( 心の浄化や積極精神の習慣化でしたらメインサイトのSTEP1〜5で大概行けると思いますからノイズを入れずに、このステップに沿って徹底的に実践することに集中したらよいかと思いますけど )

 

 

 

有難いこと、よくなりつつあることに意識を向け「 ありがとう 」「有難い」という言の葉を一心に心内でつぶやいたり囁いて心に響かせる・・

 

囁き声のような語りかけを見えざる宇宙の根本主体(天風哲学的には宇宙霊)の絶妙な働きなどに対して行う。

 

併せて人から「ありがとう」と言ってもらえることは何か?ってことを、置かれた状況の中で時々考える・・

 

 

こういったことを最初は1日1分から始めて

 

加速膨張していき半年で100万回以上実際にやったことがある著者コメントしておきます。

 

「 ありがとう100万遍 」っていうのは、このサイトを執筆してる私も、

 

 

もう10年近く前に100万遍の感謝行は実践したことがあるんです。

 

 

まあ、今でも別に、これしてどうこう・・というのも考えず

 

未だに継続してる事の一つなんですが・・

 

 

 

 

なお

 

この記事のテーマである有難いことに注意を向け「ありがとう」という言葉を呟いて感謝する´ 行 ´の実践や

 

ありがとう、有難いと言ってもらえることは何か?ってことを、置かれた状況の中で時々考える等ということについては

 

オカルトだ!間抜けなことだと言って一笑に付す、それのみに止まらず中傷し小馬鹿にする方も、それなりに多い実態もあります。

 

 

ですので、執筆する( 公開する )のも実は、案外と勇気が要ります。

 

 

尤も、ここに書いているようなことを実践するような方は、私みたいに奇特な方や
よほど追い込まれ極まって切羽詰まった方で何らかの生き方の変更を迫られた方くらいしか、
恐らくは、ここに書いたようなことは真剣に実践しないと、ある意味では思っています。

 

それに実践してもバッチリはまって、信じられない様な奇跡が起こる人というのは実践者の2%〜5%未満と私は推定していますが

 

それでも実践し続けて素晴らしいことが日常生活に起こってる方が数多いることも否定はできません。

 

 

 

 

 

病の平癒という点でもがん細胞に、そのまんまの気持ちで「 ありがとう 」と言って

 

末期のがんが治って生還した生身の体験を持つ方もいらっしゃることも事実のようです。

 

 

( 私は本で知ったのですが・・ )

 

奇跡の生還という体験を持つ方の中でも

 

工藤房美さんという方のエピソードも目を見張るものがありますのでご紹介いたしますが

 

 

工藤さんは48歳で子宮頸がんになり、肺・肝臓・腸骨転移し

 

余命1ヶ月と宣告されたそうです。

 

 

 

痛みで気絶するほどの壮絶な闘病中に「生命の暗号」という1冊の本を

 

知人から手渡されたと言います。

 

 

彼女は、その本を貪るように読み

 

その本に魂が震えあがるほど感動させられ

 

余命がたとえ1カ月であったとしても
その残り1カ月を目覚めていない95%の細胞が喜び
遺伝子が喜ぶ生き方としての時間を粛々と過ごしたいと思い起ち

 

すべての臓器に、そして37兆( 著書では60兆 )の細胞群に

 

「ありがとう」「ありがたい」と心を込め祈りを込めて、そのままの直ぐなる気持ちを出しお礼を言い始めたそうです。

 

 

さらには

 

痛みにも、抜け続ける髪にも言い続けたのだとか。

 

 

そうして標準治療と併せて「 感謝行 」の実践をひたむきに継続していったところ、

 

一時的に良くなったかと思えば悪くなったり・・そういう一進一退を繰り返して

 

 

それでも素直な・・そのままの心で感謝行を続けていったところ

 

 

なんと10ヶ月後には末期と宣告されていたガンがすべて消えており

 

主治医のお医者さんも、その事実に驚愕したそうです。

 

 

 

 

ただ思うんです。

 

 

実際に私も見えざる宇宙根本主体の霊妙な働きや現象界の自然万物に対し100万遍以上の「ありがとう」と呟く感謝行というのを
未だに少しずつ継続してはいますし、自身が天風哲学で言うところの霊性満足の命の活かし方を探求してるところもあって
人からありがとうと言ってもらえることは何か?ってことを、置かれた状況の中で時々考え
思いついたことを実行してはいるんですが

 

感謝行を一つとっても実践した身でありながら、これについては未だにエニグマでして、
未だによくわからないとこがあると思っています。

 

 

 

なぜなら

 

 

 

実践した方の事実にフォーカスすると

 

人によって個人差が、著しいことがわかっているからです。

 

 

 

統計的に感謝行を考えても

 

 

工藤房美さんのように、生き方の変更を迫られ
肉体生命の最大の危機というようなところから
感謝行の実践をひたむきに実行し、それがバッチリはまって、
尋常ではない奇跡ともいえるような結果が出る方は、(A)タイプとして
実践した方のうち2%〜5%未満ではないか?と私は推定しているのですが

 

 

尋常ではない素晴らしい結果とまではいかなくとも、

 

 

感謝行がよいと素直に信じて実践継続し相応の結果が出る方もいます。

 

これを仮に(B)タイプとします。

 

 

そうかと思えば

 

「ありがとう」と言い続け、暇なときにノートに、「ありがとう」等の
感謝の言葉、積極的言葉を書き連ね続けて病が治るだとか・・
そんな似非科学とかありえない!!
もう何言ってるんだ・・とぶつぶつ文句を言って

 

やさぐれて不貞腐れていたような・・

 

敵意と反感しか持ってなかったような方で、感謝なんぞ糞くらえ・・と
ひねくれてたような方が

 

 

 

こういうの・・ふと、やる気になって、あまり真剣ではないやり方で
モチベーションも低く疑いながら投げやりな気持ちで実行していったら

 

 

次第次第に有難い気持ちが盛り上がり高揚してきて
長年苦しめられていた痼疾が治ってしまったという
医学的に、珍しいことが起こったという事例( ファクト )もあったりなんかします。

 

動機がおかしくて、態度が消極的でも、ちょっと実践しだけで相応の結果が出たというタイプ・・これを(C)タイプとしておきます。

 

 

 

さらにカテゴライズするなら

 

 

 

 

そんな似非科学とかありえない!!ありがとう教とか信じるか!もう何言ってるんだ・・
と言って疑いが群雲のごとく・・さらには、そういうのに敵意と憎しみと反感と疑念しか持ってなかったような方で

 

 

全く信じてないという方が

 

こういうの・・ふと、やる気になって、実行したけど・・
感謝行を何万回やっても、全く境遇が好転していかない・・

 

やっぱり似非科学だった・・信じた私が馬鹿だった・・くそったれ・・
と結論付ける方もいる事もまた事実。これを(D)タイプとします。

 

 

その一方で

 

 

ありがとう、有難いという感謝行で病が治る・・奇跡的なことが起こると信じて
標準治療と併せて素直かつ熱心に何万回実践しても病がよくなっていかない・・・・

 

 

とかいう方だって実際に事実( ファクト )として多くいらっしゃると思うわけです。

 

これを(E)タイプとしてカテゴライズします。

 

 

以上が慢性的な病や不遇などと感謝行の実践と結果について、ざっくりした分類ですが

 

 

 

事業関係で、様々な経緯と動機で、この感謝行を為さった方もいらっしゃって
凄い恩恵を受けた方もいます。

 

例を挙げるなら、ある有名な食品メーカーの奥さんに当たる方がいらっしゃって
夫である社長さんが急死し会社のことを知らない奥さんが夫の経営していた会社を引き継ぐことになってしまったそうです。
ですが、その奥さん・・会社経営なんて、なにも・・微塵もわからない。

 

 

 

だから社員さんと取引先に
「 皆さんのお陰で、この会社は成り立ってます。ありがとう 」
「 ありがとう 」「 ありがとう 」と「 ありがとう 」と
ただ頭を下げ、ニコニコしながら感謝し続けていったら

 

 

 

 

全く商品知識も経営のことも、さっぱりで、未だによくわからないのに
売り上げが3倍になったという話もあります。

 

これは、感謝行を、素直な気持ちで実践して相応以上、想定外の結果が出た
(A)タイプに近い(B)の事業バージョンでしょう。

 

 

事業レベルで尋常ではない感謝行を実践し続けた方の中では

 

ある菓子食品の製造過程で、商品が出来上がるまでに「ありがとう」を100万回聞かせる

 

というのが製造現場で実際に行われてるとこもあります。

 

こういうオカルティックなことを会社( 工場 )レベルで実際に実践をし
ご自身でも、とんでもないレベルの感謝行を実践していたのだとか。

 

これについては私はメルマガ読者から情報提供として教えてもらったのですが

 

 

 

これを只管実践し続けた方は日本の上場企業100社以上に個人で大株主になってしまい

 

日本一の個人投資家で「和製バフェット」「平成の花咲かじいさん」とまで言われるようになって

 

時価116億円もの株式資産を遺した方でもあるって言うんだから驚きますよね。

 

 

具体的な会社名や人名までは挙げません。

 

( 興味あるなら調べたらよいと思います )

 

 

 

この事例は、病の平癒ではないけれども
事業や経営関係で賢明な経営を実行すること以外に感謝行を尋常じゃない深いレベルで実践をし続け
奇跡的な・・想定外の結果が出た2%〜5%未満の(A)タイプとして分類できると思います。

 

 

 

 

 

 

かと思えば

 

 

 

事業経営が思わしくないので半信半疑でふと、やる気になって、実行したけど・・
何万回やっても、どうにもならない・・
ジリ貧のスパイラルにはまってどうにもならない・・
やっぱり似非科学だった・・信じた私が馬鹿だった・・という感想を持つ方もいる。

 

これは、(D)タイプとしてカテゴライズできます。

 

 

 

このようにタイプ分けして感謝行の実践プロセスと実践結果をざっくり分類してみると

 

生き方の変更を迫られ切羽詰まって命がけというようなやり方の実践をし続けて
バッチリはまって、尋常ではない素晴らしい結果が出るような事例や

 

 

素直に実践継続して相応の結果が出る事例もあれば出ない事例もある。

 

 

 

半信半疑で、反感や疑念を持っていたにもかかわらずふとやる気になって

 

頑張って感謝行を実行したら、あり得ない、凄いことが起こったという事例もあるかと思えば

 

 

半信半疑でふとやる気になって、頑張って感謝行を実行しても、どうにもならない・・

 

 

やっぱり似非科学だった・・信じた私が馬鹿だったと結論付け、不貞腐れる方もいる。

 

 

 

「 ありがとう 」と言いながら治る人もいれば治らない人もいる。
「 ありがとう 」と言いながら状況が好転しない人と好転していく人がいる。

 

 

原因分析をしている方もいまして

 

上手くいかないのは思い込みが弱いからとか・・

 

表面意識の心すら届かない深いとこに根深い恨みや憎しみ、不満のしこりがあって

 

かつ命がつながり合ってることを「 (深いとこから)感極まるくらいありがたい 」と思ってないからだと理論づけてる方もいますが
むしろ、そういう実践が出来る方のほうが稀ではないかと考えます。

 

素直に信じて感謝行を実践しても、どうにもならない方だって事実としていらっしゃる事も事実。

 

 

 

信じても治らない・・好転しないって方は周りの方が、あまりにもある観念に囚われていて
感謝行なんかで治って欲しくないと思ってる・・

 

そういうのを強く激しく軽蔑してる人がいて、そういう無理解の雰囲気の満ちた「 場 」だと
見えざる場( 雰囲気 )の影響を受けて上手く行かないとか理論づける方もいる。

 

 

確かに周りの雰囲気の影響というのもあると思うけども、そういう形のみで結論付けることも疑問が残る・・と私は思っています。

 

 

 

なぜなら

 

 

心底そういうの応援してる方が身近にいてお医者さんの標準治療と併せて
本人も素直に信じて闘病中に熱心に感謝行の実践をしても
一向に回復の兆しも出ず、そのままお亡くなりになるEタイプの方だっている
というのを聞いてますから。

 

 

ところで

 

冒頭で紹介した余命1カ月の子宮頸がんから生還した工藤さんという方

 

 

私が分類したところでは、工藤さんは、ありがとうを呟く感謝行という方法が

 

バッチリはまった2〜5%未満の(A)タイプと言えると観てますが

 

工藤さんの場合「ありがとう」「ありがたい」というお礼を呟くことが100万回を超えた頃に
不思議なことが続出するようになったそうです。

 

 

 

かく云う私も100万回以上の´ ありがとう ´というのを実践したことがあるわけで
( 大半が心内での呟きや囁きの形の実践でして、私の場合は、素直に実践して、
尋常じゃないほどの素晴らしい結果までいかなくっても
相応の結果が出たというBタイプだと分析してますけど )

 

その体験の範囲から、自身に起こったことの分析と、当時の実践の動機と併せて述べるなら

 

 

私の場合は、工藤さんとはやや趣が異なってて・・

 

虚弱体質で、体が強くない部類の人間でして、今でも、その傾向はあるにはありますが、

 

そもそも絶体絶命の大きな病を患ったことが実践のきっかけではありませんでした。

 

実践の動機や、その経緯はと言いますと・・あの当時を振り返ってみると・・

 

 

自分自身の心内の内面環境において渦巻き行き交う想念の鋳型を観察したところ・・

 

言葉ってのはコミュニケーションのツールとして
使う言葉ってのあるけども

 

待てよ待てよ・・ちょいと待て

 

 

 

お道具である頭‥心の中をハイウェイのように行き交う想念ってのが観察できるけど

 

独り言のように、時々、ぶつぶつ、つぶやいたり
自身に語りかけたりする内言語ってのも自覚できるよね。

 

 

 

 

よくよく考えてみたら

 

 

そういう「 言葉 」ってのを、道具にして、お道具の心って思念形成し
心のハイウェイを行き交う内言葉を抄い取って思ったり考えてるとこも一部にあるよね。

 

 

ってことは・・

 

 

 

あっ!そうだ!!

 

 

お道具である頭の中で、時々、独り言のように

 

ぶつぶつ、つぶやいたり、自身に語りかける内言語・・

 

これそのものを・・消極的でワクワクさせない意気消沈させるものを抄いとるのではなく

 

ありがとう、ありがたい、面白い!あらゆることで、どんどん良くなっている・・等をベースにして内言語を積極にして
更改して、積極の言葉を選ぶように心がけていったらどうだろう??

 

 

そもそも私たちは成人になるまでに

 

「 ダメ 」とか「 あなた<わたし>には出来ない 」「 不公平!」
「 最悪 」「最低」「○○が憎い」
などという否定的な言葉や不平不満、愚痴、恨み言などの積極でない勇気を挫く言葉を
平均14万8千回も耳にし目にして浴びせられて
自分でも口にしていると言われてるのなら

 

 

そういうマイナス言葉をキャンセル( 中和 )し

 

 

 

替わりに感謝と喜びをベースにした言葉を選択するようにしてったら

 

意識っていうか心も創造発展の方向に同調しやすくなって変わるかも・・

 

 

だって、よくよく心を通過する連想、内語を俯瞰( 内観 )的に覗き込んだら

 

脳裏に去来し心のハイウェイを行き交ってる内言語を思考の材料・・道具にして
思考してることもよくあるじゃないか。

 

なので暗く陰気で意気地なしになるマイナス言葉を口に出すことをキャンセルするように心がけ

 

 

 

その反対に

 

ありがとう!できる!面白い!大丈夫!!ついてる!信念強い!あらゆることで、どんどんよくなっている!などの

 

積極的言葉を選んで口にするように心がけ

 

 

自身の主観内の内言語を積極に変更して、そういう明るい喜びに満ちた
気分のよくなるもので一杯にしていったら

 

 

 

ひょっとして、もしかして

 

内言語を道具にしてる思考の質が変わるから

 

心も発展方向の流れに同調し変わるんじゃないか?

 

 

 

 

 

言葉の響きで心を清め積極化することで

 

意識も高まっていくんじゃないのか?

 

 

普段心の中で使う言葉を積極の言葉を選ぶように変え

 

人からありがとうと言ってもらえることは何か?ってことを、置かれた状況の中で時々考え、思いついたことを実行する・・

 

こういう些細なことを心がけるだけで妙に運が拓かれた方がいるというのも小耳に挟んだことがある。

 

長者番付の常連としても有名な斎藤一人さんなんて

 

中学校しか出てなくて、しかも、ご本人の談話によると
ずば抜けた商才があったわけでもないと、ご自身で述懐してる記事(本)を読んだことがあるけど

 

結果的に、信じられないようなツキを得て、そうなってしまったのは

 

 

ツキ以外の何ものでもないと断言なさっている。

 

では、なぜツイているのか?というと

 

一人さんの答えはシンプル

 

何があろうと「 俺はツイてる 」というのを、どんな事が起ころうが断固として選び口癖にし
それをひたむきに続けていたから、そうなったのだというのも読んだことがある。

 

 

こういうのがバッチリはまるのは2〜5%未満かもしれないが

 

それでも可能性が少しでもあるなら、やるしかない!やり続けるしかないだろう!!
手をこまねいていても仕方がない・・

 

お道具の心の、さらにその心の道具である内言語を
元気が出て感謝に根差した積極言葉を選んで実行することで中和させ
積極的なのが行き交うように変えるべし!

 

 

 

 

 

 

ということにピンと閃き

 

 

一番シンプルな言葉は「 有難い、ありがとうございます 」っていう
思いやりと謙譲に溢れた感謝の言葉( 言霊 )だろう・・

 

だから、これを手はじめに、心身統一法で天風先生が説明してくださっている見えざる霊妙極まりない宇宙霊( 宇宙根本主体 )や関わる人・・自然万物などに対しやり続けよう!!というのが、そもそもの実践する動機だったわけです。

 

※ただし、後述するように初期設定を誤ってることに
この時は知る由もなかった・・勢いだけでやったっていうオチがありますけど

 

 

そういうロジックって言いますか目論見で、

 

 

 

実践当初は1日1分から始めて

 

最初は、タイマーとハンドカウンターで、心内で、ぶつぶつやってたんですが

 

 

次第にペースを上げて1日3分

 

1日5分になって

 

やがて

 

鉛筆やパソコン・・時計など身の回りのモノや

 

観賞植物・・に、すごいね!ありがとうと褒めるようなことを言ったり

 

 

ペットのインコ( 当時 )などにも、「( 存命当時 )いてくれてありがとうね!」と呟いたりしていったところ

 

 

やがて1日10分になって

 

 

もうハンドカウンターもタイマーも使わないでよくなり

 

身近な人に、いてくれてありがとう(と心内でつぶやいたり)

 

言葉のバリエーションを変えて

 

有難うという直接的な言葉ではない表現で

 

言葉や態度を変えた間接的な表現で感謝を伝えるようにしたり

 

 

散歩でも心内で呟き清めるようにして1日20分

 

 

そうして「有難い、ありがとうございます」って言葉を自らに語りかけ口癖に出来るように努め

 

1日単位で大まかな数字として少なめに記録を見積もりつけ

 

それを続けていったら

 

当初の予定では、トータルで1万回程度を予定してたんですが

 

雪だるまのごとく加速がつき気が付いたら約半年間の実践で100万回を超えてました。

 

最初は1日1分 20回程度「有難い、ありがとうございます」と呟いてるだけだったのに

 

淡々と持続可能な形で続けてったら6カ月後は1日1万回以上になって

 

人からありがとうと言ってもらえることは何か?ってことを、置かれた状況の中で時々考えるというのも実践するようになり

 

つぶやきの回数的には結局トータル100万回以上ということになっていたという経緯です。

 

( ちなみに今でもカウントはしてないですけど実践し続けています )

 

 

 

 

 

で・・その結果はと言いますと

 

 

( これも人それぞれかと思っています。

 

先にも言及したように感謝行の実践と結果については私はAタイプは流石に無理でも

 

Bタイプに分類できるとこに、かろうじて入ってると思ってますが )

 

 

 

私の場合は10年近く前に100万回を超えた、その当時においても

 

「ありがとう100万回の奇跡」の著者の工藤房美さんに見られるような、

 

( この本に書かれてるような )

 

 顕著で際立った不思議なこと、奇跡的な事は続出してません。_| ̄|○

 

 

 

おおよそ100万回以上っての達成して以降は、記録とか全く付けなくなったし
あまり意識もしなくなったというのもあります。

 

実践する際は、生かす力の根源である見えざる宇宙霊や今ある事、物に感謝することはもちろんですが・・

 

人に感謝を伝えたり、よいとこを探して褒めたり・・振舞いで表すには・・
常識的、理性的に考えて、流石に、なんでもかんでも有難うというわけにもいかない・・
それはいくらなんでもあかんやろと思ったので
´有難う´という言葉を言わない形での感謝の方法で
よく見極め冷静に観察した上で、良いとこ探して内心で感心したり褒めたり態度で表す・・
(語彙)や表現・・態度や行動(振舞い)をより間接的な形で表すように工夫したのですが・・

 

 

 

重ねて言いますけど・・

 

 

期待に添えず申し訳ないですが、

 

 

そんな特段の顕著で際立った不思議なことは続出してません。

 

正直申しますと辛いことだってありました。

 

 

 

それでもって結局のとこ100万回以上の感謝行をやっても

 

 

初期目標の一つだった内言語を「 ありがとう 」と言う言霊で清めることで

 

思考の鋳型の構成要素の一つである内言語全体が、積極に劇的に変わったか?

 

思考の質が善い方向に向かったか?ちょっとは心のハイウェイを行き交う想念が積極化され
善い心になったか?というと・・

 

主観的に、よくわからない・・・というのが正直なとこだったんです。

 

これが100万回以上の感謝行をやった結果です。

 

 

 

 

ただし、結果的に「 奇妙 」という事はあった気はしてるんです。

 

 

ここからは、主観の世界ですが・・

 

主観的な体感・・あくまで主観的には

 

 

超高速で唱えることも取り入れやってたり

 

先にも述べたように

 

一見当たり前に見えることに感謝すること以外に

 

流石に人に感謝を伝えるときは・・

 

なんでもかんでも有難うというわけにもいかないだろう。

 

という理性的判断から工夫したりもして累積させていったし

 

霊性満足の生き方を追求してることもあって

 

人からありがとうと言ってもらえることは何か?ってことを、置かれた状況の中で時々考える・・っていうのも実践はしていったんですが

 

 

そういうのを心がけていったら

 

 

 

異常な結果とまでいかなくっても

 

なぜかわからないけども、あれっ?!という事があったように記憶してます。

 

 

 

 

 

顛末を解説するなら

 

 

 

内言語を清めていくうちに心がある領域に入ったせいか??

 

 

 

今まで´当たり前´で特に気にもせず目にもくれなかった事柄に対して

 

「 これは素晴らしい、有難い事だ 」と感慨深く感じる機会が妙に増えて

 

 

例えば

 

今まで、ごく当然、当たり前と思ってた「 冷蔵庫 」ですら

 

ひたすら24時間黙々と食べ物を冷やしてくれて

 

役に立ってくれてたんだなぁ・・天晴れと感じられ

 

電気機器なのに、なぜか、いじらしく愛らしく

 

ノソッとして可愛く感じたりして

 

思わず微笑んでしまうと申しますか・・

 

言葉で説明するのが極めて困難な・・そういう妙な感覚って言いますか

 

ある意味、ある種の方々から「 お前はおかしい‥」と言われるような

 

妙な感慨と申したらよいのか・・

 

 

 

そういう感慨が深くなって持続できた場合は

 

 

タイムラグを経て

 

・・・・・・ポツンポツン・・・・・ドカーン・・・・・ポツンポツン・・・・・ドカーン
・・・・・・・ポツンポツン・・・・・・ドカーンというパターンで

 

 

内言語を清めていくうちに、小さな感謝が少しずつ増幅され感謝の連鎖を呼ぶという形で
なんだか、わけのわからない得体のしれない´些細ないいこと´や
共時性( 偶然の一致 )があった気はしています。

 

 

 

主観的な内面の状態と外界の出来事( 現象 )としての関係としては

 

 

実践のプロセスで

 

先に述べたような

 

 

あれ?少し妙だなという出来事が起きた気がした際は

 

 

 

今まで´当たり前´で気にもせず目にもくれなかった事柄に対しても

 

「 これは素晴らしい、有難い事だ 」と感慨深く感じられ

 

それが持続していた気はします。( 主観的に )

 

 

恐らく・・ですが感謝行もこれと似たようなとこがあって

 

 

そのまんまの素直な気持ちで感謝行をやって集中が深まっていくと、ある深い感覚になっていき

 

 

そういう感慨が深まって、ある境涯に入ったり出たりすることが頻繁になって

 

 

それが持続されると何かこれまでと違う奇妙なことが起きる条件の一つが作られるのではないか?と推定しています。

 

そうして、いろんな条件が重なって、その条件が満たされて

 

 

感謝行で、深い領域に入る感覚が出て、それが深まって持続していくと・・

 

( 他にも条件があるとは思いますが )

 

微妙に奇妙なことが発動する条件の一つが作られるのかもしれません。

 

 

 

 

ということで、´まとめ´になるかわからない´まとめ´に入るわけですが

 

 

私としては、心の積極表現のひとつの感謝を心のベースにするために

 

ありがとうを口癖にし、この言葉の響きで内言語を清める・・
あるいは、ありがとうをお題目のように称えることと

 

病の治癒や好転云々の相関も

 

よくわからない・・

 

 

バッチリはまる方は

 

何らかの生き方の変更を迫られる逼迫する事態が起きて

 

それを契機に実践し、奇跡的な結果が生じるのは
実践した方の中でも2〜5%未満ではないかと推定してまして

 

周りの協力や団結の外部要因など・・

 

いまだに謎( エニグマ )でして結論先送りというのが正直なところです。

 

 

最近では

 

 

ホ・オポノポノという行法もアメリカなどで流行してまして

 

「 ごめんなさい、許してください、ありがとう、愛しています 」という
四つの台詞を称えることによって

 

 

ウニヒピリという潜在意識領の記憶を清めるという行も話題になっていますけど

 

そういう自身で使っていて自分でも尊敬を感じる気持ちのいい言葉

 

嬉しい気持ちが出る言葉、思いやる言葉

 

 

こういう言葉を使用し自らも機嫌よくするよう仕向けることに努める。

 

そういう良い響きの言葉の語彙や表現のバリエーションを豊富にする。

 

 

使ってる言葉そのものを自身が尊敬を感じるような
積極なものを選んで心を明るく積極的でパワフルな想念が行き交うようにして

 

そういう積極的な台詞や想念が心のハイウェイを行き交うように、その交通量を増やしていくのを

 

自分に許してもよいかもしれないと思うに至っています。

 

 

要するに、よかろうが、よくなかろうが感謝行を実践して、碌でもない結果になろうが

 

日々に、そのままの直ぐなる、やわらかい気持ちで感謝をする実践自体そのものに意義があることで

 

感謝行の実践や人からありがとうと言ってもらえることは何か?ってことを、置かれた状況の中で時々考え実行すること自体は
反対する理由はない、大いに賛成というスタンスです。

 

 

なぜなら、何らかの生き方の変更を促される逼迫した事態になって
そういうのを契機に感謝行を実践し、これがバッチリはまって
奇跡的な事が身に生じた(A)タイプの方だって

 

 

生きてたらいろいろあるわけで、、よかったり、よくなかったり、
苦しいことや辛いことだって起きてくるでしょう。

 

それに、標準治療などと合わせた感謝行の実践で
奇跡的に、ある病が平癒したとしても

 

結局、何らかの病を患ったり老衰をして
人は生まれた以上、必ず肉体機能が停止し100%死を迎えるわけで、これを避けることは出来ません。

 

( こんなこと書いたら達観的過ぎて身もふたもないと思う方もいるのかもしれないけど・・ )

 

どんな愚者だろうが賢者だろうがアンチエイジングに努めたって
最後の一息を吐いて肺や心臓、その他の肉体の諸器官が
その神経機能( 肉体機能 )を停止する´死´は誰であろうと決して回避できませんよね。

 

それを証拠に、私たちの身の回り半径30m圏内にいる方を見渡しても

 

200年前から神経生理機能を動かし肉体機能を保持して

 

活動し続けてる方なんて存在しないし

 

200年後も、肉体機能を維持して生きてる方なんていないでしょう。
尤もインドのヨガ聖者トライランガという聖者は300歳を超えていたという記録もあり例外はあるとされtますが・・・

 

また人の寿命だけでなく事業経営だって、得意分野の選択と絞り込みという
選択と集中戦略と感謝行がバッチリはまって、
奇跡的に盛り返したとしても、その成長には限界があります。

 

次の挑戦をし準備しなければ「 変化 」というのが現象界の真理なので

 

時の洗礼を受けて、事象として、やがて衰退していく時期だってあるでしょう。

 

 

 

そうなってくると、よかろうが、よくなかろうが、病が治ろうが、治るまいが

 

生きてることに感謝する。
今あるものに、あるがまま、そのまま感謝を充てる。

 

 

災いや不幸、辛いことも、天(根本主体)の警告として、いったんは感謝で、それでも甘んじて受ける

 

 

そうして

 

「 今日も生きてて有難かった・・有難いなぁ明日もこんな気持ちで・・ 」

 

と、あるがまま唯感謝するというので静かに押し通すことが出来る・・

 

冷静な観察力、判断力や決断力は保持しつつ

 

既に満たされた感謝の・・うれしい念を持つっていうのは大事だと思うので

 

この台詞をベーシックにすること自体、絶対に悪いことではない・・

 

と思うからです。

 

 

 

「 有難い、ありがとうございます 」という感謝行で心の振動数を積極に強める行とその恩恵については

 

未だに謎が多いですし

 

 

STEP1でも指摘したように、そもそも論として心の表面に思考原料を提供する心の奥座敷( 印象貯蔵庫 )が消極的要素で一杯になっていたら
感謝を探す気力もなくなるかもしれませんし
( 潜在意識の奥底が汚れて )
外界の印象を大脳で統合して心に伝える感じせしめる感応性能の調子が狂ってしまったら

 

傍から見たら、とても恵まれてると見えるような方ですら

 

当の本人は恵まれてると感じられなくなって、上ばかり見て不満、不足に囚われがちになります。

 

ですから、感じせしめる感応性能の調子を戻すということは、感謝行以前に大事な事と思ってまして

 

 

これも、結局、天風哲人の・・重層的な・・かゆいとこに手を届かせてくれる実践体系に依らないと解決できないとこですが

 

 

そうとは言え、感謝行を実践して、結果が出ようが、よかろうがよくなかろうが

 

人は決して一人では生きられない。

 

 

それに、感謝行で、冒頭に紹介させていただいた工藤さんのように末期がんから奇跡的に生還したとしても、その後もいろいろあるのが人生です。

 

 

 

碌でもない当てが外れた結果になったとしても

 

少しでも良くなったことを探し日々に感謝する・・感謝を探す・・

 

 

自分に起こった´いいこと´に、ささやかなものでも感謝の気持ちを添える。

 

 

心を行き交うベルトコンベアに乗った台詞を積極的言葉から醸し出される陽気で一杯にし

 

´ よいものを引き寄せる精神状態を作るきっかけにする ´というのは大事・・

 

これを続ける(習慣化する)のは、心を監督する意味でも決して悪いことではない・・

 

 

そういうスタンスです。

 

 

( 追記で )

 

「そういう気持ちになれない、そう思えない時は、どうしたらよいでしょうか?」というご質問もありました。

 

この分野は小林正観さんが相当に研究してるので、この方の言葉で助言するなら

 

心で思っていなくても苦しいときこそ、心を奮い立たせる良い言葉を使うことを意識し

 

嫌でも感謝に根差した積極的言葉を( 嘘でも )選んで使うこと

 

これが大事だそうです。

 

 

目の前に嫌いな人がいて、心の中では「この人のことが嫌いだ、苦手だ、このやろう」と
心の中では腹の中が煮えくり返っていて、事実、そう思っていても

 

「ありがとう」という言葉を口に出して言ってみる。

 

 

なぜなら

 

正観さん曰く『口に出した言葉の力』のほうが、

 

心の中で思う(想念)よりも、実生活で、はるかに大きなエネルギーを持っているから・・とのこと。

 

一例を挙げるなら、あなたが「お蕎麦屋さん」に行ったとした場合

 

席に座って

 

「お蕎麦を食べるぞ、お蕎麦を食べるぞ、お蕎麦を食べるぞ…」と心の中で強く強く念じ思い続けても

 

注文を取りにきた店員さんに「ラーメンをください」と口に出して言ってしまったら、

 

その店員さんは、あなたが念じ思っていたお蕎麦ではなく、必ず「ラーメン」を持ってくる。

 

それと同じことなのだとか。

 

 

 

何れにしろ苦しいときこそ、有難いことを探し良い言葉を意識的に使うことで精神状態を積極に仕向けツキを呼び込むという考え方は、
理に適っているのかもしれません。