世界的ベストセラーとされている「 7つの習慣 」という書は、価値観の炙り出しや自身の価値観の再統合をするのにお薦めの書です。
また「 原則 」を学ぶのにもバランスがとれたよいテキストです。
このペ-ジは、どちらも学んだことがある方に私が長年研究し体験的に気づいたことをシェアするつもりで書いたものです。
( 上記のテキスト )で書かれたことを抽象化した後に再度要約引用して心身統一法と比較して実践した中で体験を語るなら
先ず実践面では「 7つの習慣 」を、ただ上っ面で読んでも、自らを変えるのは、相当に困難というのは、読者からの問い合わせや自身の体験からも言えなくもないと思っています。この件については、後述します。
ですが口述書などで心身統一法を研究し実践を深化させて心身統一法をバイパスさせ、段差を埋めて「 7つの習慣 」に取組み応用展開させていくと人によっては事情がガラッと変わる方も出てくるだろうというのは指摘してもよいのかもしれません。
※もちろん、以下に述べるようなことを、こちらで詳しく解説し段差を埋めることのできる内容を知っても、上手くいかないという方だって実際いるでしょう。
人それぞれ、いろんな背景をもっているわけですし。
ですが、組み合わせたら上手く軌道に乗せることのできる人は出てくると思っています。
と言う事で先ず、「 7つの習慣 」と心身統一法(正確には「成功の実現」などの口述書)との決定的な違いから述べてみます。
決定的な違いは、そこに緻密で体系的なHow to Doがあるかどうか?というのが大きな差になるでしょう。
ここで「 7つの習慣 」の重要なアイディアで核心のメッセージになってることについて述べるなら
以下のような内容になるでしょう。
すなわち、人間はどんな局面においても刺激に対して、どう反応するか、選択のスぺ-スがある。
人生には思うようにならない場面は、しばしば起きるものですが、
その際に、起ったことに、どう反応( 対処 )するか?
主体性を発揮し選ぶことができるのが他の動物と人間とを決定的に分かつところである。
人間は刺激と反応のスぺ-スに気づくことができる。そして心身の主人として習慣システムを統御し、進化向上の流れに乗せて変えることで、創造的で充実した幸福な生活へと、その軌道(流れ)を変えることができる。
以上が、その主張の核になっていると読み取れます。尤も、これは私の解釈も含んでおり肉付けをしていますけど。
この指摘をプラスアルファで潜在意識の観点から批判的に述べるなら
心は、自身を取り巻く外界の出来事などから受ける感覚や衝動刺激に対して影響を受けますが、
「 7つの習慣 」は、より内面のことについては、口述書ほど、深く言及できていません。
天風哲人の方法論の方面から、私の解釈も加味して「 刺激と反応の間の大いなるスぺ-ス 」を説明するなら
刺激に対する瞬間的な反応は、植物神経(自律神経)の状態や内面の潜在意識領の思考原料の内容および、それらと相関した感応性能の調子にも強く影響されるということ。
人生には思うようにならない場面は、しばしば起きるものですが、
その際にただ刺激に消極的に反応させられるままではなく、
感じせしめられる内界(の記憶倉庫のパイプに始末に負えないくらい糞詰まった負の心象因子)を、きれいさっぱり浄化し、併せて刺激に対する神経反射を訓練によって制御するということ。
そうすることで内界及び外界の刺激に対し、一拍「 間 」をおいて冷静に対応できる実力を後天的に培うことが可能になり、
(訓練のやり方によっては)影響され難くなるようにアップグレード出来ると言えるのではないかと思います。
(尤も、これだって言うは易しで実践積算は、意外に鍛錬を要しますけど少なくともHow to Sayではない事だけは確かでして)
理性心で、そういうことを知って、理論で把握していてもいざ実践となった時に「7つの習慣」だけしか読んでおらず知らなかった場合に
第一の習慣である「 主体性を発揮する 」 についてすら
思うようにならない場面は、しばしば起きる日々の生活の中で、
自らの心の弱さに打ち克ってこそ、世の荒波を乗り越えていけるのだとわかってても
わかってても出来ないから困ってるわけで(-_-;)笑い話にもならない。
具体的な心の統御法がなかったら、蛇蝎のごとき心に振り回され、いきなり躓いてしまうって方も出てくるでしょう。
手帳などを買ったりして取組んでも、残念ながら旧い生活由来の悪習に押し流され、すぐに元の木阿弥になる方が大半・・と私は思っています。
自覚できない潜在意識が、これまでの生活でグレーに染まって
自律神経(植物神経)も調子を崩し、刺激に対し腫れた神経みたいに過敏反応化するようになっていたら
ちょっとしたことにも心がグラグラ揺さぶられ耐えられなくなるんです。
高次の意志力が煥発され難くなっているので
「 わかっちゃいるけど止められない 」になってしまう方が大半というのが、その理由です。
例えば、この「7つの習慣」に書いている中に
「 主体的な人は、自分の天気を持ち合わせている 」という件(くだり)があります。
この一節を言い換えれば「 気分を上機嫌にし、自分の心の天気を、心の主人公として自分で取り締まることが大事 」ということになるでしょう。
思うようにならない場面は、しばしば起きがちな日々の生活の中で「 心の主人として自分の弱さに勝ってこそ、世の荒波を乗り越えていける 」と言い変えることも出来るでしょう。
よく読みこんでいる方なら、こんなことは百も承知でしょう。
ただ、これだって、この一節に、いたく感動し、「 そのとおりだ!我が意を得たり!! 」と思って実践しようとしても
気が付いたら蛇蝎のごとき心に振り回され惰性的な悪習の傾向的力に押し流され
あの感激はどこへやら。
「 (何かの不都合なことがあった際に)理性では、よくないと思っても衝動のまま怒りに任せて怒ったり憎んだり、そねんだり、
あるいは、落ち込むだけ落ち込んだりして、、
自分の天気を持ち合わせているどころの騒ぎじゃない思考癖に陥るのが関の山。
「 絵に描いた餅 」になる可能性が大きいでしょう。残念ながら。
理性では、気分を上機嫌にし、自分の心の天気を自分で取り締まるのがよいに決まっている。そんなことは小学生でもわかるでしょう。
そっちがよいのは理性では十二分にわかっていても断然取り締まれなくなるんです。
潜在意識領にしこたま消極的な観念要素が溜まって感応性能が調子を崩して、自律神経も調子を崩し、自己信頼も無かったら心が揺さぶられやすくなって取り締まれず上機嫌どころではなくなりますから。
また心を方向づけ出来る意志の力も出難くなるので力だけはやたら強い衝動的な本能心と理性心の際限のない葛藤も鎮められないというのが、「 絵に描いた餅になる理由 」です。
あるいは
事柄の刺激と反応の間に「 大いなるスペースがある 」
というのを知って、「 なんという素晴らしい一節だ!」と感激し、その大いなるスペースにおいて
不運命な出来事があっても人生を明るく前向きにいきいきと生きていくのが断然よいと理性では、わかってても出来なくなるんです。
自覚できない潜在意識領にしこたま消極的な観念要素が溜まって神経系統が調子を崩して信念も弱かったら。
ぶっちゃけて言うなら
生活に組み込んだ実践レベルで、シビアな観方をし冷徹に突き詰めていくと
世界的名著とされてる「 7つの習慣 」だって
人間の弱さや浅ましさに寄り添えてないし
出来事の刺激由来の心に振り回されがちでどうにもできないという悲惨なところから
一体全体どう立て直し、強い心(身)を作っていったらよいのか?
という「 問い 」には答えられてないんですよ。残念ながら。
言い換えれば、すり減って出来なくなっている人間に寄り添う形になってない・・ってことです。
尤も「7つの習慣」は名著というのは否定しませんが、名著とは言え、「成功の実現」等と比べて、口述書基準で批判すること自体が、とても酷な事かもしれませんね。
そんなことするとパスできるものが、ほぼ皆無になってきますから。(-_-;)
なお、なぜ?こんなことを確信をもって断言的に私が書けるかと申しますと・・
何を隠そう‥(;^_^A
私の場合、「7つの習慣」という本も恥ずかしながら心身統一法の実践をしてない時に読んで
感動したんですが、感動したって実務レベルでは、どうにもならない。
悪習に押し流され挫折した苦い経験があるからなんです。
どの記述に失望したかと申しますと
コヴィー博士が「 7つの習慣 」で述べていた以下の内容
( 以下 引用 )
「 後回し、短気、批判、わがまま等、生活を支える原則に反する
深く根付いた癖を捨てることは
弱い意志とわずかな努力だけでできるものではない・・
また、習慣は、知識、やる氣、スキルという要素からなっており、学ぶことも、
変えることも、捨てることもできる。
しかし、それは応急措置だけでできるものではない。
きちんとしたプロセスと強い決意が必要なのだ。 」
( ここまで )
このくだりを読んで当時の自分の本音の心の叫び( 心の俳句 )・・氣持ちは・・ですね。
だから、そういう深く根付いた癖を意志の力で少しずつでも
よりよく強く改善して対応していく実力を培っていく実際的な方法が知りたいんだ・・俺は・・というのが本音でして
ふっとリラックスすると・・
あんたみたいな意志が弱った人間・・
しかも、強固な決意も削がれ・・根気も失せて、生物種としての生命を活かす力と生きる力が衰えて擦り切れ
所謂負け犬みたいになってる輩が
「7つの習慣」を身につけるのは無理なんじゃないの?
深く根付いた癖を更改するなんて・・
ちょっと、あなた・・身の程知らずもいい加減にしたほうがいいよ!
と( 当時の私は )ふっと浮かぶところでは思ってた( 思わせられていた )んですね。
( もうあの当時は挫折の連続だったわけで、この書も絵に描いた餅の一つだったんで )
なぜなら
( 当時は)自己不信に陥り意志も弱り擦り切れ、枯れたようになって
事実として根気も無くなって克己心も薄れて生ぬるい鈍い痛みを感じていましたから。
尤も感情が死んで生けるしかばね、能面になっていた頃ではなかったので、精神状態としては、まだ遙かにましでしたけど。
そんな感じで、いきなり第一の習慣の「 主体性 」のくだりのとこで
それが出来るメソッドがないから困ってるんだよ・・と軽く失望させられ
生活事実として実際レベルで「 7つの習慣 」も、絵に描いた餅(感動しても)結局、どうにもならなかったんです。
そんな克己心が衰えて意志の力も弱ってた自分だったのが
口述書を真剣に読み、あの本に述べられてることを死ぬ気で実践し心身統一法が、生活の中に、きちんと馴染んで
信念も体感的にわかるようになってきた後に
「 7つの習慣 」に取り組み実践したら価値観の炙り出しや再統合が促進され、うまくはまった経験も持ってるんです。
だから、なおさら強い確信を持って言うことが出来ます。
ということで本題に入って「7つの習慣」の実践について簡単に触れてみますが
この本のなかの
「 刺激と反応の間のスペース 」
このフレーズは7つの習慣のなかでも最も印象的なフレーズの一つで
これも心身統一法で、より緻密に整理が出来て
日々の生活の中で「 刺激と反応の間のスペース 」というのをちらっと意識し、これに加えて対応するというキーワードを日々の仕事や生活の中で言い聞かせるだけでも現実の生活局面を少しずつ動かし向上させるきっかけくらいにはなると思っています。
なお、「 刺激と反応の間の大いなるスペース 」というキ-ワ-ド(フレ−ズ)については、7つの習慣の著者のコヴィー博士が、この一節に出会って
ご自身をどのように変容させていったか・・これを先ず引用してみますね。文脈の中で捉えることで理解が深まるかもしれませんから。
この件も自分のことのようにして、あたかも自身が著者のコヴイ−博士になったかのような気持ちで読むとよいかもしれません。
( 以下引用 )

ここで、私自身の個人的な体験を紹介したい。
数年前、私はまだ大学で教鞭をとっていたが、執筆活動に専念するために大学から一年間の休暇をとった。
そして、その一年を、ハワイのオハフ島の北海岸にあるライエという町で、家族と共に過ごした。
ある日、私はオフィスの近くにある大学に出掛けて行き、図書館の奥に山積みになっていた古い書籍の間を歩いていた。
やがて私は、その中の一冊に大変興味を惹かれた。
棚から取り出して開いてみると、ある一節に目が止まった。
そして、そこに書いてあった言葉が、私のその後の人生を大きく変えることになった。
要約すれば、刺激と反応の間にはスペースがあり
そのスペースをどう活かすかが、私たちの成長と幸せの鍵を握っている
ということだった。
私は、何度もその文章を読み返した。
その考えが私にどれほど大きな影響を与えたか、表現する言葉もない。
自分の将来は自分で決めることができると教育されていたが、
この「刺激と反応の間にスペースがある」という表現の仕方はとても新鮮であり、かつ信じられないほどの強い力をもって私の脳裏に刻み込まれた。
そしてそれは、まるで「はじめて真実を知った」ような
「自分の中で革命が起きた」ような、「時至れり」というような思いであった。
私は、再三再四その考えについて思いをめぐらせた。
やがて、私自身がその刺激と反応の間のスペースに立ち止まり
自分を取り巻く様々な刺激を見つめ始めた。
自分は、この自分の反応を選択する自由を持っているという実感と共に、
自分自身は周りに対する刺激にさえなれるということも、
あるいは少なくとも影響を与えることができるということも分かった。
この革新的なアイディアの影響もあり、一年間を通して私たち夫婦が話し合い発見したことは、
自身でも意識しない感情や選択にも、それに対しての刺激が存在するということだった。
それは、私たちが自分たちの両親から強い影響を受けているのと同じように、
私たちの行動も思いがけないほどの影響を子ども達に与えているということを、
今までに増して深く知ることができたことである。
(ここまで)
これは、
一時的な感情、衝動による行動に一拍置くと言い変えることも出来るでしょう。