この記事は番外編ですけど、インドのヨギの指摘(後述)が正鵠を得ていて真理なら、
このサイトのなかで最も大事なページの一つと言ってもよいのかもしれません。

 

( この記事を執筆した経緯を簡単に紹介しますと・・・)

 

このサイトを執筆している私が潜在意識や集合無意識等を相当に研究をしていて
指導実績も、幾ばくかあるというので、私に、軽い気持ちでメールで相談しようと思った・・というのがあったのかもしれないのですが・・

 

 

(要約すると 「 潜在意識を活用して不倫の恋を成就するなんてのは可能ですか? 」

 

という趣旨の質問をメールでいただいたことがありました。

 

( サイトを開設した、そもそもの目的が、ひたむきに頑張るけれども、なぜか上手くいかない・・つまづいてばかりで一向に運が開けない・・居場所がなく生きるのがつらいと陰で泣いてきた方のために・・ということでサイトを少しずつ構築してきた経緯があります。
ですので、不特定多数に公開すると、これまでの生き方を反省し新たな決意で臨む・・というような方ではない・・私のカバー範囲外、
守備範疇外の方からも問い合わせがありますから、若干つらいものがあります・・やむを得ないこととはいえ_| ̄|○ )

 

で・・拝見した瞬間に(守備範囲外とは思ったものの)

 

この件について、10代の頃から研究してきたというのもあったので
割と忙しい合間を縫って結構な文字数を使って、理由も含めて「よくないですよ」ってことをメールでお答えしました。

 

しかし、その後、質問者( 相談者 )からメールも来なかったので、そのまま放置状態になっています・・_| ̄|○

 

 

ということで本題に入って結論から先に申しますと・・

 

猥雑な内容を扱っているサイトがインターネット空間に蔓延してるなかで
そういう価値観の方々にとっては
私の今回の記事は空気を読まない、とんだ石頭・・堅物の記事になってしまいますが

 

「 潜在意識を活用して不倫の恋を成就するなんてのは可能ですか? 」

 

 

というご相談( ご質問 )については

 

 

( あくまで長年の研究による私見では )
消極的な意味では自業自得で苦しみの穴(墓穴)を掘るようなもので
相手の家庭どころか自分の家庭の子孫にもよくない。
氣咎めを生涯引き摺ることにもなる。

 

積極的な意味では
大経営者や大富豪etcになるとかよりも
性的不道徳を避ける( 危うい誘惑を避ける )というのを確り守り
自己成長軌道に乗せるほうが
健康や、自己制御、心の平安などの平凡な幸福に大きく寄与し
長い目で見て恬淡とした深い喜びを与える。
願望実現と同等か、それ以上に重要な状態管理にも影響する。

 

 

だから

 

 

先のご質問のお答えは

 

「 可能以前 」

 

 長年の研究から、そういう行為は潜在意識の深いところを汚す行為にもなるので

 

「 ( 悪いことは言わんから )やめときなされ! 」

 

 

 

という見解になります。

 

 

 

尤も自分の人生。生き方は自由

 

「不倫してたっていいやないか!・・バレなきゃいい・・

 

責任と覚悟を持って生きていればいいんだ!

 

なのに、お前は何様のつもりで、そんなこと言うか!」

 

って返された場合は

 

 

「 ( もちろん人それぞれの価値観があるのも認める )

 

 

別に私は何様でもないけど
( 原則に照らして )
少し頭冷やして冷静になったほうがよいんじゃないか?

 

 

( 私自身も個人主義や民主主義の影響を受けているから、こういう答えになるかもしれませんけど・・)

 

私の自由は他者の自由を侵す場合があるから配慮が必要だけど
配慮を施した上で本心・良心に照らし魂を優れさせながら
自分が自分の人生を好きに生きるのは賛成

 

だけど自分が配偶者の立場になって
代理想像をして、そうされたら嬉しいと思うか?
本心良心に照らし氣咎めしないか?」

 

 

という私からの返しの質問で

 

恐らくキレられて物別れ・・それまで・・
ってことになる可能性が高いと思いますが・・

 

 

本当に潜在意識のことや内奥の見えざる魂のことが分かっていて

 

自分自身の自我の深いとこを純化して、
自己の本質に気づき純化していくための鍛錬をし精神性を高めていきたいなら

 

あるいは

 

自らを尊ぶことができ本来の配偶者、さらに相手の家庭の子供・・
さらに平凡な幸福を享受する
さらに、その子孫を含めた平凡な幸せと繁栄を強く願う
という、ごく普通の動機があるなら

 

 

はたまた

 

自分が自分の人生を好きに生きるのは当然ですけど
負の因果法則( 悪因悪果 )を動かし未来に災いの果をもたらすものを
現在(いま)の行為で悪因を潜在意識の深いところに積んで、
素に戻った時に氣を咎めさせ後悔しない・・
ばれなきゃいいというわけにはいかない。
他人はごまかせるかもしれないが、自分の心は後ろめたさを感じるはずで

 

刹那的には、よいと感じても、決していいことはない。
感じ方を司る感応性能に影響を与え状態管理にも負の影響を与える。

 

という点でも

 

 

( 私たちのような、ごく普通の一般人の立場であっても )

 

不倫が発覚したら社会的地位や信頼などを失い経済的ダメージが怖いから
とかいう浅い理由以前のところで

 

そっち方面に欲を燃やし、実際に行為に及ぶのは避けたほうがいいよ・・
という考えです。

 

でもって何を根拠にそんなことが言えるか?という疑問に対しては

 

不倫は、道義的に駄目だからダメ
とかいう、そういうとこから述べるつもりはないです。

 

 

連綿と受け継がれて現代人の思想や文化に影響を与え続けている
仏教、儒教、キリスト教などの高等宗教の教えやインドの聖者のコメントなどから共通項を抽出し

 

事実を敷衍すると自然に湧出してわかってくる事実があるので、
そうお答えしてるということになります。

 

これから、その理由を詳しく述べていきますけど

 

 

世界史の視点から述べるなら

 

世界の文化や科学技術、思想に影響を現実に与え続けているキリスト教

 

この母体となったユダヤ教・・

 

 

このユダヤ教については、幾ばくか独自に研究した範囲で連想されることを述べるなら

 

・形あるものより形なき見えざる知恵を重んじる・・

 

・血脈に並々ならぬ関心が注がれておりストイックで教育熱心、きびしい律法

 

総じて競争に勝ち抜く優秀な子孫を産み育て
繁栄してゆく血脈を紡いでいくことをとても重視してる教え

 

というイメージと印象が強いですが

 

事実にフォーカスすると

 

ユダヤ人は全世界で1200万人をこえてるかどうかくらいの少数派民族にも拘らず
選民思想を保持してるなどにより迫害されながらも
現在、世界経済にも只ならぬ影響を与えている事実が浮かび上がってきます。

 

尤も全てのユダヤ人が徳高く魂が優れて立派だったり、
経済などの実業分野で成功しているわけでもない。

 

民族ということでフォーカスしてもユダヤ人だって、民族的に様々な問題を抱えていて
迫害されてきたユダヤ人が現在はパレスチナ人を迫害している実態がある
というのも耳にしてまして恨みの連鎖と申したらよいのか、
パレスチナ人にとっては悲劇以外の何ものでもないっていう実態があるのも聞き及んでますが

 

 

とにかく事実にフォーカスし
実業や学術等の分野にスポットライトを当ててみると
実際に商い上手でもあり抜きん出てることを裏付ける実態がいくつも浮かび上がってきます。

 

 

この件について今現在・・21世紀の実社会で卓越しているという一例をあげれば

 

マネジメントの発明者であるピーター・ドラッカー氏もユダヤ人だし
Googleの創業者、フェイス・ブックの創業者も共にユダヤ系の方なのは周知の事実。
それ以外にも、ざっと思いつくものを挙げたら・・
DELL創業者、インテル創業者、スターバックスの創業者、アディダスやプーマの創業者も
ユダヤ系でして兄弟で創業しています。

 

 

映画業界とかもワーナー・ブラザース社の創業者もユダヤ人・・
ハリウッドの映画監督であるスティーブン・スピルバーグ氏もユダヤ系です。

 

女優( 俳優 )で抜きん出た成功しているユダヤ系の方も非常に多いのです。

 

卑近な例では映画ハリーポッターシリーズの主人公ハリー役のダニエル・ラドクリフ氏とか
個人的に私自身、割に好きな女優さんであるナタリー・ポートマン女史など

 

 

 

ユダヤ人( ユダヤ民族 )は経済分野のみならず思想、宗教、政治、文化、科学的発見や
純学問分野においても常に時代の先駆けにもなってる事実もあります。

 

世界史に与えたインパクトというのでは
キリスト教を創始したイエス・キリスト・・イエス・キリストがユダヤ人というのは歴史的事実ですよね。

 

キリストの教えは、当時の体制に合わない、秩序を乱すということで
ローマ帝国の権威にも、おもねって自己保身に走った当時のユダヤ社会の権力者、有力者( 既得権益層 )に煙たがられカルト認定・・(;^_^A
紀元1世紀の初期から4世紀頃にキリストを敬愛し純朴に信仰していた人たちは、
( 言葉がよくないですが )きちがい集団とみなされ
敵視され、すさまじい迫害を受け続けました。( その名残がカタコンベでしょう )

 

ですが、にもかかわらず、その中でも生き残り、なんと驚くことに392年、4世紀末にはローマ帝国の国教になり、やがて世界に波及していきました。
ある意味、理解されるまでに400年もかかった・・・と言うことも出来るかもしれませんが

 

その教えは大きくはカソリックやプロテスタントに分派し・・プロテスタントの中でも分派に分派を重ねて、
ぐちゃぐちゃになって、なんだか生命力を失い形骸化してはいます。

 

またキリスト教徒が迫害のなかで勢力を拡大するにつれ
キリストを十字架刑(磔刑)にしたユダヤ民族に対する嫌悪を抱く土壌が広がり
それが暗黙の反ユダヤ主義としてキリスト教国の多かったヨーロッパで噴出し
ベニスの商人などの文学作品に描かれるほど蔓延して
キリスト教西欧社会の風土のなかでキリストに酷いことした嫌悪の対象のユダヤ民族
といった構図がつくられ世の中でよくないことが興ったら、ユダヤ人が悪いせい・・
みたいな雰囲気まで蔓延・・ユダヤ人はマタイ福音書27章25節で
(キリストを十字架にかけた)血の責任は、
われわれとわれわれの子孫の上にかかってもよい、ということを
当時のユダヤ権力層、知識層、群衆までもが望み、そうしたのだから
ユダヤ人がキリストの十字架の血の責任をとることは当然と未だに考えるキリスト教信徒もいると聞いたことがあります・・
現代ですら、そう考える人が未だにいるくらいだから、当時は相当なものだったでしょう。

 

なんかあったら悪いのはユダヤ人・・戦争に負け国が貧乏になったのもユダヤ人のせい・・
陰謀論も相まって経済を含め世の中が悪いのはユダヤ人のせい・・
という風土と構図のなかでドイツ民衆を扇動し、大衆支配に当時のユダヤ人への反感(の雰囲気)を利用したヒトラー、ナチ・ドイツの専横・・ユダヤ敵視政策や周りのキリスト教国(の冷淡と無関心)が人道的にホロコーストに至る道筋を防ぐ防波堤になれなかった・・ともされています。

 

 

 

さらにつっこむなら本当にキリストの精神を継承した国なら、あんなことはしないんじゃないか?
ってくらい阿漕な植民地支配をして先住民たちを虐待してきた史実が
キリスト教国の中にもあります。

 

( 私たちの住む日本だって歴史的にアイヌ民族や琉球民族を虐待してきた史実があるので、
強くは批判できない・・とも思っていますが )

 

ですが、そういう深刻な問題を引き起こしてきた史実を大幅にさっぴいて、
かつ日本は多神教的神道が風土に根付いていて
絶対的かつ一神教のキリスト教とは馴染みにくくキリスト教人口は多くないので、ともかく・・としておきますけど

 

世界的に見たら世界人口の約1/3・・
3人に1人が何らかの形でユダヤ人であったイエス・キリストを信奉している・・
という統計事実、実態があります。

 

ですのでユダヤ人が世界史に与えたインパクトは、キリスト一人だけをピックアップしても
巨大なものがあるのは、否定しようもない事実でしょう。

 

 

さらに近代では、ヘーゲル哲学を援用し資本主義を真っ向から否定、批判した共産主義思想、理論を提示したマルクスもユダヤ人です。

 

( この思想の好き嫌いはさておき個人的には、資本主義という経済活動の形態も問題が多いとは思ってますけど、この共産主義理論は、マルクスが否定した各個人一人一人の霊性が高度に発達しないと、この思想と言いますかシステムは理想論で無理があり過ぎ・・
共産主義はなんでもかんでも平等と理想を謳いあげるが実態は、例えば、某国なんかは恐ろしいほどの階級社会で不平等。

 

別の視点から述べるならマルクスは人間の強欲やなまけ癖等を甘く見過ぎ・・
現段階でも現実的に無理だろう・・・・・弊害のほうが大きすぎる・・
ですが、ユダヤ人の一人であるマルクスの主義、主張が国を動かし
世界史にインパクトを与えたのは間違いないでしょう )

 

科学の分野において俯瞰して観ても
ユダヤ民族は相対性理論を発見したアルバート・アインシュタイン博士や
現代のIT社会を支えるコンピュータの生みの親とされている
フォン・ノイマン博士らを輩出しています。

 

 

 

さらに細かく言えばフロイト博士もユダヤ人ですし

 

「嫌われる勇気」という本の出版で日本で一躍有名になったアドラー心理学の
アルフレッド・アドラー氏もユダヤ人です。

 

 

先に挙げた実業分野は、そういう目で観たら、そう見える・・
というバイアスがかかる恐れがあるし

 

全てのユダヤ人が立派なわけでも
抜きん出てるわけでもない・・それに、この考えが偏っていくと優生思想につながっていき危ういというのも承知していますが

 

そういうのも賢明な読者は、ご了承いただいてるものとして述べることとし

 

 

科学的発見や純学問分野における卓越性を全体傾向として裏付ける
客観資料( 事実 )・・指標の一つとして
バイアスがかかりにくいノーベル賞にフォーカスするなら

 

ユダヤ人は世界の人口の僅か0.2%に過ぎず
統計的事実にフォーカスするとユダヤ人( ユダヤ系含む )の人口は
日本人の人口規模の10%以下という事実があります。

 

にも関わらずユダヤ系の方のノーベル賞の総受賞者数は日本人の受賞者数と比べて5倍以上

 

という事実から観て、これは異様な統計的実態と言わざるを得ません。

 

 

 

これはユダヤ民族と言うよりユダヤ系アメリカ人が凄いのだ・・
ノーベル賞を受賞したユダヤ系の方の中でも60%のユダヤ人がアメリカ国籍だ!
アメリカの教育によるものだろうという説もあります。

 

もちろん、教育は大事ですが、それだけとも言い切れない。

 

なぜなら人口900万人に満たないイスラエルは1948年に建国後
1948年以降で12人のノーベル賞受賞者を輩出していますから。

 

アジアの中で突出している日本人ですら人口1億2千万で
26人であるにもかかわらず・・です。

 

追記するなら2016年のイスラエルの出生率は3.11で
同年1.44だった日本の2倍以上です。

 

私もユダヤ人( ユダヤ民族 )のことは、
全てのユダヤ人が立派なわけでも抜きんでているわけでもないというのは弁えた上で

 

それを差っ引いても全体傾向として豊かな発想力、創造性豊か・・
交渉上手で商いにも秀でてる方が多いし
独立心も強く、その強かさや少数精鋭的な突出した優秀さが目立つ方が多い
という事実があることから興味を持ち、

 

なんなんだこの民族は??‥と思い

 

瞑想を深めながら歴史的な史実を俯瞰し探索したことがあって

 

これが今回の質問の、より中核的な根拠になるところの答え

 

( 人間は好きに振舞える天与の自由意志が与えられてて
何をしようと、どう振舞おうと黄金律さえ侵害しなければ無難に生きられる・・
 ただし好きに振舞えるとは言え
静謐な心の状態だと聴きやすくなる本心・良心の囁きに心の耳を傾けず
不倫成就などの不道徳な行為に突っ走らせて深いとこを更に汚すべきではない)

 

 

ってことの回答の理由を裏付ける骨子中の骨子の一つになるのですが

 

 

この特殊な民族の民族的なアイデンティに当たるファクターを言語以外のとこで探ろうと
その源流を辿りに辿っていくと現代から遡る事、おおよそ3000年以上前に
エジプト新王国の支配、隷属を脱出した
ユダヤ人グループにおいて民族的指導者になったモーセという方に行き着きます。

 

( もちろん、こんなことは指摘するまでもない・・
世界史をかじった方なら、ご存知の方も多いと思いますが・・ )

 

そのモーセが40日にわたる長期の断食を2回も為さっていた期間中に
入神状態になって高次の啓示を受けて定めたとされている
子々孫々の繁栄のために倫理的に腐敗した周辺民族の風習に従わないための
ユダヤ民族が守る10の約束事が提示され、そのなかの一つに

 

「 性的不道徳を避けなさい 」

 

という約束事が、事実として、きっちり定められています。
( 出エジプト記20章 )

 

これもバイブルのなかの旧約のほうを読んだことがある方なら知ってることかと思いますが

 

ユダヤ民族の一人だったモーセという預言者( 先覚者 )の口を通して
民族的に警告されているんです。

 

 

このように今から3000年以上前ですら、腐敗した周辺民族の風土に染まらず
不幸、没落に陥らないように・・ということで
幸福、子々孫々の繁栄のルールとして定められて
この民族的警鐘はユダヤ人の民族的アイデンティティとなって
国家興亡史をこえ時代を越えて鳴り続けて

 

ユダヤ人の一人だったイエス・キリストの生き方・・具体的表現をするなら
見返りを求めない高純度の利他性、献身的かつ崇高な精神性を模範とし
それを見習おうとするキリスト教信徒たちにも強い影響を与えました。

 

その教えの中には、(性欲の奴隷にならぬよう)
実際の不貞に止まらずマタイ伝5章27節〜29節にもあるように、
まるで当時、参集した会衆たちの心内をキリストが看破したかのように忠告され
内面的な不貞にもメスを入れる形で警告が加えられ
キリストの教えは、ユダヤ教の外面的不貞への戒めよりも、
さらに高尚な内面的不貞への戒めへと純度を高めて
承継されて、( 分派に分派を重ねてるとはいえ )キリスト教として、
いろんな国に、その教えが広まって現代にまで、その警鐘の響きが引き継がれて
鳴り続けています。

 

( ※もっとも・・これも教えの実効性という局限された視点で見てすら
イエス・キリストの崇高な思想や没我的かつ献身的振る舞いが
キリスト教国という国家レベルで、根深いエゴイズムを抑止する実効性はあったか?
と申しますと、呆れるくらい、つっこみどこ満載でして・・

 

歴史を俯瞰すると個人史レベルでは、キリスト教徒の中には
裕福で将来をも嘱望されていたのに、その生活を捨て、
貧しい人に寄り添い一生を捧げた人も少なくない・・

 

小説「塩狩峠」も実話をもとにしているそうで、見ず知らずの人を助けるために、
自らの命を投げ出した方も実際にいる・・
そういう方々が現実にいらっしゃるというのも聞き及んでますが、

 

こと国家レベルで見ると、いわゆるキリスト教国で阿漕で差別主義の極みと言えるような
植民地支配をしてきた歴史があるのは先にも言及したとおりですし、それ以外にも例えば、
国家同士のイデオロギーと大義名分が対立し、対立構図が作られた背景の中で
経済問題が端緒となって武力衝突に至った先の大戦(太平洋戦争)において、
もしキリスト教国とされてるアメリカって国がイエス・キリストの許しと差別を越えた
普遍愛の思想や精神、生き方を真正に、そのまま反映した国で、
そういうのが当時のアメリカ政府中枢部のコンセンサスとしてまとまっていたら
ハル・ノートなどを当時の日本に突き付けたりせず戦争回避に動いたはずで
日本は原爆を2発も落とされてなかったと私は思っています・・

 

アメリカを含む連合国にとって敵国のヨーロッパのドイツやイタリアではなく
日本に2発も原爆を落とした理由の大きなウェイトを占めていた背景の一つは
戦争の戦略的な面だけでなく根深いアジア系人種に対する差別が当時あったとも言われてます・・
ですので、そういうのを差し引いても・・と付け加えておきますけど・・)

 

 

IQ、EQともにずば抜けて高かったと言われてる
今から2500年前くらいに心の働きを微細に観察し
苦を免れるための真理を追究したインドの釈尊も
苦行は捨てたけれども人間のすべての苦悩を離れた寂静の境涯を養うために
清くて純粋であるための行動規範、指針として
性的放縦、愛欲の貪りに陥る弊害を指摘し、これを戒めています。
( 仏教の教えで在家信者が守る五戒のひとつに不邪淫戒というのがあるのは有名ですよね )

 

日本の神道において古来から伝承されている中臣の祓においても
農耕妨害、傷害殺人と同じく性的欲求を奔放にし享楽本位にすることを重大な罪として扱っているのは
祝詞研究を含めて、この分野を研究している方でしたら周知の事実かと思います。

 

さらにヒンズー教の源流であり世界の宗教、哲学、スピリチュアリズムにも
隠然とした影響を与えているヨーガにおいても
その流れを汲んだパタンジャリという聖者によって
八支則(はっしそく)という8つの段階を解いた基本的な教えが
紀元4〜5世紀頃、今から1500年くらい前に説かれたとされていますが

 

物欲、食欲、名誉欲などの欲望と快楽に惑わされ
後味の悪い感覚的歓びに振り回されないよう統御することが薦められ

 

自分自身を純化して自らの内奥の純粋な本質に気づき
精神性を高めていくための鍛錬を行う上での最低限の生活原則として
性を乱さずパートナー以外の異性とむやみに性的関係を持たないことが定められ

 

それが内的探求をする上での大前提の準備として据えられ
行動規範の一つになって伝統として綿々と受け継がれています。

 

※私がよく読んで研究していてブログでも度々取り上げているインドのヨギ聖者が執筆した本でポスト中村天風として最有力候補の一つに挙げてはいるものの、
あまりにも崇高な内容のため、段差を減らす無難なルートを模索するなど研究資料にしている本がありますが

 

そのヨギ聖者の執筆した本(シリーズ本)によると
「性欲の奴隷になることは、健康や、自己制御や、心の平安など、
幸福の条件をすべて失うことになる」。 という指摘もされてるくらいです。

 

節度を守るべき・・という類の記述があり、高い倫理性と純潔性が内的修行の大前提であることが
同書でもきっちり説かれています。

 

この件については「7つの習慣」やナポレオン・ヒル博士の著書等といった世界的自己啓発書からもアプローチできます。

 

 

私のサイトをお読みになるような向上心の強い方でしたら
スティーブン・R・コヴィー博士の「7つの習慣」も読んでいる方は多いと思います。
私も、この本は数十回読んでいまして「 7つの習慣 」から紐解くなら

 

この本の中でコヴィー博士は映画監督セシル・B・デミル氏が、氏の代表作「十戒」のなかで原則について述べた以下の言葉

 

 

 

「神の律法(原則)を破ることはできない」。
それを破ろうとすれば自分自身が破れるだけだ。

 

という言葉を敢えて引用しています。

 

 

(※´ 神 ´という言葉は、それぞれの国や文化、人によって辿ってきた道や背景がそれぞれ異なるので
非常に誤解を受けやすい言葉でして、私自身としては本音は引用したくないですけど )

 

 

 

またコヴィー博士はフランクリン・コヴィーという社名をつけてもいますが
これは、アメリカ建国の父であるベンジャミン・フランクリンから取ったともいわれています。

 

ベンジャミン・フランクリンは22歳の時に「道徳的完成に到達しよう」と発願し、
その計画を具体化するために3年かけて練りに練って
13徳(価値観、生活綱領)に、まとめあげた表を作り上げました。

 

そして、小さな手帳を作り、その生活綱領(13徳)を1ページずつ割り当て
1週間のうちに1つの生活綱領・・例えば節制などに集中するなどの工夫を凝らし
1日1日、1週間ごとの生活を正して習慣化に努めていったことでも有名です。

 

フランクリンは、その13の生活綱領(13徳)のひとつに´純潔´をあげていまして

 

これに耽りて頭脳を鈍らせ、身体を弱め、又は自他の平安ないし信用を傷つけるべからず。

 

という但し書きを添えて遵守に努めたと聞きます。

 

 

このようにコヴィー博士が、あえて十戒から´原則´を引用していることや社名の謂れからも
氏が人格主義による成功の復権のための原則の一つとして
バイブルのなかの旧約の十戒のなかの´性的不道徳を避けること´
これを誠実であることを支える´原則´と捉えており前提にしていることは明らかです。

 

さらに駄目押しするなら、同書の中でコヴィー博士は旧約聖書の逸話のなかでも
非常に劇画的なことで有名な´ヨセフの物語´を引用して
7つの習慣における´原則´の解説を試みています。

 

旧約聖書をよく読んでいる方でしたら
兄弟たちから妬まれ疎まれ穴(井戸)に、つき落とされ死んだことにされてしまい
その後も波乱の人生を送ったイスラエル建国の父であるヤコブの末子のヨセフのことはご存じでしょう。
ざっと、ヨセフの、その後のことを述べるなら
ヨセフは兄弟たちに憎まれ穴に落とされ置き去りにされて後、奴隷商人に売り飛ばされ、
エジプトの高官の下僕となりますが
エジプトの高官に、その堅実な仕事ぶりが認められ、やがて財産管理を任せられる程になります。
ところがヨセフは、曾祖母に当たるサラや祖母のリベカ、母のラケルが
いずれも容貌に優れて美人だった血脈を受け継いだせいなのか定かではないですが
大変な美青年だったこともあり( 創世記39章6節 )
下僕として仕えていた高官(主人)の妻から不適切な性的誘惑を執拗に受けるようになり、その誘惑を幾度もヨセフが退ける件(くだり)があります。(創世記39章7節〜10節)
聡明なヨセフだったら誘惑を拒絶することで使用人としての立場や仕事をするうえで
非常に困難な境遇に陥ることもわかっていたと私は推測しますが
当時、身分は最下級の奴隷でも心は気高かったということでしょう。

 

ヨセフは自らの信念と価値観を貫き執拗に誘惑してきた主人(高官)の妻を拒絶し続けたために、その妻に逆ギレされ、あらぬ罪(濡れ衣)を着せられ牢屋に落とされてしまいます。
しかし、その後、非常な不遇から不可思議な機縁で牢を出ることとなり
夢解きなどを経てエジプトの宰相になり、エジプト国内の領民だけでなく、
自分を憎み殺そうとまでした兄弟たちを含めた自身の家族をも飢饉から救ったことが
旧約聖書の創世記に書かれています。( 創世記45章 )

 

これは、´ヨセフの物語´として、バイブルを読んでない方でも、ご存じの方もいらっしゃることと思います。
この逸話からヨセフは、万学の祖と称され非常に有能で実績も抜群。
現在の学問体系にも影響する学問の分類を作り上げプラトンの弟子として
より善く生きること(徳)を説いたアリストテレスよりも
実践面で遙かに徳のある尊敬に値する人物だったということもできるでしょう。
( それぞれ生きた時代圏が違いますので並列比較は、やや無理がありますが
アリストテレスやヨセフの逸話が事実だとして、誘惑を避けるのに、どちらが難しかったかというと
 ヨセフのほうが、その当時の立場や状況を考えて、はるかに難しく厳しい・・ )

 

こういう逸話を敢えて紹介し引用していることからもコヴィー博士が
「性欲の奴隷になることは、健康や、自己制御や、心の平安など、
幸福の条件をすべて失うことになる」。 という原則を暗に示していると見ることもできますから。

 

 

7つの習慣以外にも例えば成功哲学の祖であるナポレオン・ヒル博士の著書にも

 

類似した内容のことが述べられています。

 

ヒル博士の書はHow to Sayで、弱いところがあります。
本能心の統御は、そんな簡単ではない。博士の助言では弱いとは思いますが

 

一つの指針として

 

霊性満足の価値高い目標(欲)に転化させ振り向けたり
欠点克服や霊性開発に振り向けたり
別の夢中になれる学術、芸術、創造的工作などの創造的な愉しみを見つけて
自らを没入させるほど打ち込んで悦びを味わうほうが平凡ですがよいと考えます。

 

自身の研究や国家興亡史を俯瞰しても

 

( 研究という点では、さまざまな高等宗教の宗派を超えて縦断するというのはかなりの負担と労力がかかってるわけで
私の場合はバイブルは、何の因果か十代の頃から読んでいて仏典ほかの他の聖典は二十代の頃に運命的に、とても苦しいことが続いて、やむに已まれず研究したわけですが )

 

バイブルや仏典・・インドのヨガ聖者を筆頭とした形而上の書物、世界的な自己啓発書など・・
探求すればするほど愛欲に囚われ不倫に身を焦がすことの危うさ・・
長〜い目で不埒な誘惑に負けて動物本能の赴くまま不貞行為に走った方の生活史実を追うと
一時的には勢いがあって、よく見えるが結局没落一直線・・という図式が浮き彫りになることは事実確認できます。
また国家の衰亡史を俯瞰して観ても国の中枢部が性的に乱れ爛れると、
あらゆる面で、国がおかしくなるという図式も変わりません。

 

 

さらに、言うなら

 

なぜ?、WHY?現代にまで影響を及ぼしていて国や地域も違うところが発祥の宗教のなかでも世界的な宗教にまで廣まったキリスト教や仏教、儒教などの高等宗教・・日本においては神道の中臣の祓あるいは古代インダス文明にまで遡及できるヨーガの流れを汲んだヨガ哲学においても地域も時代も違うのに・・

 

ずーっと根を辿れば、まるで方位磁針が常に北を指し示すように

 

何千年も前から主に高次のインスピレーションを受けた聖哲の口を介して
性的不道徳を避けることが警告され続けてる事実があるのでしょうか?

 

歴史の中には、そういうのに無頓着で放縦な´時の権力者´と言われる方たちも歴史上にいたわけですが
そういう権力者たちによって、塩昆布みたいなことを書いてるものを不都合だとして抹消し
焼き払い焚書にできなくもないはずなのに

 

どんな人間的権力を用いても人間業では決していかんともすることができない。

 

 

 

どんな時代を経ても・・世の中が乱れて国家興亡、栄枯盛衰繰り返しても

 

警鐘の鐘として地球規模で鳴り響いてるのでしょう??

 

もちろん性というのは神聖なもので、

 

子孫繁栄とパートナーとの良い関係を保つ為の大事な要件になるのは事実ですし

 

生命生存の欲の中でも性欲というのは最も強力な欲望の1つになっています。
ぶしつけな言い方をするなら性欲が原動力の一つとなって世の中が動いていると言っても決して言い過ぎではない側面もあります。

 

 

しかし、この欲に振り回されその度が過ぎていくと刹那的になり
人間としての人格を貶めて魂のレベル、精神レベルも低下して

 

高度の判断力を乱し生活も乱れ幸福を乱しがちになる。

 

 

 

ごくごく稀な例外として正妻が、お家の断絶を防ぐために、それを許していて公認で、
かつ、お妾さんと正妻との仲が非常に良いなら、ダメージは少ないとも言われてますけど
そういうのは例外中の例外で

 

享楽本位にし、あちらこちらに愛人を作っていったら自分だけでとどまらず

 

血脈を継いだ子々孫々の繁栄にも、ある負の因果を刻む可能性がある。

 

その反対に、こういう人として平凡で、ごく当たり前の・・
別にユダヤ民族じゃなければ守れないという事では決してないことを
守る( 不適切で人倫に反した性的誘惑を退け実意丁寧な生活をする )だけでも

 

平凡な幸福と次世代へもバトンタッチされる形の繁栄のレールに乗っていきやすい
というのを警告するために

 

最も古い書物群のなかでも世界的な権威のあるバイブルやその他の聖典においても
方位磁針のように聖賢たちの口を介して発信されているという観方もできるのではないでしょうか?

 

 

 

人間は性的不道徳に「 溺れる選択の自由および愚行権 」も「 溺れない選択の自由 」もあるわけで

 

 

 

私もこういう記事を書く上では自分が正しいと信じることは、きっと相手にとっても正しい・・
そう思う、思い込み自体が間違いの元
ということで慎重に執筆してまして、そういうのは肝に銘じて書いてるつもりですが

 

 

自らの心の深みの純なとこに尋ね長期的視野で視て歴史( 古典 )からの教訓に照らしても
史実や子孫へのインパクトに照らしても享楽本位、無軌道に性を奔放化させるのを避けるほうがよい・・

 

ユダヤ教、キリスト教、仏教、儒教とか関係なく
( ※仏教、儒教、キリスト教等高等宗教とされ高度の哲学性を帯びるに至った世界宗教も
抽象化し俯瞰すると、まるで方位磁針のように戒めていますから、危ういのは予想できるでしょうし・・ )

 

世界で最も古いにもかかわらず

 

廃れることなく、いまだに語り継がれてる書物や史実、世界的自己啓発書等から学ぶなら

 

あるいは、インドの聖者中の聖者であるヨギの指摘が真理であるなら
こういうのは、みんながやってるからといった多数決( 多勢に無勢 )
あるいは、世論や社会的支持が多いからとかいった
時代の空気によって決まるものでもない。

 

潜在意識を、そのような目的に用いるべきではない。

 

危ういので避けるべき・・という考えでいます。

 

長い目で見て自分を真に尊び配偶者および家庭を大切にし、相手の家庭も尊重するなら

 

 

 

歴史を俯瞰した史実や原則に照らしても

 

過ちに陥るような状況を作らないように普段から努め、心を客観的に捉え
理性心、本能心、経験や欲望・衝動等から独立しても働き得るく霊性心(本心・良心)をよく識別し
食欲、睡眠欲、悲しみ、怖れ、嫉妬などの不要残留本能由来の毒汁のような不快な感情情念の整理や陶冶と併せて破滅の要素になる劣情なども
本心・良心同様に経験や欲望・衝動などから独立しても働き得る意志力( Will Power )を良心に沿わせながら働かせ整理的に邪欲傾向を削って、より善く生きる心がけを怠らないようにする。
劣情が厄介なのは、一時的とはいえ刹那的な快楽をもたらことでして、しかし長い目では生活を乱れさせる破滅的な要素になる類のものと観照できますので瞑想や見返りを求めない親切などで新しい悦びの回路を作るということ。

 

私も、この分野は、再現性の面で完全とは言えずまだ研究段階ですが

 

削る際に( 潜在意識の印象貯蔵庫のお掃除や「成功の実現」に書かれている自律神経の立て直し等によって渙発されやすくなる)心を超えたところから発祥する意志力
これは、天風哲学では本来、潜在意識の印象貯蔵庫が消極的観念要素でいっぱいになり始末に負えないくらい汚れたりせず、
かつ自律神経系を調整する太陽神経叢が調子を崩さなければ

 

感覚や経験、衝動、感覚的欲望も超え、心身を統率し得る最高権力の実力がある
とされているのが、この力ですが

 

この力を駆使して努力は努力でも瞑想などで根源を知って悦びを耕すために
この意志の力を振り向け努力をしつつ
生命をより善く生かすために精神を優れさせ肉体の錬磨と併せて想念を積極に振り替え
心内を積極に耕すことも肝要と考えます。

 

 

ですので提言としては

 

 

時代を問わず方位磁針が常に指し示す
不幸を避けるルール( 原則 )として

 

相手の家庭の平凡な幸福を壊すことまで含まれてしまう
負の因果法則を動かす邪なことは未然に避けるのがよい。
( 道徳上の、ある準備は必要と思っていますが )
「 性的不道徳を避ける 」のはユダヤ民族じゃなくってもできると思うし
(と言いますか、こちらのほうが社気通念上、多数派でしょう。
多数決で決まる類のものではないですが )

 

不倫に新しい刺激や新鮮さを求めるのではなく

 

結婚相手に向けて小さなサプライズをする等で

 

新鮮さを保ったほうが善いんじゃないか?

 

 

 

 

平凡で、人によっては、小学生でもわかる・・こんなの当たり前で
お互い貞潔であるべきという意見のほうが多数派かと思いますけど・・

 

愛欲に囚われ不倫に新しい刺激を求めるくらいなら

 

その欲を足元の平凡な幸せを見つけることに囂々と燃やし
結婚相手に向けて小さなサプライズをすることで
平凡な新鮮さを忘れないことに潜在意識を用いることだって
頑張れば、できるんじゃないか・・

 

メイン・サイトは天風哲人の「成功の実現」「心に成功の炎を」等で述べられたノウハウを再構築させ新たなノウハウを加えながら習慣化に重心を置いたものでして

 

このSTEP1〜5を丁寧に、繰り返し実践継続することで
心を取り扱う意志力や生命力が高まり運が開かれ
仕事もうまくいき志(願い)が叶ったり経済的にも恵まれるようになったという報告も実際に多くいただいてはいますが

 

( あくまで瞑想を深めながら世界最古の書物から学んだ私見では )
大経営者や富豪、大作家etcになって得られる喜びよりも
性的不道徳を避ける( 危うい誘惑を避ける )というのを
確り守り通し自己成長することで得られる喜びのほうが
より深い喜びを与えるのではないかと思うし
健康や、自己制御や、心の深い平安などの平凡な幸福に大きく寄与すると私は観ています。

 

これは古代イスラエル王国第三代王ソロモンの事跡からも推定できます。

 

日本人の統計からバイブルを通しで、何十回もお読みになったことがない方のほうが多いと思うので、ざっとソロモンについて紹介しますと
ソロモンは生まれながらに王で不自由なことは何一つない身分で生を享けました。
それだけに止まらず´ソロモンの知恵´という言葉が歴史的に流布しているくらい
「知恵の王」と称賛され賢明な判断力と決断力を有していたという記録も残っています。

 

そのことを裏付けるように国の大経営者として通商貿易振興に手腕を振るい経済を発展させ
首都のエルサレムに父ダビデの悲願であった神殿や宮殿建設も行いました。
いわゆる「ソロモンの栄華」と呼ばれる大繁栄を成し遂げたことで有名です。
更にはソロモンの雅歌を遺すなど大作詞家としても卓越した才能がありました。

 

 

 

歴史上の人物の中で、これほど財や才に恵まれて生まれて
実際に、その卓越した才能を発揮し大経営者として国を繁栄させ栄華を誇り
多くの家臣から、かしずかれ崇められ支配欲求も満たし
大作家としても名前を遺した方は稀有でしょう。

 

 

 

しかし、そのソロモン王は、たった一つのこと

 

すなわち

 

 

「 性的不道徳を避ける 」という原則を守れず

 

諸国の王や貴族の娘を700人も妻にし
側室を300人も集め淪落したとされています。(列王記11章3節)

 

その結果

 

その生涯を悔いるかのように

 

晩年に「 なんという空しさ、なんという空しさ、すべては空しい 」と慨嘆しています。

 

コヘレトの言葉(伝道の書) 1章1〜2節
( ※近年の研究では、コへレトの言葉は、ソロモン執筆ではないという異説もありますが
ソロモン作というのが主流です。なぜならコヘレトの言葉の冒頭に、エルサレムの王、ダビデの子、コヘレトの言葉。とバイブルに明記されています )

 

以上のことから

 

 

大経営者、大作家になる喜びより

 

性的不道徳を避ける( 危うい誘惑を避ける )というのを
確り守り通し自己成長軌道に乗せることで得られる喜びのほうが深い安心や喜びを与えるというのも
あながち絵空事として無視できない・・ある程度までは推測可能と言えるのではないでしょうか?

 

 

これらのことから、ごく普通の一般人でも積極的な意味で、性的不道徳を避けるほうがよいというのが浮かび上がってきますし

 

 

すでに性的奴隷状態に陥ってるなら、自分自身のためにも、あるいは
血脈を受けた子孫への負(不幸 )の連鎖の鎖を緩めるためにも
幾ばくか痛みを伴っても様々なやり方で外面的な清算だけでなく
内面的にも清算していくのが妥当と私は考えます。

 

なお、私もこの分野は、まだ、きちんと整理できていません。
歴史上最大の教父とされたアウグスチヌスも意志の転倒と我知らざるとこから生じる欲情が
さまざまな雑念妄念、邪念や矛盾性を生じせしめる温床であるという説を唱えており
人が善きことを発揮できなくなる諸悪の根源という類のことを述べていたという記憶があります。
( 20代の頃にアウグスチヌス著作集を読んでいた中で見つけたことなので出典を明示できませんが・・)

 

この件について外面的な不貞はまだしも内面的な不貞まで取り締まるということになったら
こういう分野に課題を感じる方は多くない気がしますし
内面の陶冶を含めて取り組んでいる方ですらも、決して一筋縄ではいかない分野でしょう。

 

おそらくは天風哲学でも対処しきれない領域を含んでいると愚考しますし
社会システムだけでなく個人個人が自己陶冶のレベルを上げないと無理じゃないかと思っています。

 

ただ何をやっても無理。決して無効というわけではなく
心身統一法の熱心な行修で心身の統御力を高めて自我の心ではない魂(見えざる、感覚せざる・・しかし直覚はできる一つの氣)としての吾の自覚がキーであり
自我の自覚できる表面意識の、さらに奥の汚れを掃いつつ、それをベースに意志の力を渙発、結集し感覚への隷属や
これまでの生活や消極的な記憶や習慣に流されやすい惰性的な生き方に少しずつ穴を空け、
その空隙をルートの一つして例えばインドのヨギの瞑想などで根源を知る努力で埋めて
高次の領域にアクセスする熱意と継続力を高める。

 

 

尤も、きちんとHow to Doが体系化できている心身統一法を知って
知るだけではなく丁寧に実践しなけりゃ、
一般人にとって雑念、邪念の整理や自己陶冶は
歴史的に、How To SAYのものばかりで、これまで実際方法が提示されていなかったことから非常に難しく絶望しかない・・

 

自己啓発や自己統御に強い関心や問題意識がある方ですら
( 実践していてすらも自己陶冶は大変だから心身統一法がバイパスしなけりゃ )
いくら発心しても自我の理性心と本能心の相克や葛藤、感覚の闘いに疲弊し
感覚の誘惑に負けたり、気持ちが挫かれやすく、すぐに諦めたり付和雷同に堕したり、
自我の心の邪な想いや諦めに、すぐに囚われ消極的な連想や感情にも振り回され
消極的な心(想い)の奴隷になって
信念もなく、あっちにふらふら、こっちにふらふらってなことに陥りがちなのが、
わたしたち庶民の悲しい性でしてスタートラインにすら立てないということもあり得ます。

 

 

( 惰性的な生き方に流されがち。下手すると訳も分からず
<心身統一法とご縁がなければ>ほぼ大半の方が消極的な観念要素に支配された潜在意識に
意志の力が下敷きになり、我知らず受け容れた消極的観念要素で一杯になった
( 自覚できる実在意識の何十、何百倍もの力がある )マイナスの潜在意識に振り回され
世の中は苦の娑婆だとしか感じられず
一生を流離人のように流離い
生老病死の苦しみに覿面し、病や不運命などに遭遇した際
心をして病や、不運という事柄を凌駕するほど強く、尊く、積極化する実際方法も知らないため
事柄に押しつぶされ不貞腐れて二度と立ち上がる力をも失いがちなのが庶民の哀しいとこなので )

 

心身統一道をベースにしつつも、更に高い次元を扱っている、それらにバトンタッチし、
そこに何らかの上からの流入、食を慎む<小食、粗食>などの努力や
道徳的準備を含む内面の受け入れ体制があれば可能性がでてくるのではないでしょうか?

 

何れにしろ不貞行為をしないというのは、社会的にも倫理的に常識で多数派でしょうけど、
さらに内面にまで踏み込んで、奔放になりがちな内面の取り締まりということまで含むとなると、
これは、さらに厳しく自身を律さないといけなくなります。
そもそも・・そういうことまでメスを入れて取り組む方は少数とも思っていますが

 

外的不貞を避けることはできても
マタイ伝5章27節〜29節で内面の不貞にもメスを入れたキリストの忠告(警告)までも遵守するのは
求道に強い関心があって心がけている現代の求道者でさえ、困難を感じる方もいるのではないかと思っています。
それどころか、あまりに度を越すと神経質、かつ罪悪感、煩悶を誘発しやすくなって、
潜在意識にとって好ましくないケースもあるでしょう。

 

何れにしろ
おおらかな気持ちで、サイトに詳述している反復の技術などを心に用いて継続力を高めるなかで強い気持ちを高めて吹っ切る方法
暗示の分析を施し、外界から、いわゆる猥雑なものをむやみやたらに心に取り込まないようにし
少しずつ内面の劣情等を削ぎ落すやり方で
少しずつ習慣的なマイナス感情を削り
深いところに埋まった刹那的快楽回路を瞑想由来の新しい喜びで耕作する等の取り組みをしていったらよいのではないでしょうか?

 

問題意識のない方にとっては猫に小判になりがちということもあり、このページでは、公開はしませんが、いろんなルートや方法があるかと思います。

 

しかし、どういうルートにせよ

 

「 潜在意識領の浄化と整理 」これがゴールデンキーになるでしょう。

 

 

ちなみに、私たちは曇らされがちですが、瞑想などで根源を少しずつ知り、
根源とのつながりを意識できるようになることで得られる新しい悦びを感得するための努力というのは、自己制御力を高めるし
長い目で見て生活を荒廃させる刹那的な快楽回路を壊して新しい喜びに振り向けるのに良いと思うし
生活が糸の切れた凧状態にならない・・という意味でも、本来は最も大事なことだと私は思っています。

 

 

PS

 

※余計なお世話と感じる方もいらっしゃるとは思いましたが、お釈迦様の焼け火箸の喩えもあるだろうと思い直して大幅加筆しました。