2024年現在においても、新型コロナウィルスは、未だにくすぶり続けています。

 

この感染症の世界的大流行は世界史にも記録され、今後何百年も語り継がれるような歴史的な出来事でしょう。

 

そんな事態に、まさに直面し、ウクライナ戦争やイスラエル・ガザ戦争など先行き不透明。
日本は右肩下がりの状態が続いて不安を抱えている方も多いのではないか?と思います。

 

そこで今回は、著しい変転・変化と不安の時代に何らかの光明を!ということで、
ある人物が人生を大逆転した、一つの逸話を紹介し、
かつ、この記事を執筆した、わたし自身のささやかな体験も後述したいと思います。

 

今回紹介する逸話は、相曾誠治さんが執筆した超古神道著作集第2巻からの引用です。
なお、相曾誠治さんの本はamazonや大手の一般書店では扱っていません。
山雅房というところで扱っています。
山雅房 オンラインストア

 

(以下 相曾誠治 超古神道著作集 第2巻p85〜p88から、一部割愛、抜粋引用 )

 

 

江戸時代、文化11年(1814)のことです。
ある貧乏な青年がへとへとになって伊勢神宮に参拝しました。
数日間、なにも食べていません。
五十鈴川の禊場で首を水中に突っ込まんばかりになって水をガブガブ飲みます。
背後でじっと見ていた気品ある老人が見るに見かねて声をかけました。
「もしもし、そこの若いお武家様。見ればたいそう空腹のようですが、食事を召し上がってないのですか?」
「はい。もう数日来、麦飯一つ食べておりません」
青年の人相を見て、今は落ちぶれているがやがて一世に名をとどろかす大変な器であると翁は見抜きます。
「むさ苦しい所ですが、わたしの家へついてきなさい」
助けてくれたおじいさんは水野南北(1757〜1834)という有名な観相師です。
当時、観相では日本一といわれたかたで、京都のお屋敷には門人が三千人ほど出入りしていました。
助けられた青年が井上正鐵(1790〜1849)という二十代半ばの武士です。

 

水野が井上に教えたなかに、

 

「 早旦、日拝百日せよ。病者おのずから回復し、貧者自ら富者になるべし 」

 

という古い伝えがあります。

 

どんな病人でも早朝、お日様を仰ぐことを百日間続けたなら、必ず病気が回復して健康になる。赤貧洗うような貧乏人でもきっと金持ちになれるという意味です。
この教えを井上青年は実行しました。
一説によりますと、京都にいるとき、水野南北に紹介されて井上は吉田家にも入門します。

 

水野南北に1年くらい師事した後、井上は江戸に帰り、易と医術を生業にします。
1833年、井上が42歳の時です。夢の中に神の使いが現れます。
それがきっかけになり、5年後、京都の神祇伯白川家に入門し、神拝式許状を得て神官として身を立てるようになりました。井上が51歳の時です。
神祇伯白川家は当時、神道の最高権威としてあがめられていました。
神主になるにはここの免許が必要です。
日本一の観相家が下した判断ですから間違いありません。
めでたく公許の神官になった井上は布教でたいへんな勢力を得ます。

 

ただ、おおぜいの信者が出入りするのを見た幕府は、陰謀を企てているのではないかと
警戒しだしました。由井正雪の再来にならないうちに早く処分してしまえということになり、身柄を拘束して三宅島に送ります。
当時、三宅島は徳川幕府の天領で、流刑場にもなっていました。
年2回、夜になると信者は食料や必需品を船に積み込み、たいまつをたいて三宅島まで井上を慰問に出かけました。
たまさか慰問に行った信者がしけで帰れないことがあり、島に住み着く者も出てきます。
だんだん数が増え、とうとう三宅島の住人になってしまいます。
井上はもともとの島民にも教化活動を展開しました。
( 中略 )
ともあれ、赦免になった罪人が江戸に帰ってきて島の消息を伝えます。
井上たちにいろいろな奇跡が起こったのは事実です。
もろもろの事情で一部割愛した形の抜粋引用をしました。
(ここまで)

 

 

ここで、この書を執筆した相曾誠治氏について簡単にコメントしますと、、
相曾翁は合併前の静岡県篠原町で町長を為さっていた方です。

 

氏を、ほんの少しだけ有名にしたのは佐藤愛子著「私の遺言」でしょう。

 

佐藤女史は、著名な作家でして、私から言わせると、そんな方がよく、この本を書けたな・・
書くのに勇気がいっただろう・・というのが「私の遺言」という本を一読して抱いた私の第一印象です。

 

この本によると佐藤女史は北海道に山荘を建てたときから超常現象に悩まされたとか。

 

屋根の上の足音、ラップ音、家具の移動をともなう様々な現象、激しい頭痛。
女史は、これらの現象に悩み自己解決も難しかったため、あらゆる霊能者に相談して
その原因を探り30年近くに渡って、その解決に向け奮闘したと言います。

 

相談依頼した方のなかにはTVでもお馴染みで有名な霊能者のお一人である江原氏や三輪氏も含まれています。
( 20代の頃の江原氏の逸話まで出てきて興味深いものでした )

 

 

両者も、そういった不可解な現象および、病院に行っても治らない辛い体調を緩和することに力を尽くしてくれたそうです。

 

ですが、結局最後に頼って解決への道筋をつけてくれたのが、世間一般には、こういう形而上の目に見えない世界を扱う分野で全く無名の相曾氏だったようです。

 

そういった一連の顛末を含めて「私の遺言」に詳しく書かれていました。

 

 

 

このように実務家でありながら(免状は無いものの)神道家の顔も持つ相曾氏に類まれな霊能があることは、
ごく一部の方を除いて殆ど知られていませんでした。

 

ですが、山雅房から出された、これらのシリ-ズ本は、相曾氏の神道家の一面を垣間見ることのできる書でして
日拝や祝詞による祓いの秘訣が述べられ、
相曾氏が、どのようにして霊能を開いていったか?というのも盛り込まれた興味深い筆致になっています。

 

尤も霊能については疑念を抱く方も多いかもしれません。
そういうのは、ないと完全否定するのもありかと思います。
早大の大槻義彦名誉教授のようなスタンスでも、幸せに生きられたら、それでいいのじゃないかと。
尤も私は、この生き方は、正直奨めたくありませんけど。

 

とは言え、仮に、こういう分野に強い探求心があって、この書を読んだとしても

 

( お読みいただければわかるように )この2冊は、濃い内容ですけど、かなり人を選ぶ本でしょう。

 

私の場合は、例によって、これらにも等閑的に向き合っています。

 

 

あれだけ天風哲人を推して書籍研究しておきながら天風会に所属したこともなく
同会主催の講習会などにも行ったことがないのと同じスタンスです。

 

日拝研究と祝詞研究の流れで整理したくて相曾氏の著書に向き合ったことがあるといったところでしょうか。

 

 

 

まあとにかく、等閑的に取り組んで、そういうことに対して自己解決の力をつけて
生活事実として状況が好転する等、
結果が出ればいいのでは?という大らかな私の信条や私事はさておき、、

 

相曾氏が執筆した著書の中で、引用した内容について補足説明しますと

 

先ず井上青年を助けた老人は水野南北という江戸時代後期に活躍した観相師です。
食を慎むことや陰徳を積むことを門人に勧め、自らも生涯実践し続けました。

 

水野翁の略歴を簡単に述べるなら、

 

(翁の場合、 まだ幼児の時に両親を失い孤児となったのも幾ばくか関係してるかと思いますが)

 

10歳の頃から盗癖があり酒癖も悪く刃傷沙汰を繰り返し入牢も度々。
どうしようもない荒んだ生活で二十代前半には易者から剣難の相を指摘され
余命もあと1年との宣告を受けたそうです。

 

余命宣告までされた水野青年(当時)はショックを受け、助かりたい一心で
密教僧(一説には禅僧)に会い助言を請いました。

 

すると、僧侶は水野青年に陰徳を積むことや慎ましい食事を励行するように助言をしたそうです。

 

以降、水野青年は、助言を直向きに実践したとのこと。

 

そうして1年ほど愚直に続けた後に、再び同じ易者に占ってもらったところ
(命運が変わって)「死相が消えている」。と、易者に言わしめたそうです。

 

水野青年は、その後も研鑽を積むことで悪循環のスパイラル状態から徐々に抜け出し、
諸国行脚しながら人相学の研鑽を積み、少しずつ占いの精度を上げ
やがては「万に一つの誤りも無し」と言われるようになったそうです。

 

ただ水野南北と言えば、こういうのに詳しい方なら

 

人相学に「食事の量」と「食べ方」を織り込んで体系化した方。

 

´粗食・小食、腹7分目を熱心に薦めた方´というイメージが強いのではないかと思います。

 

翁が日拝も薦めていたことはあまり知られていません。
しかし修身実験録( 水野南北著 )という書の12コマ目にも

 

 

修身実験録( 水野南北著 )

 

「 病身の人は日々かならず平旦に起き出で、日出に向ひて虚心平氣に日拝すべし。
然るときは身体健かにして長寿を得るなり。これ氣を養ふの仙法にして、無病長命になること疑なし。われ二十五歳の時、行脚して奥州に至り、金華山の辺りにおいて異人にこの仙法を学びうけしより、終に壽を保つことを得たり。爾来病身の人にこれを授けてためしみるに、一々その験あらざるはなし。故にここにさとし置くなり。」

 

と、しっかり記されています。

 

このことから開運の一つとして水野南北翁が真心を込めた無邪気な日拝を薦めていたのは
間違いないですし
(相曾誠治さんの著書においても)
極貧者でも100日休まず続ければ
お金に困らなくなるという水野南北の言葉を引用し日拝の重要性を説いています。

 

実際に、南北翁の言葉を信じて実践し続けた井上青年(当時)は、
紆余曲折を経たものの徐々に運が開かれ、その都度出会いがあって飛躍を遂げています。

 

( 後年、幕府に迫害されましたが )

 

餓死寸前で何らの希望もない身の上だったことを鑑みれば

 

水野南北翁に出会って以降は、門人たちにも慕われ
総じて充実した人生を送ることが出来たと言えるのではないでしょうか?

 

では、1週間近く麦飯一つすら食べれない位落ちぶれ餓死寸前だった境涯から抜け出し
新たな世界が広がる、きっかけになったのは何か?と申しますと・・
水野翁に出会ったことも、さることながら、助言を素直に受け容れ
「100日間休まずの自らを投げ出した無邪気な日拝を実践した」
というのが井上青年(当時)をして新たな日常に参入せしめたのは間違いないでしょう。
( その後に山あり谷ありあったとはいえ )

 

 

ところで100日間休まずの日拝については、私もささやかな実際体験があります。
私の場合は、意識化されない(意識に上る前の)深いところの想念材料の汚れを取り
自己陶冶をしていく方法の一つとして

 

以下のページを2009年6月に公開し、サイト読者に薦める以前から
日拝の実践研究は継続的(諸般の事情で断続的)にやっています。
旭日光による観念要素の更改法

 

実践方法は21日間を一区切りで完遂したら、少し間をおいて、また実践・・
という形で、これまでに何十回も上記の方法を実践していますが
100日間の連続日拝行の実践というのは、意識して実践したことはありませんでした。

 

そこで先の事実を知って改めて100日連続日拝行というのを実践したところ
不思議なことに100日を達成した翌日に、かなりまとまった額の臨時収入を得ました。

 

( もちろん仕事上の様々な努力はしてはいましたが、
誰でも仕事上の努力はするでしょう
 )

 

< これまでのやり方を変えて21日間実践したら間を空けるのではなく、
そのまま次の21日間に取り組む・・21日間の日拝行が終わったら間を置かずに次へ・・という具合に記録をつけながら連続実践し
100日目というのは、正直、そこまで強い意識はなく無頓着だったのですが、

 

なぜかまとまった臨時収入を得た日と実践記録を振り返って照らし合わせたところ、
あれ?!そういえば・・と後で気づいて驚いたというのが事の顛末になります >

 

私が実際にやったのは、朝目覚めたら寝床で断言法で暗示を施し
曇天だろうが、雨だろうが、すぐにベランダに出て瞑目、低頭して
瞑目したまま、お日様を仰ぎつつ大祓祝詞を(瞑目し囁きのような黙唱で)高速奏上し、
後に深いプラナヤマ呼吸で陽気を有難く頂く行法を続けただけでして、

 

これを100日間、淡々と継続したというのが実践内容になります。

 

※最初の頃は、日拝の際に祝詞奏上などはしてなかったのですが、
センスや才能などが不要な脳力開発や、ジャンルが少し違いますが開運法というのを研究しているというのが大きいでしょう。

 

その研究の一環でお経や祝詞の高速心唱に取り組んでいた経緯があります。
日拝と祝詞は、非常に親和性が高いし、日本人なら祝詞研究もすべきだろうと思い、
日拝に合わせて、祝詞も高速暗唱できるようにし超高速で奏上(高速黙唱)するようになったというのが顛末です。

 

自身を被験者にして、実験してるようなとこがあります。

 

それでもって、実践に際して記録を取りながら、やっていったのですが
実践継続1週間後ではなく10日後でもなく40日後でも50日後でも120日後でもなく
100日を終えた翌日に計ったように、まとまった額の臨時収入が入ってきたことに
正直驚きました。
非科学的ですが、なにかあるのではないか?と思うようになっています。

 

なお、読者の中にはバイブルを通しで何十回も読んでいる私みたいな背景の人間が
日拝を薦めることに違和感を感じる人もいるかもしれません。

 

( ※バイブルを含む聖典研究(潜在意識意を汚し運を落とす行為) )

 

バイブルに照らしたら日拝( お日様を拝する )も偶像崇拝に当たるというのが真っ先に挙げられるでしょう。
正直なとこ私も抵抗が全くなかったわけではありません。

 

この抵抗を払拭してくれたのは「 あるヨギの自叙伝 」p495です。
同本については、「成功の実現」等の口述書に出会い、真剣に実践をし、いろんな実績が出て、
何かもう、これでいいのでは・・と思っていた頃に出会った書でして

 

読むことで、「いや、これではいけない・・・」。と心を発奮させるきっかけになった書でもあります。

 

 

ライフワークの一つとして比較研究もしていますが

 

 

この本の該当ページでインドのヨギのパラマハンサ・ヨガナンダ聖者が日の出の礼拝をしている記述を見つけたのが
バイブル的には、かなり抵抗がある日拝を頓着なく実践をするようになったきっかけになります。

 

聖者だったガンジーまでもが深く敬愛するような、聖者中の聖者で
バイブルの難解な比喩をも生活体験で解き明かしてるような方も日拝に類したことを為さっている。

 

 

私だって天風哲人が指摘為さっている生きとし生ける生命を化育せしめる宇宙霊( 先天の一気 )は、
目に見える物質的な太陽におさまり固定されるような御方ではないことくらいはわかっている。
哲人の説く宇宙霊は根底に無形主体の概念があるから。

 

ともあれ、日拝の外的行為だけ見て、「 やれ偶像崇拝だ!」などと批判し拘りを持つ必要はないんじゃないのか?

 

そういう拘りを持たず「象徴的な観方」をして素朴に実践すればいいんじゃないのか・・と思うに至ったというのもあります。

 

 

併せて想うための原料を表面意識に提供している潜在意識の印象貯蔵庫自体を浄化する
かつ自己陶冶を為していく一環として日拝も研究しながら続けているということになります。