感謝行については、私も1日1分から始めて加速膨張していき半年で100万回以上実際にやったことがあるんです。
(もう10年以上前という事になりますけど)
今回は、その際の体験談と考察のページになります。

 

 

尤も、感謝行については、

 

実践する目的や動機も以下の記事に書いてるような経緯とはまた違うニュアンスで
未だに継続し研究している事の一つなんですが・・

 

 

なお

 

この記事のテーマである感謝する´ 行 ´の実践については

 

オカルトだ!間抜けなことだと言って一笑に付す、それのみに止まらず
中傷し小馬鹿にする方も、それなりに多い実態もあります。

 

 

ですので、執筆する( 公開する )のも実は、案外と勇気が要ります。

 

 

とは言え、このサイトに書いているようなことを実践するような方は、よほど自己改善に志のある方。
あるいは、よほど追い込まれ極まって切羽詰まった方で何らかの生き方の変更を迫られた方くらいしか、
真剣に実践しないだろうし参考にする方は、ごく一部かもしれないと、ある意味では思っています。

 

それに実践してもバッチリはまって、信じられない様な奇跡が起こる人というのは、恐らく実践者の2%〜5%未満と私は推定していますが

 

それでも実践し続けて素晴らしいことが日常生活に起こってる方がいることも否定はできません。

 

 

 

 

 

病の平癒という点でもがん細胞に、そのまんまの気持ちで「 ありがとう 」と言って

 

末期のがんが治って生還した生身の体験を持つ方もいらっしゃることも事実のようです。

 

 

( 私は本で知ったのですが・・ )

 

奇跡の生還という体験を持つ方の中でも

 

工藤房美さんという方のエピソードも目を見張るものがありますのでご紹介いたしますが

 

 

工藤さんは48歳で子宮頸がんになり、肺・肝臓・腸骨転移し

 

余命1ヶ月と宣告されたそうです。

 

 

 

痛みで気絶するほどの壮絶な闘病中に「生命の暗号」という1冊の本を

 

知人から手渡されたと言います。

 

 

彼女は、その本を貪るように読み

 

その本に魂が震えあがるほど感動させられ

 

余命がたとえ1カ月であったとしても
その残り1カ月を目覚めていない95%の細胞が喜び
遺伝子が喜ぶ生き方としての時間を粛々と過ごしたいと発心し

 

すべての臓器に、そして37兆( 著書では60兆 )の細胞群に

 

「ありがとう」「ありがたい」と心を込め祈りを込めて、そのままの直ぐなる気持ちを出しお礼を言い始めたそうです。

 

 

さらには

 

痛みにも、抜け続ける髪にも、ありがとうを言い続けたのだとか。

 

 

そうして標準治療と併せて「 感謝行 」の実践をひたむきに継続していったところ、

 

一時的に良くなったかと思えば悪くなったり・・そういう一進一退を繰り返しはしたものの

 

 

なんと10ヶ月後には末期と宣告されていたガンがすべて消えており
主治医のお医者さんも、その事実に驚愕したそうです。

 

 

このサイトを執筆している私も、この感謝行は100万遍以上実践済みです。

 

とは言え「 感謝行を一つとっても 」実践した身でありながら、これについては未だによくわからないとこがあると思っています。

 

 

なぜなら

 

実践した方々の事実にフォーカスすると

 

人によって個人差が著しいことがわかっているからです。

 

 

 

統計的に感謝行を考えても

 

 

工藤房美さんのように、生き方の変更を迫られ
肉体生命の最大の危機というようなところから
感謝行の実践をして、
尋常ではない奇跡ともいえるような結果が出る方は、(A)タイプとして
実践した方のうち2%、多く見積もっても5%未満ではないか?と私は推定しているのですが

 

 

5%未満の尋常ではない素晴らしい結果とまではいかなくとも、

 

感謝行がよいと素直に信じて実践継続し奇跡とまではいかないまでも相応の結果が出る方もいます。

 

これを仮に(B)タイプとします。

 

 

そうかと思えば

 

感謝行で病が治る?!!
そんな似非科学とかありえない!!
もう何言ってるんだ・・とぶつぶつ文句を言って

 

やさぐれて不貞腐れていたような・・

 

敵意と反感しか持ってなかったような方で、ひねくれてたような方が

 

 

 

こういうの・・ふと、やる気になって、あまり真剣ではないやり方で
モチベーションも低く疑い、擦れた投げやりな気持ちで実行していったら

 

 

次第次第に有難い感じが盛り上がり高揚してきて
長年苦しめられていた痼疾が治ってしまったという
医学的に、摩訶不思議な珍しいことが起こったという事例( ファクト )もあったりなんかします。

 

動機がおかしくて、態度が消極的でも、ちょっと実践しただけで
実践者の2%未満くらいしか体験できないであろう信じられない様な奇跡が起こったというタイプ・・これを(C)タイプとしておきます。

 

 

 

さらにカテゴライズするなら

 

 

 

そんな似非科学とかありえない!!
と言って疑いが群雲のごとく・・さらには、そういうのに反感と疑念と不信しか持ってなかったような方で

 

 

全く信じてないという方が

 

こういうの・・( 切羽詰まったりなんかして )ふと、やる気になって、実行したけど・・
感謝行を何万回やっても、全く境遇が好転していかない・・

 

やっぱり似非科学だった・・信じた私が馬鹿だった・・くそったれ・・体験者は嘘書いてやがる。

 

と結論付ける方もいる事もまた事実。これを(D)タイプとします。

 

 

また

 

 

ありがとう、有難いという感謝行で病が治ったり・・日常の展開が変わったりすると信じて
標準治療と併せて素直かつ熱心に何万回実践しても病がよくなっていかない。
あるいは状況(境遇)がよくならない。

 

 

とかいう方だって実際に事実( ファクト )として、実際にいらっしゃると思うわけです。

 

これを(E)タイプとしてカテゴライズします。
統計では、こういう(E)タイプの方だって、全くいないわけではないと推測しますが

 

以上が慢性的な病や不遇などと感謝行の実践と結果について、ざっくりした分類になります。

 

 

 

経済面方面で、様々な経緯と動機で、この感謝行を為さった方もいらっしゃって
凄い恩恵を受けた方もいます。

 

例を挙げるなら、ある有名な食品メーカーの奥さんに当たる方がいらっしゃって
夫である社長さんが急死し会社のことを知らない奥さんが夫の経営していた会社を引き継ぐことになってしまったそうです。
ですが、その奥さん・・会社経営なんて、ずぶの素人で、なにもわからない。

 

 

 

だから社員さんと取引先に
「 皆さんのお陰で、この会社は成り立ってます。ありがとう 」
「 ありがとう 」「 ありがとう 」と「 ありがとう 」と
ただ頭を下げ、ニコニコしながら感謝し続けていったら

 

 

 

 

全く商品知識も経営のことも、さっぱりで、未だによくわからないのに
売り上げが3倍になったという話もあります。

 

これは、感謝行を、素直な気持ちで実践して信じられない程の結果が出た
先に分類した(A)タイプの事業バージョンでしょう。

 

 

事業レベルで尋常ではない感謝行を実践し続けた方の中では

 

ある菓子食品の製造過程で、商品が出来上がるまでに「ありがとう」を100万回聞かせる

 

という世間的に非合理なことを製造現場で実際に行っているとこもあるそうです。

 

こういうオカルティックなことを会社( 工場 )レベルで実際に実践をし
ご自身でも世間がドン引きするような、とんでもないレベルの感謝行を実践していたのだとか。

 

これについては私はメルマガ及びサイト読者から情報提供として教えてもらったのですが

 

 

これを只管実践し続けた方は日本の上場企業100社以上に個人で大株主になってしまい
日本一の個人投資家で「和製バフェット」「平成の花咲かじいさん」とまで言われるようになっています。

 

時価116億円もの株式資産を遺した方でもあるって言うんだから驚きますよね。

 

竹田和平さんと言う方です。

 

竹田和平

 

メルカリだけでなくamazonでも多くの書籍が出版されています。

 

この事例は、病の平癒ではないけれども
事業や経営関係で賢明な経営を実行すること以外に感謝行を尋常じゃない深いレベルで実践をし続け
奇跡的な・・想定外の結果が出た2%未満の(A)タイプとして分類できると思います。

 

と言いますか、こういう結果が出るようなのは(A)タイプの中でも、さらに稀な部類で
0.1%未満ではないかと思います。

 

竹田さんは、成功を目指す上で「ありがとう」という感謝の言葉を習慣にすることが近道だとし
彼は自身の成功の秘訣として第一に感謝を挙げており、毎日3000回「ありがとう」と言うことを実践し習慣にしていたそうです。

 

これにより、感謝の心を日常的に意識し続けることができるとして、ありがとうは、ノンリスク・ハイリターンとまで言い切っています。

 

慣れれば、車の運転中などに、一呼吸で60回唱え、それが習慣となっているので、毎日続けると一年間で、ゆうに100万回を超えてたのだとか。

 

 

 

かと思えば

 

 

 

ままならない世の中で事業経営も思わしくないので半信半疑で、ふと思い立ち、やる気になって実行したけど・・
何万回やっても、どうにもならない・・

 

やっぱり似非科学だった・・信じた私が馬鹿だった・・くそったれ!!という感想を持つ方もいるでしょう。

 

これは、(D)タイプとしてカテゴライズできます。恐らく、こういう方も統計的に、いないとは断言できないでしょう・・

 

 

 

このようにタイプ分けして感謝行の実践プロセスと実践結果をざっくり分類してみると

 

生き方の変更を迫られ切羽詰まって命がけというようなやり方の実践をし続けて
尋常ではない素晴らしい結果が出るような事例や程々の結果が出る場合があるかと思えば
真剣にやっても全く報われないというか・・相応の成果が出ない事例もある。

 

 

動機が、おかしくて信念などなく

 

半信半疑で、反感や疑念が渦巻いていたにもかかわらず、ふとやる気になって

 

頑張って感謝行を実行したら、あり得ない、凄いことが起こったという事例もあるかと思えば

 

 

半信半疑でふとやる気になって、真剣に感謝行を実行しても、どうにもならない・・

 

 

やっぱり似非科学だった・・信じた私が馬鹿だったと結論付け、不貞腐れ憎しみや恨みを増す方もいる。

 

 

 

「 ありがとう 」と言いながら治る人もいれば治らない人もいる。
「 ありがとう 」と言いながら状況が好転しない人と好転していく人がいる。

 

 

原因分析をしている方もいまして

 

上手くいかないのは思い込みが弱いからとか・・

 

表面意識の心すら届かない深いとこに根深い恨みや憎しみ、不平不満の固着したような根深いしこりがあって

 

かつ命がつながり合ってることを「 (深いとこから)感極まるくらいありがたい 」と感じ入れないからだと理論づけてる方もいますが
むしろ、そういう実践が出来る方のほうが稀ではないかと私は考えます。

 

素直に信じて感謝行を実践しても、どうにもならない方だって、いらっしゃるのではないかというのが
いろんなブログ記事などの個人の体験談などを俯瞰的横断的に研究すると、そういう推定も出来ます。

 

( そもそも本になったりしてるのは、珍しいからでしょう。
人々の耳目を引きやすいのは、めったにない事が起こった時でしょう。それが本として出版できる条件になりやすいわけですから )

 

 

 

信じても治らない・・好転しないって方は周りの方が、あまりにもある強い固定観念に囚われていて
感謝行なんかで治って欲しくないと思ってる・・

 

そういうのを強く激しく軽蔑し嫌悪を抱いている人がいて、そういう無理解の雰囲気の満ちた「 場 」だと
見えざる場( 精神的な雰囲気 )の影響を受けて上手く行かないとか理論づけ主張なさる方もいる。
(著名な医者で、こういう事を研究している方もいて似たことを主張している方もいました。お名前は掲載しませんけど)

 

 

ただ、その根拠づけですらも弱いところがあると思っています。

 

なぜなら

 

 

心底そういうの応援してる方が身近にいてお医者さんの標準治療と併せて
本人も素直に信じて闘病中に熱心に感謝行の実践をして、それでも無理で保険外治療をやっても
一向に回復の兆しも出ず、そのままお亡くなりになるEタイプの方だっている
というのを実際に聞いてますから。

 

 

ところで

 

冒頭で紹介した余命1カ月の子宮頸がんから生還した工藤さんという方

 

 

私が分類したところでは、工藤さんは、ありがとうを呟く感謝行という方法が

 

バッチリはまった2%未満の(A)タイプと言えると観てますが

 

工藤さんの場合「ありがとう」「ありがたい」というお礼を呟くことが100万回を超えた頃に
不思議なことが続出するようになったそうです。

 

 

かく云う私も100万回以上の´ ありがとう ´というのを実践したことがあるわけで
( 大半が心内での呟きや囁きの形の理由を探す形での実践でして )

 

私の場合は、素直に実践して、尋常じゃないほどの素晴らしい結果までいかなかった残念なほうに分類されるかと思います。
(まあ、それでも結果が出た分、マシだったと言えるかもしれません)

 

その体験の範囲から、自身に起こったことの分析と、当時の実践の動機と併せて述べるなら

 

 

私の場合は、工藤さんとはやや趣が異なってて・・

 

虚弱体質で、体が強くない部類の人間でして、今でも、その傾向はあるにはありますが、

 

そもそも絶体絶命の大きな病を患ったことが実践のきっかけではありませんでした。

 

実践の動機や、その経緯はと言いますと・・あの当時を振り返ってみると・・

 

 

自分自身の心内の内面環境において渦巻き行き交う想念の鋳型や意識の流れを観察したところ・・

 

言葉ってのはコミュニケーションのツールとして
使う言葉ってのあるけども

 

待てよ待てよ・・ちょいと待て

 

 

お道具である頭‥心の中をハイウェイのように行き交う想念や意識の流れってのが観察できるけど

 

他人との会話以外に独り言のように、時々、ぶつぶつ、つぶやいたり
自身に語りかけたりする内言語ってやつの意識の流れも第三者的に自らの思考を俯瞰したら自覚できるよね。

 

 

 

 

よくよく考えてみたら

 

 

そういう「 言葉 」ってのを、道具にして、お道具の心って思念形成し
心のハイウェイを行き交い流れる内言葉を抄い取って思ったり考えてるとこも一部にあるよね。

 

 

ってことは・・

 

 

 

あっ!そうだ!!

 

 

お道具である頭の中で、時々、独り言のように

 

ぶつぶつ、つぶやいたり、自身に語りかける内言語・・

 

これそのものを・・消極的でワクワクさせない意気消沈させるものを抄いとるのではなく
積極の言葉を選び、積極的な流れに向かうように意志し心がけて口癖を更改していったらどうだろう??

 

 

そもそも私たちは成人になるまでに

 

「 ダメ 」とか「 あなた<わたし>には出来ない 」「 不公平!」「あの人は出来ても私には無理」
「 最悪 」「最低」「○○が憎い」
などという否定的な言葉や不平不満、愚痴、恨み言などの積極でない勇気を挫く言葉を
平均14万8千回も耳にし目にして浴びせられて
自分でも口にし、かつ成人以降も、そういう荒んだ場に浸りきって、さらによくない負のスパイラルに嵌りがちと聞く。

 

だったら、そういうマイナス言葉を、呟きそうになったら
「 昔は、こうだったけど 」と間をおいてキャンセル( 中和 )し

 

替わりに感謝と喜びをベースにした言葉を意思して選択するようにしてったら

 

意識っていうか心も創造発展の方向に同調しやすくなって変わるかも・・

 

 

できるだけ積極的言葉を選んで口にするように心がけたら心も発展方向の流れに同調し変わるんじゃないか?

 

 

普段心の中で使う言葉を積極の言葉を選ぶように変え
少しずつ運が拓かれた方がいるというのも小耳に挟んだことがある。

 

長者番付の常連としても有名な斎藤一人さんなんて

 

中学校しか出てなくて、しかも、ご本人の談話によると
ずば抜けた商才があったわけでもないと、ご自身で述懐してる記事(本)を読んだことがあるけど

 

結果的に、信じられないようなツキを得て、そうなってしまったのは

 

 

ツキ以外の何ものでもないと断言なさっている。

 

では、なぜツイているのか?というと

 

一人さんの答えはシンプル

 

何があろうと「 俺はツイてる 」というのを、どんな事が起ころうが断固として選び口癖にし
それをひたむきに続けていたから、そうなっていたのだというのも読んだことがある。
思わず笑ってしまったけど。

 

 

あるいは、「心の丈夫なことは、有難うございます」と呟くようになったのがきっかけで世界的な偉人になった方もいる。

 

これについては、ある偉大な哲学者の逸話が有名です。

 

ドイツ生まれの彼は、生まれつきの背中の障害を抱えてたとか。
背中に団子のような瘤(こぶ)があり、乳と乳の間は約8pしかなかったそう。

 

脈拍は絶えず120〜130。早鐘を打つようなぺ-ス。

 

17歳くらいまで常に喘息で苦しみ、心身ともに大きな困難を抱えていた。

 

そんな不幸な彼に転機が訪れた。

 

 

ここからは、宇野千代著「天風先生座談」から、雰囲気を損ねない形で
一部表現を変え、引用してみます。

 

(以下引用)

 

ある時、町に巡回医師がやってきた。

 

 

少しでも苦しみを和らげられたら、と
馬具作りを生業にしていた父は彼を連れて診せに行った。

 

診てもらってもどうにもならないことは、
彼自身も分かっていた。

 

そんな彼の顔を見ながら、医師は言った。

 

 

「気の毒だな、あなたは。
しかし、気の毒だと思うのは、
 体を見ただけのことだよ。

 

 考えてごらん。
 体はなるほど気の毒だ。
 それは見れば分かる。

 

 だがあなたは、心はどうでもないだろう。
 心までも脊椎の障がいで息が苦しいなら別だが、
 あなたの心はどうでもないだろう。

 

 苦しい辛いと言ったところで、
 この苦しい辛いが治るものじゃない。

 

 あなたが苦しい辛いと言えば、
 おっかさんだっておとっつぁんだって
 やはり苦しい、辛いわね。

 

 言っても言わなくても、何にもならない。
 言えば言うほど、みんなが余計苦しくなるだろ。

 

 苦しい辛いと言うその口で、
 心の丈夫なことを喜びと感謝に考えればいい。

 

 体はともかく、丈夫な心のお陰で
 あなたは死なずに生きているじゃないか。

 

 死なずに生きているのは丈夫な心のお陰なんだから、
 それを喜びと感謝に変えていったらどうだね。

 

そうしてごらん。
 私の言ったことが分かったろ。
 それが分からなければ、あなたの不幸だ。

 

 これだけがあなたを診察した私の、
 あなたに与える診断の言葉だ。

 

 分かったかい。

 

 薬は要りません。

 

 お帰り」

 

 彼は医師に言われた言葉を考えた。

 

「心は患っていない、それを喜びと感謝に変えろ、とあの医師は
言ったが、

 

俺はいままで、 喜んだことも感謝したことも一遍もない。
それを言えというんだから、言ってみよう。

 

親爺が「もう、寝ろ、寝ろ、」と言うと、

 

「心の丈夫なことは、有難うございます。」

 

何をくだらないことを言っているんだ。

 

「いえ、今お医者さんに言われたことを、ここで一生懸命、おさらいをしているんです。」

 

くだらないことを言わないで、早く寝ろ。

 

「くだらなくないよ、お父っつあん。さっき連れて帰ってもらってから今まで、一ぺんも、痛いも苦しいも言わないだろ。」

 

ふん、言わないな。痛くないから、言わないんだと思った。

 

「ただ、医者の顔見ただけで、痛いのが治ると思うかい。

 

痛い、苦しいと考えても治らないことを考えるのはやめるんだ。
とにかく、止めるだけ止めてみろ。
そして有難うござんす、嬉しゅうござんすと一生懸命言うんだよ」

 

と、そう言うから、

 

嬉しい気持ちになるかならないか、わからないよ。

 

でも、そう言っている間、痛い、辛いと言わないだけでも、おっかさん、おとっつあんたちは、心配しないだろ。」

 

ああ、心配しないよ

 

「しなければ、それでいいんだよ」

 

寝て起きて、また明日、医者に言われたことを考えるだけで、喜びと感謝の毎日。

 

そのうち、三日ばかり経つうちに、彼の頭の中にこういうことが閃いた。

 

「人間と言うものは、こういう気持ちでいるだけで、今までとはいくらか違ってきた。

 

苦しい、辛いと言わない。こういう気持ちでいると、当分死なないだろう。死なないけれども、
炉端で、ただそれだけを考えているのでは、死んだのと同じだ。
どうせ三年でも五年でも、死なずに生きているとしたら、心はなんともないんだから、
まず、心と体と、どっちが本当の俺なのか、これを一つ、考えてみよう。」

(ここまで)

 

 

この逸話にもあるように

 

 

「心の丈夫なことは、有難うございます。」

 

 

17歳で、不幸のどん底に居た若者が、

 

この言葉を使い始めたことが大哲学者を誕生させ、未来の局面を変えるきっかけになったといってもよいかもしれません。

 

彼の名前は、カント。

 

言わずと知れたドイツ近代哲学の祖と言われる人物。

 

 

こういうエピソ-ドも読んで知っていたのもあったので、、、

 

こういうのがバッチリはまるのは2%未満かもしれないが

 

やらない手は無かろう。

 

 

 

 

と感じ考えたのが実践する動機だったわけです。

 

勢いだけでやったっていうオチがありますけど

 

 

そういう目論見で、

 

 

 

実践当初は1日1分から始めて

 

最初は、タイマーとハンドカウンターで、心内で、ぶつぶつやってたんですが

 

 

次第にペースを上げて1日3分

 

1日5分になって

 

 

 

鉛筆やパソコン・・時計など身の回りのモノや

 

観賞植物・・に、時々、理由を述べながら、すごいね!ありがとうと称賛し褒めるようなことを言ったり

 

 

ペットのインコ( 当時 )などにも、「( 存命当時 )いてくれて、いつもありがとうね!」と呟いたりしていったところ

 

 

やがて1日10分になって

 

 

もうハンドカウンターもタイマーも使わないでよくなり

 

散歩でも心内で呟き清めるようにして1日20分

 

1日単位で大まかな数字として少なめに記録を見積もりつけ

 

それを続けていったら

 

当初の予定では、トータルで1万回程度を予定してたんですが

 

加速がつき気が付いたら約半年間の実践で100万回を超えてました。

 

 

で・・その結果はと言いますと

 

 

( これも人それぞれかと思っています。

 

先にも言及したように感謝行の100万回実践と、その結果については
私には不思議なことは起こらなかったような気がするし
工藤さんの結果を基準にしたら、私のはどっちかと言うと残念な部類ではないかと思います )

 

と言うのも、 私の場合は10年以上前に100万回を超えた、その当時においても

 

( 本に書かれてるような ) 顕著で際立った不思議なこと、奇跡的な事は続出してませんから。

 

いや、申し訳ない。後学のために、きちんと冷静に書くことを旨としてるので・・

 

 

実際そんな特段の顕著で際立った不思議なことは続出してません。

 

さらに正直申しますと、相当に辛いことだってありました。

 

 

それでもって結局のとこ100万回以上の感謝行をやっても

 

初期目標の一つだった内言語を「 ありがとう 」と言う言霊で清めることで
内言語や自身の意識の流れが、積極に劇的に変わったか?

 

ちょっとは心のハイウェイを行き交う想念の流れ(パイプ)が積極化され
善い心になったか?というと・・

 

主観的に、あんまり、よくわからない・・・というのが正直なとこだったんです。

 

これが100万回以上の感謝行をやった内面における結果です。

 

( なお私のやり方での100万遍の大半は、散歩で歩数のリズムに合わせて機械的に呟いた回数のほうが圧倒的多数です。
これも、そこまで顕著な結果が出なかった理由かもしれません )

 

 

 

ただし、振り返ってみると「 ぽつりぽつりと奇妙に有難い 」という事はあった気はしてるんです。

 

 

ここからは、主観の世界ですが・・

 

主観的な体感・・あくまで主観的には

 

 

とにもかくにも自身を、感謝ベ-スにしたくて超高速で唱えることも取り入れやったり

 

先にも述べたように

 

一見当たり前に見えることに感謝すること以外に

 

心身統一法の実践研究で心の積極化や浄化、さらには霊性満足 ( 魂本位 )の生き方を追求してることもあって

 

 

理由付けしながら感謝したり、自身の持ち物を褒めたりする等の工夫をしたりもして累積させていったし

 

 

人からありがとうと言ってもらえることは何か?ってことを、置かれた状況の中で時々考える・・っていうのも実践はしていったんですが

 

 

そういうのを心がけていったとて、正直、目標にしていた、内面が綺麗になったという自覚は、残念ながら、なかったです。

 

 

ただし異常な結果とまでいかなくっても

 

なぜかわからないけども、あれっ?!という事が、ぼつぼつあったように記憶しています。

 

 

顛末を解説するなら

 

意識を流れる内的独白の形の内言語を清める努力をしていくうちに心がある領域に(深く)入ったせいか??

 

今まで´当たり前´で特に気にもせず目にもくれなかった事柄に対して

 

「 これは素晴らしい、有難い事だ 」と感慨深く感じる機会が妙に増えて

 

 

例えば

 

今まで、ごく当然、当たり前と思ってた「 冷蔵庫 」ですら

 

ひたすら24時間黙々と食べ物を冷やしてくれて

 

役に立ってくれてたんだなぁ・・天晴れ!すごいね!と素直に感じられ

 

電気機器なのに、なぜか、いじらしく愛らしく

 

ノソッとして可愛く感じたりして思わず微笑んでしまうと申しますか・・

 

言葉で説明するのが極めて困難な・・そういう妙な感覚って言いますか

 

ある意味、ある種の方々から「 お前はおかしい‥」と言われるような

 

妙な感慨と申したらよいのか・・

 

 

 

そういう感慨が意識の場の中で深くなった体験があります。

 

 

でもって、そういう「 有難い感じ 」に感じ入る境涯をある一定レベルで持続できた場合は

 

 

タイムラグを経て

 

・・・・・・ポツンポツン・・・・・ドカーン・・・・・ポツンポツン・・・・・ドカーン
・・・・・・・ポツンポツン・・・・・・ドカーンというパターンで

 

 

小さな感謝が少しずつ増幅され感謝の連鎖を呼ぶという形で
なんだか、間が良くなると言いますか、わけのわからない得体のしれない´些細ないいこと´や
共時性( 偶然の一致 )があった気はしています。

 

 

 

主観的な内面の状態と外界の出来事( 現象 )としての関係としては

 

 

実践のプロセスで先に述べたような

 

 

あれ?少し妙だなという出来事が起きた気がした際は

 

 

 

今まで´当たり前´で気にもせず目にもくれなかった事柄(事象)に対しても

 

「 これは素晴らしい、有難い事だ 」と感慨深く感じられたこと。

 

これが兆しとしてあったというフィ-ドバックは出来る気はします。

 

あまり研究していませんが、このあたりがポイントなのかもしれません。

 

 

そういう有難い感覚( 有難いなぁという絶対的な感じ )が一定期間持続していた気はします。
(あくまで主観の世界ですが)

 

恐らく・・ですが感謝行がうまく機能するには

 

 

素直な気持ちで感謝行をやって集中が深まっていくと、ある深い感覚になっていき

 

そういう感慨が深まって、ある境涯に入ったり出たりすることが頻繁になって

 

 

有難い感じが持続されると何かこれまでと違う奇妙なことが起きる条件の一つが作られるのではないか?と推定しています。
( この境涯に入るまでが、案外一苦労ではないかと思うわけですけど。物質主義が蔓延してますから )

 

 

そうして、いろんな条件が重なって、その条件が満たされて
感謝行で、深い領域に入る感覚が出て、それが深まって持続していくと・・

 

 

有難いことが発動する条件の一つが作られるのかもしれません。

 

ただし、有難うございますという言葉で内面を浄化できるのか?という点については
先にも言及したように、主観的に、以前と比べて、少しは綺麗になったのか?と問われると
「よくわからない、、」と言う結論になります。

 

 

ということで、´まとめ´になるかわからない´まとめ´として感謝行の見解を述べようと思うわけで

 

感謝行を実践する動機は、人それぞれ様々だと思います。

 

 

それに人生には思うようにならない場面は、起きるものですよね。

 

私としては、変転する世の中で、様々な動機で感謝行を実践しても
現実の世間において大きな局面の変化( 積極的変化 )が起こってバッチリはまる方は
実践した方の中でも2%未満(多く見積もっても5%)ではないかと推定しています。

 

むしろ実践しても、そんな大それたことは起こらないって方も統計的に多いのでは?と思っています。

 

最近では

 

ホ・オポノポノという行法もアメリカなどで流行しているようです。

 

これはハワイ先住民の間で古くから伝わる方法です。

 

個人(家族間)や集団の間の不和や様々な問題を解決に導き
調和を取り戻すことを目的として古くからおこなわれてきたと聞きます。

 

 

内面の変化が外の世界にポジティブな影響を及ぼすという考えから

 

ウニヒピリという潜在意識領の記憶を含めた自らの意識の底にあるものを清めるのに
「 ごめんなさい、許してください、ありがとう、愛しています 」という
四つの台詞を称えることによって

 

個人(家族間)や集団の不和などの問題解消のために実践している方もいると聞きます。

 

ホ・オポノポノの原理は、「自分の現実は自分の創造物である」という考えに基づいているとか。

 

オポノポノも煎じ詰めれば、感謝というのをベ-スにしていると捉えることが出来ます。

 

寝る前に今日1日あったことをクリーニングしてから休んだり、子供に対して何かあった際に、
その子供に対してクリーニングしたいときは、子供が寝ている時間に、「愛しています」とただ心の中でいうというクリーニングも薦められてるようです。(参考サイト

 

ただし、これだって、実践しても、思ったように内面の変化を促進できずに上手くいかない方だっているのではないでしょうか?
現実があまりに過酷な方など。

 

 

とは言えホ・オポノポノに限らず、出来事を、いったん感謝で受けて冷静に現実を直視する実力を養うのは
方向性として間違ってないのではないでしょうか?

 

 

要するに、私の見解は、

 

感謝行を実践して、碌でもない結果になろうが

 

日々に、そのままの直ぐなる、やわらかい気持ちで感謝をする。

 

内面の心が、そういう気持ちになりやすいように実践で実力を培うことに意義があるというのが結論になります。

 

 

よって

 

感謝行(褒め行)の実践は、いくら周りにオカルトだ!あいつは阿保だと小馬鹿にされても
実行するのは大いに賛成というスタンスです。

 

ちなみに私は、スピリチュアルに振り切った人間ではありません。(;^_^A
スピリチュアル系に振り切った方で、心の綺麗な方は、例えば、こういう、やさぐれた反骨を動機とした、かつスキル獲得系の記事は書かないでしょう。(;^_^A

 

 

( 少し脱線したので記事を戻しますが )

 

 

感謝行(褒め行)の実践は、大いに賛成と結論した理由を述べるなら

 

例えば

 

何らかの生き方の変更を促される逼迫した事態になって
そういうのを契機に感謝行を実践し、これがバッチリはまって
奇跡的な事が身に生じた(A)タイプの方も実際にいらっしゃるでしょうけど

 

そういう方だって

 

生きてたらいろいろあるわけで、、よかったり、よくなかったり、
苦しいことや辛いことだって起きてくるでしょう。

 

なぜなら万象は流転するのは、真理で
人生には思うようにならない場面は、起きるものです。

 

 

それに、標準治療などと合わせた感謝行の実践で
奇跡的に、ある病が平癒したとしても

 

結局、何らかの病を患ったり老衰をして
人は生まれた以上、必ず肉体機能が停止し100%パ−フェクトリ−に死を迎えるわけで、
これを避けることは出来ません。

 

( こんなこと書いたら達観的過ぎて
身もふたもないと思う方もいるのかもしれないけど・・ )

 

どんな愚者だろうが賢者だろうがアンチエイジングに努めたって、、

 

最後の一息を吐いて肺や心臓、その他の肉体の諸器官が
その神経機能( 肉体機能 )を停止する´死´は
誰であろうと決して回避できませんよね。

 

それを証拠に、私たちの身の回り半径300m圏内にいる方を見渡しても

 

300年前から神経生理機能を動かし肉体機能を保持して
活動し続けてる方なんて存在しないし

 

300年後も、肉体機能を維持して生きてる方なんていないでしょう。
尤もインドのヨガ聖者のなかには300歳を超えていたという記録もあり
例外はあるとされていますが・・・

 

また人の寿命だけでなく事業経営だって、得意分野の選択と絞り込みという
選択と集中戦略と感謝行がバッチリはまって、ツキにも恵まれ
奇跡的に盛り返したとしても、その成長には限界があります。

 

時の洗礼を受けて、事象として、やがて衰退していく時期だってあるでしょう。

 

 

 

そうなってくると、よかろうが、よくなかろうが、病が治ろうが、治るまいが

 

生きてることに大らかに円く感謝する。
今あるものに、理由を探しながら、大きな円(まる)で、
あるがまま、そのままの感謝を充て褒めてやる。

 

丈夫な心に感謝する。

 

災いや不幸、辛いことも、天(根本主体)の警告として、いったんは感謝で、それでも甘んじて受ける実力をつける。

 

 

そうして

 

「 今日も生きてて有難かった・・有難いなぁ明日もこんな気持ちで・・ 」

 

と、あるがまま唯大きく円く感謝で静かに受け過ごすことが出来る・・というのは

 

生きる構えとして達人領域で、そういう物語を紡ぐのは、人として、とても大事だと思うからです。
そして、その実力をつけるのに感謝行は、方法(ル-ト)の一つだと感じ思えるというのも賛成の理由です。

 

 

 

(追記)

 

「 有難い、ありがとうございます 」という感謝行で心の振動数を上げ
エネルギ-を落とさないようにする感謝行とその恩恵については

 

未だに謎が多いですから、そこはぼやかして最後に感謝行の注意点を述べるなら

 

 

STEP1でも指摘したように、そもそも論として心の奥座敷( 印象貯蔵庫 )が
始末に負えないくらい消極的要素で一杯になって
パイプが汚れていたら感謝を探す気力もなくなるかもしれません。

 

 

新鮮な印象を感じせしめる感応性能の調子が狂ってしまったら

 

傍から見たら、とても恵まれてると見えるような方ですら

 

当の本人は恵まれてると、全く感じることができなくなってしまいます。

 

上ばかり見て不満、不足の観念に囚われがちになったりすると言われています。

 

ですから、感じせしめる感応性能の調子を戻すということは、感謝行以前に大事な事と私は思ってます。

 

 

で、これも結局、天風哲人の・・重層的な・・かゆいとこに手を届かせてくれる実践体系に依らないと解決できないとこなんです。

 

これが、感謝行の留意点と言えば留意点になるでしょう。
  ( 結局、心身統一法の実践と並行させたほうがよいかもしれませんよ!ということなんですけど )

 

 

あともう一つの視点が感謝行を実践して、結果が出ようが、よかろうがよくなかろうが

 

人は決して一人では生きられないですよね。生かされている領分のほうが大きいです。

 

よって、お蔭様で有難うと言う言葉そのものが、生かされ生きている、この世界で大事な言葉ではないかと思えるのです。

 

それに、感謝行というトピックで、冒頭に紹介させていただいた工藤さんのように末期がんから奇跡的に生還したとしても、
前述したように、その後もいろいろあるのが人生でしょう。

 

よって、大事なあなたの心を、ありがとうございますという言葉で励まし労ってやる。

 

 

これを続ける(習慣化する)のは、心を勇気づけ監督する意味でも決して悪いことではない・・

 

 

そういうスタンスです。重ねて書いていますけど・・

 

 

( 追記の追記で )

 

「そういう気持ちになれない、そう思えない時は、どうしたらよいでしょうか?」というご質問もありました。

 

この分野は小林正観さんが相当に研究してるので、この御方の言葉で助言するなら

 

心で思っていなくても苦しいときこそ、心を奮い立たせる良い言葉を使うことを意識し

 

嫌でも感謝に根差した積極的言葉を( 嘘でも )選んで使うこと

 

これが大事だそうです。

 

 

目の前に嫌いな人がいて、心の中では「この人のことが嫌いだ、苦手だ、このやろう」と
心の中では腹の中が煮えくり返っていて、事実、腹の底からそう思っていても

 

「ありがとう」という言葉を口先だけでも言ってみる。

 

 

なぜなら

 

正観さん曰く『口に出した言葉の力』のほうが、

 

心の中で思う(想念)よりも、実生活で、はるかに大きなエネルギーを持っているから・・とのこと。

 

一例を挙げるなら、あなたが「お蕎麦屋さん」に行ったとした場合

 

席に座って

 

「お蕎麦を食べるぞ、お蕎麦を食べるぞ、お蕎麦を食べるぞ…」と心の中で強く強く念じ思い続けても

 

注文を取りにきた店員さんに「ラーメンをください」と口に出して言ってしまったら、

 

その店員さんは、あなたが念じ思っていたお蕎麦ではなく、必ず「ラーメン」を持ってくる。

 

それと同じことなのだとか。