世界的ベストセラーとされている「 7つの習慣 」という書

 

( 以下の本 )で書かれたことを抽象化した後に再度要約引用して
心身統一法と比較して語るなら

 

 

 

 

 

 

その決定的な違いは

 

緻密で体系的なHow to Doがあるかどうか?

 

 

というのが大きな差になるでしょう。

 

 

「 7つの習慣 」の重要なアイディアで核心のメッセージになってることの一つは

 

 

人間はどんな局面においても刺激に対して選択の自由がある。

 

起ったことに、どう反応するかを主体性を発揮し選ぶことができるのが
他の動物と人間とを決定的に分かつところ

 

 

 

というのが骨子のなかの更に核になっていまして

 

 

 

「 自らの身に何が起こるかではなく、

 

身に起こったことの事柄(刺激)に対して

 

それにどう反応( 対応 )するかが内外の成長と飛躍にとって重要で

 

これを如何に発展と繁栄の原則に沿ったものにするか?

 

これが生命を活かし充実した生活を送るために大事なんですよ 」

 

というのがひとつの透徹された縦糸として

 

貫かれた構成になっていると私は理解しています。

 

 

 

 

 

もちろん私も「 7つの習慣 」は名著であることは認めています。

 

 

ですが

 

 

では、いざ実践となった時に

 

 

 

第一の習慣である「 主体性を発揮する 」(能動的主体性) について

 

 

 

では?これを、どう実践するか?

 

 

でイキナリつまづいてしまうって方も出てくる・・と思ってます。

 

 

 

自覚できない潜在意識がグレーに染まってたら

 

感じせしめる感応性能も調子が崩れているため

 

意志力が煥発されず

 

 

どんなに気張ってみても心構えを積極に選べず

 

心に振り回されがちになるので

 

 

絵に描いた餅になる可能性が大きいでしょう。

 

 

 

 

意志の力の出具合や

 

心の強さや認知様式と関係している

 

感受性を司るとこが、その調子を崩していたら

 

 

 

気分を上機嫌にし、自分の心の天気を自分で取り締まりたくっても

 

 

わかっていても断然取り締まれなくなります。

 

 

事柄の刺激と反応の間に「 大いなるスペースがある 」

 

 

というのを知って、そのスペースにおいて

 

心の態度を積極にすることを選ぶほうがよいに決まってる

 

わかってても出来なくなる。

 

 

 

 

ここでもまた

 

 

感応性能が弱ったものをいかに強化し

 

 

刺激と反応の間の大いなるスペースに気づき

 

活かすための具体的な方法が提示されてなきゃ

 

 

いくら理論は立派でも「 絵にかいた餅 」になってしまいます。

 

 

 

そういうシビアな観方をしたら

 

世界的名著とされてる「7つの習慣 」だって
冷徹に突き詰めていくと

 

 

人間の弱さや浅ましさに寄り添えてないし

 

 

心に振り回されがちで

 

どうにもできないという悲惨なところから

 

一体全体どう立て直したらよいのか?

 

という「 問い 」には答えられてない。

 

 

 

 

出来ない人間に寄り添う形になってない・・

 

 

 

 

How to Sayの域を決して越えられない

 

と思っていますので。

 

 

 

なお、なぜ?こんなことを確信をもって断言的に私が書けるかと申しますと・・

 

何を隠そう‥(;^_^A
私の場合、「7つの習慣」という本も恥ずかしながら心身統一法の実践をしてない時に読んで
失望し、さらに挫折した経験があるからなんです。

 

 

どの記述に失望したかと申しますと

 

コヴィー博士が「 7つの習慣 」で述べていた以下の内容

 

( 以下 引用 )

 

 

「 後回し、短気、批判、わがまま等、生活を支える原則に反する
深く根付いた癖を捨てることは
弱い意志とわずかな努力だけでできるものではない・・
また、習慣は、知識、やる氣、スキルという要素からなっており、学ぶことも、
変えることも、捨てることもできる。
 しかし、それは応急措置だけでできるものではない。
きちんとしたプロセスと強い決意が必要なのだ。 」 

 

 

 

 ( ここまで )

 

 

 

 

 

 

 

このくだりを読んで当時の自分の本音の心の叫び( 心の俳句 )・・氣持ちは・・ですね。

 

だから、そういう深く根付いた癖を意志の力で少しずつでも
よりよく強く改善していく方法が知りたいんだ・・俺は・・というのが本音でして

 

 

 

 

 

 

 

ふっとリラックスすると・・

 

 

 あんたみたいな意志が弱った人間・・

 

しかも、強固な決意も削がれ・・根気も失せて、生物種としての生命を活かす力と生きる力が衰えて擦り切れているような輩が

 

「7つの習慣」を身につけるのは無理なんじゃないの?

 

深く根付いた癖を更改するなんて・・

 

 

 

 ちょっと、あなた・・身の程知らずもいい加減にしたほうがいいよ!

 

 

 

 

 

 

 

 と( 当時の私は )ふっと浮かぶところでは
思ってた( 思わせられていた )んですね。

 

 

 

( もうあの当時は挫折の連続だったわけで、この書も絵に描いた餅の一つだったんで )

 

 

 なぜなら

 

 

  ( 当時は)自己不信に陥り意志も弱り擦り切れ、枯れたようになって

 

 

 事実として根気も無くなって克己心も薄れて生ぬるい鈍い痛みを感じていましたから

 

 

そんな感じで、いきなり第一の習慣の「 主体性 」のくだりのとこで
それが出来るメソッドがないから困ってるんだよ・・と失望させられ

 

 

生活事実としても「 7つの習慣 」も、

 

読むだけで終わって挫折した経験があるのですが

 

 

そんな克己心が衰えて意志の力も弱ってた自分だったのが

 

口述書を真剣に読み、あの本に述べられてることを実践し

 

心身統一法を実践しつつ、心身統一法が、生活の中に、きちんと馴染んできた後に

 

 

「 7つの習慣 」にある内外の生産性を高めるための各習慣を実践したら

 

うまくはまった経験も持ってるんです。

 

だから、なおさら強い確信を持って言うことが出来ます。

 

 

 

ということで本題に入って「7つの習慣」の実践について簡単に触れてみますが

 

 

 

この本のなかの

 

「 刺激と反応の間のスペース 」

 

 

このフレーズは7つの習慣のなかでも最も印象的なフレーズの一つで

 

 

これも心身統一法で、より緻密に整理が出来て

 

日々の生活の中で「 刺激と反応の間のスペース 」というのをちらっと意識するだけでも現実の生活を向上させるきっかけになると思いますので、これについては、7つの習慣の著者のコヴィー博士、このフレーズに出会って
どのようにご自身を変容させていったか・・これを先ず引用してみます。

 

 

この件も自分のことのようにして読むとよいのではないでしょうか?

 

 

 

( 以下引用 )

 

 

ここで、私自身の個人的な体験を紹介したい。

 

数年前、私はまだ大学で教鞭をとっていたが、執筆活動に専念するために大学から一年間の休暇をとった。

 

そして、その一年を、ハワイのオハフ島の北海岸にあるライエという町で、家族と共に過ごした。

 

ある日、私はオフィスの近くにある大学に出掛けて行き、図書館の奥に山積みになっていた古い書籍の間を歩いていた。

 

やがて私は、その中の一冊に大変興味を惹かれた。

 

棚から取り出して開いてみると、ある一節に目が止まった。

 

そして、そこに書いてあった言葉が、私のその後の人生を大きく変えることになった。

 

要約すれば、刺激と反応の間にはスペースがあり
そのスペースをどう活かすかが、私たちの成長と幸せの鍵を握っている

 

ということだった。

 

私は、何度もその文章を読み返した。

 

その考えが私にどれほど大きな影響を与えたか、表現する言葉もない。

 

自分の将来は自分で決めることができると教育されていたが、

 

この「刺激と反応の間にスペースがある」という表現の仕方はとても新鮮であり、かつ信じられないほどの強い力をもって私の脳裏に刻み込まれた。

 

そしてそれは、まるで「はじめて真実を知った」ような
「自分の中で革命が起きた」ような、「時至れり」というような思いであった。

 

私は、再三再四その考えについて思いをめぐらせた。

 

やがて、私自身がその刺激と反応の間のスペースに立ち止まり
自分を取り巻く様々な刺激を見つめ始めた。

 

自分は、この自分の反応を選択する自由を持っているという実感と共に、

 

自分自身は周りに対する刺激にさえなれるということも、

 

あるいは少なくとも影響を与えることができるということも分かった。

 

この革新的なアイディアの影響もあり、一年間を通して私たち夫婦が話し合い発見したことは、
自身でも意識しない感情や選択にも、それに対しての刺激が存在するということだった。

 

それは、私たちが自分たちの両親から強い影響を受けているのと同じように、
私たちの行動も思いがけないほどの影響を子ども達に与えているということを、
今までに増して深く知ることができたことである。


 

ここでいう「刺激」とは、自分の体調を含めて、自分以外のすべての人の言動や
自然現象、流行や政治・経済などの社会の動き等、外部から入ってくる全ての情報のことを指していますが
人間関係というのがわかりやすいと思うので
「自分以外のあらゆる他者の言葉や態度、振舞い」で先ずは置き換えて考えるほうがわかりがよいと思います。

 

例えば

 

自分以外の誰かから貶されて、惨めになり傷つくこともできるし
怒り狂うこともできるし、相手をとっちめることを自分に許すこともできるし
主体性を発揮し意志の力を出して笑い飛ばすことを・・そうしてもよいと許してあげることも出来る。

 

感受性を司るとこが強くなって意志の力が発動しやすくなると
気分を取り締まって切り替えが容易になる・・真の主体性が出て恬淡としてくるんですが・・

 

そうなると貶す相手の心の背後の苦の音を感じ観て

 

相手を思いやることを、そうしてもよいと自分に許すこともできるし

 

前頭葉や腹を鍛えつつ発奮材にすることもできる。

 

 

「 刺激と反応の間のスペース 」というのを発奮材にし積極に転換した一例をあげるなら

 

塙保己一という御方がよい例になると思うので、この御方の体験を引っ張ってみますが・・

 

 

 

この御方は江戸時代の実証主義的な国学者で高校の日本史にも出てくるような方ですからご存知の方も多いでしょう。

 

7歳くらいから目が見えなくなったのですが

 

逆境にめげず総冊数665冊、目録1冊の合計666冊からなる「群書類従」を残したことで有名です。

 

かのヘレンケラーが心底から保己一を深く尊敬してたのもご存知の方は多いかもしれません。

 

 

保己一には、こんな逸話があります。

 

 

梅雨晴れのある日、保己一は、江戸の平河天満宮へ参詣に出かけた。

 

折悪しく高下駄の鼻緒が切れてしまった。

 

困った保己一は、境内を出た先のとっつきにある

 

小さな版木屋の店先に手探り、手探りしながら入った。

 

 

そうして

 

鼻緒の切れた高下駄の一方を片手に持ち

 

「 鼻緒が切れて難儀しております。

 

どうかヒモのようなものをいただきたい 」

 

と何度も丁寧に頭を下げ頼んだ。

 

 

そうしたところ

 

版木屋の小僧どもは

 

からかい半分に

 

「 座頭さん、こちらをお向き。 」

 

と言って保己一が表を向いたとき

 

意地悪そうな一人の小僧が
いきなり力を込めて背中を突いたので

 

 

保己一は、往来へよろけながら飛び出した。

 

「 おとといおいで、忙しいんだよ 」と小僧たちは声を揃えて嘲笑し囃し立てた。

 

 

保己一の顔は、一瞬紅潮したが、みるみる蒼白になって
屈辱のためワナワナ震えて悔し涙が目の見えない両眼からはらはらと流れた。

 

しかし怒りを下腹におさめ、よたよたと、よろめきながら無言で立ち去った。

 

その背後では

 

「 座頭馬鹿 」と保己一の背中に投げつけるように囃し立てる小僧たちがいた。

 

 

版木屋の主人は、その出来事の一部始終を高みの見物で見ながら

 

「 なんとも気味が悪いことよ 」と煙草をふかしながら番頭さんと話した。 

 

 

 

それから十数年の月日が流れた。

 

 

 

その後、保己一は目覚ましい出世を遂げ、さらに群書類従の編纂の際も
いろいろな逆境、困難の連続の末に
とうとう「群書類従」を出版することになった。

 

そうしたところ保己一は幕府に、たくさんある版木屋の版元として

 

なんと、ひどい冷遇と嘲笑、屈辱を受けた、この小さな版木屋を推薦したのだそうです。

 

 

もう十数年も前のこと・・そんなのは何も知らない版木屋の主人…

 

 

塙検校( 保己一 )から、大事業の件で話があるという手紙を受け取った主人は

 

検校のところに赴いた。

 

 

盲官として最高位の検校となった保己一を前に

 

十年以上も前に、部下の小僧たちが嘲るのを止めずに

 

煙草をふかしながら高みの見物を決め込んだ相手とも露知らず

 

( 最高位の検校ですから小さな版木屋など、この方の一声で、仕事がなくなる怖れもある ) 

 

微かな畏怖を感じつつ

 

 

版元としての大きな仕事を任されたことに

 

深々と慇懃にお辞儀をし正式な推挙のお礼を恭しく述べた。

 

 

そのとき、保己一は

 

「 ( 当時のことを覚えておいでですか?覚えておられないかもしれません )
私が今日あるのは、あの時の皆さまの冷たい態度のお陰です。

 

お礼を言うのは私のほうです。

 

目が悪くても、人から必要とされる人間になれば、
決してあのような態度をされないだろうと屈辱を忘れず
必死の努力を積み重ねたのです。
その結果、このような立派な本を出すことが出来ました。」

 

と、見えない目に深い喜びを浮かべ、顛末を語ったといいます。

 

 

版木屋の主人が深く恥じ入ったのは言うまでもありません。

 

 

 

このエピソードは18秒でテンションを上げる方法ともかぶるところがあり
私から言わせると、内情的には、体育会系は苦手で、そういう柄じゃないんだけども小僧さんたちに拳骨をくらわして性根を叩き直してやりたい・・
それに、こういう仕打ちを受ける以前から不器用な自分を何とかしようと懸命に努力して自らの弱みも受け入れ
強みを生かし気持ちを強く持って聡明になっていったとされてる保己一に対して馬鹿とか・・
お前たちは何様だ!この糞たれ小僧が!と怒りが焔のごとくメラメラこみ上げてきて
口から火がゴーーーッて出そうなイメージに包まれたことがあったんですが・・よくよく冷静に考えたら、こういう振る舞いをしてる小僧さんたちは、
この時点で既に人格の下劣さ、汚さという´報い´を受けてるということなんでしょう。
そう思ったら急に怒りが鎮まって怒りは多少は残っていても小僧さんたちが、ほんの幾ばくか、かわいそうに思えてくるから不思議です。
それに、このエピソードを潜在意識の観点から見たら保己一は意志の力が強く腹の力があって、未来に働きかけ、念願を実現出来たので過去の嫌な体験や劣等感、屈辱感が
積極の形で書き換えられ昇華されて潜在意識も新しい体験で積極に上書きされたと言うこともできるでしょう

 

 

このように相手がどういう振舞いや言動をするかは選べないにしろ

 

 

自分の周りの刺激と反応の間の

 

選択する自由をどう行使するか?

 

どういう反応をするか?自らの気分をコントロールすることが出来る。

 

 

人生は刺激と反応の間のスペース選択の連続であり

 

その選択がその人を作る。

 

起こってしまったもんはしょうがないにしろ

 

起こった出来事に対して

 

どう対応するか?ということを含めて

 

気分の監督を如何にするか?

 

そのスペースをどう活かすかが、私たちの内外の成長と幸せの鍵を握っている。

 

そしていつも新しい選択をする´選択の自由´というのが
私たち人間には大きく拓かれているという考えです。

 

 

さらに

 

刺激と反応の間のスペースを懸命に活かすための

 

人間以外の動物にはない四つの独特の性質というのが私たち人間にはあって

 

この見えざる性質をよりよく発揮することでインサイド・アウトから力が得られる。

 

 

その4つの人間独特の性質というのは

 

肉眼の眼には見えざる領域のとこにあるものでして

 

 

英語のほうが分かりがよいと思うので併記しておきますが

 

以下の4つの性質です。

 

・Self Awareness 「自覚」

 

・Imagination 「想像力」 (visualising beyond experience & present reality)

 

・Conscience 「良心」 (a deep inner awareness of right and wrong&following personal intergrity)

 

・Independent Will 「自由意志」(Acting independent of external influence )

 

この4つが独特の性質として提示されてて

 

 

これについては、7つの習慣においては以下の主体モデルが提示されてますので
図示しておきます。

 

 


上記について

 

その4つの人間独自の見えざる性質をいかに、よりよい形で伸ばし強められるかという点で

 

天風哲学がバイパスすることで、しっかり自分の気分を統制し

 

自らの強みや弱みを分析しつつ人間をつくる‥人間力を高めるというので

 

より滑らかに実践しやすくなるというので

 

私も実践で発見したことがあるから、さらにコメントするなら

 

 

意識できない心の奥座敷に

 

生命要素( 生かす氣 )を遮り

 

心身を一つにして取り扱うのを阻害し目詰まりを起こせしめる消極的因子というものがある。

 

 

 

 

これについては

 

心の奥座敷に当たる潜在意識領のクリーニングを熱心にやて、積極観念を日々耕すことで

 

潜在意識の汚れが取れていくと

 

感応性能が調子を戻していき

 

どこがどうということもなく

 

同じ風景、同じ光景であったとしても

 

晴れやかで、ほのぼのした・・しみじみとした情趣を感じやすくなるとされています。

 

 

潜在意識の奥底から除かれ積極的要素で入れ替えられ

 

それが日課になって

 

主に低我由来の心の奥座敷のゴミがお掃除されていくと

 

感受性を司るとこも強くなって

 

 

黙ってても生命要素が生命相に入りやすくなって

 

汚れが取れることで心を超えた次元から意志の力も出やすくなって

 

気を打ち込んでやる力も出てきて気持ちの管理が容易になっていく。

 

 

 

 

奥底の汚れを取ることで生命の状態をよくし

 

 

 

感じせしめられる心のアンテナの調子も戻り

 

神経系統が安定し現在の境遇に対して気持ちを監督でき余裕が出てくるとも言われている。

 

 

 

 

 

自我の底の心の奥座敷から心を弱め暗く卑しく愚痴を垂れて横暴にし
消極にさせる´思考材料そのもの´が追い出され

 

替わりに積極的要素が沈み込んで刻まれることで

 

表面の心が、奥座敷から、優れた素材である
内外共の進化を促す積極的材料を使用せざるを得なくなれば

 

 

 

日々の生活において
積極で明るく建設的方向に心を集中し描きやすくなる

 

なにがしかの高次元の力を受けやすくなるというのが

 

私が実践し理解した範囲における心身統一の原則と理論のひとつになります。

 

 

 

 

 

以下は「7つの習慣」をさらに階層構造にして天風哲人の心身統一の原則を「7つの習慣」を包含する形で図示したものです。

 

本当は、視覚脳などバランスよく感覚器官を啓発する一方法の後段で頑張って作成したように
交差法などの眼の使い方で立体視で
立体的に見えるように凝った作りで工夫したかったんだけど曲りなりの形で図示掲載しておきます(;^_^A

 

以前に「7つの習慣」との比較研究をし
( 自らの心身を第三者的にメタ認知的に把持する思考法を通して気づきが促されていく
心の上位純粋存在としての魂『 純一無雑な氣』-意志)−良心
さらに下位属性の感受性を司る感じられる心( 想像、自覚etc)神経系統眼に見える肉体の階層構造とそれらを神経系統でバイパスする氣(プラナ)と肉体を巡る氣血との微妙な関係については
ずいぶん以前から執筆しようとは思ってたんですが
別にほっとけば、誰かが「 7つの習慣 」と天風哲人の生命哲学の共通点と違いを
サイトやブログに書いてくださるだろうと思ったら結局のとこ日本人の誰も書いてる方がいない。

 

天風哲人の実践哲学のおひざ元の日本人が書かなきゃ
いくら「7つの習慣」というコンセプトや方法論が西欧・・アメリカで提案され、そこで最も実践研究されてたとしても
その枠内では西欧の方はパーフェクトリーに思いつけるわけもない・・

 

これも案外と素朴で大事なことで「7つの習慣」のキモのとこに該当してて
これが整理されれば言葉が少し変ですが・・より原則に調和した充実した生活を送るための
7つの習慣の習慣化をきっと促すと思いましたので
私も主体性を発揮し、ざっくりしたものを書くことにしました。
こういうのは・・別に日本人に限らず「7つの習慣」を本当に習慣化したい方に役に立つはず。

 

それに・・天風哲人の口述書のノウハウ実践して「7つの習慣」も読んだことのある方だったら

 

これに何となく気づいてる方は多いと思う・・

 

なお・・「7つの習慣」を習慣化するのにも、もちろん色んなルートがあって
その一つに過ぎないと思いますが天風哲人のメソッドが間にバイパスすることで、
より理解が深まり主体性が発揮され生活が原則に調和したものになって
私的成功を促して生活も締まってくる・・それが確実になる
と私は観ています。
( もちろん、これのみにこだわる必要もない・・色んなルートがあることは、そのとおりですし
それに、くれぐれも書いておきますが上の図( 天風哲学的解釈 )は公益財団法人天風会の公式見解ではありません。
STEP1でも念押しで書いたように私は、ここの会員ではないです。独自で研究して、こうだと体験上も確信したから書いてるので執筆責任は私にありますので念のため
 )

 

 

 

 

 

 

 主体性を発揮するのに重要なファクターである意志の力が渙発され積極方向に意識を向け、熱心な実践でそのバイブレーションを強めていくことで

 

日々の出来事の連続のなかで
私たちは生きてたらいろんなことに遭遇するわけですが

 

いろんな人間関係や日々の出来事に遭遇するなかで
心が、その事柄を感受し刺激を受けて湧き上がることがある

 

本人を苦しめて生活に悪い結果をもたらし、感受性を司るとこを弱め

 

氣が淀み体内に活性酸素が発生する

 

 

不要残留本能に該当する極めて低級な情念

 

先述した頭の中に湧いてくる雑草的なもの

 

大概が雑草生やし放題なわけで消極方向に働く傾向

 

 

 

 

こういった心の動きも

 

観方や感じ方、思考に影響を与え思考の健全性、思考の健康性、明朗性を良好にするために
奥座敷のクリーニングと積極要素への入れ替え及び、それらの心の動きを
第三者的な態度で照見して、心の奥座敷の雑草を駆除し、大らかに流す
「 特定意識の客観化 」と積極に更改しなおす習性をつけることで

 

消極感情に巻き込まれ難く

 

フーーンという思考観察的態度が形成され

 

そういう浅ましく卑しい消極的なことを想うことを積極方面へ更改し耕していくことも
( 紆余曲折あると思いますが・・)倦まずたゆまずやっていったら
内外共の進化を促す積極のほうに餌が多くなって、そちらが肥え太り
原則に沿った思い方、生活に近づいていく。

 

不要残留本能心というのは太古からの進化のプロセスで原始時代は役に立っていたかもしれないけども
今は不要になって陶冶が必要な心意です。
 本能心も肉体生命を維持し守るためにあるので必要なのですが、その心意のうち
( 原始時代ならともかく ) 現代のごとき高度な文明社会を形成した時代においては
何らの役にも立たないものなのに未だに残渣として残ってる
極めて低劣な階級の消極的心意として
定義されてる心意で気を散らせ卑しい妄雑念の温床になってる心意のことです。
※これも天風先生が対策とセットで定義なされたことは歴史的にも初めてで、感受性を司るとこの強化と眉間の奥から出る意志力の関係など、相当に画期的だと私は思っています

 

 これらを認めつつも、この低位の暗く激しい情念の勢いに力( 餌 )を与えず削いで積極のほうに餌を与え変容させ強み転嫁させるために、特定意識による思考の客観化を習慣化し

 

第三者的に対処し

 

 

かつ

 

それとは対極の積極の心理傾向に注意を向けて、
積極方面に働く心理的傾向力を強くすることに強い意念を抱き心底から強く望み

 

気( 意志力 )を注ぎ、そういう積極的心象材料を入れ込み耕すトレーニングで強みに転嫁し振り切ってく方法なんてのも

 

老若男女を問わず

 

生涯教育含めて日々を生き生きかつ恬淡・・ライフ・ワーク・バランスを鑑みながら過ごすのに大事なことで

 

これも、もっとプラナ(氣)と脳科学や精神身体科学的なとこから突きつめ、
深く解明し習慣化にフォーカスし全人教育や霊性開発などで
シンプルにし再現性あるものとして完成度を高めていきたいと私は思ってるけど

 

実効性のある自己の気質改善を目指して暗中模索してたような方にとっては

 

手がかり与えられただけでも割と嬉しい方法かもしれません。

 

なお、上の図でいう「 特定意識による客観化 」については

 

自分の体が痛いとか、だるい、気が重いとか
かゆいとか、肩が凝ってるとか
不愉快だとか、腹が立つとか
悲しいとか、恐ろしいとかいう感覚や感情

 

例えばお腹がすいた感じであろうと、あるいは痒みであろうと
怒りや憎しみや悲嘆、悲しみ、恐れ等というような一切の感情を
ちょうど自分以外の隣のおじさん、おばさんが、あたかも、それを感じているように
客観的に自身を視つ視点を持つこと
こういう考え方を 自覚=特定意識による客観化としています。
( 仙道では俯瞰、現代心理学では静かな観察者の視点・・メタ認知と考えてもよい )

 

これをクンバハカとともに習慣づけ氣が漲るようになると

 

感受性を司るとこも守られ植物神経も守られ

 

 

消極感情に巻き込まれ難くなりますし

 

心が動揺し難くなります。

 

 

心を体のように取り扱って内外共の進化向上に沿わせる権力のある意志の力( Will Power)で
それと対極に当たる積極の性質に注意を向けて、
その尊い心理傾向に意識(氣)を向けるのを許してやるだけでよい。

 

 

 

後述する方法で積極的フレーズに気を注ぎ、積極的で清明な観念要素を入れ込み
耕す訓練を1日数分施すことで潜在意識を含む心の清明化が
促されて自我も順動の積極傾向のほうに傾きやすい形で変容していきます。
得体のしれない高次元の力に導かれやすくなる。

 

 

私たちは生きてたらいろんなことに遭遇するわけですが

 

いろんな人間関係や日々の出来事に遭遇するなかで
心が、その事柄を感受し刺激を受けて湧き上がることがある

 

進化向上かのレールから脱線させる心意である嫉妬や根深い僻み根性と申しますか

 

コンプレックスについても

 

論理的に推理したり、ものの道理、良し悪しを見分ける能力がある理性心と
本能心( 肉体を守ろうとする、ごく自然で本能的働き )のせめぎ合いや葛藤も

 

心身の不調和や葛藤を生じる原因を心の奥座敷から取り除くことを日々の日課にし

 

感受性を司るとこを強化し丹田を練ることを習慣にしていくことで

 

自然に心身の結合が促され鎮まって、おさまりがよくなって

 

一般に悪いとされてることが良い面として転嫁され強みに育てられていきます。

 

自らの対人思考・言動・態度を心身統一のメソッドで変えることによって

 

家族や周囲の人間関係に肯定的な変化をもたらす。

 

 

 

このように世界的なベストセラーの「 7つの習慣 」も天風哲人の心身統一法がバイパスすることで
より緻密になって完成度が高まり人格練磨を含め私的成功を支える真の主体性が発揮されるし公的成功の礎も築かれると私は考えています。