7つの習慣と心身統一法 (その2)
「刺激と反応の間にスペースがある」というのを人間関係上の摩擦や軋轢に限定して考察してみます。
「刺激と反応の間にスペースがある」という意味は、
相手がどういう振舞いや言動をするかは選べないにしろ
相手が不機嫌なら、こちらも不機嫌
相手が憎み恨んでいるから、こちらも復讐し憎み恨む、、で
憎しみの連鎖にするのではなく
別の対応措置もあるかもしれないという事
心の主人公として主体性を発揮し、距離をおくとか、衝動をいなして冷静に対応するなどの
可能性を探るということになりますよね。
その際に、天風哲人の口述書などを研究し実践を積み重ね
心の強さにも関係する感応性能が立て直されていたら自らの気分をコントロールすることが以前よりも出来るようになると言うことが出来ます。
生きていたら思うようにならない場面は、起きるものですが、
そういう日々の出来事の連続の中で
刺激と反応の間のスペース選択の連続がその人を作る。
起こってしまったもんはしょうがないにしろ
その時間的性質を帯びたスペースをどう活かすかが、私たちの内外の成長と幸せの鍵を握っている。
というのが「 7つの習慣 」の中核的内容と私は解釈しています。
そして心身統一法の積算実践で、進化向上が加速され、大いなるスぺ-スを向上的に活かす可能率が高まるというのが私の体験的理解です。
さらに言うなら私たち人間には
人間以外の動物にはない四つの独特の性質というのがあるということ。
この見えざる性質をよりよく発揮することでインサイド・アウトから力が得られるということも知っておくべき大事なことかもしれません。
その4つの人間独特の性質というのは
肉眼の眼には見えざる領域のとこにあるものでして
英語のほうが分かりがよい方もいるかもしれないので併記しておきますが
以下の4つの性質です。
・Self Awareness 「自覚」
・Imagination 「想像力」 (visualising beyond experience & present reality)
・Conscience 「良心」 (a deep inner awareness of right and wrong&following personal intergrity)
・Independent Will 「自由意志」(Acting independent of external influence )
この4つが独特の性質として提起されています。
これについては、「 7つの習慣 」においては以下の主体モデルが提示されてますので
図示しておきます。
上記について
その4つの人間独自の見えざる性質をいかに、よりよい形で実際にグングン伸ばし強められるかという点で
天風哲学の積算実戦がバイパスすることで、自らの心の監督者として、しっかり自分の気分を統制し
自らの強みや弱みを分析しつつ人間をつくる‥人間的な底力を高めるというので
私も実践で発見したことがあるから、さらにコメントするなら
意識できない心の奥座敷に
流れ込んでくる生かす氣( 天風哲学的には、Vril )を遮り
心身を一つにして取り扱うのを阻害し目詰まりを起こせしめ
向上発展を阻害し運を落とす雑念妄念の温床とも言うべき
消極的因子(消極的観念要素)というものがある。
※これは想像を絶するような長い長い人間の進化プロセスで、原始時代には必要なものだったかもしれないが、
文明が発達し霊性が少しずつ進化する中で、不要になった本能的なもの(今の時代では毒汁のようなもの)と捉えることも出来ます。
これらの本能心の中に埋まった不要残渣の整理については
潜在意識領のクリーニングを熱心に施して潜在意識の汚れ( パイプ内の目詰まり )が
新しい積極的観念要素の新鮮な真水で入れ替えられて耕され開拓が進んでいくと
言動を含めた振る舞いも正されやすくなり
エネルギ-状態がよくなって心の強さとも関係する感応性能が、ぐんぐん調子を戻していくということ。
感応性能の調子がよくなると、到底無理と感じていたような不要残留本能の統御に活路が開かれるという事。
そして、紆余曲折を経ても実践をしていくと
どこがどうということもなく心がスッキリ澄んでいき同じ風景、同じ光景であったとしても
晴れやかで、ほのぼのした・・しみじみとした情趣を感じやすくなるとされています。
また
一時的な衝動的感情による行動に対して、いなすのが上手くなり
消極的な情動、衝動に対し一拍「 間 」を置く心の実力が高まります。
心身統一法を積算実践すると、、、
これを、潜在意識の視点から詳しく理論的に解説するなら
自我の底の心の奥座敷から心を弱め暗く卑しく愚痴を垂れて横暴にし
消極にさせる´退転させる邪念的な雑念妄念的思考材料そのもの´が少しずつ掃い浄められ除かれ
替わりに公を含んだ発展を促す積極的思念材料を誘発する要素が沈み込んで刻まれ
「 入れ替え 」が促され耕されていくと、
さて、どうなると思いますか?少し考えてみましょう。
感じ想うという行為は、表面意識と潜在意識の協働で行われます。基本的に。
自覚できる表面意識は、もう一階層下の潜在意識領内から思念材料をもらって思考(想念)が成立します。
散々STEP1でも言及したように。
ここで、感じさせ想わせる原料がぎっしり詰まった奥座敷から、
暗くて不健全で停滞を招く消極的思考原料が掃われて、パイプの目詰まりが解消され
替わりに飛躍、発展をもたらす素材である積極的心象材料が、より優勢になり
生命エネルギ-の流れがよくなったことを想像してみてください。
以下の概念図が参考になるでしょう。
もし、心の奥座敷のパイプに詰まった感じさせ想わせる思念原料が
上の左の概念図のように暗くて意気消沈させ後ろ暗くさせ間を悪くし停滞を招く消極的思考原料で、どろどろであったのから
右のイラストのように、お掃除されてスッキリになったらどうでしょう。
そうしたら表面の意識は、軽やかで清新さの溢れる積極的心象材料を使用して思考する(想念する)頻度が増えていくでしょう。
そうなれば、嫌でも心地よさを心は感じるようになるし積極的なイメージが去来するようになりますよね。紆余曲折はあっても
このような仕組みで日々の生活において、後天的な取組みで
実践前よりは確実に弱気に思わせツキを無くす念の材料は少しずつ弱まり
心内の空間が変わって建設的方向に心を集中し描きやすくなるということです。
これを理解するのは、相当に潜在意識の仕組みなどを知ってないと難しいですが聡明なあなたなら少しは合点して貰えるでしょう。
さらに追加するなら( パイプの目詰まりが少しずつ解消されるという因により )
なにがしかの高次元の力を奥底の心が受けやすくもなるでしょう。
澄んだ自覚作用( 俯瞰 )も生まれて、自覚が高まるでしょう。
その結果、自分自身を乗り越えて心を取り扱い向上発展させていく粘り強い意志の力も、前よりは出やすくなって本心良心も相乗的に出やすくなります。
(紆余曲折はあっても)
加えて
一時的な感情、衝動による行動に対し、腰骨を立てて、すっと肩の力を抜いて下腹を充実させ温めることで
過敏反応が減っていき
刺激をいなせて冷静に一拍「 間 」を置く実力も養われるんです。
結果的に( 紆余曲折はあっても )心のバランスが保たれて、生活にも好影響を与え
あらゆる流れが、どんどんよくなっていくのではないでしょうか?
これは私が実践し理解し体感した範囲における心身統一の原則と理論のひとつで、体験的に述べることが出来ます。
これらのことを、比較しながら、もっと詳しく書いてみます。
以下は「7つの習慣」をさらに階層構造にして天風哲人の心身統一の原則を「7つの習慣」を包含する形で図示したものです。
※ただし、これは、ある意味、理想形でしょう。
大概は、意志や本心良心は不要残留本能の毒汁に汚染され潜在意識もマイナス化し
(向上発展への意志や情け深い本心良心は )心の下敷きになって心の王国の牢屋に繋がれているのが哀しい現状のように観察できます。
上記は、ずいぶん以前に「7つの習慣」との比較研究をした際に気づいたことです。
( 自らの心身を第三者的にメタ認知的に把持する思考法を通して気づきが促されていく
心の上位純粋存在としての魂(霊)『 感じられる心的領域を超えた純一無雑な氣』-意志)−良心
さらに下位属性の感受性を司る感じられる心( 想像、自覚etc)−神経系統−眼に見える肉体の階層構造とそれらを神経系統でバイパスする氣(プラナ)と肉体を巡る氣血との精妙な関係については
これも、何年も前から執筆しようとは思ってたんです。
書くのをためらっていたのは、
別にほっとけば、誰かが「 7つの習慣 」と天風哲人の生命哲学の共通点と違いを
サイトやブログに書いてくださるだろうと思ってたからです。
ところが、なぜか結局のとこ日本人の誰も書いてる方がいない。
天風哲人の実践哲学のおひざ元の日本人が書かなきゃ
いくら「7つの習慣」のコンセプトやメソッドが西欧・・アメリカを中心に提案され、そこで最も実践研究されてたとしても
いくら欧米圏の方が、その枠内で研究しても、
その枠内で研究する限り庶民にわかりやすい形ではパーフェクトリーに思いつけるわけがないです。
これも案外と素朴で大事なことで「7つの習慣」のキモのとこに該当してて
これが整理されれば言葉が少し変ですが・・より原則に調和した充実した生活を加速的に送るための
7つの習慣の習慣化をきっと促すと思いましたので
私も主体性を発揮し、ざっくりしたものを書くことにしました。
こういうのは・・別に日本人に限らず「7つの習慣」を本当に習慣化し内面化したい方に役に立つはず。
それに・・天風哲人の口述書のノウハウ実践して「7つの習慣」も読んで内面化に取組んだことのある方だったら
これに何となく気づいてる方は多いと思いますから
また、コヴィ−博士は個人的な追伸として、本書の最終ペ-ジで以下のようにも述べています。
これについても引用しつつコメントしてみます。
(以下、7つの習慣の最終ペ-ジから引用)
本稿を終えるにあたり、正しい原則の根源に関する私の個人的な信念を分かち合いたい。
正しい原則とは自然の法則であり、神あるいは偉大な創造主がその源であり、また私たちの良心の根源であると、私は信じている。
また、人々がこの神聖な良心に沿って生きる限りにおいては、その本来の可能性を満たすことができ、
それに沿って行動しなければ動物のレベルを超えることはないと確信している。
教育や法律だけでは影響できない側面が人間にはあり、それは神の力によってのみ変えることができると私は信じている。
人間は自らを完成させることはできない。正しい原則に自分の生活をどれだけ合わせるかにより、
私たちの中に神の力が宿り、それに応じて、自分の本来与えられた可能性を発揮することができるのである。
ティルハード・D・チャーディンの言葉を借りるならば、「我々は霊的な経験をしている人間ではない。人間的な経験をしている霊なのである」ということだ。
私は、この本の中で取り上げた多くのことに関して、今もなお奮闘努力を続けている。しかし、それに取り組むことは有意義であり、そこから得られる報いも非常に大きい。
それは、私の人生に意味を与え、愛し、奉仕をし、努力を続ける力の源である。
T・S・エリオットが、私の個人的な発見と信念を美しく表現している。
「 我々は探究をやめてはならない。そして、我々のすべての探究の最後は、初めにいた場所に戻ることであり、その場所を初めて知ることである」
(ここまで)
上記について日本人の私から敢えてコメントするなら、私もコヴィ−博士の見解に概ね同感です。
ただ欲を言えば、コヴィ−博士はキリスト教圏の方なので、偉大な創造主とか神などという言葉が平気で、本書に出てきます。
これは日本人には馴染みにくい事でしょう。
それに、もし天風哲学が、この「7つの習慣」にバイパスしなければ、恐らく上記のコメントの以下のフレ-ズ
「我々は霊的な経験をしている人間ではない。人間的な経験をしている霊なのである」
この文言も誤解を招くでしょう。
なぜなら、天風哲人の口述書の実践がバイパスしなければ
私の十代後半から二十代の頃のように
上記の「 霊 」という言葉を´ 感じ考える心のようなもの ´と知的に解釈し誤読してしまうことは十分に考えられます。
さらに以下の博士のコメント
正しい原則に自分の生活をどれだけ合わせるかにより、
私たちの中に神の力が宿り、それに応じて、自分の本来与えられた可能性を発揮することができる
これが仮に正しいとしても、正しい原則に自分の生活を合わせるためには、正しい原則を知ることと
意志と良心の力の渙発しやすさが必須でしょう。
※大概の方は、マイナスの潜在意識に支配され心に振り回され意志の力も本心良心封じられてますから。
この理由を述べるなら、もし大概の方の意志と良心の力が最高度に発揮されて、世の中が、そういう人で溢れていたら、
世の中の新聞記事やら、あれこれの社会面は不祥事で溢れてないでしょう。
それにただでさえ、複雑なマスコミ時代。心をあっちこっちに振り回されがちなのが私たちです。
本心良心(の力)だって、そんな強くはないですよ。
進化の最終形態で出てきたものだし
雑念妄念を整理する実際方法知らなかったら、出すのは難しいでしょう。
ところが、肝心要の、それらの力の具体的かつ実際的渙発法については
「7つの習慣」では、いくら精査しても、原因含めて
ほぼ言及できてないです。
こういうことも天風哲学をバイパスさせる強い実践的動機付けになるでしょう。
なお・・「7つの習慣」を習慣化するのにも、もちろん色んなルートがあって
その一つに過ぎないと思いますが天風哲人のメソッドが間にバイパスすることで、
いくつか引用しながらコメントしたように、
より理解が深まり主体性が発揮され実践の深化に応じて生活が原則に調和したものになっていくのかもしれません。
また
消極的な刺激に対して、以前だったら一時的な感情、衝動に任せて反応(行動)していたのから
耐性がついて鈍感になり
大らかな澄んだ視点と神経反射の調節で、刺激を鎮めることで、「 一拍置くこと 」が、実際に絵に描いた餅ではなく
本当にレシピどおりに出来るようになる方も出てくるかもしれません。
衝動的な怒りに勢いがなくなると申したらよいのか、、
また心で行う想像も、嫌でも少しずつ高級になる方も出てくるかもしれません。真剣に心身統一法を積算実践したら。
これにより自己統御力が増し私的成功を促して以前よりも原則に沿ったものになり生活も締まってくる・・それが促される可能性が高くなると私は観ています。
もちろん、これのみにこだわる必要もない・・色んなルートがあるだろうことは、そのとおりです。
それに、くれぐれも書いておきますが上の図( 天風哲学的解釈 )は公益財団法人天風会の公式見解ではありません。
独自で研究して、インスピレーションを背景に、体験上も実感したから書いてるのであって執筆責任は私にありますので念のため。
STEP1でも念押しで書いたように私は、ここの会員ではないです。ここの修練会にすら参加したことがありません。
合宿とか懲りてるんで。自己啓発セミナ-系の合宿で。
それに、「成功の実現」などを味読して、幸運なことに、
「 感じる心を超えた(感覚せざる)本当のわれ<SELF> 」をハッと悟得でき
(本当の自分)探しの長い長い旅路に終止符が、たとえ打てたからとて決してアガリではないでしょう。(-_-;)
とは言え発見できただけでも、すごいことで望外の感謝を捧げるべきこととは思いますが、、、
「 人格錬磨を含めて本当のわれ 」を進化させ「 より高い生き方 」に向け、
霊性進化と物質的満足とのバランスを取りながら、さらに変容させる必要がありまだまだ先があるかもしれません。
このことはインドのヨ-ガ聖者の某書を読んで研究すれば自明でしょう。