御力を高めたいという熱望がある方でしたら



( 朝起きて直後《 半覚醒、半意識 》のアヤフヤで・・表現するのが難しいですが〔 わたし 〕が〔 わたし 〕だという自我意識・・自我境界線の膜が薄く曖昧なとき



  

一番最初に
目を瞑ったまま頭を下げ朝日の光の背後の何かに感謝し手を合わせて頭を下げ( 合掌瞑目し )心の垢のクリーニングをしてもらって・・澄まないなとしつつも

頭を下げた延髄付近で光を受ける一方

瞼の裏で光を感じて通常意識に戻し

そのまま( 下を向いて地面を見つつ )お部屋に戻る )ことで

視神経を経て脳神経系統を
刺激する光を朝の( 陽氣 )の光を感じ背後の見えざる力・・自然活力( ヴリル Vril=プラナ Pranaと観てもいいかもしれません )を生じさせる温かく懐かしい何かに浸るようにすることは、自己統御にも緩やかに貢献するはずなので、よい方法と言えるのではないでしょうか? 

 

 なお、読者のなかには


 いろんな宗教、宗派の方がいらっしゃると思いますので、あえて書きますが、、

 

 ( 私自身もバイブルが台形になるくらい読んできた人間なので、まったく躊躇がなかったと言ったら嘘になります )

 

この方法は偶像崇拝でもありませんので念のため。


 意識のポイントは太陽という有限、有形の像そのものにあるのではなく、見えざる背後の大きな何か・・無形な何か、、ですので

 

 

 

なお、ご質問が多く寄せられるので、さらに発展させた方法についても言及しておきますが

 

私自身も、それなりに根本的なとこの運命の幸運方向への軌道修正の方法とか十代の頃から
なぜか意味不明に謎の情熱と関心があって模索してきたわけですが

 

早暁の美しい朝日は・・・言うまでもなくうっとりするほど神々しく美しいです。

 

そういう視点だけでなく

 

合掌瞑目し、しみじみ拝するのは心の態度を前向きで明るく積極に振れやすく監督する上でも・・

 

さらには運命学的にもチャンスに気づきやすい体質になるという点でも優れてると観ています。

 

 

長期的に続けていたら、海馬や腹腔神経系の脳神経ネットワークを変えるだけでなく

 

代謝的に一番安定しているDNAまで少しずつ変わっていくのじゃないか?と直感しています。

 

理由としては、眉間の少し上・・仏教的には白毫と言われて光明を放つって言われてるとこ
仙道的には印堂と名付けられてる・・

 

 

そこの奥の脳の中心部の深いとこにある間脳( 松果体 )を意識して日拝を行い腹に納める。

 

なお

 

松果体については

 

フランスの哲学者であるルネ・デカルトも松果体に魂の座があると述べてますけど

 

多くの形而上の学者、識者が

 

高次の意志の座として貴重視してるとこなわけで

 

間脳( 松果体 )を意識して日拝を行えば当然間脳( 松果体 )が活性化しますよね。

 

さらに佳いことは

 

中脳から送られてくるドーパミンを分泌する神経で
いわゆる「 快感を運ぶ神経 」ともいえるA10神経を活性化し、太陽神経や腹腔神経を意識すると
そういう領域も活性化するので、併せて実践する際に日拝を条件付けして実践するのは、都合が佳いからです。

 

 

 

 

低頭瞑目・・合掌し

 

両目を寄せ気味にし眉根を上げ同時にやや口角を上げて、眉間の少し上( 白毫 )のくぼんだとこを意識し涼しくし

 

眉間の少し上の窪んだとこから眉間の奥経由( 形而上学的には第三の目とされるとこ、魂の座 )を意識し

 

美しい朝日の光の背後の「 生きとし生ける生命を生かす見えざる氣( 先天の一気 ) 」に感謝しつつ

 

口を細めて息を吸い込みながら瞑目し美しい早暁の光の氣を取り入れたかのように想じ

 

 

吸う息とともに

 

眉間の奥の間脳にある松果体( 第三の目 )を前頭葉経由で、やわらかい光の微粒子で活性化し

 

さらに其処から下降し中脳、橋、延髄などの脳幹部を瞑目したまま

 

「 美しい光の塊 」を想念し光り輝かせることで次々に活性化させる。

 

そうして

 

脊髄中枢に沿って

 

喉・・胸・・みぞおちの太陽神経叢

 

さらにイメージの光を吸う息とともに丹田・・( 下腹 )・・さらに仙骨付近にクンバハカで、グ−ンと落とし込んで

 

気海丹田にムンと気を込め圧をかけ生かす気でいっぱいにする。

 

腹いっぱい、胸いっぱいに陽気を充実させ

 

そういった脊髄中枢に沿ったとこにある内分泌器ホルモンを分泌するとこを純繰りに、吸息とともに刺激し活性化しつつ

 

 

最終的には

 

肩の力をすっと緩め、肛門を丹田に向けて垂直に軽く引き締め上げて息をしばらく止め陽気を下腹に納め

 

臍下丹田を含む腹・・胸、そして体の隅々を、蘇りの氣( 陽氣 )で明るく満ち満たす。

 

大自然の活かす力( 陽氣=vril )と溶け合って一体となったかのごとき感( 観 )を漂わせて
心地よさとともに満足感を味わい

 

さらに、ゆっくりと息を吐いて肩を弛め全身を弛めて心のわだかまり・・しこりを解かし
清々しい印象を伴わせ感謝と満足感とともに融合させるよう努める。

 

※形而上学で何千年も前からチャクラとして重要視されてる
「 氣のエネルギーセンター 」の人体における立体的配置箇所と
 現代医学的に心身の健全な成長や健康に重要な働きをする内分泌ホルモンを分泌する器官の立体配置が同じというのも
 深い何かがあるはずです。( 直感が先ですけど )

 

 

こういう素朴なことを不定期でもやって心がけてる方は

 

五感を駆使しても感じることのできない領域に・・これまで長年生きてきたなかで我知らざるうちに
自分でも意識できない領域に溜まって

 

破壊的でつきを落とすような消極的思いの種

 

不要残留本能心由来の何らの役にも立たない消極的な情念を誘発し妄想念の温床となるもの・・

 

既に植え込まれた消極の種なるものが、不活性化し

 

自らの生命を生かす本来の素晴らしい力が導入されやすくなると推定しています。

 

 

 

私自身、日拝法については安全性を含め相当に研究していますが

 

あまり過度な期待をせず‥だからと言って、どういう佳い結果がもたらされるか?という事については

 

成果を限定せず心をオープンにして

 

不定期でも気が向いた時にやるなど、そろりと取り入れて

 

 

ご自身の体験で確認されていかれたらよいと思っています。

 

何れにしろソロリとやって続けることで

 

意欲や心の安定度、平安感が増すようでしたら、

 

あなたに合っているということですので

 

大らかにお続けになられたらよいです。


 

 

 

  以前の私のように従来の日拝をやっていた方も、

 

 

 こういう方法を時々混ぜ込むことをすることで

 

心の深いとこの健康や運命を暗転させる消極的要素を押し出して

 

心の態度を積極に振り向け、物事の良い面に向けやすくなるのが以前よりは、容易になるはずでして

 

じっくり継続してやれば深いとこの感じ思うための観念要素自体が綺麗になるので

 

当然の結果として思考も積極化し積極的なきっかけを与えるし

 

丁寧に実践していったら´何となく流れがよくなり上手くいくようになる´

 

 

 

明るいものが兆すようになり、かつ心を尊く強く

 

喜びと感謝の「 積極 」のほうに振り向けやすくなって

 

さらに現実の生活の中で
何となく流れがよくなり少しずつ生活が素朴になって、上手くいくようになる

 

決して夢のような方法ではないけれども

 

それでも、この実感が少しずつでも得られたらしめたものですし

 

 

じっくり継続してやれば感じ思うための観念要素自体が綺麗になるので

 

三段論法的に自然に心が尊く強く積極化していきます。

 

 

心が積極化していきますと

 

 

あるいは、ひたむきに心の積極化の行修に努めていくと

 

 

STEP5でも詳述したように夢の実現に取り組んでいくプロセスにおいて

 

肉体の制限のある自分とは別次元

 

見えざる、感覚せざる・・けれども確かにあると直覚される「 氣としての吾 ) 」に、

 

ふとした瞬間に、あなたも、絵空事ではない形で出遭いやすくなるかもしれません。

 

そういう機会を増やすということ。

 

さらに、それだけで終わらせず

 

 氣を養いエネルギ-を高めて自己陶冶を為し体験を重ねていく一環として興味をそそられたら実践してみてもよいのではないでしょうか?

 


参考までに日拝で人生を大逆転させた方の逸話も掲載し、
私自身のささやかな体験談も紹介しておきます。
実践の糧になれば幸いです。
一厘のコツをつかめば表面意識では自覚されえない意識に上る以前の領域をクリ-ニングすることにも頗る好影響を与えると実感していますから。

 

 

旭日による観念要素の更改(特殊な日拝行)の100日体験談